人間は帯刀で初めて一人前


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001 2023/11/07(火) 13:23:26 ID:x01tqJF.xA
未だにクマ出没のニュースが相次いでいて、
その爪の鋭さなどからツキノワといえども決して舐められたもんじゃないのが
知れ渡りつつあるが。それでもなお、山で出くわした消防士が持ち合わせていた
ナイフで撃退したのが銃刀法違反じゃないかと問題扱いされていたりもする昨今。

ツキノワやチンパンみたいな、人間と同程度の大きさの動物が、
並みの人間よりも強靭な体力を持ち合わせている上に、
さらに鋭い爪や牙でも武装しているところなどをみれば、
人間もまた帯刀ぐらいで初めて一人前以上の動物であるらしいことがわかる。

進化の過程で鋭い爪も牙も毛皮も捨て去って、体力まで最低限程度にまで
落ち込ませている人間が、さらに道具にすら頼らないというのは、
それでこそ野生だなんてこともなく、ただ動物未満のひ弱に陥るだけでしかない。

それをこそよしだなんてする文明社会があったとしても、
万物の霊長たる人間を、あえて動物未満へと陥れている退廃状態に他ならない。
いくら法律や警察や一般常識がそれを是としようとも、
少なくとも今後数万年以上は変わることがない真実である。

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002 2023/11/07(火) 13:45:50 ID:P1dt148LwU
熊は中華食材

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003 2023/11/07(火) 13:59:33 ID:x01tqJF.xA
特に武家時代の日本人などが、武士か否かを問わず総出で刀剣文化を重んじていたのは、
人間という生き物の「万物の霊長(書経)」としての沽券を保とうとしていたからではないか。

武家時代の中でも、特に刀剣ばかりを槍薙刀や弓矢以上に偏重していたのが江戸時代だが、
その江戸時代をもたらした徳川家康が、実は剣術よりも火縄銃の達人だったことで知られ、
わざわざ海外から輸入したカルバリン砲による大坂城への砲撃で、古来の和城の天守閣構造が
もはや時代遅れであることを見せつけることで戦国時代を終わらせたほど、先進的な軍術家でもあった。

「世を治めるのもまた刀剣ではなく人」というような、あまり刀剣を重視しているわけでも
なさそうな格言まで残しておきながら、帯刀による武装だけは許容するような時代を招いたのは、
やはりそこまで奪い去ってはいけないと思い直すだけの何かがあったわけである。

「武士の魂」というのなら武家だけが帯刀すればいいが、民間人にもまた道中差程度は許可していた。
元禄時代以降は、富を得た豪商による華美な脇差の愛好なども流行したというし、どうあっても
刀剣までは万人から奪い去るべきではないとわきまえさせられるだけの、何かがやはりあったのだ。

それはおそらく、人間という生き物の、万物の霊長としての一人前さを尊んでいたからだろう。
この尊厳が失われたことで、おそらくは近代以降の日本人も堕落の一途を辿ったのである。

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004 2023/11/07(火) 18:02:21 ID:sogAjDqjVU
アルカノイドは名作だよな

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005 2023/11/07(火) 18:06:20 ID:4T2iKg7nnc
地蔵は宙に浮けるから、刀なぞいらんだろ
敵を殲滅するなら、空中浮遊しながらサリンを撒けばよし
水を撒けば無毒化するので、核より安全かつリーズナブル

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006 2023/11/07(火) 18:47:06 ID:zoBveqa7wc
>>4
どういう設定やストーリーがあって、ブロック崩しで戦うことになったんだろうね?

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007 2023/11/07(火) 18:50:57 ID:x01tqJF.xA
見ての通り、今の時代、刀剣アレルギーの人間は非常に多い。
単純に危険物であるのには違いないし、酒鬼薔薇ネオ麦茶や
宅間加藤みたいな刃傷沙汰による凶悪犯への恐れなどもあろうが、
現代人の刀剣アレルギーはそのような安全意識ばかりを原因としたものでもない。

自分たち人間こそが、万物の霊長として地球上に君臨し、
責任を以て世の中を営んで行く覚悟を抱かされることへの恐れもまたあるのだ。

刀剣をただの危険物として忌み避ける価値観は本来、西洋のほうが主流で、
あの野蛮大国ロシアといえども、道徳的には凶器としての刀剣を卑しんでいる。
(その上で反道徳を開き直っての武装による凶行などに及んでいるのである)

その西洋こそは、古来より人間と自然を対立項で捉え、
自然を単なる敵対者と見なすか、もしくは上から目線で保護対象と見なすような、
いびつな自然観までしか総員で持ち合わせることができないままで来ているもの。

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008 2023/11/07(火) 19:00:19 ID:x01tqJF.xA
刃物一つ持たない生身の人間は、自然界ではあまりにもひ弱すぎるために、
人と自然とを万物斉同の感覚で捉えることができず、あくまで対立的にのみ捉えて来た。
(造物主が人間のために自然を用意した系のカルト信仰もまたそれを助長した)

刀剣を尊んでいた時代の日本人などにはそんな障壁はなく、
人も自然も同類とした上での、ごく自然なエコロジー意識が育まれていたし、
それと共にこそ、人間社会全体を持続的に営んで行けるだけの、
高遠な責任意識までもが総員で養われていたのである。

刀剣なくしても、その責任意識さえ持ち合わせられるのならそれでもいいのだが、
それはむしろ、総員での本格仏教への帰依などのより困難な手段に頼るのでもなければ
叶わぬことなのだろうなと、現代人の極端な無責任さ加減などからも察せられるわけである。

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009 2023/11/07(火) 19:37:46 ID:VE9aJz4qKc
統一分派のサンクチュアリ教会にでも
感化されたクチか?

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011 2023/11/07(火) 20:04:46 ID:x01tqJF.xA
サンクチュアリ教会は、アメリカの憲法修正第2条などを
依拠対象とした銃砲崇拝の分派だったな。たしか。

刀剣をすっ飛ばして、銃砲以上の兵器で人間という生き物ならではの強さを
確保しようとすればどうなるかというと、それはアメリカの如くなる。

世界最強の軍事力を湛えた国であることには疑いようがないが、
そこには全く自然との共存意識などはなく、ただひたすら自然界も人間界も
侵略征服の対象としてばかり捉える、全世界相手の強盗集団の如くなる。

それは、刀剣のような素朴でコスパも最低限の道具で、
自然界の動物たちとも対等程度からの強さの確保に乗り出すような
着実さに欠けているがゆえの事態であり、「生身では結局猛獣にも敵わない」
というコンプレックスを持ち越したままであるがゆえのイキリ回りなのである。

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012 2023/11/08(水) 07:56:05 ID:CVp0364Yhg
楽しそうだな

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013 2023/11/08(水) 10:55:24 ID:bi6pFI4zXI
バイデンやオバマ以上に、トランプこそは「アメリカの擬人化」
といっても過言ではないほどに、アメリカの本性を大いに体現している。

地球温暖化などありゃしない、CO2の排出削減など無駄だと、
数多の証拠を突きつけられようとも頑なに言い張ることで、
古き良きアメリカの復興や保守に取り組もうとしている。

そしてもちろん、全米ライフル協会とも昵懇な仲でいる。
どんなに多くのアメリカ人から嫌われようが、民主党勢がそこに
反するような新機軸を打ち出していようが、アメリカという国の
正体はそちらにあり、抑圧された分だけアメリカも弱体化するしかない。

もちろん、トランプの政策が全部通るなみにアメリカが
やりたい放題であり続けるようなら、もはや世界も持たない。

刀剣尊重時代の日本が自給自足での平和状態を確立していたのとは裏腹に、
銃砲を国の魂にまで掲げるような国としてのアメリカこそは侵略征服
なくして成り立たないものだし、結局、刀剣すっ飛ばして銃砲頼み
なんていう精神性では、当人たちが万物の霊長たり得ないがゆえに、
まともに世の中を営んで行くこともできない窮地に陥ることが免れ得ないのである。

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014 2023/11/08(水) 12:26:06 ID:bi6pFI4zXI
アメリカは銃器大国であると同時にスポーツ大国でもあるが、
スポーツもまた、人間を万物の霊長たらしめる条件などは決して満たさない。

スポーツには全くの徒手空拳で行う競技もあれば、
球技のように子供でも安全に扱えるような遊具で行うものもあるし、
フェンシングアーチェリー槍投げのように武器を用いたものもある。

ただし、それらは全て「平和の祭典」オリンピックでも採用され得るような競技で
あることに特化しているために、本物の戦闘や狩猟などからは必ず一定以上にかけ離れるもの。
(戦後にスポーツ化した剣道や柔道などもその道をたどってしまったのだった)

そこでどんなに超人的な体力などを養おうとも、所詮は遊戯の範疇でしかなく、
実際に猛獣と戦って勝てるような素養が身についているわけでもないために、
やはり人間を万物の霊長たらしめるための条件は満たさないのである。

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015 2023/11/08(水) 13:22:15 ID:bi6pFI4zXI
丸腰やお遊び止まりな運動でも、
刀剣すっ飛ばして銃砲以上の武装に頼るのでも、
人間たち自身が万物の霊長としての条件を満たすことはほぼなく、
ただ帯刀程度の嗜みによってのみそれが着実に達成される。

それこそ、両極端への一つ覚えに決して振り切れることがない、
中庸の確立者にしか決して理解も納得もできない法則であるといえる。

この劇画の作者であるとみ新蔵氏といえども、そこまで分かっているかは知らない。
自らもまた剣術修行に明け暮れる異能の漫画家で、武芸への知識の深さにかけては俺も
一目置いているが、政治思想にかけては墨家寄りらしくて、生産者からの貢税によって
耕すこともなく食べている武士たちを、その本分に即して卑しむような描写もしているし。

しかし、武士は帯刀者の中でも、大刀の所持まで特別に認められることによって、
人類の中でも最も高貴な部類の霊長であることを大いに標榜していたわけだし、
その名誉に即して持続可能な平和社会を司り続けるような実績をも挙げていたからには、
武芸者以上に公職者としてのあり方こそをより評価すべきなのではないかとも思われる。

少なくとも、100年と平和を保っていられない今の日本や世界の権力者などよりは、
よほど優れた人々であったのに違いないのだから。

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016 2023/11/09(木) 13:35:15 ID:OW5abfMclA
日本を含む、古来の東洋社会には、人間と自然を対立項として捉える考え方がなく、
そこから一方的な破壊の対象や、上から目線な保護の対象とするような慣習ももちろんない。

それ故に、人間と自然のちょうど境界例にあたるサル類を、
西洋人のように人間の出来損ないとして殊更に卑しむような真似もせず、
逆に人間と自然の橋渡し的な存在として崇め祀ることすら時に厭わないで来たのである。

無論、作物を食い荒らす害獣などとして相応に卑しむようなこともあるが、
それはクマやシカやイノシシなども変わりはないし、仏門では動物界全体を畜生道と呼び、
人間にとっては全くの同レベル化までは避けるべき領域としての警戒をも促して来たもの。

動植物のような自然もまた、生物である程度には人間と同類項である側面もある一方で、
やはり人間こそは万物の霊長だから、そのリーダーたるべき誇りと共に、人間社会に限らぬ、
森羅万象への順当な開物成務に取り組んで行くべきだという考え方で来たのである。

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018 2023/11/09(木) 14:07:00 ID:OW5abfMclA
そこには、殊更な自然保護意識などもなければ、
西洋的な文明主義者にありがちな自然への敵対意識もない。

刀剣も別に、自然に優しい武器というばかりでもない。
一般的な日本刀の太刀一振りを鍛え上げるためには燃料として1トン以上の材木が必要とされ、
そのために日本一の刀の名産地だった備前も禿山だらけとなり、そのせいで起きた
1590年の大洪水で、古刀時代の刀工組織も壊滅に追い込まれたりしている。

それにしたってやはり、日本刀が自然文化にひときわ深く根差した武器であるのにも
違いはなく、刀装具などにも竜虎や獅子のような雄々しい猛獣だけでなく、
非常にマイナーで弱小な草花や小動物の彫刻などがあしらわれていることが多い。

刀剣文化と共に花開いた家紋文化でも、繊細な自然描写に長けたデザインが多く見られるし、
そこにはただ人間たち自身を飾ろうとする見栄などではなく、人と自然が共にあることを
ごく当たり前な常識としてわきまえている篤実さまでもが見受けられるものである。

仮に銃砲を草花のレリーフなんかで飾れば「少女趣味か?」なんてことにもなるし、
西洋においてはそういう装飾は軟弱で女々しいもの扱いになったりもするわけだが、
別に女々しいからやっていたことでもない。むしろ森羅万象のリーダーとしての大雄たる
ことを表現せんとするために、最も弱小な部類の草花をも飾りとすることを好んだのである。

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020 2023/11/09(木) 19:56:26 ID:OW5abfMclA
だいたいが、史上最も成功した武家である徳川の家紋にしたって、「葵」の御紋。
決して悪い植物ではないにしても、それ自体で格好付けてイキリ回ったり、
見る者を脅し付けたりするのに適した象徴となるような草でもない。
(水戸黄門で葵紋に伏している人々も、その裏手の権力の絶大さに対しそうしてるだけ)

世界中の、特に西洋の名家が、紋章に獅子だ熊だ鷲だといったいかめしい猛獣を用いたり、
(アメリカなどだと名家がいない代わりに政府機関などでその手の紋章を使っている)
あるいは薔薇だ百合だといった見るに華やかな植物の写実画を用いたりすることで、
紋章そのものでの威嚇に取り組んで来たのと比べれば、日本の家紋などは、
単なる識別記号であることの他には、自然との無理のない共存を打ち出して
いるかなあ・・・?と思わせられる程度の感傷性を帯びているのみである。

しかしそこにこそ、最も小さくて地味な草花などに至るまでの、
森羅万象を司る霊長としての人間、そのいち構成単位としての家の表徴が認められるもの。

無論、これは武家がオリジナルの取組みではなく、そもそもが公家や寺社の紋章規則に
倣ったものであるわけだが、決してそこを曲げてイキった家紋などを用いようともしなかったし、
第一が公家もまた帯刀身分であったのには変わりないし、武家時代か否かを問わず、
近世までの日本においてはずっと共通して見られた傾向なのである。

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021 2023/11/10(金) 12:21:02 ID:F80.04Z/RY
ちなみに、うちの家紋にも「笹」の紋様があしらわれている。

本姓藤原氏なのに藤ではなく笹なのは、公家から佐幕派の武家への転向に際して、
源頼朝が家紋としていた笹竜胆あたりから拝借したのかもしれない。

竹ならまだ武の象徴としての意味合いが昔からあるし、
実際に竹をあしらっているような家紋も一定数、存在するけれども。
おおむね竹よりも細くて小さい笹こそを、武家の棟梁たる征夷大将軍が
家紋に用いていたあたりにも、家紋自体でのイキリ回りなどは極力排して、
森羅万象への守護者たる武人たろうとした心がけが垣間見られるものである。
(ちなみに竹紋は逆に公家の紋などに多いようである)

笹といえば、牧野富太郎が愛妻の名前を付けて命名した「スエコザサ」などもあるし、
牧野が抱いていたような、あらゆる草花への分け隔てない愛着なども実は、
武家を含む古来の日本人にとってのデファクトスタンダードだったのではなかろうか。

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022 2023/11/10(金) 21:09:58 ID:F80.04Z/RY
今後の地球社会において、
トランプなみの人工主義は、もはや自然どころか人間社会も保てないし、
グレタなみにヒステリックな自然保護主義も、非現実的過ぎて十分な実践が務まらない。

殊更に上から目線で自然を守ろうなんて考えるわけでもないが、
万物斉同を前提とした上での、その霊長たる人類としての身の程のわきまえによって、
人間社会と自然界を共に健全に営んで行こうとする、古来の日本人のような自然観こそが、
これからの地球社会を持続的に安定させて行ける価値観たり得るものである。

その手段は、必ずしも帯刀でなければならないわけではないが、
かといって帯刀よりも簡易かつ効果覿面な手段もそうあったもんではない。

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023 2023/11/10(金) 21:32:24 ID:F80.04Z/RY
強いて言えば念仏あたりがそれに匹敵するだろうけれども、これもまた個人主義で
自意識過剰を極限まで膨れ上がらせている現代人には、決してそう受け入れやすい方法でもない。

帯刀もまた、自らの過度のイキリ回りがそのまま自分自身にしっぺ返しを
見舞わせる性質を持ち合わせているが故に、決して楽々簡単とまではいかない。

人間と自然の間に断崖絶壁状態な存在性の断絶を自製して、敵対はおろか
親交まで、そこからしか試みられないような精神の不具を抱えたままでいる
ことのほうが、人間たち自身にとっては底なしの無責任でいられるが故に楽なものであり、
その不健全なほどの楽さから自分たちの心が脱却できるかどうかこそが、無職ニートが
怠惰の安楽から脱却したりするよりもはるかに難しい上に、今後の人類の将来を左右するのである。

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024 2023/11/10(金) 22:08:34 ID:kyVpZ/3mFI
長げーよ 貴子は自分のパンティーを膝まで下げ」そこまで読んだ

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025 2023/11/10(金) 22:57:15 ID:F80.04Z/RY
自分から脱ぎ始めるとは、ふてえ女だな。

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026 2023/11/11(土) 10:33:33 ID:5RRlfbESYY
三島由紀夫は武士を「崇高な野蛮人」と呼んでいたし、
帯刀も排して文民統制を徹底しているような近代社会の観点からすれば、
武家時代の日本などは少なからず野蛮で、土人社会に近いものとも思われがちである。

それはある意味、全くの間違いでもない。
アフリカのマサイ族が古来、槍一本でライオンを仕留められて初めて一人前の大人扱い
していたのとも変わらないぐらい、人間たち自身の生身からの武力を尊んでいた時代
だった程度には、そんな素養など総員で放棄している今などよりも土人的ではある。

しかし、一方で数千万の人々が、江戸のような世界最大級の都市まで形成しながら、
(それも利根川東遷のようなきわめて壮大な文明的開発あっての上でのことである)
当時の日本社会もまた営まれていた。高等数学や電機文明なども「やればできる」を
示す程度には開発していたし、文明的な所はちゃんと文明的であった上でのことである。

文明的だからといって、土人的であることの完全な上位互換であることをも諦めない。
極端な迷信を信じ込んでいたりするような、土人社会の悪い側面は廃する一方で、
生身で猛獣をも凌駕できるような良い側面までは決して放棄せず、その保守に勤めていた。

文明による惰弱化などを決して許すことなく、あらゆる面で先進的あろうとしていたのが
近世までの日本人であり、それゆえに惰弱化を補うような文明化では西洋に後れを取って
いたとはいえ、それをただただ遅れていたなどと見るべきでもないのである。

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027 2023/11/11(土) 11:02:59 ID:5RRlfbESYY
なぜ人間たるもの、文明化と引き換えに必ずしも土人未満、
動物未満に堕してしまうような側面を帯びなければならないのか?

考えてみれば、おかしな話である。
別に誰もそんなことを強制なんかしてないのに、
いつの間にかそれが当たり前の常識と化している。

机上の空論や金儲けばかりに精を出すあまりに、
生粋の文弱と化してしまったような人種こそが、その補填のための
文明化などを主導して来たものだから、そういう常識が定着してしまった。

その手の文明化はあくまで、文弱のためのものであるのが主なために、
受容を通じて人間たち自身に土人未満、動物未満への何らかの退化を強いる。

それはむしろ「不健全な文明」のうちに入れるべきものだし、
それとはまた別に、そんな副作用を帯びたりしない「健全な文明」もまたあるもの。
それこそが、人間が万物の霊長たるための文明なのである。

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