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>>187の続き)
真性の精神障碍者であれ、そこまでいかない範囲の愚人であれ、
心が弱い人間というのは、画像のような知能曲線の積分面積が人一倍低く、
一時的には人並み以上の知能を発揮できるようなことがあろうとも、
恒常的な知能の平均値は人並み以下であるのが常である。
そういう人間こそが、他者への危害に喜びを見出したりもするし、
逆にそういった不埒な活動による陶酔に味を占めた結果、
心の弱い人間へと凋落してしまうといったこともある。
巧言令色で利権に取り入り、分相応以上の地位や名声や金カネを手に入れる
ことに味を占めた結果、およそ「実力」と呼べるような部類の能力が
からっきしに成り果てるといったようなこともまた、同様な原理で起こる。
心が強くて、恒常的な知能の平均値も人並み以上に高めておける者だけが、
長年の腰を据えた取り組みによってこそかち得るような「実力」にも与る。
そのうちには所謂「徳」というのもあり、故に「巧言令色は徳を乱す」ともいう。
自分自身が恒常知能の低い愚人や病人であるようなら、そういった
実力を伴う徳のなんたるかが想像もつかないために、奈良の観光客を
怒鳴りつけるへずまのような偽善行為のほうが有徳であるようにまで
思えてしまったりもする。そんな人間があまりにも増えすぎた時世においては、
真の徳を養う手段が独立独歩にしか認められないような事態にもなり得るのである。
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