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正直であることは楽しい 偉大なる生存の報告 Part319
▼ページ最下部
ここにいる一部の連中などからすれば、
正直であることは堅苦しいこと、嘘偽りでもなんでもやり放題のほうが
楽しいことのように思われたりもするようだけれども、むしろ逆。
正直であることで、自らの思考回路から矛盾性が排されることにより、
同時に考えると破綻があらわになるような矛盾情報同士の断片化がなくなり、
デフラグの行き届いたHDDが快適に動作するのと同じように、頭でいろいろと
ものを考えることがどこまでもストレスフリーでいられるようになる。
まずそれが楽しい。
正直を尽くすことで断片化を極力排し、それにより
ストレージとしての空き容量を十分に確保した状態の思考回路は、
何かを思い出したりすることもまた容易たり、まるでRAID構築された
複数のHDDのうちの一つが故障して読み取り不能になろうとも、その他の
ディスクの分散パリティからすべての損失情報をリビルドできるのと同じように、
一度忘れてしまった記憶の復元による思い出しもまた容易となる。
それがまた楽しい。
マインドフルネスとかいうのは、なにか神秘的な意味合いを持ち合わせた話の
ように思いこまれている節があるけれども、そういった即物的な観点に即した
説明が可能な範疇の話でもあることだし(もちろんそれだけではないのだが)、
そのための手段もただ正直であったりするような、ごく身近なものだったりも
するわけで、敬遠して全く心がけもしない正当性なども基本ないのである。
正直であることは堅苦しいこと、嘘偽りでもなんでもやり放題のほうが
楽しいことのように思われたりもするようだけれども、むしろ逆。
正直であることで、自らの思考回路から矛盾性が排されることにより、
同時に考えると破綻があらわになるような矛盾情報同士の断片化がなくなり、
デフラグの行き届いたHDDが快適に動作するのと同じように、頭でいろいろと
ものを考えることがどこまでもストレスフリーでいられるようになる。
まずそれが楽しい。
正直を尽くすことで断片化を極力排し、それにより
ストレージとしての空き容量を十分に確保した状態の思考回路は、
何かを思い出したりすることもまた容易たり、まるでRAID構築された
複数のHDDのうちの一つが故障して読み取り不能になろうとも、その他の
ディスクの分散パリティからすべての損失情報をリビルドできるのと同じように、
一度忘れてしまった記憶の復元による思い出しもまた容易となる。
それがまた楽しい。
マインドフルネスとかいうのは、なにか神秘的な意味合いを持ち合わせた話の
ように思いこまれている節があるけれども、そういった即物的な観点に即した
説明が可能な範疇の話でもあることだし(もちろんそれだけではないのだが)、
そのための手段もただ正直であったりするような、ごく身近なものだったりも
するわけで、敬遠して全く心がけもしない正当性なども基本ないのである。
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たとえ正しい歴史を正しく勉強したつもりでも、長年悪逆非道を増長させる
ことばかりで一貫して来た西洋史あたりにより主眼をおいて、仁政を本位と
して来た東洋史を蔑ろにしたりしようものなら、その優先順位の取り違え
ひとつで「人類の歴史は暗黒史」「歴史からの解放こそが人類の解放!」
なんていう思い込みに至ったりもしてしまいかねず、それにより本人自身も、
歴史の積み重ねの中に心の安定の拠り所を見出すこともシャットアウト、
自分と同道たらんとする他者にまでそれを推奨したりまですることになる。
他力本願の浄土門ですら、大水と大火の間に一本だけ存在する白道を
渡ることでのみ極楽往生が可能であるとしているものだけれども、
まさにそれと同じように、人が酒を飲んでも飲まれない程度に心の恒常的な
安定を得る手段もまた、いくらでもありそうでいながら、多くの間違った
選択肢の中から正しいものだけを選び取らねばならない所があるのである。
ことばかりで一貫して来た西洋史あたりにより主眼をおいて、仁政を本位と
して来た東洋史を蔑ろにしたりしようものなら、その優先順位の取り違え
ひとつで「人類の歴史は暗黒史」「歴史からの解放こそが人類の解放!」
なんていう思い込みに至ったりもしてしまいかねず、それにより本人自身も、
歴史の積み重ねの中に心の安定の拠り所を見出すこともシャットアウト、
自分と同道たらんとする他者にまでそれを推奨したりまですることになる。
他力本願の浄土門ですら、大水と大火の間に一本だけ存在する白道を
渡ることでのみ極楽往生が可能であるとしているものだけれども、
まさにそれと同じように、人が酒を飲んでも飲まれない程度に心の恒常的な
安定を得る手段もまた、いくらでもありそうでいながら、多くの間違った
選択肢の中から正しいものだけを選び取らねばならない所があるのである。
(>>230の続き)
本物の歴史を正しく勉強して、なおかつそこに一定数存在する賢聖たちの
意志を受け継ぎ、なるべくならその実現にも勤めて行こうとする心境こそが、
最低でも酒乱を避けられる程度の心の安定をもたらしてくれるものである。
「儒学」という学問は、特にその修養を最大級の本懐としているもので、
故に根本聖典たる四書五経にも、書経や春秋のような世界最古級の歴史書が含まれている。
堯舜禹や高宗武丁、文王武王や周公といった、当時から見ても古えの聖王賢臣たちの
言行に孔子や孟子も思いを馳せ、その魂の会得に臨んでいたのだった。
しかし、孔孟は春秋戦国時代という極度の乱世に生きたために、
その才覚を政治の場で十分に発揮することは叶わず、あまり実務に携わることが
できないでいるのに乗じての、権力道徳学の体系化のほうにより尽力したのだった。
それもまた一つの、古えの賢聖たちの魂の継承であったのには違いなく、
故にこそその教えを入念な参考にしたいくつもの大帝国が、後に治世を実現して行けた。
歴史上の聖王賢臣なみの大功業を誰しもが挙げられるとは限らないが、
その意志を受け継ぐことはそこまで限られた人々だけの特権ではなく、
為政の主導などとはまた別の形でそれを賛助して行けることもあるし、
ほとんど何もできなかった所で、自らの心の安定という功徳ぐらいには与れる。
ゆえに「舜も人、我も人なり(孟子)」という心がけを持ち保たない手はないのである。
本物の歴史を正しく勉強して、なおかつそこに一定数存在する賢聖たちの
意志を受け継ぎ、なるべくならその実現にも勤めて行こうとする心境こそが、
最低でも酒乱を避けられる程度の心の安定をもたらしてくれるものである。
「儒学」という学問は、特にその修養を最大級の本懐としているもので、
故に根本聖典たる四書五経にも、書経や春秋のような世界最古級の歴史書が含まれている。
堯舜禹や高宗武丁、文王武王や周公といった、当時から見ても古えの聖王賢臣たちの
言行に孔子や孟子も思いを馳せ、その魂の会得に臨んでいたのだった。
しかし、孔孟は春秋戦国時代という極度の乱世に生きたために、
その才覚を政治の場で十分に発揮することは叶わず、あまり実務に携わることが
できないでいるのに乗じての、権力道徳学の体系化のほうにより尽力したのだった。
それもまた一つの、古えの賢聖たちの魂の継承であったのには違いなく、
故にこそその教えを入念な参考にしたいくつもの大帝国が、後に治世を実現して行けた。
歴史上の聖王賢臣なみの大功業を誰しもが挙げられるとは限らないが、
その意志を受け継ぐことはそこまで限られた人々だけの特権ではなく、
為政の主導などとはまた別の形でそれを賛助して行けることもあるし、
ほとんど何もできなかった所で、自らの心の安定という功徳ぐらいには与れる。
ゆえに「舜も人、我も人なり(孟子)」という心がけを持ち保たない手はないのである。
漫画は結構読み込んで来たほうだとは思うが、
アニメ方面がミーハーなのはちげえねえや。
勉強や修行のほうがより忙しかったんでな。
だいたい、漫画は同人というプロとアマのグレーゾーンがあるけど、
アニメはもう本当に精鋭のプロばかりで成り立ってる分野だから、
中川翔子なみに知識豊富で絵や歌がそれなりにうまくても、プロとまでは
行かないのに出しゃばったせいで煙たがられて追い出されたような界隈だからな。
毎月何十と出てる新作を全部観たりするのも絶対に無理だし、
最高権威の岡田斗司夫でも手のひら返しのプロ呼ばわりされてるような有様だし、
個人的に好きなのはいいとしても、専門家気取りなんかはやめといたほうがいいぜ。
アニメ方面がミーハーなのはちげえねえや。
勉強や修行のほうがより忙しかったんでな。
だいたい、漫画は同人というプロとアマのグレーゾーンがあるけど、
アニメはもう本当に精鋭のプロばかりで成り立ってる分野だから、
中川翔子なみに知識豊富で絵や歌がそれなりにうまくても、プロとまでは
行かないのに出しゃばったせいで煙たがられて追い出されたような界隈だからな。
毎月何十と出てる新作を全部観たりするのも絶対に無理だし、
最高権威の岡田斗司夫でも手のひら返しのプロ呼ばわりされてるような有様だし、
個人的に好きなのはいいとしても、専門家気取りなんかはやめといたほうがいいぜ。
(>>238の続き)
90過ぎまで10兆円以上の資産を持ち越した挙句に、
今の自分には無貯金20歳の若者ほどの価値もないことを
思い知らされているバフェットなみの小人にとっては、
惨めな老後より盛大な早死にのほうがマシ、なんてこともあり得ようが。
長寿の孤独も仏僧的な精進によって福徳に代えることが可能だし、
そうでなくたって、仁政を目的とした歴史の勉強などによって、
人類史全体をわが人生と等価なものならしめて、そこにいる数多の
賢聖たちとの魂の交流を通じて、孤独を霧消させることもまた可能たる。
フィクション上の架空キャラなどと違って、間違いなく実在していた上に、
その教えに倣うことでの現実的な功徳もまた本当に期待できる大丈夫たち。
そこに親交の思いを馳せることは、大いに健全なことであるが故に、
なんらの副作用を来たすこともなく、己が浩然の気の養生による
心の安定や人生の充実をももたらしてくれるものである。
日本のフィクション作品などの中には、そういった古人の教えを
あの手この手を使って埋め込んだようなものも多いために、
フィクションでも似たような体験がある程度はできたりするものだけれども、
それもやはり水増しだったり、阿世の汚濁との味噌糞だったりするのが
常であるが故に、実在の賢聖に親しむほどの純正さには及ばぬものである。
90過ぎまで10兆円以上の資産を持ち越した挙句に、
今の自分には無貯金20歳の若者ほどの価値もないことを
思い知らされているバフェットなみの小人にとっては、
惨めな老後より盛大な早死にのほうがマシ、なんてこともあり得ようが。
長寿の孤独も仏僧的な精進によって福徳に代えることが可能だし、
そうでなくたって、仁政を目的とした歴史の勉強などによって、
人類史全体をわが人生と等価なものならしめて、そこにいる数多の
賢聖たちとの魂の交流を通じて、孤独を霧消させることもまた可能たる。
フィクション上の架空キャラなどと違って、間違いなく実在していた上に、
その教えに倣うことでの現実的な功徳もまた本当に期待できる大丈夫たち。
そこに親交の思いを馳せることは、大いに健全なことであるが故に、
なんらの副作用を来たすこともなく、己が浩然の気の養生による
心の安定や人生の充実をももたらしてくれるものである。
日本のフィクション作品などの中には、そういった古人の教えを
あの手この手を使って埋め込んだようなものも多いために、
フィクションでも似たような体験がある程度はできたりするものだけれども、
それもやはり水増しだったり、阿世の汚濁との味噌糞だったりするのが
常であるが故に、実在の賢聖に親しむほどの純正さには及ばぬものである。
漫画アニメの話ばっかじゃやっぱりつまらん。
それは読んで観て楽しむまでのものであって、それ以上のことはないから。
でもそこにばかり食い付いてくるような奴もいるし、
その他に特に多いのが、前にも書いた「個人止まりの話」ばかりに食い付いてくる奴。
俺個人やおまえ個人、おまえはおまえが~わたしはわたしが~ばかりで、
まったく全体の俯瞰からの社会規模の話にまで及ぶことがない。
人生経験に乏しいか、あったところでそういった視野の広さを育む経験はなかった。
発達障害などとも大差ないような了見の狭さの中だけでやって来たのが見るに明らか。
だがそれは別に、今の世で必ずしも病気扱いにまでされるような障りではなく、
むしろその狭量さと共に、盲目に邁進して行く部類の人材のほうが好まれるといったあり様。
年寄りの中には、漫画アニメやゲームばかりに飛びついている若者を幼稚扱いする
者も未だ多かろうとて、自分たちこそがそのレベルの人材を欲して来たのだから、
当然の末路なのだと知るべきである。まさに蛙の子は蛙というやつだ。
それは読んで観て楽しむまでのものであって、それ以上のことはないから。
でもそこにばかり食い付いてくるような奴もいるし、
その他に特に多いのが、前にも書いた「個人止まりの話」ばかりに食い付いてくる奴。
俺個人やおまえ個人、おまえはおまえが~わたしはわたしが~ばかりで、
まったく全体の俯瞰からの社会規模の話にまで及ぶことがない。
人生経験に乏しいか、あったところでそういった視野の広さを育む経験はなかった。
発達障害などとも大差ないような了見の狭さの中だけでやって来たのが見るに明らか。
だがそれは別に、今の世で必ずしも病気扱いにまでされるような障りではなく、
むしろその狭量さと共に、盲目に邁進して行く部類の人材のほうが好まれるといったあり様。
年寄りの中には、漫画アニメやゲームばかりに飛びついている若者を幼稚扱いする
者も未だ多かろうとて、自分たちこそがそのレベルの人材を欲して来たのだから、
当然の末路なのだと知るべきである。まさに蛙の子は蛙というやつだ。
権力道徳や人類の歴史を学んで、賢聖との魂の交流に与るといった楽しみもまた、
前記の通り正直であることの楽しみの延長だから、嘘偽りへの耽溺こそを
楽しんでいるような者たちには到底能わないし、あまりにも理解不能でその実在性が
疑わしいために、>>253のように賢聖の実在を否定するような者までもが現れる始末だが。
そういう楽しみもまた人類という生き物にとっての普遍的な楽しみであればこそ、
それに近い体験をさせてくれるような一部のフィクション作品などに、
世界中の人々が感化されて多大なる賛美を寄せていたりもするのである。
「人間の本性は善なるも、汚濁によって覆い隠されることあり」(孟子)
本当はその性善さによって、今までにこのスレで書いて来たような正直さによる楽しみを
欲しているのだけれども、それを阻害するような後付けの差し障りのせいで不全たり、
酷い場合にはさような本性からの本意を忘れ去った、虚構の自我こそを己れとまで思い込む。
今の世の中が荒廃を極めていることは多くの人々が察している所だが、
それを固定化してしまっている一番の元凶もまた、さような精神性の荒廃なのであり、
そこからどんな手を使っての世直しを試みようとも、同じ過ちを繰り返すのみとなる。
なんならAIですらそういう人間が扱う以上は、俺の話がまともに解読できなかったりする
のと同じように、古えの賢聖が成し得たなみの治世をもたらすことも能わぬのである。
前記の通り正直であることの楽しみの延長だから、嘘偽りへの耽溺こそを
楽しんでいるような者たちには到底能わないし、あまりにも理解不能でその実在性が
疑わしいために、>>253のように賢聖の実在を否定するような者までもが現れる始末だが。
そういう楽しみもまた人類という生き物にとっての普遍的な楽しみであればこそ、
それに近い体験をさせてくれるような一部のフィクション作品などに、
世界中の人々が感化されて多大なる賛美を寄せていたりもするのである。
「人間の本性は善なるも、汚濁によって覆い隠されることあり」(孟子)
本当はその性善さによって、今までにこのスレで書いて来たような正直さによる楽しみを
欲しているのだけれども、それを阻害するような後付けの差し障りのせいで不全たり、
酷い場合にはさような本性からの本意を忘れ去った、虚構の自我こそを己れとまで思い込む。
今の世の中が荒廃を極めていることは多くの人々が察している所だが、
それを固定化してしまっている一番の元凶もまた、さような精神性の荒廃なのであり、
そこからどんな手を使っての世直しを試みようとも、同じ過ちを繰り返すのみとなる。
なんならAIですらそういう人間が扱う以上は、俺の話がまともに解読できなかったりする
のと同じように、古えの賢聖が成し得たなみの治世をもたらすことも能わぬのである。
俺の発言が、一部のノイジーマイノリティに多大なる嫌悪感を抱かせているのも、
正直であることをめいっぱい楽しもうとするあまりに、その内容がえてして
「馬鹿正直」の域に達している場合が多いからでもあるのに違いない。
ものを言うことに、間違いがないようにする慎重さなどはそれなりにあるにしろ、
嘘をひた隠しているような界隈にありがちな、「察しろ」的な空気を読む気は全くない。
別に面と向かってまでズケズケと言うつもりもないが、女の生理なんかについてですら、
話の上で必要とあらば、ここでは平然と述べ立てている。そういった、秘事がある
相手への配慮に欠けるような発言姿勢全般が、嘘偽りへの惑溺こそを楽しんでいる
ような連中にとっても、きわめて不都合で大いなる拒絶感を催させることにもなっている。
ただ、俺もまた決して隠し立てを何もかも暴き出してやりたいなんていうガサツさで
いるわけではなく、方便や戦略としての嘘への配慮なども決してできないわけではない。
しかし、そういった配慮を、嘘偽りを楽しもうとするような不埒者たち相手にまで
適用したりする気はなく、故にそこにピンポイントな歯に衣着せなさでいるものでもある。
その手の心がけは、できることならここに限らず、世の中で広く通用して行くべきだ
とすら思っている。悪人正機説が改めて広く周知され直すだけでもさような効果があろうし、
それに準ずるような欺瞞中毒への牽制キャンペーンが世に溢れ返るようになればいいのである。
正直であることをめいっぱい楽しもうとするあまりに、その内容がえてして
「馬鹿正直」の域に達している場合が多いからでもあるのに違いない。
ものを言うことに、間違いがないようにする慎重さなどはそれなりにあるにしろ、
嘘をひた隠しているような界隈にありがちな、「察しろ」的な空気を読む気は全くない。
別に面と向かってまでズケズケと言うつもりもないが、女の生理なんかについてですら、
話の上で必要とあらば、ここでは平然と述べ立てている。そういった、秘事がある
相手への配慮に欠けるような発言姿勢全般が、嘘偽りへの惑溺こそを楽しんでいる
ような連中にとっても、きわめて不都合で大いなる拒絶感を催させることにもなっている。
ただ、俺もまた決して隠し立てを何もかも暴き出してやりたいなんていうガサツさで
いるわけではなく、方便や戦略としての嘘への配慮なども決してできないわけではない。
しかし、そういった配慮を、嘘偽りを楽しもうとするような不埒者たち相手にまで
適用したりする気はなく、故にそこにピンポイントな歯に衣着せなさでいるものでもある。
その手の心がけは、できることならここに限らず、世の中で広く通用して行くべきだ
とすら思っている。悪人正機説が改めて広く周知され直すだけでもさような効果があろうし、
それに準ずるような欺瞞中毒への牽制キャンペーンが世に溢れ返るようになればいいのである。
「言葉を飾るな」今度思いついた言いがかりはこれか。
ほとんど読んでも意味が分からないと自分らで言ってるくせにな。
飾ってるように見えるほど、構文が立派に見えるのなら、
それも結構なことだね。どちらかといえば手抜き気味に書いてるのに。
別に物書きを生業とする気でもない。いずれは行いで示して行くことをも
大前提とした身の上なれば、文筆ばかりで体力を消耗する気もないのでな。
それでも飾ってるように見えるほどよく書けてるのなら、素晴らしいことだね。^^
ほとんど読んでも意味が分からないと自分らで言ってるくせにな。
飾ってるように見えるほど、構文が立派に見えるのなら、
それも結構なことだね。どちらかといえば手抜き気味に書いてるのに。
別に物書きを生業とする気でもない。いずれは行いで示して行くことをも
大前提とした身の上なれば、文筆ばかりで体力を消耗する気もないのでな。
それでも飾ってるように見えるほどよく書けてるのなら、素晴らしいことだね。^^
最長老の団塊からしてとっちゃん坊やだらけな戦後世代に、
人様への心からの敬意を抱けるほど成熟した精神性などは基本ない。
そのせいで、世の中が幼稚な子供ばかりで溢れ返っているのがあからさまに
なってしまう醜態を避けようとして、戦後の日本にはスポーツ崇拝があてがわれた。
大した実用性もないお遊戯運動なんかに、いい年になっても躍起でいるような
連中を持て囃して英雄扱いしたりするところに、自分たち自身の幼稚さを
ひた隠すための大人ごっことしての、偽りのリスペクトをもあてがって来た。
これもまた一種の自己欺瞞の楽しみであるが故に、こうしてその内実を暴露しようものなら、
そのせいでスカートをまくられた女子の如き不快感を抱く者が多くいるのにも違いない。
しかし、これが別にセクハラ的な不埒さを帯びた指摘なわけでもないうえに、
正直であることを楽しむのとは相容れない自己欺瞞の楽しみであるが故に、
世のため人のため自分のために、その内実を暴き出すことにも臆面を抱くことはない。
なるべくなら世の中全体がそれを奨励する風潮になって行くことで、
世の中から自己欺瞞の楽しみが排除や隔離されて行くようになって行くべきなのである。
人様への心からの敬意を抱けるほど成熟した精神性などは基本ない。
そのせいで、世の中が幼稚な子供ばかりで溢れ返っているのがあからさまに
なってしまう醜態を避けようとして、戦後の日本にはスポーツ崇拝があてがわれた。
大した実用性もないお遊戯運動なんかに、いい年になっても躍起でいるような
連中を持て囃して英雄扱いしたりするところに、自分たち自身の幼稚さを
ひた隠すための大人ごっことしての、偽りのリスペクトをもあてがって来た。
これもまた一種の自己欺瞞の楽しみであるが故に、こうしてその内実を暴露しようものなら、
そのせいでスカートをまくられた女子の如き不快感を抱く者が多くいるのにも違いない。
しかし、これが別にセクハラ的な不埒さを帯びた指摘なわけでもないうえに、
正直であることを楽しむのとは相容れない自己欺瞞の楽しみであるが故に、
世のため人のため自分のために、その内実を暴き出すことにも臆面を抱くことはない。
なるべくなら世の中全体がそれを奨励する風潮になって行くことで、
世の中から自己欺瞞の楽しみが排除や隔離されて行くようになって行くべきなのである。
バカじゃないか
誓って、世のため人のための便宜として必要な嘘や秘事までをも暴いてやろう
なんていう不躾さまでをも、正当化して押し通そうなんて言う気はない。
ただ、もはや欺瞞中毒を保護してやるためばかりに蔓延してしまっているような、
「察しろ」的な空気などはあえて読まず、そこにあえて、正直であることのほうを
楽しむ愉悦を鉄槌として叩き込んで行ってやるぐらいの心意気でいるものである。
この日本という国から諜報機関を完全に取り上げてのスパイ天国化なども、
特に韓国系のスパイの自己欺瞞による愉悦を増長させ続けて久しい。
それも、戦前世代の日本人が健在で、十分に牽制が行き届いていたうちは
致命的な害悪にまではならなかった所、無防備な戦後世代だけで世の中が
占められるようになって後には、日本どころか米韓までをも共に破滅に陥れる
害悪の元凶になりつつあることだし、やはりその暴露的な非難を躊躇することはない。
必要な嘘ぐらいには理解を示すが、不必要な嘘はただそうであるだけでなく、
正直であることの楽しみのほうを阻害する邪魔にもなるために、許さない。
そこにこそ世の中を健全に営んで行くための最善の指針もまたあるのに
違いないために、臆して控えたりする必要性が少しも見つからないのである。
なんていう不躾さまでをも、正当化して押し通そうなんて言う気はない。
ただ、もはや欺瞞中毒を保護してやるためばかりに蔓延してしまっているような、
「察しろ」的な空気などはあえて読まず、そこにあえて、正直であることのほうを
楽しむ愉悦を鉄槌として叩き込んで行ってやるぐらいの心意気でいるものである。
この日本という国から諜報機関を完全に取り上げてのスパイ天国化なども、
特に韓国系のスパイの自己欺瞞による愉悦を増長させ続けて久しい。
それも、戦前世代の日本人が健在で、十分に牽制が行き届いていたうちは
致命的な害悪にまではならなかった所、無防備な戦後世代だけで世の中が
占められるようになって後には、日本どころか米韓までをも共に破滅に陥れる
害悪の元凶になりつつあることだし、やはりその暴露的な非難を躊躇することはない。
必要な嘘ぐらいには理解を示すが、不必要な嘘はただそうであるだけでなく、
正直であることの楽しみのほうを阻害する邪魔にもなるために、許さない。
そこにこそ世の中を健全に営んで行くための最善の指針もまたあるのに
違いないために、臆して控えたりする必要性が少しも見つからないのである。
仮に日本で中野学校のような諜報機関が再開されれば、
そこでも戦略上どうしても必要な嘘偽りや秘匿を凝らすかもしれない。
ただそれもやはりそこまでのものとし、決して今の韓流スパイやその親分のように、
自己欺瞞に溺れて暴走を来たしたりするようなことは許さないようにして行くもの。
ただ、それはただひたすら法規で取り締まろうたってむりなことであるのが、
それこそ上記のような連中の非合法級のやりたい放題からも知れたものである。
「自分は正直であることのほうを楽しみたいから、自己欺瞞を楽しむのは避ける」
そういう人材こそがそこに従事して行くことでさような暴走もまた抑えられようし、
それは仏道修行級の嗜みまでもがあって然るべきところでもあるために、
戦前までの邦人スパイには中村天風や沖正弘のようなヨガ行者までもがいたのである。
(小野田寛郎なども結果的に修行級の経験と共にその務めを果たしていた一人である)
そういった諜報機関の健全な運営のためにこそ、仏門の復興が並行されて然るべきでもある。
ここではスパイ要員かつ仏教嫌いらしき輩も相当数見かけるけれども、そういった連中が二度と
その手の仕事に近寄りもできなくなるぐらいに、諜報と仏道が一如たるべきなぐらいだといえる。
そこでも戦略上どうしても必要な嘘偽りや秘匿を凝らすかもしれない。
ただそれもやはりそこまでのものとし、決して今の韓流スパイやその親分のように、
自己欺瞞に溺れて暴走を来たしたりするようなことは許さないようにして行くもの。
ただ、それはただひたすら法規で取り締まろうたってむりなことであるのが、
それこそ上記のような連中の非合法級のやりたい放題からも知れたものである。
「自分は正直であることのほうを楽しみたいから、自己欺瞞を楽しむのは避ける」
そういう人材こそがそこに従事して行くことでさような暴走もまた抑えられようし、
それは仏道修行級の嗜みまでもがあって然るべきところでもあるために、
戦前までの邦人スパイには中村天風や沖正弘のようなヨガ行者までもがいたのである。
(小野田寛郎なども結果的に修行級の経験と共にその務めを果たしていた一人である)
そういった諜報機関の健全な運営のためにこそ、仏門の復興が並行されて然るべきでもある。
ここではスパイ要員かつ仏教嫌いらしき輩も相当数見かけるけれども、そういった連中が二度と
その手の仕事に近寄りもできなくなるぐらいに、諜報と仏道が一如たるべきなぐらいだといえる。
まず以て、近世までの日本における最大最高の諜報機関って、高野山だったんだろうなって。
武家時代の主たる武将が、敵味方を問わずみな骨を分けて埋葬されているのからも知れる。
とりあえずあそこには情報を分けといて、最後の頼みの綱にしておこうとかしてたんだろうな、と。
それだけの役割を担えた諜報機関なんて、CIAを含めて他にないだろう。
むしろ自分たちのほうがやりたい放題の魔性に駆られての暴走ばかりに明け暮れて来たのだし、
全体を俯瞰するより、どちらかに加担することでの焼け太りのほうを優先しないでいられたはずもない。
そこに従事する個々人が勝手に自己欺瞞に溺れて来たところもあろうが、それ以上に、
始めからその程度の体裁でしかなかったというのもあろう。仏も儒も排してかかった時代には。
武家時代の主たる武将が、敵味方を問わずみな骨を分けて埋葬されているのからも知れる。
とりあえずあそこには情報を分けといて、最後の頼みの綱にしておこうとかしてたんだろうな、と。
それだけの役割を担えた諜報機関なんて、CIAを含めて他にないだろう。
むしろ自分たちのほうがやりたい放題の魔性に駆られての暴走ばかりに明け暮れて来たのだし、
全体を俯瞰するより、どちらかに加担することでの焼け太りのほうを優先しないでいられたはずもない。
そこに従事する個々人が勝手に自己欺瞞に溺れて来たところもあろうが、それ以上に、
始めからその程度の体裁でしかなかったというのもあろう。仏も儒も排してかかった時代には。
当然のこととして、自己欺瞞への陶酔こそを固着化させるカルト組織なんかを、
諜報機関の一端に組み込んだりすることも許されないようになるであろう。
近代以降はキリスト教の実質的解禁などを通じて、それが野放しになり始めたために、
それと引き換えに仏も儒も諜報的な活動に携わることがほとんど不可能になって行った。
最も急進的に政治顧問などに携わり続けて来た臨済宗妙心寺派なども、
自民政権が完全にカルトに乗っ取られた近ごろは政治への関りを絶っていると、
以前の共同通信のアンケートでも明言していたものであるが。
そうせざるを得ない最も根本的な原因もまた、政治家たちが完全に
自己欺瞞の陶酔に溺れて、正直さの楽しみを見失ってしまった処にある。
物理的な政治腐敗だけなら、田中角栄の時代などにも「毒を以て毒を制す」的な
範囲で横行していたものだが、そこではまだ多少の関わり合いも可能であったのが、
精神性までもが完全に自己欺瞞への惑溺に溺れ果ててしまったところでついに、
品行方正の楽しみこそを柱とする部類の流派が多少ほど政治に関わることも能わなくなった。
仏教は哲学的には唯心論であるともされるが、それが世にも広く通じる真理たればこそ、
すでに物質化した政治腐敗以上に、それこそを楽しむ部類の低劣極まる精神性こそが、
この世の汚濁を致命的ならしめる最大最凶の病巣となることが明らかとなったのである。
諜報機関の一端に組み込んだりすることも許されないようになるであろう。
近代以降はキリスト教の実質的解禁などを通じて、それが野放しになり始めたために、
それと引き換えに仏も儒も諜報的な活動に携わることがほとんど不可能になって行った。
最も急進的に政治顧問などに携わり続けて来た臨済宗妙心寺派なども、
自民政権が完全にカルトに乗っ取られた近ごろは政治への関りを絶っていると、
以前の共同通信のアンケートでも明言していたものであるが。
そうせざるを得ない最も根本的な原因もまた、政治家たちが完全に
自己欺瞞の陶酔に溺れて、正直さの楽しみを見失ってしまった処にある。
物理的な政治腐敗だけなら、田中角栄の時代などにも「毒を以て毒を制す」的な
範囲で横行していたものだが、そこではまだ多少の関わり合いも可能であったのが、
精神性までもが完全に自己欺瞞への惑溺に溺れ果ててしまったところでついに、
品行方正の楽しみこそを柱とする部類の流派が多少ほど政治に関わることも能わなくなった。
仏教は哲学的には唯心論であるともされるが、それが世にも広く通じる真理たればこそ、
すでに物質化した政治腐敗以上に、それこそを楽しむ部類の低劣極まる精神性こそが、
この世の汚濁を致命的ならしめる最大最凶の病巣となることが明らかとなったのである。
分かる人間もいた上で、おまえには分からない。
分かるようになるための手続きも踏んでないし、
多少なりとも分かるようになる方向への努力をした試しもない。
まるで生徒の文章を添削する先生のような、
上から目線での査読などを不相応にも試みているものだから、
そのせいで余計に分からなくなる。そこでどんなに自分なりの
努力をしてみた所で、むしろ理解からはより遠ざかって行く。
まるで自分の頭上よりも高い場所にいる相手を見下そうとして、
その足元すら見えなくなるように。理解できなくなる努力ばかりしている。
分かるようになるための手続きも踏んでないし、
多少なりとも分かるようになる方向への努力をした試しもない。
まるで生徒の文章を添削する先生のような、
上から目線での査読などを不相応にも試みているものだから、
そのせいで余計に分からなくなる。そこでどんなに自分なりの
努力をしてみた所で、むしろ理解からはより遠ざかって行く。
まるで自分の頭上よりも高い場所にいる相手を見下そうとして、
その足元すら見えなくなるように。理解できなくなる努力ばかりしている。
俺もまた、そこまでしなければ分からないような相手に
おせっかいを焼いて、余計につけ上がらせたりする気がないから。
「是什麼物恁麼来」なみに抽象的な提唱だけでも、
分かり合える流れに乗っている相手にこそ話しかけていることである。
分からないなら分からないで、その程度な身の程を知ればいいだけだ。
そして分かり合える界隈の邪魔ぐらいはしないように。
おせっかいを焼いて、余計につけ上がらせたりする気がないから。
「是什麼物恁麼来」なみに抽象的な提唱だけでも、
分かり合える流れに乗っている相手にこそ話しかけていることである。
分からないなら分からないで、その程度な身の程を知ればいいだけだ。
そして分かり合える界隈の邪魔ぐらいはしないように。
俺は暑すぎるからなるべく部屋でじっとしてるだけだが、
おまえらのこの必死さ加減は、ひょっとして株価カナ?
おまえらのこの必死さ加減は、ひょっとして株価カナ?
前世紀まで、仏門と政治を繋ぐ最後の砦としての役割をも果たしていた四元義隆氏が、
当時の政情を「狂人走れば不狂人も走る」という禅語でよく表していたらしいが。
それはつまり、正直さこそを楽しめるような正気の持ち主たちも未だ多くいた上で、
それが不能な一部の狂人たちが扇動者となることで、乱世が進行していたという意味であろう。
今や、政治に携わる人間なんかは、そういう意味での狂人であることしか許されないために、
狂人につられて一緒に走ってしまいそうな不狂人を引き留めるような真似によって、
乱世の進行を多少程度に防ぎとめて行くことすら不可能になってしまった状態である。
故にもはや臨済宗のような、乱世に政治に携わって行くことすら昔から厭わないで来たような
仏門宗派ですら、完全にかかわりを絶ってかかることしかできなくなったのである。
当時の政情を「狂人走れば不狂人も走る」という禅語でよく表していたらしいが。
それはつまり、正直さこそを楽しめるような正気の持ち主たちも未だ多くいた上で、
それが不能な一部の狂人たちが扇動者となることで、乱世が進行していたという意味であろう。
今や、政治に携わる人間なんかは、そういう意味での狂人であることしか許されないために、
狂人につられて一緒に走ってしまいそうな不狂人を引き留めるような真似によって、
乱世の進行を多少程度に防ぎとめて行くことすら不可能になってしまった状態である。
故にもはや臨済宗のような、乱世に政治に携わって行くことすら昔から厭わないで来たような
仏門宗派ですら、完全にかかわりを絶ってかかることしかできなくなったのである。
戦国期にも、仏門嫌いの信長が比叡山や快川和尚を焼き討ちするようなあり様で、
仏門の政治介入を断絶させたのはつとに有名で、同じように仏門を敵に回している今の日本の
権力者などからも肯定的に取り上げられることがままあるけれども。その先にあったのは
朝廷や足利将軍相手にも専横の限りを尽くすような暴慢であったために、朝廷からの密命をも
受けていたらしい明智光秀からの討伐によって自決せざるを得ない破目にも陥ったのだった。
いつの時代も、仏門とのかかわりを完全に絶ってかからねば済まないような政治ーー
仏滅の政治などが早急な自滅に見舞われずに済んだことがないのもまた、やはりその精神性
の部分が、ここで書いてきたような正直さの楽しみを完全に見失った状態となるからである。
そこで独自にマインドフルネスを試みようたって、全くの徒労に終わってしまうのは、
廃仏毀釈後に仏門の精進修行を部分的に真似てみた捏造神道などが、大日本帝国の崩壊や、
近年のような国家破綻しか招けなかった事例などからも、自明に知れたものとなっている。
仏門の政治介入を断絶させたのはつとに有名で、同じように仏門を敵に回している今の日本の
権力者などからも肯定的に取り上げられることがままあるけれども。その先にあったのは
朝廷や足利将軍相手にも専横の限りを尽くすような暴慢であったために、朝廷からの密命をも
受けていたらしい明智光秀からの討伐によって自決せざるを得ない破目にも陥ったのだった。
いつの時代も、仏門とのかかわりを完全に絶ってかからねば済まないような政治ーー
仏滅の政治などが早急な自滅に見舞われずに済んだことがないのもまた、やはりその精神性
の部分が、ここで書いてきたような正直さの楽しみを完全に見失った状態となるからである。
そこで独自にマインドフルネスを試みようたって、全くの徒労に終わってしまうのは、
廃仏毀釈後に仏門の精進修行を部分的に真似てみた捏造神道などが、大日本帝国の崩壊や、
近年のような国家破綻しか招けなかった事例などからも、自明に知れたものとなっている。
[YouTubeで再生]
仏門が政治に介入し過ぎるとまた別の問題を招きだすのも、
奈良時代の道教の事例などから知れたものだけれども、
その内実はといえば、仁政の競い合いによる政争が行き過ぎる
といったものだったのだから、今の世相などとは真逆といってもいい。
道教も称徳天皇も恵美押勝も藤原氏も、みんな自分の手で仁政を推進したい
があまりのひしめき合いからの、収拾不能化からの、やむなき遷都に。
以前に「この世で最高のイデオロギーは無為自然である」というスレでも
詳述したが、仏道もまたそういった弊害を来たしてしまう危険があるために、
俗世での政治行為などからはある程度の距離を置いた上での顧問などに徹したほうが良い。
ただ、健全な為政たるや、仏門との連携が不能と化してしまうなんてことだけは
まずあり得ないことで、それは遅かれ早かれ無残な自滅へと陥ることが免れ得ない。
その理由はここに書いて来た通り、脳の使い方という人間にとって最も根本的な
部分からの法則であるがために、後付けでの揺るがしようなども決してないのである。
仏門が政治に介入し過ぎるとまた別の問題を招きだすのも、
奈良時代の道教の事例などから知れたものだけれども、
その内実はといえば、仁政の競い合いによる政争が行き過ぎる
といったものだったのだから、今の世相などとは真逆といってもいい。
道教も称徳天皇も恵美押勝も藤原氏も、みんな自分の手で仁政を推進したい
があまりのひしめき合いからの、収拾不能化からの、やむなき遷都に。
以前に「この世で最高のイデオロギーは無為自然である」というスレでも
詳述したが、仏道もまたそういった弊害を来たしてしまう危険があるために、
俗世での政治行為などからはある程度の距離を置いた上での顧問などに徹したほうが良い。
ただ、健全な為政たるや、仏門との連携が不能と化してしまうなんてことだけは
まずあり得ないことで、それは遅かれ早かれ無残な自滅へと陥ることが免れ得ない。
その理由はここに書いて来た通り、脳の使い方という人間にとって最も根本的な
部分からの法則であるがために、後付けでの揺るがしようなども決してないのである。
お釈迦様ですら一字不説、悟りの境地を十分に言葉として言い表しきることが
できなかったというのに、どうして肉食飲酒の俺ごときがそれを上回れようか?
言い表せないからといってないわけでもないし、誰にも理解できないわけでもない。
言い表しきれてないような言葉からでも、聞く者の素養と共に理解できることもある。
その条件を満たせていないようなら、聞くことよりも精進のほうにまず勤めた方がよかろう。
上を見るべき時に、下を見てしまうような悪癖を矯正する程度にだけでも。
できなかったというのに、どうして肉食飲酒の俺ごときがそれを上回れようか?
言い表せないからといってないわけでもないし、誰にも理解できないわけでもない。
言い表しきれてないような言葉からでも、聞く者の素養と共に理解できることもある。
その条件を満たせていないようなら、聞くことよりも精進のほうにまず勤めた方がよかろう。
上を見るべき時に、下を見てしまうような悪癖を矯正する程度にだけでも。
これ以上、巧言令色でより分かりやすいように説明して、
匹婦小人からの上から目線な理解を得るような、人間的退化なんかに及びたくもない。
性欲もまだいくらでもあるが、女の尻に敷かれてでもヤりたいとかいった、
若気の至り級の妄念にまでは囚われたりしないでいられるだけの老成も、すでにある。
子供の産める年代の女なども、すでに自分よりもはるか年下だけに限られるが。
それもまた、マウント合戦をあらかじめ控えさせられる牽制材料として好都合なぐらいだ。
もう一生、争い交じりの異性関係にかかずらわされたりするのも、真っ平御免なので。
匹婦小人からの上から目線な理解を得るような、人間的退化なんかに及びたくもない。
性欲もまだいくらでもあるが、女の尻に敷かれてでもヤりたいとかいった、
若気の至り級の妄念にまでは囚われたりしないでいられるだけの老成も、すでにある。
子供の産める年代の女なども、すでに自分よりもはるか年下だけに限られるが。
それもまた、マウント合戦をあらかじめ控えさせられる牽制材料として好都合なぐらいだ。
もう一生、争い交じりの異性関係にかかずらわされたりするのも、真っ平御免なので。
史実は史実で正確に把握しておいた上で、
そこにさらにドラスティックな論考での仁政への探り当てをも試みて行く。
客観か主観かの二者択一でしかあり得ない者たちには、
これまた分かりそうで全く分かることがない中庸の心がけであろうか。
そこにさらにドラスティックな論考での仁政への探り当てをも試みて行く。
客観か主観かの二者択一でしかあり得ない者たちには、
これまた分かりそうで全く分かることがない中庸の心がけであろうか。
命がけの仁政に取り組んでいた先人たちへの思いを
「中身がない」とか言っちゃってる時点で、いろいろと知れ過ぎるわけだ。
血筋だ境遇だ以上に、何よりもダメな今のおまえ自身。
仁政の主導者どころか、その伴侶や従者たり得ることもない自白なわけだ。
「中身がない」とか言っちゃってる時点で、いろいろと知れ過ぎるわけだ。
血筋だ境遇だ以上に、何よりもダメな今のおまえ自身。
仁政の主導者どころか、その伴侶や従者たり得ることもない自白なわけだ。
他スレでも書いてたことだけれども、脳もどんなに養生を尽くそうとも
多少の老化は来すものであり、特に側頭葉の短期記憶処理能力は、
誰でも20代あたりがピークとなるために、そのあたりの年代で
キャリアハイを迎える数学者やeスポーツ選手なども非常に多いもの。
(そのためフィールズ賞の対象年齢が40歳以下だったりもする)
さりとて、前頭葉の長期記憶の能力は、痴呆などで脳が完全に壊れ切って
しまうのでもない限りは終身にわたって成長を続けられるものであり、
(だから年寄りも昔の記憶だけは鮮明に残っていたりするのである)
そのためこのスレで書いてきたような、正直さ由来の長期記憶処理による
楽しみや能力向上もまた、半永久的に続けて行けるものとなっているのである。
側頭葉の情報処理能力のほか、体力一般も30前後でピークを迎えるのが
普通であるわけだけれども、上記のような長期記憶の処理能力と、
身体や手先をうまく操る技術力は終身にわたる向上が可能であるために、
心技体の総合力で人間が終身にわたる向上を続けて行くことも可能となっている。
老化は多くの人間が忌み嫌うものではあるが、やりようによっては超克も
可能であるものだし、特に正直さを楽しむ者が殊更に恐れるべきものではない。
無根拠なイキリでまだまだ若い!とか思い込んだりするのは控えるべきであるにしろ。
多少の老化は来すものであり、特に側頭葉の短期記憶処理能力は、
誰でも20代あたりがピークとなるために、そのあたりの年代で
キャリアハイを迎える数学者やeスポーツ選手なども非常に多いもの。
(そのためフィールズ賞の対象年齢が40歳以下だったりもする)
さりとて、前頭葉の長期記憶の能力は、痴呆などで脳が完全に壊れ切って
しまうのでもない限りは終身にわたって成長を続けられるものであり、
(だから年寄りも昔の記憶だけは鮮明に残っていたりするのである)
そのためこのスレで書いてきたような、正直さ由来の長期記憶処理による
楽しみや能力向上もまた、半永久的に続けて行けるものとなっているのである。
側頭葉の情報処理能力のほか、体力一般も30前後でピークを迎えるのが
普通であるわけだけれども、上記のような長期記憶の処理能力と、
身体や手先をうまく操る技術力は終身にわたる向上が可能であるために、
心技体の総合力で人間が終身にわたる向上を続けて行くことも可能となっている。
老化は多くの人間が忌み嫌うものではあるが、やりようによっては超克も
可能であるものだし、特に正直さを楽しむ者が殊更に恐れるべきものではない。
無根拠なイキリでまだまだ若い!とか思い込んだりするのは控えるべきであるにしろ。
Mも、もう字幕がないとアニメも観きれなくなってるんだろ?
耳が悪くなってる場合もあるが、よくても側頭葉の言語処理能力
のほうが衰えてて、即座に言葉が理解できなくなったりするんだよな。
俺も人の言うことを聞き落とすようなことがたまにあるが、
即座に
何を言ってたかを洞察して補完し、それに沿った返事を
かえすとちゃんと会話として成立している、なんてことがあってな。
劇作のセリフの聞き取りなんかでも同様なことがあったり。
そうやって言語処理能力の衰えを、長期記憶の知恵で補完したり
することもできるわけだけれども、これもやっぱり嘘欺瞞を楽しんで、
長期記憶をとっ散らからせてる連中には難しいことなんだろうね。
耳が悪くなってる場合もあるが、よくても側頭葉の言語処理能力
のほうが衰えてて、即座に言葉が理解できなくなったりするんだよな。
俺も人の言うことを聞き落とすようなことがたまにあるが、
即座に
何を言ってたかを洞察して補完し、それに沿った返事を
かえすとちゃんと会話として成立している、なんてことがあってな。
劇作のセリフの聞き取りなんかでも同様なことがあったり。
そうやって言語処理能力の衰えを、長期記憶の知恵で補完したり
することもできるわけだけれども、これもやっぱり嘘欺瞞を楽しんで、
長期記憶をとっ散らからせてる連中には難しいことなんだろうね。
俺が今ここでやっていることについて言えば、
己が考えを備忘録的に文面にも起こしてみていることが、
長期記憶の知恵をより深めて行く一助になっているというのはある。
一方で、そういった知恵の向上ばかりを目的とした文筆は、他者にとっては、
時を重ねるほどにより難読化することはあっても、まず読みやすくなることはない。
読者の側にも、長期記憶を最適化して行く取り組みが独自にあるのでもなければ、
知恵の深さにより差が開いて行くのみで、そのせいでの読みにくさも一入たる。
そこで、巧言令色でより文章を読みやすくするという取り組みをかませようとも、
それは車のアクセルとブレーキを同時に踏み込むようなもので、まず虻蜂取らずとなる。
かつ、さような巧言令色の能力もまた、側頭葉の言語処理能力などに
由来するものであり、これも老化による劣化がある程度は避けられないもの。
そうでなくたって見た目の老化などで、人に好まれづらくなったりもするものだし、
いい年したおっさんなんかに期待したところでキモい思いしかさせられないものと知るべきである。
故に俺なども、もうそんな方向への努力などはあえて避けるのである。
己が考えを備忘録的に文面にも起こしてみていることが、
長期記憶の知恵をより深めて行く一助になっているというのはある。
一方で、そういった知恵の向上ばかりを目的とした文筆は、他者にとっては、
時を重ねるほどにより難読化することはあっても、まず読みやすくなることはない。
読者の側にも、長期記憶を最適化して行く取り組みが独自にあるのでもなければ、
知恵の深さにより差が開いて行くのみで、そのせいでの読みにくさも一入たる。
そこで、巧言令色でより文章を読みやすくするという取り組みをかませようとも、
それは車のアクセルとブレーキを同時に踏み込むようなもので、まず虻蜂取らずとなる。
かつ、さような巧言令色の能力もまた、側頭葉の言語処理能力などに
由来するものであり、これも老化による劣化がある程度は避けられないもの。
そうでなくたって見た目の老化などで、人に好まれづらくなったりもするものだし、
いい年したおっさんなんかに期待したところでキモい思いしかさせられないものと知るべきである。
故に俺なども、もうそんな方向への努力などはあえて避けるのである。
長期記憶の最適化と共なる蓄積という知恵の深化が、
たとえば自分自身の健康養生や体力の維持向上に資するようなこともまた当然ある。
人間にとっての老化速度というのも、身体の前後左右上下内外本末といった
要所〃の対称性の確保具合に大きく左右されるもので、「体にガタ」などという表現が
よくされる不具合も、この対称性の崩れそのものないしその派生である場合がほとんどである。
適正なストレッチなり運動なりによって、筋肉の配列を整えて行くことで
より一層の対称性の高さを確保することができれば、場合によっては
若い頃以上の健康や体力を中年以降に獲得することまでもが可能となる。
俺なんかは特に、若い頃に不正なスポーツ運動で、体の対称性が致命傷級にボロボロに
成り果てていたのを、年を重ねるごとに矯正していったものだから、未だに生涯のうちで
体調最悪だったのは20代前半、そこからずっと復調を続けているといった具合ではあるのだが。
身体の対称性も図の如く五種類以上あり、あっちを正すとこっちが崩れるといった、
ルービックキューブ的な難点をも帯びているものであるために、単純な試みで体の対称性を高めて
行ったりすることもまず不可能で、自らの深遠な知恵の構築があって初めて実現できるものであった。
たとえば自分自身の健康養生や体力の維持向上に資するようなこともまた当然ある。
人間にとっての老化速度というのも、身体の前後左右上下内外本末といった
要所〃の対称性の確保具合に大きく左右されるもので、「体にガタ」などという表現が
よくされる不具合も、この対称性の崩れそのものないしその派生である場合がほとんどである。
適正なストレッチなり運動なりによって、筋肉の配列を整えて行くことで
より一層の対称性の高さを確保することができれば、場合によっては
若い頃以上の健康や体力を中年以降に獲得することまでもが可能となる。
俺なんかは特に、若い頃に不正なスポーツ運動で、体の対称性が致命傷級にボロボロに
成り果てていたのを、年を重ねるごとに矯正していったものだから、未だに生涯のうちで
体調最悪だったのは20代前半、そこからずっと復調を続けているといった具合ではあるのだが。
身体の対称性も図の如く五種類以上あり、あっちを正すとこっちが崩れるといった、
ルービックキューブ的な難点をも帯びているものであるために、単純な試みで体の対称性を高めて
行ったりすることもまず不可能で、自らの深遠な知恵の構築があって初めて実現できるものであった。
https://macozy.com/rubik/sp.....
ルービックキューブの解法にもいろいろあるようだけれども、
どれをとってもそう簡単なものではなく、長い手順を間違いなくこなすのでなければならない。
五面そろえば完成するわけだから、対称性を5つ以上同時にそろえる必要がある
身体の対称性向上の難易度は紛れもなく、ルービックキューブの解法並み以上たるものである。
しかもその操作対象は掌中のキューブなどではなく、自らの全身たるのだから、
そこへの空間認知による把握の難易度などもより上であり、もちろん強力なストレッチで
場合によってはかなり痛い思いなどもしなければならないような難儀をも介するもの。
それはまさに、精進修行と呼ぶべきほどの取り組みによってのみ達成されるものであり、
なおかつそこではここで書いてきたような長期記憶の知恵の深化もまた不可分なものたる。
近年の人間が「修行」と聞いて思い浮かべるような闇雲さなどでは決して務まらず、
むしろ座学の勉強など以上に頭をフル活用させねばならぬのが、真に有意義な修行なのである。
ルービックキューブの解法にもいろいろあるようだけれども、
どれをとってもそう簡単なものではなく、長い手順を間違いなくこなすのでなければならない。
五面そろえば完成するわけだから、対称性を5つ以上同時にそろえる必要がある
身体の対称性向上の難易度は紛れもなく、ルービックキューブの解法並み以上たるものである。
しかもその操作対象は掌中のキューブなどではなく、自らの全身たるのだから、
そこへの空間認知による把握の難易度などもより上であり、もちろん強力なストレッチで
場合によってはかなり痛い思いなどもしなければならないような難儀をも介するもの。
それはまさに、精進修行と呼ぶべきほどの取り組みによってのみ達成されるものであり、
なおかつそこではここで書いてきたような長期記憶の知恵の深化もまた不可分なものたる。
近年の人間が「修行」と聞いて思い浮かべるような闇雲さなどでは決して務まらず、
むしろ座学の勉強など以上に頭をフル活用させねばならぬのが、真に有意義な修行なのである。
そこで深化を尽くした知恵は、もはや座学の知識のような明白さもなく、
RAIDで各HDDに記録された情報が、個別には必ずしも有意な情報ではなくなって
しまっていたりするのと同じように、不立文字の域にまで達しているのが常である。
あくまでそれを明示しようとすれば、文字ではなく曼荼羅図のような抽象的な
図示にでも頼るしかなくなるほどに、あえて隠そうとせずとも密法的でしかあり得ぬ。
だからといって本当に完全に意味がないというのでもなく、そこから
満濃池の造成のような、極めて具体的な社会的事業の実現までもが果たされる。
知恵そのものが深遠すぎて明示不能であろうとも、それが有意義であるのには変わりなく、
その微妙不可思議さを信認さえできるのなら、他力本願での功徳に与ることも容易たる。
そこには、近年のIT技術などと照らし合わせても、不立文字でしかあり得ない
自明な法則性があるのだから、それをあくまで許そうとせず、誰にでもわかるように
説明できる、してくれる範囲のものしか信認しまいとする、オッカムの剃刀的な怠慢的論理
の持ち主のほうが、科学法則にも逆行したがるカルト側だと見なされねばならないのである。
RAIDで各HDDに記録された情報が、個別には必ずしも有意な情報ではなくなって
しまっていたりするのと同じように、不立文字の域にまで達しているのが常である。
あくまでそれを明示しようとすれば、文字ではなく曼荼羅図のような抽象的な
図示にでも頼るしかなくなるほどに、あえて隠そうとせずとも密法的でしかあり得ぬ。
だからといって本当に完全に意味がないというのでもなく、そこから
満濃池の造成のような、極めて具体的な社会的事業の実現までもが果たされる。
知恵そのものが深遠すぎて明示不能であろうとも、それが有意義であるのには変わりなく、
その微妙不可思議さを信認さえできるのなら、他力本願での功徳に与ることも容易たる。
そこには、近年のIT技術などと照らし合わせても、不立文字でしかあり得ない
自明な法則性があるのだから、それをあくまで許そうとせず、誰にでもわかるように
説明できる、してくれる範囲のものしか信認しまいとする、オッカムの剃刀的な怠慢的論理
の持ち主のほうが、科学法則にも逆行したがるカルト側だと見なされねばならないのである。
健康養生や能力開発だけでなく、日々の生活における些細な過ちの解消からの
ストレスフリーさのような、ごく身近な功徳もまた正直さによって得られるもの。
自分の部屋のどこに何があるかなんてのも、結局は長期記憶頼みになる所があり、
たとえ整理整頓を行き届かせたのであっても、自らの脳内がとっ散らかったまま
であるようなら無用の長物でしかないために、汚部屋へと逆戻りなどにもなる。
どうしてもそれが嫌で、徹底的に物を捨ててかかるミニマリズム生活なんかに
走るような人間もまた近年多いようだけれども。人間が生きて行く上ではある程度
以上の物品に頼らねばならないのもまた事実であるが故に、さような試みが
行き過ぎた挙句の不便さに苦しめられるようなことにもなるものである。
ちゃんと頭を使って生活しようとしない怠惰さは、どんな方向からでも当人を
苦しめてかかるもので、最悪の場合には自らの体の使い方すら十分に分からなく
なった挙句の、パーキンソン病のような神経障害にまで陥りかねないものである。
(生活上の作業を何もかも人任せにするセレブなどにそういう事例が多いようである)
ストレスフリーさのような、ごく身近な功徳もまた正直さによって得られるもの。
自分の部屋のどこに何があるかなんてのも、結局は長期記憶頼みになる所があり、
たとえ整理整頓を行き届かせたのであっても、自らの脳内がとっ散らかったまま
であるようなら無用の長物でしかないために、汚部屋へと逆戻りなどにもなる。
どうしてもそれが嫌で、徹底的に物を捨ててかかるミニマリズム生活なんかに
走るような人間もまた近年多いようだけれども。人間が生きて行く上ではある程度
以上の物品に頼らねばならないのもまた事実であるが故に、さような試みが
行き過ぎた挙句の不便さに苦しめられるようなことにもなるものである。
ちゃんと頭を使って生活しようとしない怠惰さは、どんな方向からでも当人を
苦しめてかかるもので、最悪の場合には自らの体の使い方すら十分に分からなく
なった挙句の、パーキンソン病のような神経障害にまで陥りかねないものである。
(生活上の作業を何もかも人任せにするセレブなどにそういう事例が多いようである)
[YouTubeで再生]
座禅行のみならず、日々の生活作業までをも修行の一環であると厳格に定めている
曹洞宗の取り組みなども、さような差し障りとは逆方向にあるマインドフルネスを
最大限に実現して行くことこそを目的としたものであるのにも違いない。
それは別に今のような荒れ果てた時代のみならず、それなりに徳化の行き届いた時代でも、
在俗のままでは十分に果たしきれないほどの奥深さを帯びた領域であるがために、
禅門のような最大級の精進修行に勤める門派においてこそ専攻されて来たのでもある。
禅寺並みに清潔で整理整頓の行き届いた住環境などを独自に家で実現したりすることも
不可能ではないにしろ、自らもまたそこに一体化できるだけの心中からの清廉さを
帯びたりすることが極めて難しいために、逆にそんな環境を守り続けての生活
なんかのほうがストレスになることにすらなりかねないものである。
精進料理なみの食生活や、早寝早起きなんかも全く同様で、ただやるだけでなく、
そこにマインドフルネスの増進が伴えばこその、やったほうがマシ以上たるのである。
座禅行のみならず、日々の生活作業までをも修行の一環であると厳格に定めている
曹洞宗の取り組みなども、さような差し障りとは逆方向にあるマインドフルネスを
最大限に実現して行くことこそを目的としたものであるのにも違いない。
それは別に今のような荒れ果てた時代のみならず、それなりに徳化の行き届いた時代でも、
在俗のままでは十分に果たしきれないほどの奥深さを帯びた領域であるがために、
禅門のような最大級の精進修行に勤める門派においてこそ専攻されて来たのでもある。
禅寺並みに清潔で整理整頓の行き届いた住環境などを独自に家で実現したりすることも
不可能ではないにしろ、自らもまたそこに一体化できるだけの心中からの清廉さを
帯びたりすることが極めて難しいために、逆にそんな環境を守り続けての生活
なんかのほうがストレスになることにすらなりかねないものである。
精進料理なみの食生活や、早寝早起きなんかも全く同様で、ただやるだけでなく、
そこにマインドフルネスの増進が伴えばこその、やったほうがマシ以上たるのである。
こうして仏門を引き合いに出した話をすることも幾度となく繰り返して来たものだが、
別に自分自身が本格の仏者なわけではなく、若い頃に負った大怪我の治癒のために
修行級の荒行もまた繰り返して来たにしろ、それもまた肉食飲酒などと共にだし、
決して自分自身が聖道門の奥義にも通暁した達者であるとまで自負するものでもない。
さりとて、自己欺瞞への陶酔に惑溺するほどの、最低級の度し難さからぐらいは
すでに脱却できているという自覚もあるがために、儒家や道家と同等の域での、
最低限程度の善徳への安楽に与れている側であるという認識もまたあるもの。
自らよりもさらに上等な仏道などの存在もあれば、下等なカルトや異学邪見などもある。
両者にまつわる専門書などもそれなりに読み漁って来た上で、それぞれを自分自身が
安住している境地とはまた別個の域にある言説として、脳内でも適当な区域に
カテゴライズして収め、その間に四書五経や老荘のような自分並みへの知識も据えている。
その分類整理が適切であるがために、より上等から下等に至るまで、今までに得て来た
あらゆる知識が教師的、反面教師的、対等な友人からの教え的な相応さを帯びた形での
活用が可能なものともなっている。自分が本格の仏者以上だなどと思い上がってたり、
あるいは邪学邪教こそを上質な教学だなどと思い込んだりするような顛倒が少しでも
介在しているようなら、いくら知識を貯め込んだ所でさような有用さはないままに終わる。
別に自分自身が本格の仏者なわけではなく、若い頃に負った大怪我の治癒のために
修行級の荒行もまた繰り返して来たにしろ、それもまた肉食飲酒などと共にだし、
決して自分自身が聖道門の奥義にも通暁した達者であるとまで自負するものでもない。
さりとて、自己欺瞞への陶酔に惑溺するほどの、最低級の度し難さからぐらいは
すでに脱却できているという自覚もあるがために、儒家や道家と同等の域での、
最低限程度の善徳への安楽に与れている側であるという認識もまたあるもの。
自らよりもさらに上等な仏道などの存在もあれば、下等なカルトや異学邪見などもある。
両者にまつわる専門書などもそれなりに読み漁って来た上で、それぞれを自分自身が
安住している境地とはまた別個の域にある言説として、脳内でも適当な区域に
カテゴライズして収め、その間に四書五経や老荘のような自分並みへの知識も据えている。
その分類整理が適切であるがために、より上等から下等に至るまで、今までに得て来た
あらゆる知識が教師的、反面教師的、対等な友人からの教え的な相応さを帯びた形での
活用が可能なものともなっている。自分が本格の仏者以上だなどと思い上がってたり、
あるいは邪学邪教こそを上質な教学だなどと思い込んだりするような顛倒が少しでも
介在しているようなら、いくら知識を貯め込んだ所でさような有用さはないままに終わる。
ヒトラーの「わが闘争」などは、西洋史上で初めて
政商の国への危害を大々的に暴露した文献である点などが、
部分的には大変画期的な著述ではあったわけだけれども。
ヒトラー自身が害為正法外道たるキリスト教圏の人間であることもあって、
「政商」という活動自体の害悪性をピンポイントに見定めることが出来ずに、
当時のドイツで主に政商活動を担っていたユダヤ教徒への特別な糾弾や
憎悪ばかりを募らせるような事態にも陥っていたのだった。
他にも過剰な女性進出の弊害についてなど、現代社会にとっての
預言書ともなるような論説が多く見られる一方で、ヒトラー自身が
それを分相応な身の程のわきまえから、的確に披露して行く用意を
欠いていたために、不適切な表現や結論が多く入り混じることとなったのである。
結果、ヒトラー自身もまた、口述筆記で「わが闘争」に書かせたようなことは、
吐き出した途端に自分の中からはゴッソリと抜け落ちてなくなってしまった
とも後年に述べていたという。知識の分類整理が疎かだったりするようならば、
たとえ正論交じりだろうとも水子止まりな見識と化してしまう典型例となったのである。
政商の国への危害を大々的に暴露した文献である点などが、
部分的には大変画期的な著述ではあったわけだけれども。
ヒトラー自身が害為正法外道たるキリスト教圏の人間であることもあって、
「政商」という活動自体の害悪性をピンポイントに見定めることが出来ずに、
当時のドイツで主に政商活動を担っていたユダヤ教徒への特別な糾弾や
憎悪ばかりを募らせるような事態にも陥っていたのだった。
他にも過剰な女性進出の弊害についてなど、現代社会にとっての
預言書ともなるような論説が多く見られる一方で、ヒトラー自身が
それを分相応な身の程のわきまえから、的確に披露して行く用意を
欠いていたために、不適切な表現や結論が多く入り混じることとなったのである。
結果、ヒトラー自身もまた、口述筆記で「わが闘争」に書かせたようなことは、
吐き出した途端に自分の中からはゴッソリと抜け落ちてなくなってしまった
とも後年に述べていたという。知識の分類整理が疎かだったりするようならば、
たとえ正論交じりだろうとも水子止まりな見識と化してしまう典型例となったのである。
日本以外のG7大使、長崎の原爆式典を一斉に欠席へ イスラエル不招待を受け
https://news.yahoo.co.jp/articles/f3e89a0b4867f478af354...
これほどにもユダヤとベッタリで一蓮托生な身の上でいながら、
ヒトラーみたいな反意を催そうとも、自滅行為を兼ねることにしかならない。
最低でもキリスト信仰のほうをまず清算しておかねばならないが、それもまた
全くの我流止まりであるようなら、ニーチェのような発狂にも陥りかねない。
近年は信仰心の薄いキリスト教圏の人間なども多かろうとて、それも所詮は、
自己欺瞞への惑溺に酔い痴れるレベルの心境に止まりながらのことでしかなく、
それゆえの政商活動などへの黙認意識などを払拭してかかることも能わない。
マインドセットというもの自体、知恵深くはないようなところである種の低迷と
共に固着してしまいやすい事物であるために、そこからの脱却にもキリスト教の
洗礼を上回る域の徹底的な覚悟を以て取り組まねば済まない所があるものである。
そしてまたそこから、童子の足下を拝む並みの、一からのやり直しに取り組んで
行かねばならぬ。心中に少しでも怠慢の種火がくすぶっていてはいけないのである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f3e89a0b4867f478af354...
これほどにもユダヤとベッタリで一蓮托生な身の上でいながら、
ヒトラーみたいな反意を催そうとも、自滅行為を兼ねることにしかならない。
最低でもキリスト信仰のほうをまず清算しておかねばならないが、それもまた
全くの我流止まりであるようなら、ニーチェのような発狂にも陥りかねない。
近年は信仰心の薄いキリスト教圏の人間なども多かろうとて、それも所詮は、
自己欺瞞への惑溺に酔い痴れるレベルの心境に止まりながらのことでしかなく、
それゆえの政商活動などへの黙認意識などを払拭してかかることも能わない。
マインドセットというもの自体、知恵深くはないようなところである種の低迷と
共に固着してしまいやすい事物であるために、そこからの脱却にもキリスト教の
洗礼を上回る域の徹底的な覚悟を以て取り組まねば済まない所があるものである。
そしてまたそこから、童子の足下を拝む並みの、一からのやり直しに取り組んで
行かねばならぬ。心中に少しでも怠慢の種火がくすぶっていてはいけないのである。
ただ寝るという行為もまた、シャヴァーサナとか寝禅とかいった形で、
一応は求道行為のうちに数えられることがあるものだけれども、それがまた
「最も簡単だとも、最も難しいともいえる」(ハタヨガの真髄)ともいわれる。
「睡眠の質」なんてものもまた、近年ではわりと重視されているけれども、
特に加齢後にいくら寝ても疲れが取れないなんていう事態に見舞われる
不摂生者が非常に多いのを鑑みるに、十全に疲れを解消できるだけの睡眠を
保ち続けるという所まで行けば、最高難易度の所業であるとも思われるものである。
さらにひどい場合には、睡眠で十分に疲労回復できているわけでもないのに、
そういう睡眠が面白くもない、苦痛であるにかこつけて、寝ることを疎かにし始め、
ショートスリープや極端な早起きが習慣化して、そんな自分を偉いように思い込む。
老い先短くもなれば、寝て余生を過ごすのが勿体ないとなって、さらにその傾向が
増して行く、そういうのはちっとも求道者としての上達に近似するものですらない、
未熟者が年だけ食ってしまったせいでの醜態でしかないというほかない。
>>306に書いたような体の対称性が崩れているせいで睡眠の質が下がるということも
もちろんあるし、その解消のためにはやはり絶大な知恵の深化やその実践を要する。
さような取り組みを重ね抜いた先にのみ会得される、もうそのまま死んでもいい
と思えるほど完璧な睡眠こそは、人間にとっての最終奥義であるとすらいえよう。
一応は求道行為のうちに数えられることがあるものだけれども、それがまた
「最も簡単だとも、最も難しいともいえる」(ハタヨガの真髄)ともいわれる。
「睡眠の質」なんてものもまた、近年ではわりと重視されているけれども、
特に加齢後にいくら寝ても疲れが取れないなんていう事態に見舞われる
不摂生者が非常に多いのを鑑みるに、十全に疲れを解消できるだけの睡眠を
保ち続けるという所まで行けば、最高難易度の所業であるとも思われるものである。
さらにひどい場合には、睡眠で十分に疲労回復できているわけでもないのに、
そういう睡眠が面白くもない、苦痛であるにかこつけて、寝ることを疎かにし始め、
ショートスリープや極端な早起きが習慣化して、そんな自分を偉いように思い込む。
老い先短くもなれば、寝て余生を過ごすのが勿体ないとなって、さらにその傾向が
増して行く、そういうのはちっとも求道者としての上達に近似するものですらない、
未熟者が年だけ食ってしまったせいでの醜態でしかないというほかない。
>>306に書いたような体の対称性が崩れているせいで睡眠の質が下がるということも
もちろんあるし、その解消のためにはやはり絶大な知恵の深化やその実践を要する。
さような取り組みを重ね抜いた先にのみ会得される、もうそのまま死んでもいい
と思えるほど完璧な睡眠こそは、人間にとっての最終奥義であるとすらいえよう。
たとえば、末期ガンの終末期医療などに際しては、
大麻の服用まで徹底的に取り締まられている日本のような国でも、
最強クラスの麻薬であるフェンタニルの服用が公認されているほど、
人が死に臨むに際しての苦痛というものは、往々にして絶大たるものである。
なればこそ、若い頃には「年老いる前に死にたい!」なんて粋がってた者までもが、
保険医療や年金の使い込みででも、生き延びられるものならできる限り生き延びたいとなり、
そのせいで国の財政を傾けて、亡国の危機を招くことすら時には厭わなくなるもの。
見栄を張りたがる小人だらけの世の中ともなれば、自らが心中で本当は死への恐怖に
苦しめられ抜いていることを、表向きには隠し込んでの達観者気取りでいるような者が
多くに上るがために、気付きづらくもなることだが、死の苦しみ、死を意識してしまう苦しみに、
否定派並みかそれ以上に苛まれているものが本当は多数であればこそ、さような事態が招かれる。
健康養生や精神修養その他の嗜みによって、死への恐怖や死の苦しみを解消、
低減させて行くことは、自らと世の中、両方にとっての福祉となる試みであるからには、
保身的だ臆病だなどと決めつけて見下すことなく、誰しもが重んじて行くべきところだといえよう。
大麻の服用まで徹底的に取り締まられている日本のような国でも、
最強クラスの麻薬であるフェンタニルの服用が公認されているほど、
人が死に臨むに際しての苦痛というものは、往々にして絶大たるものである。
なればこそ、若い頃には「年老いる前に死にたい!」なんて粋がってた者までもが、
保険医療や年金の使い込みででも、生き延びられるものならできる限り生き延びたいとなり、
そのせいで国の財政を傾けて、亡国の危機を招くことすら時には厭わなくなるもの。
見栄を張りたがる小人だらけの世の中ともなれば、自らが心中で本当は死への恐怖に
苦しめられ抜いていることを、表向きには隠し込んでの達観者気取りでいるような者が
多くに上るがために、気付きづらくもなることだが、死の苦しみ、死を意識してしまう苦しみに、
否定派並みかそれ以上に苛まれているものが本当は多数であればこそ、さような事態が招かれる。
健康養生や精神修養その他の嗜みによって、死への恐怖や死の苦しみを解消、
低減させて行くことは、自らと世の中、両方にとっての福祉となる試みであるからには、
保身的だ臆病だなどと決めつけて見下すことなく、誰しもが重んじて行くべきところだといえよう。
自分のことを言われた気がしてキレ散らかしてるのか知らんが、🎯
おまえはそんなことはとうの昔に開き直ってるクチではないのか?
まさか、自分が「世の中を支えてる側」だなんて本気で思い込んでる
夢想家なわけでもなく、無職ニートなんかよりもはるかに多くのものを
世の中から奪うことで個人的な富裕を謳歌して来た、その悪党としての
虚栄加減によって俺などにマウントを取ろうと試みてきたのではないのか?
なればこそ、俺もおまえの「医者」という自称が本当である場合を
見越した上でも、心の底からの軽蔑ゴホウビと共に接して来てやったわけだが。
いつの時代にも、その手の部類の匹夫小人が絶えることはなし。
ただそんな人種に絶大な権益を与えすぎてしまっている今の世の中
のほうがゴミ溜めに過ぎるというばかりのことなれば、おまえの虚栄に
殊更な怒りなぞを募らせたりするようなことまでは、ついぞなかったのだがな。
おまえはそんなことはとうの昔に開き直ってるクチではないのか?
まさか、自分が「世の中を支えてる側」だなんて本気で思い込んでる
夢想家なわけでもなく、無職ニートなんかよりもはるかに多くのものを
世の中から奪うことで個人的な富裕を謳歌して来た、その悪党としての
虚栄加減によって俺などにマウントを取ろうと試みてきたのではないのか?
なればこそ、俺もおまえの「医者」という自称が本当である場合を
見越した上でも、心の底からの軽蔑ゴホウビと共に接して来てやったわけだが。
いつの時代にも、その手の部類の匹夫小人が絶えることはなし。
ただそんな人種に絶大な権益を与えすぎてしまっている今の世の中
のほうがゴミ溜めに過ぎるというばかりのことなれば、おまえの虚栄に
殊更な怒りなぞを募らせたりするようなことまでは、ついぞなかったのだがな。
おまえが費やして来たそれらと比べれば微々たるものとて、
別にそれを開き直ることもなく、
「君子は易に居て以て命を待つ(中庸)」
以上の邪侈に及んだ程度のペナルティは受ける所存である。
あまり身に覚えもないがな。
別にそれを開き直ることもなく、
「君子は易に居て以て命を待つ(中庸)」
以上の邪侈に及んだ程度のペナルティは受ける所存である。
あまり身に覚えもないがな。
(>>319の続き)
しこたま稼いで老後に備えたりするよりも、さような取り組みに熱心であるほうが
はるかに世のため人のため自分のため、全てのためになるものだというのに、
大多数の人間から後者を取り上げて、前者ばかりをあてがった資本主義の愚かしさと来たら。
両者は大いに相容れない側面があればこそ、日本も近代以降の資本主義の取り入れに際して、
後者のような生き方の指針を示す仏門などを世の一線から排除せざるをも得なくなったのだった。
資本主義の導入によって得られたものよりも、さような理由で失ったもののほうが大きければこそ、
近代以降の日本社会もまた江戸時代ほどの平和状態も世相の安定も確立できず、部分的には
当時を上回るほどの貧窮までをも招かないではいられないようなあり様でいるのである。
資本主義の発祥元である欧米には、それよりも上等な統治システムなんかがあり得た試しが
ないために、今のイスラエルなんかを支持させられながらでも、それが選択され続けている
わけだけれども、日本などは、人と世をよりうまく治めて行く既存の方法を知っている
国なものだから、今までの歴史から目を背けるのでもなければ、資本主義なんかを
半永久的に堅持したりすることに妥当性のかけらも見出すことができないものである。
しこたま稼いで老後に備えたりするよりも、さような取り組みに熱心であるほうが
はるかに世のため人のため自分のため、全てのためになるものだというのに、
大多数の人間から後者を取り上げて、前者ばかりをあてがった資本主義の愚かしさと来たら。
両者は大いに相容れない側面があればこそ、日本も近代以降の資本主義の取り入れに際して、
後者のような生き方の指針を示す仏門などを世の一線から排除せざるをも得なくなったのだった。
資本主義の導入によって得られたものよりも、さような理由で失ったもののほうが大きければこそ、
近代以降の日本社会もまた江戸時代ほどの平和状態も世相の安定も確立できず、部分的には
当時を上回るほどの貧窮までをも招かないではいられないようなあり様でいるのである。
資本主義の発祥元である欧米には、それよりも上等な統治システムなんかがあり得た試しが
ないために、今のイスラエルなんかを支持させられながらでも、それが選択され続けている
わけだけれども、日本などは、人と世をよりうまく治めて行く既存の方法を知っている
国なものだから、今までの歴史から目を背けるのでもなければ、資本主義なんかを
半永久的に堅持したりすることに妥当性のかけらも見出すことができないものである。
世界中の国々に、資本主義側について金満の腐敗に明け暮れるか、敵に回して戦乱や極貧に
見舞われるかの二者択一が強いられている反SDGsたけなわな現状においては、どちらを選んでも
どっちもどっちという所もあるけれども、それ以上たることが人類にとっていくらでも可能である
証拠材料が山積しているのが全人類にとっての真実なれば、そこに永続性などを認められることはない。
そこでヒトラーやニーチェのような、精神面から西洋文化側にドップリ浸かり切ったままでいる
人間が新たな時代を切り開く主導者になれることもないにしろ、別にそんな人間しかいない
わけでもない。非常に低い立場や境遇に追い込まれていることも多かれど、それは不遇に
追い込まれていた頃の高祖劉邦や頼朝公、家康公などでも変わらなかったことだし、
浮雲なみに儚い富貴の如何などで、見込みの有無などを判断すべき余地などもないものだ。
見舞われるかの二者択一が強いられている反SDGsたけなわな現状においては、どちらを選んでも
どっちもどっちという所もあるけれども、それ以上たることが人類にとっていくらでも可能である
証拠材料が山積しているのが全人類にとっての真実なれば、そこに永続性などを認められることはない。
そこでヒトラーやニーチェのような、精神面から西洋文化側にドップリ浸かり切ったままでいる
人間が新たな時代を切り開く主導者になれることもないにしろ、別にそんな人間しかいない
わけでもない。非常に低い立場や境遇に追い込まれていることも多かれど、それは不遇に
追い込まれていた頃の高祖劉邦や頼朝公、家康公などでも変わらなかったことだし、
浮雲なみに儚い富貴の如何などで、見込みの有無などを判断すべき余地などもないものだ。
バングラディシュが度重なる暴動からの首相国外逃亡で、国家破綻の様相。
数年前にも似たようなことが起きていたが、この国はただでさえ人口密度が高い
日本のさらに4倍以上の密度とかいう、世界最悪の人口過密国家。
それがたびたびこんな事態を招いているのは、
これが人口過剰で人間社会が破綻に陥る初の事例だからなのだろうとも思われる。
未だに人口爆発が収まる気配も見せないすべての人類社会にとっての、
薄暗い未来絵図。逆に移民抜きでは人口減少に陥っている資本主義国などにとっては
高みの見物なんて話ではなく、こういう世界に自分たちまで呑み込まれて行くというのみ。
パンデミックでも核戦争でも、世界人口を削減するとまでの効果を持ち合わせる
ようなことまではなく、ただそこにより一層の荒廃という拍車をかけるのみとなる。
資本主義国や富裕層が、世界中の大多数の人々から巨万の富を奪い去り、
土人状態以上の苦難を強いているという現状からの脱却がないことには、
そこへの報復攻撃としての人口爆発による破綻が収まることも決してないのである。
数年前にも似たようなことが起きていたが、この国はただでさえ人口密度が高い
日本のさらに4倍以上の密度とかいう、世界最悪の人口過密国家。
それがたびたびこんな事態を招いているのは、
これが人口過剰で人間社会が破綻に陥る初の事例だからなのだろうとも思われる。
未だに人口爆発が収まる気配も見せないすべての人類社会にとっての、
薄暗い未来絵図。逆に移民抜きでは人口減少に陥っている資本主義国などにとっては
高みの見物なんて話ではなく、こういう世界に自分たちまで呑み込まれて行くというのみ。
パンデミックでも核戦争でも、世界人口を削減するとまでの効果を持ち合わせる
ようなことまではなく、ただそこにより一層の荒廃という拍車をかけるのみとなる。
資本主義国や富裕層が、世界中の大多数の人々から巨万の富を奪い去り、
土人状態以上の苦難を強いているという現状からの脱却がないことには、
そこへの報復攻撃としての人口爆発による破綻が収まることも決してないのである。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1721873492...
こっちのスレでそれなりに述べて来たことだが。
(聞く耳持たない詭弁論者が占拠中なのでこちらに書くが)
人間社会には、古来から奴隷制という支配制度が広く存在していて、
日本では鎌倉時代に、世界ではおおむね19~20世紀ごろに制度上は廃止
されて今に至っているものの、未だに奴隷に対するのと同レベルかそれ以上な、
民衆への奴隷的待遇というものがまま横行しているのが実情である。
それこそが、人間という生き物に対して土人状態以上の苦役を強いる
所業となっているがために、人口爆発や少子化のような人口動態の
不全化をも世界中にもたらす、最たる元凶となっているものである。
元来が、朝廷の奴隷として生じた身分である武家が、自分たちの尊厳を守るために、
武家政権の擁立とほぼ同時に奴隷制を廃止し、その後も奴隷的使役をなるべく
低減させて行くことに尽力し、後期の江戸時代ともなれば、そのお武家様の
装束に習って誰しもが髷を結うようにまでなった。そんな武家時代の完成形たる
江戸時代の人口動態が極めて安定していたのとは、真逆の状態にあるのが今である。
こっちのスレでそれなりに述べて来たことだが。
(聞く耳持たない詭弁論者が占拠中なのでこちらに書くが)
人間社会には、古来から奴隷制という支配制度が広く存在していて、
日本では鎌倉時代に、世界ではおおむね19~20世紀ごろに制度上は廃止
されて今に至っているものの、未だに奴隷に対するのと同レベルかそれ以上な、
民衆への奴隷的待遇というものがまま横行しているのが実情である。
それこそが、人間という生き物に対して土人状態以上の苦役を強いる
所業となっているがために、人口爆発や少子化のような人口動態の
不全化をも世界中にもたらす、最たる元凶となっているものである。
元来が、朝廷の奴隷として生じた身分である武家が、自分たちの尊厳を守るために、
武家政権の擁立とほぼ同時に奴隷制を廃止し、その後も奴隷的使役をなるべく
低減させて行くことに尽力し、後期の江戸時代ともなれば、そのお武家様の
装束に習って誰しもが髷を結うようにまでなった。そんな武家時代の完成形たる
江戸時代の人口動態が極めて安定していたのとは、真逆の状態にあるのが今である。
自分たち自身がほとんど生産を担わなくなった資本主義の富裕国でも、
莫大な生産を担わされている貧国でも、とかく何かと理由をつけて人々に奴隷級の
苛烈な労役を課し、心身ともなる極度の疲弊状態に追い込むことが常態化している。
富裕国ではそれが人々の子を産み育てる意欲を損ね、貧国では逆に過剰化させる。
人間という生き物に対して人間未満、モノやモノ以下の扱いを繰り返すという、
悪行の無理が祟っての、自業自得での破綻に見舞われている点では全く共通すること。
土人社会にしろ、江戸時代のようなそれなりに発展しながらも、文明水準が
今ほどではなかった時代の人間社会にしろ、今以上に飢饉や疫病、天災などの
外的な苦難に直面して大きな被害を受けることはそれなりにあったわけだけれども。
今の人間社会が「奴隷的使役の蔓延による破綻」という人災に見舞われることで
苦しめられている度合いもそれと同等か、場合によってはそれ以上たるものである。
文明発展が人間社会を昔以上に幸福にさせられない、挙句には致命的な破綻を招く
元凶にまでなるのならば、もはや無用の長物というほかないのであり、さような状態にある、
人災ありきで発展を続けて行く暴挙にまではいい加減、終止符を打たねばならないのである。
莫大な生産を担わされている貧国でも、とかく何かと理由をつけて人々に奴隷級の
苛烈な労役を課し、心身ともなる極度の疲弊状態に追い込むことが常態化している。
富裕国ではそれが人々の子を産み育てる意欲を損ね、貧国では逆に過剰化させる。
人間という生き物に対して人間未満、モノやモノ以下の扱いを繰り返すという、
悪行の無理が祟っての、自業自得での破綻に見舞われている点では全く共通すること。
土人社会にしろ、江戸時代のようなそれなりに発展しながらも、文明水準が
今ほどではなかった時代の人間社会にしろ、今以上に飢饉や疫病、天災などの
外的な苦難に直面して大きな被害を受けることはそれなりにあったわけだけれども。
今の人間社会が「奴隷的使役の蔓延による破綻」という人災に見舞われることで
苦しめられている度合いもそれと同等か、場合によってはそれ以上たるものである。
文明発展が人間社会を昔以上に幸福にさせられない、挙句には致命的な破綻を招く
元凶にまでなるのならば、もはや無用の長物というほかないのであり、さような状態にある、
人災ありきで発展を続けて行く暴挙にまではいい加減、終止符を打たねばならないのである。
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