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「求道か、さもなくば頽廃か」という時代 偉大なる生存の報告 Part327


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360 2025/04/25(金) 13:40:43 ID:kQPf7pc8zA
>>287の続き)
浄土真宗では、自分たちの寺を「念仏道場」などと形容することもあるが、
実際、他力本願という体裁と共に、その範疇での心の求道に取り組むのが念仏だという所もある。

「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という親鸞聖人の名言なども、
読んでその意味を把握するていどのことは誰にでもできようとて、
万全の納得と共に心中に落とし込むとまでなれば、現代人の大多数には不可能にも等しい。
それはやはり念仏に深く帰依して行くなみの、心の求道が共になければ務まることではない。

ただ、そこが実現さえできれば、善因楽果悪因苦果罪福異熟の普遍法則を精神の根幹から会得し、
善は為せずとも楽しきもの、悪は為してしまうといえどもつまらないものという、
心底からの感覚が終身にわたっての心持ちたれるようにもなるものである。

全国の庶民が江戸期までさような心の求道に取り組んでいたことが今でも、
誰に強制されずとも悪を嫌い善を好む、大多数の日本人の民度の高さとして残存してもいる。
別段参禅のような厳しい修行まで必ずしもこなさずとも、誰しもその程度の取り組みはあって
然るべきものだし、故にこの世の誰も求道が全く不可能だなんてことは絶対にないのだともいえる。

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スレッドタイトル:「求道か、さもなくば頽廃か」という時代

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