
物事への過大評価や過小評価を自由自在とする劣情の深刻さが、
女たちやカルト信者のみならず、それらの洗脳支配下におかれた
日本の私立の高偏差値高卒の学歴エリートに至るまで、ただの一人も
ノーベル科学賞が獲れなくなるほどのボンクラ止まりとならしめる。
女が全体的に数学に弱いのも、さような強情さの持ち主である場合が多いせい。
「男は理性、女は感情の生き物」などとステレオタイプに定義づけられることもあるが、
男にだって感情はいくらでもあるのであり、ただその感情が数理的な多寡を
無視するほどの過大評価や過小評価にまで及ぶことがあまりないだけである。
男の中でも、匹夫小人の部類にはそういう人種が相当数いるもので、
>>74の被告なども、どう考えても死刑相当な身の上であるにもかかわらず、
自分には生き延びる価値があるなどと思い込んでいるのが、女子小人らしい
過大評価そのものの姿であり、なればこそ「女々しい」とも評せるものである。
>>148の開成出身の現農水大臣なども、就任時の自己紹介で、
誰に求められてるわけでもないのに、自分を「生え抜き」とか自賛してたが、
そこからまずやろうとしてるのが、外患の思惑通りもいいとこな米の減産。
過大評価や過小評価にまみれる人間は実際ろくなことができない典型例となっている。
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