
三島由紀夫の「金閣寺」などは、
吃音がコンプレックスの主人公が金閣寺の放火に至るまでの経緯を、
実在の事件に即して克明に描いた作品であったものだが。
吃音もASDの合併症である場合が多い症状で、
この事件の犯人もそういう人種であったことがうかがえる。
一方、ちゃんと仏教系の学校を出て住職になろうとしていたにも関わらず、
さような自らの病苦からの脱却が叶わなくての凶行に走ったようにも見える。
俺も肩脱臼による呼吸困難が最重度を極めていたような頃には、
言いたいことがまともに口にも出せないようなことが多々あったものだが、
さような怪我の自己治療とともに解消されていったものである。
ただ、その治療は洋学やカルト信仰や今の世の中を劣悪至極な代物として
徹底的に見下しながらであって、初めて実現できて行ったものであり、
さような嗜みが事前にないのであれば、たとえ仏教を学校で勉強したり
しようとも果たせることがなかったであろう。
「金閣寺」はそのような機会に恵まれなかったASD系の坊さん志願者にとっての、
太宰の「斜陽」のような物語であったわけである。今の世で仏道を志したりしても、
誰しもが同様な惨状に陥りかねないものだし、やはり「世間虚仮 唯仏是真」
のわきまえをまず第一に持ち合わせる所からやり直して行くのでなければならない。
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