https://x.gd/1WlM... 相変わらず否定派先生も、惜しげもなく破滅願望をさらし続けている。
ここまで徹底的な人間ばかりではなくとも、
氷河期世代の多く並みに闇黒の人生を歩んで来たような人間の中には、
これに近い思いを潜在的に持ち合わせているようなのが多くに上ろう。
そんな状態で、まともに人付き合いなどが務まるわけもなく、
自分では特段、尖らせようとしているわけでもないような言動の一つ一つに
至るまで、常人には鬼目やすりで削られるような苦痛を感じさせるものとなる。
それは別に、仏の悟りがあっての、死滅への恋い焦がれでもない。
むしろ死への恐怖に苛まれている人間こそが希死念慮にも苦しめられるという、
人間という生き物にとっての精神病理の極北にある状態で、仏の悟りなどは
むしろその真逆の境地であるがゆえに、お釈迦様も臨終に際しては、
まだ死にたくない、もっと生きたいという思いに駆られたというし、
またその言動のすべてが人間はおろか、言葉のわからぬ動物たちまで
こぞって寄ってくるほどの魅力を帯びていたともいう。
本当なら、セロトニンやアセチルコリンの自己生成能力の非常な高さに、
動物までもが傍らにいる快適さを感じていたのだろうし、それらの欠乏に
よって残虐な言動や陰惨なオーラが板についてしまっているような人間とは、
並みの人間以上にかけ離れた存在性でもあったろう。諸行無常の理コトワリへの
徹底したわきまえこそがその境地に至らしめることもまた、あり得ないことではない。
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