
人間だれしも、個人としての要求を最大限に通そうとすれば、公共からかけ離れる。
だからといって個人的な欲求を完全に蔑ろにしてかかる全体主義者などにまでならずとも、
自らの欲求と公益性との折り合いを付けて行く節度をわきまえればいいだけなのだが。
それもまた犬魂(けんたま)の持ち主たちには難しく、ほんの少しでも自らの欲求を
自制しなければならないとなれば、それだけで心身を病むほど落ち込んだりするし、
そういう傾向を増長させぬいて来た私企業ともなれば、少しでも人件費切り詰めの
方向性を挫かれただけで潰れてしまうほどの火の車状態な経営だったりもする。
だから結局、そういった公私の利害相反化の抑制というのは、
個人主義者たち自身に求めるのではなく、第三者的な立場からの
客観的な制御こそがあって然るべきなのである。
ただし、公権力者などがさような真似を試みること全般を専制、独裁などと
十把一絡げに決め付けての、できる限りの排除を目論んで来たのが民主主義でもある。
その結果、誰も世の中を担って行く域の責任を負おうとしなくなっての自滅状態を
招かざるを得なくなったのも、結局は個人主義というのが犬魂(けんたま)とすら見なすべき
精神的退廃を不可避に伴うものであったが故になのであり、それはむしろ飼い主あってこそな
ペット止まりの性分であったことをわきまえ直して、そこからの脱却に勤めるか、もしくは
それ止まりである以上はお上からの統制などもまた受け入れて行くのでなければならない。
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