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文弱の、ヒスとコミュ力による派閥争い 偉大なる生存の報告 Part310
▼ページ最下部
特に、文系による理系排除や、中抜きピンハネなどが問題化し始めて
以降の日本社会で深刻な蔓延を来たしている上に、日本以外の世界中や、
太古からの歴史上においても、亡国級の危難を招く一大元凶となり続けて来た病理。
ヒステリーは基本、百害あって一利もない精神薄弱者の心の病扱いではあるが、
そのヒスこそが逆に、派閥争いで勝ち抜くための有用な道具へと成り代わる。
ヒス持ちの人間に特有の心理として、天邪鬼の思考回路が激化するというのがあり、
これと決めた敵対相手の言うことを何も聞かず、できる限り何もかも逆を行こうとする
思考規範や言動規範が盤石化して、ほとんど自動的にそれを試みるようになる。
その状態で、味方にしたい相手との同調を図り、敵対相手を孤立に追い込む。
それが、ヒスなど患ってない人間以上に派閥争いでの勝利を得る決め手となる。
ヒスでありながらコミュ力もあるという部類の人間が、企業や官公庁や
大学、病院などの各種組織における一番の勝ち組となって、おごり高ぶる。
そこには仁義もなければ、能力の高低に基づく適材適所を尽くすような合理性もなく、
ただひたすら社会的な成功を謳歌したいだけの見栄っ張りがそれに与る虚栄のみがある。
これが組織腐敗の大元凶となる上に、対外戦で敗れる脆弱さの呼び水ともなるのである。
以降の日本社会で深刻な蔓延を来たしている上に、日本以外の世界中や、
太古からの歴史上においても、亡国級の危難を招く一大元凶となり続けて来た病理。
ヒステリーは基本、百害あって一利もない精神薄弱者の心の病扱いではあるが、
そのヒスこそが逆に、派閥争いで勝ち抜くための有用な道具へと成り代わる。
ヒス持ちの人間に特有の心理として、天邪鬼の思考回路が激化するというのがあり、
これと決めた敵対相手の言うことを何も聞かず、できる限り何もかも逆を行こうとする
思考規範や言動規範が盤石化して、ほとんど自動的にそれを試みるようになる。
その状態で、味方にしたい相手との同調を図り、敵対相手を孤立に追い込む。
それが、ヒスなど患ってない人間以上に派閥争いでの勝利を得る決め手となる。
ヒスでありながらコミュ力もあるという部類の人間が、企業や官公庁や
大学、病院などの各種組織における一番の勝ち組となって、おごり高ぶる。
そこには仁義もなければ、能力の高低に基づく適材適所を尽くすような合理性もなく、
ただひたすら社会的な成功を謳歌したいだけの見栄っ張りがそれに与る虚栄のみがある。
これが組織腐敗の大元凶となる上に、対外戦で敗れる脆弱さの呼び水ともなるのである。
窪塚洋介や能年玲奈が、芸能界の一線から追い出された時にも、
ジャニーズやバーニングの内輪では、まさにそのような結託が試みられていたのである。
俳優としての才能などでは、むしろ自分たちのほうが負けているぐらいでも、
多数派工作でだけは自分たちのほうが勝って、既得権益を牛耳ったままであり続ける。
そこでは、追い出す側と追い出される側との間にも圧倒的な空気の差が生じている。
追い出す側はある種の集団ヒステリーに駆られていて、追い出される側はそれに圧倒されるか、
無理に抵抗したところで狂乱具合では敵わなくての敗走を喫する。
その多数派工作のための勢いの核となるのが、派閥のリーダー格のヒステリーで、
ジャニーズやバーニングにかけては、喜多川や周防こそがその役割をも果たしていた。
その「ヒスの中核」としてのカリスマ性が圧倒的であったが故に、
喜多川死後のジャニーズなども総崩れの体になっているのである
ジャニーズやバーニングの内輪では、まさにそのような結託が試みられていたのである。
俳優としての才能などでは、むしろ自分たちのほうが負けているぐらいでも、
多数派工作でだけは自分たちのほうが勝って、既得権益を牛耳ったままであり続ける。
そこでは、追い出す側と追い出される側との間にも圧倒的な空気の差が生じている。
追い出す側はある種の集団ヒステリーに駆られていて、追い出される側はそれに圧倒されるか、
無理に抵抗したところで狂乱具合では敵わなくての敗走を喫する。
その多数派工作のための勢いの核となるのが、派閥のリーダー格のヒステリーで、
ジャニーズやバーニングにかけては、喜多川や周防こそがその役割をも果たしていた。
その「ヒスの中核」としてのカリスマ性が圧倒的であったが故に、
喜多川死後のジャニーズなども総崩れの体になっているのである
世間の話題に乗っかろうとするも乗り切れない文妄
ホモやオカマにヒスが多いのは、
ここでも何人かのコテハンが最大級の体現によって示してくれていることだが、
そのような男の色情狂としてのヒス加減を最大級に利用することで、
日本の芸能界の男性アイドル部門を牛耳って来たのが、他でもないジャニーズである。
ヒスの中核は、やはりジャニー喜多川自身だったが、
そこに付いていけるキムタクみたいな男ほど厚遇し、そうでない者は冷遇。
ヒスに同調できる色男こそを精選しての派閥形成に何十年もの間、取り組んできた。
それは、いざとなれば窪塚討伐の時のように、一丸となっての異分子排除に乗り出す、
チームワークの盤石さを保つ一番の秘訣ともなって来たのだが、同時に、
ヒスのせいで何事もろくに上達できない半端男ばかりを芸能界にのさばらせる原因ともなった。
近ごろ外圧もあって、そのジャニーズが瓦解の危機に陥っていることからも分かるように、
あくまでタコツボ的な業界内での派閥争いに勝てる気勢が育まれるだけで、
業界全体を揺るがす域の外的要素に対しては全くの無力という側面も持ち合わせている。
ジャニー喜多川がCIAの庇護下などでもあったればこその、ギネス級の長期政権の樹立であり、
あくまで何かに守られている範囲での、井の中の蛙的な強大化でしかあり得ないのでもある。
ここでも何人かのコテハンが最大級の体現によって示してくれていることだが、
そのような男の色情狂としてのヒス加減を最大級に利用することで、
日本の芸能界の男性アイドル部門を牛耳って来たのが、他でもないジャニーズである。
ヒスの中核は、やはりジャニー喜多川自身だったが、
そこに付いていけるキムタクみたいな男ほど厚遇し、そうでない者は冷遇。
ヒスに同調できる色男こそを精選しての派閥形成に何十年もの間、取り組んできた。
それは、いざとなれば窪塚討伐の時のように、一丸となっての異分子排除に乗り出す、
チームワークの盤石さを保つ一番の秘訣ともなって来たのだが、同時に、
ヒスのせいで何事もろくに上達できない半端男ばかりを芸能界にのさばらせる原因ともなった。
近ごろ外圧もあって、そのジャニーズが瓦解の危機に陥っていることからも分かるように、
あくまでタコツボ的な業界内での派閥争いに勝てる気勢が育まれるだけで、
業界全体を揺るがす域の外的要素に対しては全くの無力という側面も持ち合わせている。
ジャニー喜多川がCIAの庇護下などでもあったればこその、ギネス級の長期政権の樹立であり、
あくまで何かに守られている範囲での、井の中の蛙的な強大化でしかあり得ないのでもある。
http://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1694140419...
ここで今燃え盛っている、俺への罵詈雑言などはまさに、
ヒスを燃料として書きなぐられているものであり、
これと全く同様な事態がジャニーズ事務所などでもよく起きていたのに違いない。
難癖、詭弁、言いがかり、誤解、ありとあらゆる暴挙を弄してでも
敵対者を降し、自分たちの権益を守ろうなどと志せるのは、
それこそヒス持ちの人間ぐらいでしかなく、その組織化までをも
体系化させられるのは、性加害級の汚濁を帯びた派閥に限られることともなる。
そういう派閥の存在が黙認されている世の中では、どうあってもそれが最強となる。
それもまた一つの普遍法則であり、解決策は世の中全体の是正にしか認められないのである。
ここで今燃え盛っている、俺への罵詈雑言などはまさに、
ヒスを燃料として書きなぐられているものであり、
これと全く同様な事態がジャニーズ事務所などでもよく起きていたのに違いない。
難癖、詭弁、言いがかり、誤解、ありとあらゆる暴挙を弄してでも
敵対者を降し、自分たちの権益を守ろうなどと志せるのは、
それこそヒス持ちの人間ぐらいでしかなく、その組織化までをも
体系化させられるのは、性加害級の汚濁を帯びた派閥に限られることともなる。
そういう派閥の存在が黙認されている世の中では、どうあってもそれが最強となる。
それもまた一つの普遍法則であり、解決策は世の中全体の是正にしか認められないのである。
スレタイに「文弱の~」と書いているのは、
そのようなヒス衝動を原動力とした多数派工作などが、
文弱の範疇の派閥争いでは相当な勝率を稼ぐ一方で、
武闘が絡み始めるとまったくそうではなくなるからである。
その典型的な実例が、戦前の日本軍の体たらくで、
上層部に行けば行くほど、庄屋や豪商のような文弱の血筋の出身者たちが、
ヒスをも原動力としたような派閥争いを繰り広げていたのが、
それと共に戦略構築などは完全に形骸化して行き、
古来の孫子の兵法などにおいても禁忌とされているような
下手ばかりを打ちまくっての敗亡に追い込まれることとなったのである。
ヒスの源が、過度の死への恐怖だからこそ、自らの直接的な生死が絡む領域においては、
より判断を見誤る原因ともなり、しかもそれが派閥集団規模での陥りであるがための、
同調圧力による修正の不能さまでをも帯びての、ネズミの集団自殺の如き狂態に至るのである。
その険難を排するために、孫子も文弱の側近が多く侍っているような王君からの命を、
現場の将軍らが必ずしも聞き入れるべきではないとすら断言したのだった。
「将在外,君命有所不受」主には王君が現場の事情をよく知らないことを見越した
発言だという風に考えられているが、それだけなら情報網の充実などによっての
解消も可能なところ(情報伝達の遅れなども)。ネットによる情報網が確立されている
現代にはさほど重大でもない教えかと思いきや、そうともいかない理由があるのである。
そのようなヒス衝動を原動力とした多数派工作などが、
文弱の範疇の派閥争いでは相当な勝率を稼ぐ一方で、
武闘が絡み始めるとまったくそうではなくなるからである。
その典型的な実例が、戦前の日本軍の体たらくで、
上層部に行けば行くほど、庄屋や豪商のような文弱の血筋の出身者たちが、
ヒスをも原動力としたような派閥争いを繰り広げていたのが、
それと共に戦略構築などは完全に形骸化して行き、
古来の孫子の兵法などにおいても禁忌とされているような
下手ばかりを打ちまくっての敗亡に追い込まれることとなったのである。
ヒスの源が、過度の死への恐怖だからこそ、自らの直接的な生死が絡む領域においては、
より判断を見誤る原因ともなり、しかもそれが派閥集団規模での陥りであるがための、
同調圧力による修正の不能さまでをも帯びての、ネズミの集団自殺の如き狂態に至るのである。
その険難を排するために、孫子も文弱の側近が多く侍っているような王君からの命を、
現場の将軍らが必ずしも聞き入れるべきではないとすら断言したのだった。
「将在外,君命有所不受」主には王君が現場の事情をよく知らないことを見越した
発言だという風に考えられているが、それだけなら情報網の充実などによっての
解消も可能なところ(情報伝達の遅れなども)。ネットによる情報網が確立されている
現代にはさほど重大でもない教えかと思いきや、そうともいかない理由があるのである。
文民統治でも軍人差別でも軍部腐敗でも、
なんらかの理由で文弱が好き勝手できる隙が生じた時に、
そこでスレタイのような不毛な争いが蔓延し始めることとなる。
「武を教わらず」と自称していた孔子を教祖として崇め立てる
儒教を国教化した時代の中国や朝魚羊なども、まさにその部類で、
その頃に最上の儒者として名をはせた朱子などにもヒスの気(癇癖)があったという記録がある。
朱子は官僚としての派閥争いには敗れた上での、学者としての大成で歴史に名を遺す人物だが、
それでも多少はヒスがあったというぐらいだから、当時の官僚界がいかに
文弱特有のヒステリーに覆い尽くされていたのかまでもが知れるものである。
当時の中国の権力者たちのヒス加減は、凌遅刑のごとき残虐刑の乱発などからも知れる。
どうせ死ぬ相手をそんなに苦しめたところでただの悪趣味にしかなるまいに、
鋭利な刀での瞬間的な断首のごとき合理性も損ねてのサディズムに酔い痴れていたのは、
当時の公職者たちこそが極度のヒス状態に陥っていたからにも違いないのである。
中国史上で最も陰惨な、文弱による派閥争いを元凶とした破滅といえばやはり、
南宋の名将岳飛の、宰相秦檜による失脚からの、中国全土への異民族支配の始まりだろうが。
これがやはり、文弱のヒスなどが蔓延する世の中が総体としては貧弱化してしまう証拠ーー
それこそ世界史上最大級の証拠にまでなっているといえるし、中国人の大半は、
未だにその頃の病理から完全にまでは脱却できないままでいるのである。
なんらかの理由で文弱が好き勝手できる隙が生じた時に、
そこでスレタイのような不毛な争いが蔓延し始めることとなる。
「武を教わらず」と自称していた孔子を教祖として崇め立てる
儒教を国教化した時代の中国や朝魚羊なども、まさにその部類で、
その頃に最上の儒者として名をはせた朱子などにもヒスの気(癇癖)があったという記録がある。
朱子は官僚としての派閥争いには敗れた上での、学者としての大成で歴史に名を遺す人物だが、
それでも多少はヒスがあったというぐらいだから、当時の官僚界がいかに
文弱特有のヒステリーに覆い尽くされていたのかまでもが知れるものである。
当時の中国の権力者たちのヒス加減は、凌遅刑のごとき残虐刑の乱発などからも知れる。
どうせ死ぬ相手をそんなに苦しめたところでただの悪趣味にしかなるまいに、
鋭利な刀での瞬間的な断首のごとき合理性も損ねてのサディズムに酔い痴れていたのは、
当時の公職者たちこそが極度のヒス状態に陥っていたからにも違いないのである。
中国史上で最も陰惨な、文弱による派閥争いを元凶とした破滅といえばやはり、
南宋の名将岳飛の、宰相秦檜による失脚からの、中国全土への異民族支配の始まりだろうが。
これがやはり、文弱のヒスなどが蔓延する世の中が総体としては貧弱化してしまう証拠ーー
それこそ世界史上最大級の証拠にまでなっているといえるし、中国人の大半は、
未だにその頃の病理から完全にまでは脱却できないままでいるのである。
日本の実写映画の長期低迷状態なども、
ジャニタレの執拗な起用が最大級の原因に違いないと、
多くの人間に認められるようになってからすでに久しいが。
俳優としての才能なんかがなくたって、お尻の具合でジャニーさんに好かれれば、
それだけで実力者なども押しのけて邦画の第一線にのさばり続けられるとあらば、
ごく自然なこととして、無能ほどそれを志し、有能はまた別の分野に活路を求める、
「内小人にして外君子(易経・天地否)」の潮流が定着することとなる。
それが、国産の漫画アニメがどんなに世界的な人気を博そうとも、
実写映画だけは、原作が漫画アニメだろうとも絶対に世界的な評価を得られない
という所にまで、業界規模での圧倒的な雌雄を確立することとなったのである。
戦後の日本社会では、全体的にヒスとコミュ力頼みな派閥が優勢であり続けて来たが、
たまたま実写映画と漫画アニメが、そうであるか実力主義かという点で極端な温度差を
帯びてきたために、ヒスとコミュ力頼みによる派閥的勝利などというものがいかに、
無能ののさばりからの業界規模での弱体化を助長してしまうのかの好例となったわけである。
ジャニタレの執拗な起用が最大級の原因に違いないと、
多くの人間に認められるようになってからすでに久しいが。
俳優としての才能なんかがなくたって、お尻の具合でジャニーさんに好かれれば、
それだけで実力者なども押しのけて邦画の第一線にのさばり続けられるとあらば、
ごく自然なこととして、無能ほどそれを志し、有能はまた別の分野に活路を求める、
「内小人にして外君子(易経・天地否)」の潮流が定着することとなる。
それが、国産の漫画アニメがどんなに世界的な人気を博そうとも、
実写映画だけは、原作が漫画アニメだろうとも絶対に世界的な評価を得られない
という所にまで、業界規模での圧倒的な雌雄を確立することとなったのである。
戦後の日本社会では、全体的にヒスとコミュ力頼みな派閥が優勢であり続けて来たが、
たまたま実写映画と漫画アニメが、そうであるか実力主義かという点で極端な温度差を
帯びてきたために、ヒスとコミュ力頼みによる派閥的勝利などというものがいかに、
無能ののさばりからの業界規模での弱体化を助長してしまうのかの好例となったわけである。
人の命を左右するような領域であっても、
あくまで他者の命を左右するだけであれば文弱にも務まるために、
医療界などでも同様な腐敗が広く蔓延しているのである。
無論、人の命を救うことに使命感を抱いているような医者もまたいようとて、
目の前で多くの患者が亡くなって行く現実を目の当たりにし続けても、
そうであり続けられる者などもそうはおらず、むしろ人の死に対して
人並みほどにも感傷を抱けなくなってしまう精神病質のほうが増長し、
大病院などであれば、かえって患者の寿命をより縮めかねないような
弊害を帯びた派閥争いにまで興じるようになる。
そしてそのような連中のほうが、ヒスとコミュ力の相乗によって
大派閥を形成し、志しある名医などをも冷遇、失脚に追い込んでの強権を得る。
銭ゲバ目的という面もあるにはあるが、総じて高給職である医者などの場合には、
自分個人の稼ぎよりも、病院全体を金満で繁栄させることのほうに、
より一層の気概を抱くようなこともあるだろうし、病気や怪我のような
人の不幸で組織を肥え太らせることに紛い物の仁義を抱いたりするのは、
前スレで論じたオナニーメンタルの固陋化などが一役を買っている側面もある。
つまり、ヒスとコミュ力で派閥争いに勝とうなどという志向性自体が、
オナメン級の不真面目さと共に増強されるという面もあるわけである。
あくまで他者の命を左右するだけであれば文弱にも務まるために、
医療界などでも同様な腐敗が広く蔓延しているのである。
無論、人の命を救うことに使命感を抱いているような医者もまたいようとて、
目の前で多くの患者が亡くなって行く現実を目の当たりにし続けても、
そうであり続けられる者などもそうはおらず、むしろ人の死に対して
人並みほどにも感傷を抱けなくなってしまう精神病質のほうが増長し、
大病院などであれば、かえって患者の寿命をより縮めかねないような
弊害を帯びた派閥争いにまで興じるようになる。
そしてそのような連中のほうが、ヒスとコミュ力の相乗によって
大派閥を形成し、志しある名医などをも冷遇、失脚に追い込んでの強権を得る。
銭ゲバ目的という面もあるにはあるが、総じて高給職である医者などの場合には、
自分個人の稼ぎよりも、病院全体を金満で繁栄させることのほうに、
より一層の気概を抱くようなこともあるだろうし、病気や怪我のような
人の不幸で組織を肥え太らせることに紛い物の仁義を抱いたりするのは、
前スレで論じたオナニーメンタルの固陋化などが一役を買っている側面もある。
つまり、ヒスとコミュ力で派閥争いに勝とうなどという志向性自体が、
オナメン級の不真面目さと共に増強されるという面もあるわけである。
戦後、日本社会が軍備を解かれて、憲法9条の鎖によって、
武闘的、武断的であること全体を禁忌とするようになったために、
それでも人の命を直接的に左右する立場にあり続けている医療界が、
国内で最高峰の権威となった経緯もあって、医者が古来の聖職扱いのみならず、
天皇をも上回るような現人神としての扱いまでをも受けるようになったのが、
これまたヒスによってまで自分たちの強勢化を図る気概になって来た所もあるだろう。
本当は、なってしまった怪我や病気を治療することよりも、
まず病気や怪我にならないことのほうをより優先すべきなのだが、
それは「無事是貴人」を重んじられるだけの精神的な成熟と共にのみ
成し得ることであるために、愚民化をも同時に強いられて来た戦後の日本人からは、
近代医療ほどの権威性や羨望性を認められることがないままであり続けている。
人々の不注意からの疾患自体はむしろより野放しにするような体でいながら、
それをマッチポンプ的に救い上げる医者こそが神様も同然の扱いを受けているのは、
それ自体が非常にふざけた状態であるために、人々のオナメン化もまた非常に捗り、
それがヒスによって派閥争いに興じるような不毛さを助長する一因ともなっている。
そもそもが、医療界の隆盛という事象自体がふざけているのだから、
そこで真面目ぶって仁術を志そうなどとする側が劣勢に追い込まれるのも当たり前。
ヒスへの同調で仲間を募るぐらいが一番の王道となるのも、自然なことなのである。
武闘的、武断的であること全体を禁忌とするようになったために、
それでも人の命を直接的に左右する立場にあり続けている医療界が、
国内で最高峰の権威となった経緯もあって、医者が古来の聖職扱いのみならず、
天皇をも上回るような現人神としての扱いまでをも受けるようになったのが、
これまたヒスによってまで自分たちの強勢化を図る気概になって来た所もあるだろう。
本当は、なってしまった怪我や病気を治療することよりも、
まず病気や怪我にならないことのほうをより優先すべきなのだが、
それは「無事是貴人」を重んじられるだけの精神的な成熟と共にのみ
成し得ることであるために、愚民化をも同時に強いられて来た戦後の日本人からは、
近代医療ほどの権威性や羨望性を認められることがないままであり続けている。
人々の不注意からの疾患自体はむしろより野放しにするような体でいながら、
それをマッチポンプ的に救い上げる医者こそが神様も同然の扱いを受けているのは、
それ自体が非常にふざけた状態であるために、人々のオナメン化もまた非常に捗り、
それがヒスによって派閥争いに興じるような不毛さを助長する一因ともなっている。
そもそもが、医療界の隆盛という事象自体がふざけているのだから、
そこで真面目ぶって仁術を志そうなどとする側が劣勢に追い込まれるのも当たり前。
ヒスへの同調で仲間を募るぐらいが一番の王道となるのも、自然なことなのである。
どうして悪人というのはシラを切りどこまでも嘘をつくのでしょうかねー
↓
ボンは他者の気持ちを考えられない
ボンは目立ちたがりで頑固で意地っ張り
物事を損得でしか考えないから自己中心的、わがまま
そしてプライドが高く、そのくせ寂しがり屋で甘ったれ、もう最低でキモいでしょw🤣女々しいでしょw🤣
↓
ボンは他者の気持ちを考えられない
ボンは目立ちたがりで頑固で意地っ張り
物事を損得でしか考えないから自己中心的、わがまま
そしてプライドが高く、そのくせ寂しがり屋で甘ったれ、もう最低でキモいでしょw🤣女々しいでしょw🤣
どうしてMボンという悪人はシラを切りどこまでも嘘をつくのでしょうかねー
↓
笠ボンは他者の気持ちを考えられない
笠ボンは目立ちたがりで頑固で意地っ張り
物事を損得でしか考えないから自己中心的、わがまま
そしてプライドが高く、そのくせ寂しがり屋で甘ったれ、もう最低でキモいでしょw🤣女々しいでしょw🤣
大事なことだからもう一度言いました😂
↓
笠ボンは他者の気持ちを考えられない
笠ボンは目立ちたがりで頑固で意地っ張り
物事を損得でしか考えないから自己中心的、わがまま
そしてプライドが高く、そのくせ寂しがり屋で甘ったれ、もう最低でキモいでしょw🤣女々しいでしょw🤣
大事なことだからもう一度言いました😂
(>>21の続き)
文治、文民を偏重する社会が文弱のヒスによる強勢化からの腐敗を招きやすい
というのは事実だが、かといって武闘偏重では軍国化のような殺伐さにも陥りかねない。
「入りては則ち法家払士なく、出でては則ち敵国外患なきものは国恒に亡ぶ。
然る後に憂患に生じ安楽に死するを知るなり」(孟子・告子下)
文治を重んじながらも敵国外患からの防衛に気を配り、
あるいは軍政状態にありながらも法家払士の権限を重んじるのであれば、
それが自然と文武の均衡を取ることによる治世の盤石化に繋がるし、
そこではヒスによる多数派工作で甘い汁を吸おうとする連中もまた自然と排除される。
その手の連中がヒスとなるのは、死への多大なる恐怖に駆られているからである一方、
上の孟子の言葉のような取り組みのためには、死を安楽への帰還と見なせるほど、
注意の限りを尽くした生涯を送るのでなければならないために、自然と人事が排他性を帯びて、
生に現を抜かし死を恐れるような輩が虚栄をむさぼる余地も絶たれるのである。
文治、文民を偏重する社会が文弱のヒスによる強勢化からの腐敗を招きやすい
というのは事実だが、かといって武闘偏重では軍国化のような殺伐さにも陥りかねない。
「入りては則ち法家払士なく、出でては則ち敵国外患なきものは国恒に亡ぶ。
然る後に憂患に生じ安楽に死するを知るなり」(孟子・告子下)
文治を重んじながらも敵国外患からの防衛に気を配り、
あるいは軍政状態にありながらも法家払士の権限を重んじるのであれば、
それが自然と文武の均衡を取ることによる治世の盤石化に繋がるし、
そこではヒスによる多数派工作で甘い汁を吸おうとする連中もまた自然と排除される。
その手の連中がヒスとなるのは、死への多大なる恐怖に駆られているからである一方、
上の孟子の言葉のような取り組みのためには、死を安楽への帰還と見なせるほど、
注意の限りを尽くした生涯を送るのでなければならないために、自然と人事が排他性を帯びて、
生に現を抜かし死を恐れるような輩が虚栄をむさぼる余地も絶たれるのである。
地元密着系の血筋上の由緒があるぐらいには、
俺との共通点も実際あるみたいだがな。
戦後も土地転がしでいい思いをして来た側の
血筋か否かぐらいの違いはあるみたいでな。
寄生地主制の廃止でほぼ平民側に追い込まれた、
本物の元士族(特に上等)の事情を知らないあたりが、
やっぱり決定的に違う所もあるんだろうな、と。
明治以降は自然と平民に溶け込んで行った、
元下士の実情などもほとんど知らんようだしな。
俺との共通点も実際あるみたいだがな。
戦後も土地転がしでいい思いをして来た側の
血筋か否かぐらいの違いはあるみたいでな。
寄生地主制の廃止でほぼ平民側に追い込まれた、
本物の元士族(特に上等)の事情を知らないあたりが、
やっぱり決定的に違う所もあるんだろうな、と。
明治以降は自然と平民に溶け込んで行った、
元下士の実情などもほとんど知らんようだしな。
「入りては則ち法家払士なく、出でては則ち敵国外患なきものは国恒に亡ぶ。
然る後に憂患に生じ安楽に死するを知るなり」(孟子・告子下)
「孟子の言説に易への論及は皆無だが、それでもその言動規範が易に厳密に合致している」
とは朱子の言であるが(朱子は長らく評価が低かった孟子を推薦した第一人者でもある)、
たとえば上の文句と、画像の易経・地山謙の文言などがまさにその合致例だといえる。
内憂外患への注意に心を労するのも、謙譲を尽くして人を立てるのも、
何か自分自身への果報までもがあることを企図して心がけるものであるが、
易の記述も孟子の論説も、安楽な死、命の終わりこそをその果報と認定しているのである。
存命中における、なんらかの富貴栄達などが目的ではなく、
生涯を苦労し抜いたがために、生よりも安楽な死に与れることこそが果報であると。
その域にある人間が、死への恐怖に駆られてヒスを患うようなこともあるわけがないし、
存命中の栄華ばかりを欲するが故にそうなってしまうような連中とは、
あらゆる思考や言動が食い違い、傍らを共にすることもままならないであろう。
ゆえに、権力中枢が「内君子にして外小人(地天泰)」であることと、
「外小人にして内君子(天地否)」であることは、易の法則のように相容れることがなく、
ヒスの派閥的勝利なぞが許される状態と、そうでない状態もまた排他的たるわけである。
然る後に憂患に生じ安楽に死するを知るなり」(孟子・告子下)
「孟子の言説に易への論及は皆無だが、それでもその言動規範が易に厳密に合致している」
とは朱子の言であるが(朱子は長らく評価が低かった孟子を推薦した第一人者でもある)、
たとえば上の文句と、画像の易経・地山謙の文言などがまさにその合致例だといえる。
内憂外患への注意に心を労するのも、謙譲を尽くして人を立てるのも、
何か自分自身への果報までもがあることを企図して心がけるものであるが、
易の記述も孟子の論説も、安楽な死、命の終わりこそをその果報と認定しているのである。
存命中における、なんらかの富貴栄達などが目的ではなく、
生涯を苦労し抜いたがために、生よりも安楽な死に与れることこそが果報であると。
その域にある人間が、死への恐怖に駆られてヒスを患うようなこともあるわけがないし、
存命中の栄華ばかりを欲するが故にそうなってしまうような連中とは、
あらゆる思考や言動が食い違い、傍らを共にすることもままならないであろう。
ゆえに、権力中枢が「内君子にして外小人(地天泰)」であることと、
「外小人にして内君子(天地否)」であることは、易の法則のように相容れることがなく、
ヒスの派閥的勝利なぞが許される状態と、そうでない状態もまた排他的たるわけである。
畢竟、俺とおまえらがどうあっても心が通じ合わず、
それなりに会話も出来てるのに、言葉すら通じてないようにまで
思われたりする根本原因もまた、そこにあるのである。
おまえらは「人間いつかは死ぬんだから、人生楽しんだもん勝ち」を信条とし、
俺は「人間いつかは死ぬんだから、安楽な死を迎えられたもん勝ち」を信条としている。
一見似ているように思われるが、実はこれで全く真逆の思考規範や言動規範となる。
おまえらはそのような信条でいるからこそ、できる限り早くからの、
末永き個人としての幸福や成功ばかりを欲し、そのためには他者を踏み台にしたり、
世間様に迷惑をかけたりすることも厭わない。そのせいで内心では罪悪感を募らせ、
殊更に生の栄華ばかりを追い求めたがための、死への恐怖をも募らせて行く。
そういう人間は総じて見栄っ張りだから、表向きにはそうであることを隠そうとするが、
内実そうであることには変わりないせいでのヒスを募らせ、死に近づくほどその程度もひどくなる。
それなりに会話も出来てるのに、言葉すら通じてないようにまで
思われたりする根本原因もまた、そこにあるのである。
おまえらは「人間いつかは死ぬんだから、人生楽しんだもん勝ち」を信条とし、
俺は「人間いつかは死ぬんだから、安楽な死を迎えられたもん勝ち」を信条としている。
一見似ているように思われるが、実はこれで全く真逆の思考規範や言動規範となる。
おまえらはそのような信条でいるからこそ、できる限り早くからの、
末永き個人としての幸福や成功ばかりを欲し、そのためには他者を踏み台にしたり、
世間様に迷惑をかけたりすることも厭わない。そのせいで内心では罪悪感を募らせ、
殊更に生の栄華ばかりを追い求めたがための、死への恐怖をも募らせて行く。
そういう人間は総じて見栄っ張りだから、表向きにはそうであることを隠そうとするが、
内実そうであることには変わりないせいでのヒスを募らせ、死に近づくほどその程度もひどくなる。
俺は逆に、自分自身がそのような事態に陥らないような生き方こそを心がけているから、
そういう連中と話をしてみた所で何もかもが食い違い、何も通じ合わないようなことにもなる。
ただ死の直前に死への恐怖、無明の闇に苦しめられたりすることだけを忌んでいるのではない。
常日頃から、生涯全体が死こそを安楽への帰還=寂滅為楽となるのを心がけ続けることで、
人生が総じて無明の闇から遠ざかり、結果的に個人的栄華ばかりを貪る場合以上に、
苦悩以上の安楽、幸福の総量がより上回るように企図しているのである。
上記の事例に照らし合わせてみれば、他者を踏み台にしたり、世間に迷惑をかけたりする
ことによる個人的な栄華などは生涯を通じて避け抜いたうえで、この世の最底辺付近の人々とも、
共に楽しめるようなことに限って楽しむし、それがないようなら楽しみなどなくてもいい。
人生、むしろ苦労や不遇の連続であればこそ、死を安楽と見なせて、故にその生涯もまた
死への恐怖に苦しめられ抜くような惨めなものでなくて済むというのに、そこから外れた道を好んで
歩んだりするのは、副作用による苦痛のほうがはるかに多い麻薬の中毒者とも変わりがないのである。
そういう連中と話をしてみた所で何もかもが食い違い、何も通じ合わないようなことにもなる。
ただ死の直前に死への恐怖、無明の闇に苦しめられたりすることだけを忌んでいるのではない。
常日頃から、生涯全体が死こそを安楽への帰還=寂滅為楽となるのを心がけ続けることで、
人生が総じて無明の闇から遠ざかり、結果的に個人的栄華ばかりを貪る場合以上に、
苦悩以上の安楽、幸福の総量がより上回るように企図しているのである。
上記の事例に照らし合わせてみれば、他者を踏み台にしたり、世間に迷惑をかけたりする
ことによる個人的な栄華などは生涯を通じて避け抜いたうえで、この世の最底辺付近の人々とも、
共に楽しめるようなことに限って楽しむし、それがないようなら楽しみなどなくてもいい。
人生、むしろ苦労や不遇の連続であればこそ、死を安楽と見なせて、故にその生涯もまた
死への恐怖に苦しめられ抜くような惨めなものでなくて済むというのに、そこから外れた道を好んで
歩んだりするのは、副作用による苦痛のほうがはるかに多い麻薬の中毒者とも変わりがないのである。
感情移入しながら読める言葉はどんなに難しくとも理解できるし、
それが無理な言葉は単純明快なはずであろうとも理解できない。
根本的な思想信条が、
「人間いつかは死ぬんだから、人生楽しんだもん勝ち」であるようなら、
「人間いつかは死ぬんだから、安楽な死を迎えられたもん勝ち」である
相手の言葉などは何も理解ができず、言葉が通じないようにまで感じてしまう。
全ての言葉を、際限なく人生を楽しみ尽くすために用いたいのに、
それを阻害するための言葉ばかりを発するのだから、理解しようのある所がない。
「人生楽しんだもん勝ち」な信条の持ち主のほうが、
「安楽な死を迎えられたもん勝ち」である者よりも、
欲に溺れるほど心が弱い分だけ、後者の言うことがより理解できない一方、
後者は相手の心情を考慮さえすれば、言うことも理解できるという非可換性はあるが。
片方が一方の言うことを理解できないのには変わりないために、
少し言葉を覚えた幼児と大人のように、話が通じないままであり続けるのである。
それが無理な言葉は単純明快なはずであろうとも理解できない。
根本的な思想信条が、
「人間いつかは死ぬんだから、人生楽しんだもん勝ち」であるようなら、
「人間いつかは死ぬんだから、安楽な死を迎えられたもん勝ち」である
相手の言葉などは何も理解ができず、言葉が通じないようにまで感じてしまう。
全ての言葉を、際限なく人生を楽しみ尽くすために用いたいのに、
それを阻害するための言葉ばかりを発するのだから、理解しようのある所がない。
「人生楽しんだもん勝ち」な信条の持ち主のほうが、
「安楽な死を迎えられたもん勝ち」である者よりも、
欲に溺れるほど心が弱い分だけ、後者の言うことがより理解できない一方、
後者は相手の心情を考慮さえすれば、言うことも理解できるという非可換性はあるが。
片方が一方の言うことを理解できないのには変わりないために、
少し言葉を覚えた幼児と大人のように、話が通じないままであり続けるのである。
もちろん、キリスト教やその他のカルト信仰で、
死後の復活だ永遠の命だを信じ込んだ上でのことでもない。
人は皆いつかは必ず死ぬ上に、死ねば二度と生き返ることもないという
厳格な物理法則をわきまえてなお、死こそは安楽の時であるように。
死ぬのが怖くなるほど過度の享楽に酔い痴れたりすることは避けて、
むしろ死の瞬間に重荷を降ろすような主に至れるほどにも、
労苦を本位とした生き方に徹して行くのである。
とはいえ決して、一切楽しみなどない人生に徹しようというのでもない。
森羅万象、山川草木花鳥風月とも分け隔てのない、万物斉同の楽しみを
抱けるようなことがあれば、それは死後土に還った時にも、その一員として
与れるような楽しみに違いないので、その楽しみぐらいは拒むこともないのである。
人の内でいえば、死んだほうがマシと自他共に認めるほどにも、
人生を苦しみ抜いているような困窮者などと共にこそ、楽しみを得るなど。
それはそのような相手のためというよりも、自分自身のための心がけとなるのである。
死後の復活だ永遠の命だを信じ込んだ上でのことでもない。
人は皆いつかは必ず死ぬ上に、死ねば二度と生き返ることもないという
厳格な物理法則をわきまえてなお、死こそは安楽の時であるように。
死ぬのが怖くなるほど過度の享楽に酔い痴れたりすることは避けて、
むしろ死の瞬間に重荷を降ろすような主に至れるほどにも、
労苦を本位とした生き方に徹して行くのである。
とはいえ決して、一切楽しみなどない人生に徹しようというのでもない。
森羅万象、山川草木花鳥風月とも分け隔てのない、万物斉同の楽しみを
抱けるようなことがあれば、それは死後土に還った時にも、その一員として
与れるような楽しみに違いないので、その楽しみぐらいは拒むこともないのである。
人の内でいえば、死んだほうがマシと自他共に認めるほどにも、
人生を苦しみ抜いているような困窮者などと共にこそ、楽しみを得るなど。
それはそのような相手のためというよりも、自分自身のための心がけとなるのである。
https://twitter.com/kyodonewsosaka/status/17023490...
俺は別に阪神ファンではないし、
関西人かどうかも身元特定を避けるために明言しないが。
そもそも道頓堀飛び込みは犯罪行為なわけでもないんだし、
たとえ死傷者が出ようとも自己責任なわけだし、
いうほど目くじらを立てるべきことでもないわなあ。
住友屋のような豪商もとうの昔から東京に本拠地を移し、
戦後はさらに東京一極集中が進んで劣勢に追い込まれた、
今の関西民などはまさに弱者の濃縮還元状態なわけで。
(それが阪神の弱さへの感情移入源にもなって来たのである)
そこに嫌悪感を抱いたりすることもなく、もしも自分が社会的な栄華に
与るというのであれば、このような人々とも共にと志せる者こそは、
死への恐怖とも関わりのない純然たる福徳に与れるのかもしれない。言い過ぎか。🤗
俺は別に阪神ファンではないし、
関西人かどうかも身元特定を避けるために明言しないが。
そもそも道頓堀飛び込みは犯罪行為なわけでもないんだし、
たとえ死傷者が出ようとも自己責任なわけだし、
いうほど目くじらを立てるべきことでもないわなあ。
住友屋のような豪商もとうの昔から東京に本拠地を移し、
戦後はさらに東京一極集中が進んで劣勢に追い込まれた、
今の関西民などはまさに弱者の濃縮還元状態なわけで。
(それが阪神の弱さへの感情移入源にもなって来たのである)
そこに嫌悪感を抱いたりすることもなく、もしも自分が社会的な栄華に
与るというのであれば、このような人々とも共にと志せる者こそは、
死への恐怖とも関わりのない純然たる福徳に与れるのかもしれない。言い過ぎか。🤗
特に東日本民などは、関西といえば在日の巣窟というレッテル貼りを
昔から植え付けられての嫌悪感を抱かされて来た場合も多かろうが。
実際、東日本よりは在日の人数が多いし、すでに日本国籍であろうとも、
朝魚羊部落の出身者だったりするようなガラの悪い人間が多いのも確か。
ただ、決して全員がそうなわけではないし、そんなのは関西と雖も少数派だし、
全てをそこに還元しての反感を抱いたりするのは偏見に基づくものである。
ただ、純血の日本人な関西人に限っても、上記の通り富裕層は早くの内から
東京などに移住しているせいでの、下層民の率が高いのも確かである。
そのために、日本人と雖も下層民なら見下すような連中からすれば、
やはり好意を抱きづらい相手ばかりなのも確かである。
メディアの吉本芸人重用なども、連中の芸風に下劣なものが多いせいもあって、
決して関西人のイメージ向上に貢献して来たなどとは言い難いもの。
ただ、そのような「日本の底辺民」としての関西人のあり方をも、
一概な嫌悪の対象ではなく、一応は同じ国の人間としての尊厳ぐらいは認められる
日本人であればこそ、上に書いたような苦悩を孕まない福徳に与れるだろうし、
日本人同士を分断していがみ合わせたいような外患勢力への牽制ともなるであろう。
昔から植え付けられての嫌悪感を抱かされて来た場合も多かろうが。
実際、東日本よりは在日の人数が多いし、すでに日本国籍であろうとも、
朝魚羊部落の出身者だったりするようなガラの悪い人間が多いのも確か。
ただ、決して全員がそうなわけではないし、そんなのは関西と雖も少数派だし、
全てをそこに還元しての反感を抱いたりするのは偏見に基づくものである。
ただ、純血の日本人な関西人に限っても、上記の通り富裕層は早くの内から
東京などに移住しているせいでの、下層民の率が高いのも確かである。
そのために、日本人と雖も下層民なら見下すような連中からすれば、
やはり好意を抱きづらい相手ばかりなのも確かである。
メディアの吉本芸人重用なども、連中の芸風に下劣なものが多いせいもあって、
決して関西人のイメージ向上に貢献して来たなどとは言い難いもの。
ただ、そのような「日本の底辺民」としての関西人のあり方をも、
一概な嫌悪の対象ではなく、一応は同じ国の人間としての尊厳ぐらいは認められる
日本人であればこそ、上に書いたような苦悩を孕まない福徳に与れるだろうし、
日本人同士を分断していがみ合わせたいような外患勢力への牽制ともなるであろう。
底辺民の多い関西人を、だからといって忌み嫌ったりしないことが、
万人との福徳の共有による、死への恐怖の抑制手段になると共に、
外患勢力による日本人への分断工作をも退けるがごとく、
極力、安楽な死を迎えられるような生き方に勤めることこそは、
戦略的に強靭な、手堅い生き方ともなるのである。
太古の昔から、武士武将こそが好んで仏門に傾倒して来たのも、
安楽な死を本位とするその求道姿勢が、死への恐れなどに
囚われているようでは職務もままならない自分たちにとっても
非常に好都合なものであるために、積極的に享受してきたのである。
「安楽な死」というのは、別に「畳の上で」みたいな環境を意味するのではない。
法華経などには、菩薩がたとえ身を焼こうとも安楽なままであったとあるように、
むしろ死に方は焼死や戦死のように最大級に凄惨なのだろうとも、それを苦しまず、
死の瞬間まで正常で精緻な判断が尽くせるとされるが故に、好まれていたのである。
万人との福徳の共有による、死への恐怖の抑制手段になると共に、
外患勢力による日本人への分断工作をも退けるがごとく、
極力、安楽な死を迎えられるような生き方に勤めることこそは、
戦略的に強靭な、手堅い生き方ともなるのである。
太古の昔から、武士武将こそが好んで仏門に傾倒して来たのも、
安楽な死を本位とするその求道姿勢が、死への恐れなどに
囚われているようでは職務もままならない自分たちにとっても
非常に好都合なものであるために、積極的に享受してきたのである。
「安楽な死」というのは、別に「畳の上で」みたいな環境を意味するのではない。
法華経などには、菩薩がたとえ身を焼こうとも安楽なままであったとあるように、
むしろ死に方は焼死や戦死のように最大級に凄惨なのだろうとも、それを苦しまず、
死の瞬間まで正常で精緻な判断が尽くせるとされるが故に、好まれていたのである。
生死を左右するような事態においても、死への恐怖をヒスや心神喪失に頼ることなく
十全に抑制しての、冷静な判断を凝らして行くことも本来、日本人には可能なのであり、
ただその選択肢を明治以降は剥奪されたせいで不可能になってしまっているのである。
安楽な死への体系的な希求の元手となる仏道への傾倒が半ば禁止された上に、
それをより阻害する享楽志向が資本主義などによって助長されて、仏道も資本主義も
どちらも享受が不全なままでいる中国人などよりも、死を極度に恐れるようになったもの。
むしろ、その道を知った上で、それを禁じられ、そこへの反目を強いられているからこそ、
特別な歴史的素養もないような外国人など以上に、過度の臆病を植え付けられている。
洗脳支配がその一因にも数えられるが、今は自発的にも好き好まれている精神的退廃である。
十全に抑制しての、冷静な判断を凝らして行くことも本来、日本人には可能なのであり、
ただその選択肢を明治以降は剥奪されたせいで不可能になってしまっているのである。
安楽な死への体系的な希求の元手となる仏道への傾倒が半ば禁止された上に、
それをより阻害する享楽志向が資本主義などによって助長されて、仏道も資本主義も
どちらも享受が不全なままでいる中国人などよりも、死を極度に恐れるようになったもの。
むしろ、その道を知った上で、それを禁じられ、そこへの反目を強いられているからこそ、
特別な歴史的素養もないような外国人など以上に、過度の臆病を植え付けられている。
洗脳支配がその一因にも数えられるが、今は自発的にも好き好まれている精神的退廃である。
今の日本でいえば、阪神の活躍にご執心でいる関西の底辺民などのほかに、
病気で働けないでいるせいでの高齢無職ニートでいるような者もまた、
執拗なバッシングの対象になるのが、ここでの否定派への扱いなどからも知れる。
自分自身も別に社会的強者なわけでもないのに、より弱い立場にあるような者を
見下して馬鹿にして蹴落として悦に入る、そこにも一種のヒスによる派閥争いがあり、
この世に勝ち組と負け組を規定しての、差別構造の深刻化こそを結果的には求めている。
今の日本などはそれが表社会にまで深く根を張っている大前提の常識なものだから、
あまりにも職歴や学歴が低い者はただそれだけでも排除の対象となり、まともな仕事に
あり付こうにもあり付けないなどという人間が多くを占め始めてしまったがための、
少子高齢化や消費縮小からの景気低迷までをも招いてしまっている状態にある。
弱い者がさらに弱い者を叩いて悦に入る、ヒスのストレス解消こそが一大目的の
派閥争いなどを全国規模で許容しているような国は、自然と凋落の一途を辿る。
ゆえに、戦略的な発想によってはあえてそれを避けて行くのでなければならない。
病気で働けないでいるせいでの高齢無職ニートでいるような者もまた、
執拗なバッシングの対象になるのが、ここでの否定派への扱いなどからも知れる。
自分自身も別に社会的強者なわけでもないのに、より弱い立場にあるような者を
見下して馬鹿にして蹴落として悦に入る、そこにも一種のヒスによる派閥争いがあり、
この世に勝ち組と負け組を規定しての、差別構造の深刻化こそを結果的には求めている。
今の日本などはそれが表社会にまで深く根を張っている大前提の常識なものだから、
あまりにも職歴や学歴が低い者はただそれだけでも排除の対象となり、まともな仕事に
あり付こうにもあり付けないなどという人間が多くを占め始めてしまったがための、
少子高齢化や消費縮小からの景気低迷までをも招いてしまっている状態にある。
弱い者がさらに弱い者を叩いて悦に入る、ヒスのストレス解消こそが一大目的の
派閥争いなどを全国規模で許容しているような国は、自然と凋落の一途を辿る。
ゆえに、戦略的な発想によってはあえてそれを避けて行くのでなければならない。
無職ニートや阪神ファンが見下されているというのは、
あくまでここや5chやXのような匿名ネットなども含めた話であって、
表向き社会でもそのような悪意を剝き出しにするのは、
さすがに人権無視にも程があるという理由で控えられている処もある。
ただ、自分たちの本音が表向きではそう通ることもなく、
不登校児やナマポ受給の擁護もむしろ活況を呈していることに
憤りを抱いているからこその、ここなどでの怨念の曝け出しでもあるのに違いない。
では、仮にそんな奴らの意見が完全に通ればどうなるのかといえば、
北斗の拳やマッドマックスの世紀末社会なみにあからさまな弱肉強食が
この世を支配することになるわけで、そこで弱者を見下して悦に入るような
心の弱さを帯びたヒス患者などが、そう強い立場でいられるわけでもない。
現状、匿名ネットのような日陰の場でしか晒せない望みな上に、
その望みが実現されたところで、自分たちにとっての自滅行為になるという、
非常に脆弱で儚い存在でしかないのが、差別主義者なヒスたちの発言でもある。
特別な保護がなければ、これほどにも弱い存在だという体現にもなっているわけである。
あくまでここや5chやXのような匿名ネットなども含めた話であって、
表向き社会でもそのような悪意を剝き出しにするのは、
さすがに人権無視にも程があるという理由で控えられている処もある。
ただ、自分たちの本音が表向きではそう通ることもなく、
不登校児やナマポ受給の擁護もむしろ活況を呈していることに
憤りを抱いているからこその、ここなどでの怨念の曝け出しでもあるのに違いない。
では、仮にそんな奴らの意見が完全に通ればどうなるのかといえば、
北斗の拳やマッドマックスの世紀末社会なみにあからさまな弱肉強食が
この世を支配することになるわけで、そこで弱者を見下して悦に入るような
心の弱さを帯びたヒス患者などが、そう強い立場でいられるわけでもない。
現状、匿名ネットのような日陰の場でしか晒せない望みな上に、
その望みが実現されたところで、自分たちにとっての自滅行為になるという、
非常に脆弱で儚い存在でしかないのが、差別主義者なヒスたちの発言でもある。
特別な保護がなければ、これほどにも弱い存在だという体現にもなっているわけである。
笠地蔵の文章を読んだあとに感じるカレー味のウンコを食ったような感覚
糖尿病を患っている人間は、
常人よりも甘い食べ物を好むようになるように、
ヒスを患っている人間もまた、
甘い言葉でなければ気が済まないようになる。
硬くて面白みのない言葉であっても、
それを読み解いて深く検討してみれば、新たな気づきがあって
楽しいなんていうことも、もはやなくなってしまう。
それがまた、同様な傾向の持ち主との馴れ合いで
派閥を形成し、さらにはそうでないような相手までをも、
ヒス傾向へと引きずり込むことでの派閥の拡大までをも目論む。
ジャニー喜多川はノンケ食いだったというが、
元々その気ケがなかったような相手をも淫獄に引きずり込んでの、
闇のハーレムの形成こそが本望であったがごとく、
最大級に攻撃的である場合には、相手が同類であるか
などにも関わりなく、自ら派閥を拡大させて行くことにも特化する。
むしろそうであったほうが、芸能村やカルト教団のような
閉鎖集団として寄生虫、癌細胞的に多数派の一般社会から権益を
吸い上げる我田引水の共闘目的では有利に働くこともあるし、
自分こそが派閥の圧倒的長オサとして振舞えるような利点も生ずる。
常人よりも甘い食べ物を好むようになるように、
ヒスを患っている人間もまた、
甘い言葉でなければ気が済まないようになる。
硬くて面白みのない言葉であっても、
それを読み解いて深く検討してみれば、新たな気づきがあって
楽しいなんていうことも、もはやなくなってしまう。
それがまた、同様な傾向の持ち主との馴れ合いで
派閥を形成し、さらにはそうでないような相手までをも、
ヒス傾向へと引きずり込むことでの派閥の拡大までをも目論む。
ジャニー喜多川はノンケ食いだったというが、
元々その気ケがなかったような相手をも淫獄に引きずり込んでの、
闇のハーレムの形成こそが本望であったがごとく、
最大級に攻撃的である場合には、相手が同類であるか
などにも関わりなく、自ら派閥を拡大させて行くことにも特化する。
むしろそうであったほうが、芸能村やカルト教団のような
閉鎖集団として寄生虫、癌細胞的に多数派の一般社会から権益を
吸い上げる我田引水の共闘目的では有利に働くこともあるし、
自分こそが派閥の圧倒的長オサとして振舞えるような利点も生ずる。
言葉そのものを楽しもうなんてしてたら、
東洋古典なんてそのほとんどが読めたものではなくなる。
一応、詩歌やフィクション小説などの、
読者を読んで楽しませることを目的とした文学作品もあるにはあるが、
それは「経史子集」という文筆作品のランク分けの中では最下位に位置する
「集(詩文芸)」に該当する作品で、勉学的価値が最も低いともされている。
経書はより自己本位な修養のため、
史書は他力本願も織り交ぜた修養のため、
子書(諸子百家)は異学や反面教師への見聞なども織り交ぜた修養のため、
ただ読む以上の何かを得るための書であることを本分としているために、
文芸的な装飾なども皆無なものがほとんどで、読んだだけで
面白いなんてことはほぼ期待できないが、それでいながら長年、
洋学の文系にとってはほぼ全てである文芸全般以上のものとされて来た。
別に、無理してそういうものにまで傾倒しろなんてこともない。
文章はせいぜい文芸止まりなものまでしか享受する気も起きませんというのなら、
おまえはそれでよかろうが。そうでない領域もまたいくらでもあり、
最大級の益荒男ほどそこを楽しむという事実もまた、尊重してもらいたいものである。
東洋古典なんてそのほとんどが読めたものではなくなる。
一応、詩歌やフィクション小説などの、
読者を読んで楽しませることを目的とした文学作品もあるにはあるが、
それは「経史子集」という文筆作品のランク分けの中では最下位に位置する
「集(詩文芸)」に該当する作品で、勉学的価値が最も低いともされている。
経書はより自己本位な修養のため、
史書は他力本願も織り交ぜた修養のため、
子書(諸子百家)は異学や反面教師への見聞なども織り交ぜた修養のため、
ただ読む以上の何かを得るための書であることを本分としているために、
文芸的な装飾なども皆無なものがほとんどで、読んだだけで
面白いなんてことはほぼ期待できないが、それでいながら長年、
洋学の文系にとってはほぼ全てである文芸全般以上のものとされて来た。
別に、無理してそういうものにまで傾倒しろなんてこともない。
文章はせいぜい文芸止まりなものまでしか享受する気も起きませんというのなら、
おまえはそれでよかろうが。そうでない領域もまたいくらでもあり、
最大級の益荒男ほどそこを楽しむという事実もまた、尊重してもらいたいものである。
言葉そのものへの陶酔に酔い痴れたりすることなく、
あくまで実践本位であった上で、その助けとなる言葉を楽しむのは、
それこそ、文弱には決して務まらないことである。
武士や仏僧が、その本分の入念な実践こそを本位とする場合はもちろんのこと、
儒学の実践者たる文民などがそれを可能とする場合にもまた、もはや文弱ではない。
昔から、儒学の実践などは、人として最低限勤めておいて当たり前な嗜みと
されて来たことから、そこにさしたる特別さも認められてこなかったものだが、
それでもそこには、経書の文言そのものに酔い痴れてそれで終わりとするような、
西洋では聖書などを材料にさんざん繰り返されて来た怠慢が許されていたわけではない。
あくまで実践本位であった上で、その助けとなる言葉を楽しむのは、
それこそ、文弱には決して務まらないことである。
武士や仏僧が、その本分の入念な実践こそを本位とする場合はもちろんのこと、
儒学の実践者たる文民などがそれを可能とする場合にもまた、もはや文弱ではない。
昔から、儒学の実践などは、人として最低限勤めておいて当たり前な嗜みと
されて来たことから、そこにさしたる特別さも認められてこなかったものだが、
それでもそこには、経書の文言そのものに酔い痴れてそれで終わりとするような、
西洋では聖書などを材料にさんざん繰り返されて来た怠慢が許されていたわけではない。
俺は昔、ここの思想哲学板で、四書五経と新旧約聖書の記述がことごとく
その含意から相反していることを徹底的な査読によって分析し抜いていたが。
言葉そのものに酔い痴れるための究極の書物として編纂された聖書とは、
何もかもが相反するような記述であるために、四書五経の言葉に酔い痴れる
なんてのもどだい無理なことで、だからこそ、その記述内容のシラフな理解と共なる、
忠実な実践の成就を以て生涯の楽しみとすることが試みられ続けて来たのである。
「君子の道は闇然として日に明らかに、小人の道は的然として日に亡ぶ」(中庸)
言葉そのものに酔い痴れてそれでよしEs ist gut.とするような怠慢を極力避けての、
言葉の含意の実現まっしぐらな心がけであるが故に、始めはうんこ味のうんこ食も
厭わないほどのストイックさでいながら、最後の最後にカレー味のカレー食に至る。
万人がそのともがらであり得るわけではなくとも、誰よりも安楽な死に与れる、
そのご利益の厚さの故に、誰も望まないではいられない道なのである。
その含意から相反していることを徹底的な査読によって分析し抜いていたが。
言葉そのものに酔い痴れるための究極の書物として編纂された聖書とは、
何もかもが相反するような記述であるために、四書五経の言葉に酔い痴れる
なんてのもどだい無理なことで、だからこそ、その記述内容のシラフな理解と共なる、
忠実な実践の成就を以て生涯の楽しみとすることが試みられ続けて来たのである。
「君子の道は闇然として日に明らかに、小人の道は的然として日に亡ぶ」(中庸)
言葉そのものに酔い痴れてそれでよしEs ist gut.とするような怠慢を極力避けての、
言葉の含意の実現まっしぐらな心がけであるが故に、始めはうんこ味のうんこ食も
厭わないほどのストイックさでいながら、最後の最後にカレー味のカレー食に至る。
万人がそのともがらであり得るわけではなくとも、誰よりも安楽な死に与れる、
そのご利益の厚さの故に、誰も望まないではいられない道なのである。
なんかもう、ものの言い方からして認知症じみて来てんな。
あまり多くの情報を取り扱えるほど脳が元気ではないから、
ごく少量の確実に覚えてる情報だけに固執するようになる。
次世代は次世代で近ごろ、自分たち用の閉じコンに引きこもり過ぎなのを考慮して、
俺もあえて旧世代の年寄り向けのテレビ番組などにもある程度は
目を通すようにしているんだが、これが軒並み揃いも揃って、
扱ってる情報量が少ないこと少ないこと。
ネット上の報道ヘッドラインをツラツラ流し見している場合と比べれば、
普通の報道番組でも情報量が10分の1、バラエティやスポーツだと20分の1、
とにかく物を買わせたいテレビショッピングだと50分の1ぐらいしかない。
年寄りの中でも、特に知性が低くて頭数の多い団塊世代あたりに合わせると、
あれでようやく情報が十分に頭の中に入って来る分量なのかなとは思うが。
テレビ局側でも、そういう脳委縮著しい年寄りのペースに足並みを揃えて
ばかりで来たせいで、多くの情報を扱おうにも扱えなくなってしまっている。
だから、このまま次世代向けの情報インフラとして再利用するのも無理で、
中の人総入れ替えはもちろんのこと、情報提供媒体としての取り扱い方から、
抜本的な改革を施していく必要があるだろうなとも思うわけである。
あまり多くの情報を取り扱えるほど脳が元気ではないから、
ごく少量の確実に覚えてる情報だけに固執するようになる。
次世代は次世代で近ごろ、自分たち用の閉じコンに引きこもり過ぎなのを考慮して、
俺もあえて旧世代の年寄り向けのテレビ番組などにもある程度は
目を通すようにしているんだが、これが軒並み揃いも揃って、
扱ってる情報量が少ないこと少ないこと。
ネット上の報道ヘッドラインをツラツラ流し見している場合と比べれば、
普通の報道番組でも情報量が10分の1、バラエティやスポーツだと20分の1、
とにかく物を買わせたいテレビショッピングだと50分の1ぐらいしかない。
年寄りの中でも、特に知性が低くて頭数の多い団塊世代あたりに合わせると、
あれでようやく情報が十分に頭の中に入って来る分量なのかなとは思うが。
テレビ局側でも、そういう脳委縮著しい年寄りのペースに足並みを揃えて
ばかりで来たせいで、多くの情報を扱おうにも扱えなくなってしまっている。
だから、このまま次世代向けの情報インフラとして再利用するのも無理で、
中の人総入れ替えはもちろんのこと、情報提供媒体としての取り扱い方から、
抜本的な改革を施していく必要があるだろうなとも思うわけである。
ネット上の年寄りだと、最晩年で80代だった頃の小池一夫が、
認知症を公言しながらも、Twitterでのレスバを繰り返していたなんてことがあったが。
ヒス込みの激情に駆られた一本調子な物言いであれば、
認知症の末期高齢者だろうとも、それなりに意味の通った会話ができる。
全く融通が利かず、一度に扱える情報量もごくわずかでありながらも、
そこに周囲のペースを無理やり合わさせることで会話を成立させるのである。
これも、高齢者や認知症患者に限らず、ヒスが派閥の気勢を整えるために多用して来た手段である。
秦始皇や信長も金切り声で部下を威嚇し、恐縮させながら統制することを好んでいたというし、
歴史上の暴君が人々を支配下に置くための手段としても好まれて来たもの。
ただ単に派閥を入念な統制下に置くための手段としては非常に有用ではあるが、
そこで扱える情報量がガタ落ちする上に、全く融通も利かなくなるという弊害を帯びるために、
結果的には組織の弱体化を招いての凋落までもが避けられなくなるのである。
(秦帝国も項劉に、織豊政権も徳川に平らげられたが如く)
認知症を公言しながらも、Twitterでのレスバを繰り返していたなんてことがあったが。
ヒス込みの激情に駆られた一本調子な物言いであれば、
認知症の末期高齢者だろうとも、それなりに意味の通った会話ができる。
全く融通が利かず、一度に扱える情報量もごくわずかでありながらも、
そこに周囲のペースを無理やり合わさせることで会話を成立させるのである。
これも、高齢者や認知症患者に限らず、ヒスが派閥の気勢を整えるために多用して来た手段である。
秦始皇や信長も金切り声で部下を威嚇し、恐縮させながら統制することを好んでいたというし、
歴史上の暴君が人々を支配下に置くための手段としても好まれて来たもの。
ただ単に派閥を入念な統制下に置くための手段としては非常に有用ではあるが、
そこで扱える情報量がガタ落ちする上に、全く融通も利かなくなるという弊害を帯びるために、
結果的には組織の弱体化を招いての凋落までもが避けられなくなるのである。
(秦帝国も項劉に、織豊政権も徳川に平らげられたが如く)
一度に扱う情報を地上波のショッピングやバラエティ番組なみに限り、
そこに渾身の激情を込めて行く物言いであれば、
認知症患者でもそれなりに会話を成立させることができる。
その原理を逆に応用して、認知症並みに低能化を促す気風を
派閥内に蔓延させることでの、羊の群れの如き統制もまた可能となる。
それなりに正気を保つことができる人間と言えども、
その集団に埋没する時には認知症並みにまで知性を低下させて、
頭がパアになることそのものや、それと飲酒や乱交、薬物乱用の相乗をも楽しむ。
電通の新入社員歓迎会では、新入りの肛門に半田ごてを突っ込んだ
状態で電気を入れ、火傷をする直前に引き抜くなんていう余興までもが
催されているというが、それこそまさに低能化の狂乱による結託の最たるもの。
近ごろ取りざたされていることが多いジャニーズ内での乱交なども同様。
もう少し社会的知名度の低い組織集団のほか、警察などの公共組織でも
似たような真似をやらかしていたのがたまに発覚したりするし、
愚民化著しい近現代の日本社会には非常にありがちな狂態なのである。
そこに渾身の激情を込めて行く物言いであれば、
認知症患者でもそれなりに会話を成立させることができる。
その原理を逆に応用して、認知症並みに低能化を促す気風を
派閥内に蔓延させることでの、羊の群れの如き統制もまた可能となる。
それなりに正気を保つことができる人間と言えども、
その集団に埋没する時には認知症並みにまで知性を低下させて、
頭がパアになることそのものや、それと飲酒や乱交、薬物乱用の相乗をも楽しむ。
電通の新入社員歓迎会では、新入りの肛門に半田ごてを突っ込んだ
状態で電気を入れ、火傷をする直前に引き抜くなんていう余興までもが
催されているというが、それこそまさに低能化の狂乱による結託の最たるもの。
近ごろ取りざたされていることが多いジャニーズ内での乱交なども同様。
もう少し社会的知名度の低い組織集団のほか、警察などの公共組織でも
似たような真似をやらかしていたのがたまに発覚したりするし、
愚民化著しい近現代の日本社会には非常にありがちな狂態なのである。
目の前にはネット閲覧中のPCなりがあって、
耳ではラジオでも聴いて、横目にテレビも眺めてるというだけでも、
近ごろのテレビが発信する情報は十分に把握できるぐらいだな。
音声聞かないんだから字幕を表示したりもしてみたけど、
大して情報量が変わらないんでもうやめちまったぐらいだ。
別に聾啞者向けの番組を見てるわけでもあるまいに。
こんなになってる状態の時でも、やっぱり情報量はまだ少ない。
多くの情報を扱うことが苦手な連中が無理やりに詰め込んでるから
雑多に見えるだけで、伝えようとしてる情報は二つ三つしかない。
情報を洗練させる必要もないほどわずかな分量しか取り扱ってない
連中の仕事なのだろうなと察せられる、副次的な情報があるだけ。
素人目に見ても。 え、情報共有のプロ中のプロたちの仕事?😲
耳ではラジオでも聴いて、横目にテレビも眺めてるというだけでも、
近ごろのテレビが発信する情報は十分に把握できるぐらいだな。
音声聞かないんだから字幕を表示したりもしてみたけど、
大して情報量が変わらないんでもうやめちまったぐらいだ。
別に聾啞者向けの番組を見てるわけでもあるまいに。
こんなになってる状態の時でも、やっぱり情報量はまだ少ない。
多くの情報を扱うことが苦手な連中が無理やりに詰め込んでるから
雑多に見えるだけで、伝えようとしてる情報は二つ三つしかない。
情報を洗練させる必要もないほどわずかな分量しか取り扱ってない
連中の仕事なのだろうなと察せられる、副次的な情報があるだけ。
素人目に見ても。 え、情報共有のプロ中のプロたちの仕事?😲
とっくの昔から、介護だったのかなあ。
別にヤングケアラーという年でもないが。
別にヤングケアラーという年でもないが。
>>58
こちらとしては、自分が好きなこと嫌いなこと、
興味があることないことなんでも対応できるぐらいの情報処理体制でいるんで、
そちらが興味のないことには全く注意が向かないはったtギフテッド傾向の
人間であるというのなら、そんな自分自身の特別さをわきまえた上で、
自分のほうに合わせてくれるようにお願いすればいいわけ。
自分のほうが情報処理能力が低いだけなのに、
さも自分のほうが健常者だと思い込んで、相手をより低く見積もって、
自分のほうに合わせろとか要求してくるんじゃあ、合わせてやる気も起きないし、
そもそもこちらのほうが能力が低いというのなら、より高い相手に合わせたりもできないはず。
どちらかといえば、より能力が高い側のほうが、低い側に合わせてやるのでなければ、
能力に格段の高低差がある者同士の会話なども成り立たないはずなわけでな。
自分のほうが上だと思うのなら、だからこそ、ぜひこちらに合わせてくりゃれや。
こちらとしては、自分が好きなこと嫌いなこと、
興味があることないことなんでも対応できるぐらいの情報処理体制でいるんで、
そちらが興味のないことには全く注意が向かないはったtギフテッド傾向の
人間であるというのなら、そんな自分自身の特別さをわきまえた上で、
自分のほうに合わせてくれるようにお願いすればいいわけ。
自分のほうが情報処理能力が低いだけなのに、
さも自分のほうが健常者だと思い込んで、相手をより低く見積もって、
自分のほうに合わせろとか要求してくるんじゃあ、合わせてやる気も起きないし、
そもそもこちらのほうが能力が低いというのなら、より高い相手に合わせたりもできないはず。
どちらかといえば、より能力が高い側のほうが、低い側に合わせてやるのでなければ、
能力に格段の高低差がある者同士の会話なども成り立たないはずなわけでな。
自分のほうが上だと思うのなら、だからこそ、ぜひこちらに合わせてくりゃれや。
長年、自学自習にネット検索をかけ合わせて来た独自の修練で、
こちらの情報処理能力が並外れた域に達してしまっているという自覚もあるが。
さりとて、一般社会の平均的な情報処理速度もまた健常ではなく、
洗脳支配や集団ヒステリーや高齢化によって、世の中を健全に営んで行くにも
値しないほど情報処理能力がガタ落ちした界隈ばかりになってしまっているという側面もある。
今の俺などは、昔でいう出家級(今の所帯持ちが当たり前な出家ではなく)に
滞りのない情報処理体制を整えているからこその理想値状態であるわけで、
それはそれで、世間に埋没して働きながらでも十分に保てるものではないだろう。
超俗状態だからこそ高い情報処理能力を保てているものと、
世俗の渦中だからといって過度にそれが落ち過ぎているものとの中間、
世間に深く関わり入りながらも、世の中を健全に営んで行けるだけの情報力を
保ち続けられる者こそが、実務面から世の中を主導して行く適任者たるのである。
仮に俺などがそうなろうとした場合、やはり今よりは情報力が少なからず落ちるだろうから、
然るべき有志の出家者などに、今までの自らの領分を譲った上でなければなるまい。
そしてそのような人々を頼りとし続けることで、自らが世間ずれによって
あまりにも低能化してしまうことを防いでいかねばならないのである。
こちらの情報処理能力が並外れた域に達してしまっているという自覚もあるが。
さりとて、一般社会の平均的な情報処理速度もまた健常ではなく、
洗脳支配や集団ヒステリーや高齢化によって、世の中を健全に営んで行くにも
値しないほど情報処理能力がガタ落ちした界隈ばかりになってしまっているという側面もある。
今の俺などは、昔でいう出家級(今の所帯持ちが当たり前な出家ではなく)に
滞りのない情報処理体制を整えているからこその理想値状態であるわけで、
それはそれで、世間に埋没して働きながらでも十分に保てるものではないだろう。
超俗状態だからこそ高い情報処理能力を保てているものと、
世俗の渦中だからといって過度にそれが落ち過ぎているものとの中間、
世間に深く関わり入りながらも、世の中を健全に営んで行けるだけの情報力を
保ち続けられる者こそが、実務面から世の中を主導して行く適任者たるのである。
仮に俺などがそうなろうとした場合、やはり今よりは情報力が少なからず落ちるだろうから、
然るべき有志の出家者などに、今までの自らの領分を譲った上でなければなるまい。
そしてそのような人々を頼りとし続けることで、自らが世間ずれによって
あまりにも低能化してしまうことを防いでいかねばならないのである。
今だと、AIがその出家者に該当するような情報処理の拠り所として
機能しそうなようにも思われるけれども、そこでもやはり、
AIに情報処理をさせる手練れとしての人間が必要となるだろう。
そのような人間はやはり、世俗に埋没している状態では十分な職務が務まらず、
特に集団ヒステリーによる派閥の盤石化を目論むような界隈に付き合わされようものなら、
中抜きのせいでCOCOAみたいなコロナ感染情報アプリしか作れなかったようなことになるだろう。
AIのようなシギントでの情報処理を管理する人々には、超俗的な隠棲を強いる代わりに、
そこでの生活を保障する特権を付与などする必要が出て来る。それは結局、
古来の寺社制度などとも近似したものとなるだろうし、むしろあえてさせるべきである。
機能しそうなようにも思われるけれども、そこでもやはり、
AIに情報処理をさせる手練れとしての人間が必要となるだろう。
そのような人間はやはり、世俗に埋没している状態では十分な職務が務まらず、
特に集団ヒステリーによる派閥の盤石化を目論むような界隈に付き合わされようものなら、
中抜きのせいでCOCOAみたいなコロナ感染情報アプリしか作れなかったようなことになるだろう。
AIのようなシギントでの情報処理を管理する人々には、超俗的な隠棲を強いる代わりに、
そこでの生活を保障する特権を付与などする必要が出て来る。それは結局、
古来の寺社制度などとも近似したものとなるだろうし、むしろあえてさせるべきである。
今でもNSAのデータセンターなどは、ユタ州のほかに何もないような荒野に設置
されているのだが、そんな所での開発管理などに真剣でい続けられるような俗人も
そうはいないために、時にはスノーデンみたいな離反者までもが出現しかねない。
そこにはただの超俗ではなく、聖域としての意義すらをも認めるようにすべきだし、
データ処理だけではそこまでする価値が認められないようであれば、従事者たちに、
本当に出家修行なみの精進もまた併修させるようにもすべきである。
「誰がそんな者やりたがるのか?」といえば、それは昔の僧正なみに立派な権威として
崇敬された場合にのみ、ゲリラ的な散発頼みでもなく輩出されて行くものである。
仮に有志が相当数いた所で、権威なきままなら目減りまでは免れ得ぬものだから。
されているのだが、そんな所での開発管理などに真剣でい続けられるような俗人も
そうはいないために、時にはスノーデンみたいな離反者までもが出現しかねない。
そこにはただの超俗ではなく、聖域としての意義すらをも認めるようにすべきだし、
データ処理だけではそこまでする価値が認められないようであれば、従事者たちに、
本当に出家修行なみの精進もまた併修させるようにもすべきである。
「誰がそんな者やりたがるのか?」といえば、それは昔の僧正なみに立派な権威として
崇敬された場合にのみ、ゲリラ的な散発頼みでもなく輩出されて行くものである。
仮に有志が相当数いた所で、権威なきままなら目減りまでは免れ得ぬものだから。
CIA最上級幹部職員、7人中6人が中華に買収済み
https://news.livedoor.com/article/detail/25021873...
たとえ異民族に中原を征服されようとも、
そこから帝国全体を中華ペースに染め上げるような真似(漢化)を
何百年と繰り返して来た連中にとっては、他国の諜報員の篭絡ぐらいわけもない。
しかも、相手もまた自分たちと同じように、仏道級の清廉主義などを忌み嫌い、
金融腐敗をも伴うような社会的栄華ばかりを好き好んでいる享楽主義者とあらば、
まるで白い綿布を豚の血で真っ赤に染め上げるように容易い篭絡ともなる。
さらに、中国人の大多数を占めている黄色人種と、
アメリカ人の大多数を占めている白人や黒人とでは、
平均IQにも格段の差異があるものだし、いくら一部の超天才に頼っての
防衛などを試みようとも、ナウシカでオウムの大群に単騎で挑みながら
腐れ堕ちて踏み潰されて行った巨神兵のようでしかあり得ない。
別に、国全体が清廉主義に鞍替えしきらねばならないわけではないし、
江戸期の日本なども大多数は他力本願止まりの浮世であったわけだが。
それでも要所ゝの安全を担う人員ぐらいは、そこから隔絶されての、
本格の出家者にも準ずるような求道性を持ち合わせるのでなければ、
中華系が米国内の上流層に成り代わるのもそう遠くはないであろう。
https://news.livedoor.com/article/detail/25021873...
たとえ異民族に中原を征服されようとも、
そこから帝国全体を中華ペースに染め上げるような真似(漢化)を
何百年と繰り返して来た連中にとっては、他国の諜報員の篭絡ぐらいわけもない。
しかも、相手もまた自分たちと同じように、仏道級の清廉主義などを忌み嫌い、
金融腐敗をも伴うような社会的栄華ばかりを好き好んでいる享楽主義者とあらば、
まるで白い綿布を豚の血で真っ赤に染め上げるように容易い篭絡ともなる。
さらに、中国人の大多数を占めている黄色人種と、
アメリカ人の大多数を占めている白人や黒人とでは、
平均IQにも格段の差異があるものだし、いくら一部の超天才に頼っての
防衛などを試みようとも、ナウシカでオウムの大群に単騎で挑みながら
腐れ堕ちて踏み潰されて行った巨神兵のようでしかあり得ない。
別に、国全体が清廉主義に鞍替えしきらねばならないわけではないし、
江戸期の日本なども大多数は他力本願止まりの浮世であったわけだが。
それでも要所ゝの安全を担う人員ぐらいは、そこから隔絶されての、
本格の出家者にも準ずるような求道性を持ち合わせるのでなければ、
中華系が米国内の上流層に成り代わるのもそう遠くはないであろう。
今おまえらが遠吠えスレでやってることもまさに、
集団ヒステリーによる同調で余所者を締め出そうとしてる典型例だわな。
その波長に合わせられる者は仲間として認めて組み入れるが、
合わせない者は最悪、気違い扱いをしてでも追い出そうとする。
明らかに自分たちのほうがそうであるのだろうとも、
集団性への埋没による判断力の極度の低下でそんなことは無視し去り、
勝てば官軍負ければ賊軍の論理での無軌道な勝利の奪取ばかりを目論む。
その有り様たるや、政商の親玉といえども敵に回したがらないほど。
そもそもがこいつら自身もまた、その存在性から「この世の悪性癌細胞」で
あることを開き直っての偉ぶりであるわけだし、むしろ自分たちもその眷属
であることを踏まえれば、よそ様気取りばかりでいるわけにもいかないのである。
集団ヒステリーによる同調で余所者を締め出そうとしてる典型例だわな。
その波長に合わせられる者は仲間として認めて組み入れるが、
合わせない者は最悪、気違い扱いをしてでも追い出そうとする。
明らかに自分たちのほうがそうであるのだろうとも、
集団性への埋没による判断力の極度の低下でそんなことは無視し去り、
勝てば官軍負ければ賊軍の論理での無軌道な勝利の奪取ばかりを目論む。
その有り様たるや、政商の親玉といえども敵に回したがらないほど。
そもそもがこいつら自身もまた、その存在性から「この世の悪性癌細胞」で
あることを開き直っての偉ぶりであるわけだし、むしろ自分たちもその眷属
であることを踏まえれば、よそ様気取りばかりでいるわけにもいかないのである。
このスレの本題は、おまえらがいくらでも考察元となるようなネタを
提供し続けてくれるんで、いくらでも語るに余りあるんだが、
そんなおまえら自身が「百聞は一見に如かず」の代表格でも
あり続けているもんだから、語るに落ちるを危惧する必要があるのが何ともな。
ただ、普通の人間は、おまえらやジャニーズや電通級の
集団ヒステリーを眼前に突き付けられると、恐れすくんで自分までもが
正常な判断力を失ってしまうようなことにもなりかねない。
(つまり、冷静な分析を間接的に読み解くしかない人間もいるだろうということ)
そこから取り込まれてしまうこともあれば、
下手に関わり合ってはいけない相手として遠ざけることもある。
提供し続けてくれるんで、いくらでも語るに余りあるんだが、
そんなおまえら自身が「百聞は一見に如かず」の代表格でも
あり続けているもんだから、語るに落ちるを危惧する必要があるのが何ともな。
ただ、普通の人間は、おまえらやジャニーズや電通級の
集団ヒステリーを眼前に突き付けられると、恐れすくんで自分までもが
正常な判断力を失ってしまうようなことにもなりかねない。
(つまり、冷静な分析を間接的に読み解くしかない人間もいるだろうということ)
そこから取り込まれてしまうこともあれば、
下手に関わり合ってはいけない相手として遠ざけることもある。
その両方がうまく作用するのが、大メディアにおける権益の貪りでもあり、
ジャニタレのような狂乱下の芸能人が独特の波長を帯びながらテレビ番組に出演し、
視聴者がそこに波長を合わさせられての絡め捕りなどがはかどる一方で、
現実社会でそんな相手に接近したりすることは逆に恐れ憚られる。
特に、加齢で精神力や思考力が衰えた年配の視聴者などを大量に囲い込みながら、
ごく少数の人間が外部から邪魔されることなく、肥大化した放送利権を寡占する。
全国放送級の大メディアなどはまさに、集団ヒステリーで結束しているような
集団こそを、本当に有能な集団などよりも重宝してしまう特質を帯びているのである。
それは、ジャニーズのような該当集団を一つや二つ潰してみたからといって
改善される所でもない。あくまで大メディア級の広告インフラそのものが
解体などの適切な措置を受けるのでなければ解消し得ない問題なのである。
ジャニタレのような狂乱下の芸能人が独特の波長を帯びながらテレビ番組に出演し、
視聴者がそこに波長を合わさせられての絡め捕りなどがはかどる一方で、
現実社会でそんな相手に接近したりすることは逆に恐れ憚られる。
特に、加齢で精神力や思考力が衰えた年配の視聴者などを大量に囲い込みながら、
ごく少数の人間が外部から邪魔されることなく、肥大化した放送利権を寡占する。
全国放送級の大メディアなどはまさに、集団ヒステリーで結束しているような
集団こそを、本当に有能な集団などよりも重宝してしまう特質を帯びているのである。
それは、ジャニーズのような該当集団を一つや二つ潰してみたからといって
改善される所でもない。あくまで大メディア級の広告インフラそのものが
解体などの適切な措置を受けるのでなければ解消し得ない問題なのである。
近世以前と近代以降の日本を比べれば、
昔のほうがよっぽど、記録を見ただけでも偉大だったと知れるような人々が数多くいた一方、
今は50年後にも名前が残ってなさそうな小人か、汚職や戦犯由来の汚名ぐらいしか
遺せなさそうな悪党ばかりしかいないのが実情である。
にもかかわらず、むしろ近代以降、特にナチスドイツが発明したプロパガンダ工作までもが
導入されて以降のメディア広告による名声の肥大化のほうが、昔よりもはるかに絶大で、
人間たち自身の根本からの偉大さと、広告の甚大さがほぼ相反した状態にあるともいえる。
これも別にただの偶然ではなく、「巧言令色鮮きは仁なり」とその逆とに、
それぞれの時代が降り切れていたがための必然であったのにも違いない。
昔も芸能娯楽で名を馳せるような者もまたいたにしろ、その全ては実社会での大業に
取り組んでいるような君子士人のそれよりも厳正に格下扱いとされていたのだった。
さりとて、当時の士大夫が存命中からの名声による栄華に酔いしれていたわけでもない。
生前から本名が知れ渡るのは縁起が悪いこととして、総員で通称(あざな)を用い、
あまり写実的な肖像を描いたりすることも忌み、大名級とあらばお目通り資格の持ち主まで制限した。
昔のほうがよっぽど、記録を見ただけでも偉大だったと知れるような人々が数多くいた一方、
今は50年後にも名前が残ってなさそうな小人か、汚職や戦犯由来の汚名ぐらいしか
遺せなさそうな悪党ばかりしかいないのが実情である。
にもかかわらず、むしろ近代以降、特にナチスドイツが発明したプロパガンダ工作までもが
導入されて以降のメディア広告による名声の肥大化のほうが、昔よりもはるかに絶大で、
人間たち自身の根本からの偉大さと、広告の甚大さがほぼ相反した状態にあるともいえる。
これも別にただの偶然ではなく、「巧言令色鮮きは仁なり」とその逆とに、
それぞれの時代が降り切れていたがための必然であったのにも違いない。
昔も芸能娯楽で名を馳せるような者もまたいたにしろ、その全ては実社会での大業に
取り組んでいるような君子士人のそれよりも厳正に格下扱いとされていたのだった。
さりとて、当時の士大夫が存命中からの名声による栄華に酔いしれていたわけでもない。
生前から本名が知れ渡るのは縁起が悪いこととして、総員で通称(あざな)を用い、
あまり写実的な肖像を描いたりすることも忌み、大名級とあらばお目通り資格の持ち主まで制限した。
ただメディア媒体が原始的で矮小だったのみならず、さらにそこから虚栄をあえて
避けるような各種の工夫までもが凝らされていた。それが君子の嗜みとされたがゆえに、
自動的に娯楽で虚名を馳せるような者もまたそれ相応の人種とのみ割り切られた。
全国全土の一般大衆が揃いも揃って、芸能人やスポーツ選手を世の中で最高の成功者として
持て囃すような状態は、さようなわきまえを欠いているがための痴態であるし、
そのための大メディア広告などが横行しているのもまた、同様な原因に基づくものである。
現状の大手テレビ局や広告代理店級の大メディアインフラは軒並み解体して、
地方局あたりを最大級のメディア止まりとするのが人間社会の情報流通の健全化のために、
まず試みられてしかるべきことではあるが、さらにそれに輪をかけて、そもそもメディア頼みでの
虚名による栄華などを好き好むのを恥とする風潮もまた盛り立てられて然るべきだといえる。
むしろ陰徳を積む心がけの持ち主が、死後何百何千年の後に美名を残すことのほうが、
真に偉大な人のあり様として尊ばれるような世の中へと立ち戻るべきなのである。
避けるような各種の工夫までもが凝らされていた。それが君子の嗜みとされたがゆえに、
自動的に娯楽で虚名を馳せるような者もまたそれ相応の人種とのみ割り切られた。
全国全土の一般大衆が揃いも揃って、芸能人やスポーツ選手を世の中で最高の成功者として
持て囃すような状態は、さようなわきまえを欠いているがための痴態であるし、
そのための大メディア広告などが横行しているのもまた、同様な原因に基づくものである。
現状の大手テレビ局や広告代理店級の大メディアインフラは軒並み解体して、
地方局あたりを最大級のメディア止まりとするのが人間社会の情報流通の健全化のために、
まず試みられてしかるべきことではあるが、さらにそれに輪をかけて、そもそもメディア頼みでの
虚名による栄華などを好き好むのを恥とする風潮もまた盛り立てられて然るべきだといえる。
むしろ陰徳を積む心がけの持ち主が、死後何百何千年の後に美名を残すことのほうが、
真に偉大な人のあり様として尊ばれるような世の中へと立ち戻るべきなのである。
ここで俺がやっていることは何のかといえば、要するに「御触書」だ。
誰も好き好んで官報を書くわけでもなければ、読むわけでもないが、
情報開示の必要性のために、最低限程度の情報発信はしておく。
それを読むも読まぬも衆目側の自由ではあるが、
こちらの説明責任は果たされているが故に、
「知らなかった」どうのと言い逃れする余地は絶っている。
核戦争もこれ以上の人口爆発も、その他の破滅的末路も、
何もかも防止する手立て自体は存在するし、その具体的な手法も
再三にわたって詳述し続けて来たが、それでもそれを聞き入れることなく、
好き好んでの自業自得の自滅に陥るのであれば、そこにはもはや、
「何でことなことに・・・」などと嘆く余地もまた微塵もない。
その準備を徹底的に整え尽くしておくことで、こちらもまた、
いざ死傷級の犠牲を伴うような討伐の必要に迫られるのだろうとも、
過失犯への処罰ならではの後味の悪さなどを排除し抜くことができる。
巧言令色やそれによる虚栄を乞い求めるような真似を極力忌み避ける
君子士人といえども、さような理由で情報発信を試みることはある。
それこそが、遠い後の世に至るまで語り継がれるべきような格言ともなるのだが。
誰も好き好んで官報を書くわけでもなければ、読むわけでもないが、
情報開示の必要性のために、最低限程度の情報発信はしておく。
それを読むも読まぬも衆目側の自由ではあるが、
こちらの説明責任は果たされているが故に、
「知らなかった」どうのと言い逃れする余地は絶っている。
核戦争もこれ以上の人口爆発も、その他の破滅的末路も、
何もかも防止する手立て自体は存在するし、その具体的な手法も
再三にわたって詳述し続けて来たが、それでもそれを聞き入れることなく、
好き好んでの自業自得の自滅に陥るのであれば、そこにはもはや、
「何でことなことに・・・」などと嘆く余地もまた微塵もない。
その準備を徹底的に整え尽くしておくことで、こちらもまた、
いざ死傷級の犠牲を伴うような討伐の必要に迫られるのだろうとも、
過失犯への処罰ならではの後味の悪さなどを排除し抜くことができる。
巧言令色やそれによる虚栄を乞い求めるような真似を極力忌み避ける
君子士人といえども、さような理由で情報発信を試みることはある。
それこそが、遠い後の世に至るまで語り継がれるべきような格言ともなるのだが。
今の世の惨状を、直接どうにかできるような立場にある者ほど、
世の中を破滅級の荒廃に陥れて来た張本人ばかりであるために、
どうにかするのならまず、自分たちが自決しなければならないというジレンマがある。
世の中から権益を吸い上げることで自分たちが経済的に肥え太る、
この世の癌細胞人種でいながら、今の世の支配層をも気取っているために、
自分たちが今以上に立場や身命を脅かされる制裁を、自分たち自身で執り行うのでなければ、
ただの一寸ほどにも世の中のほうを改善すること能わないという、身も蓋もない状況に置かれている。
その凶悪さを恥じて速やかに自決できるほどできた人間なら、
始めからそんな立場になろうともしないわけで、それゆえにほぼ全員が己が身の程を開き直り、
濁世の加害者側でいながら被害者を見下して悦に入るような、勧善懲悪の時代劇でも、
よくできた名作なら出てこない域の稚拙な悪党ぶりを見せつけるばかりでいる。
基本的に聞く耳持てるような人種ではないというのは、こちらも分かっているが、
どこまででも他人に責任を押し付けて自分だけは逃げ延びてやろうとするような連中でもあること、
行き着くところまで行き着いて自滅に見舞われる時に、決して言い逃れなどさせないだけの
理論武装や、それに基づく最低限以上の説明責任の履行に勤めて置くことで、
土壇場に後味の悪さなどが少しも残らないようにしているのである。
世の中を破滅級の荒廃に陥れて来た張本人ばかりであるために、
どうにかするのならまず、自分たちが自決しなければならないというジレンマがある。
世の中から権益を吸い上げることで自分たちが経済的に肥え太る、
この世の癌細胞人種でいながら、今の世の支配層をも気取っているために、
自分たちが今以上に立場や身命を脅かされる制裁を、自分たち自身で執り行うのでなければ、
ただの一寸ほどにも世の中のほうを改善すること能わないという、身も蓋もない状況に置かれている。
その凶悪さを恥じて速やかに自決できるほどできた人間なら、
始めからそんな立場になろうともしないわけで、それゆえにほぼ全員が己が身の程を開き直り、
濁世の加害者側でいながら被害者を見下して悦に入るような、勧善懲悪の時代劇でも、
よくできた名作なら出てこない域の稚拙な悪党ぶりを見せつけるばかりでいる。
基本的に聞く耳持てるような人種ではないというのは、こちらも分かっているが、
どこまででも他人に責任を押し付けて自分だけは逃げ延びてやろうとするような連中でもあること、
行き着くところまで行き着いて自滅に見舞われる時に、決して言い逃れなどさせないだけの
理論武装や、それに基づく最低限以上の説明責任の履行に勤めて置くことで、
土壇場に後味の悪さなどが少しも残らないようにしているのである。
前スレの不真面目へのオナメン呼ばわりもそうだが、
このスレの主題もまた、今のような濁世で強権をほしいままにしているような連中が、
個人としての強さや能力の高さではなく、むしろ心の弱さを原因としたヒスによる
集団での結託によって強勢化しているという本質の所を突くことで、
当人たちの身の程知らずな思い上がりを挫く目的が備わっている。
こんな時代に高い立場や収入を得て、軽井沢あたりに別荘まで構えたりしているのには、
それなりの元手があったのには違いないが、それ自体が誇るべきようなものではない。
むしろ有能や強者の勇躍を損ねてでも、弱者ばかりがヒスによる結託で社会的上位へと
上り詰め、この世の春を謳歌するようなことがある。それがまさに今この時代でもあるが故に、
無能が分不相応な権益を牛耳ることによる、社会全体の破綻までもが招かれているのである。
このスレの主題もまた、今のような濁世で強権をほしいままにしているような連中が、
個人としての強さや能力の高さではなく、むしろ心の弱さを原因としたヒスによる
集団での結託によって強勢化しているという本質の所を突くことで、
当人たちの身の程知らずな思い上がりを挫く目的が備わっている。
こんな時代に高い立場や収入を得て、軽井沢あたりに別荘まで構えたりしているのには、
それなりの元手があったのには違いないが、それ自体が誇るべきようなものではない。
むしろ有能や強者の勇躍を損ねてでも、弱者ばかりがヒスによる結託で社会的上位へと
上り詰め、この世の春を謳歌するようなことがある。それがまさに今この時代でもあるが故に、
無能が分不相応な権益を牛耳ることによる、社会全体の破綻までもが招かれているのである。
それでも、今まさに自分たちが昔の天皇将軍をも上回るほどの栄華に
与れていることを以ての、思い上がりに駆られるのには変わりないのだろうが。
おまえらが思い上がりを盤石化させる根拠はそもそも、そこにしかない。
そのために積み重ねて来た努力なんかも、別に人並み以上なわけでもないし、
ただ人並み以上にヒスによってでも結託したがるような、悪趣味志向が強いと
いうだけの理由で成功者たり得て来たのが実情なのだから、むしろそうであることは
今のジャニタレなどと同じように、心底恥に思わねばならないぐらいなのである。
それによって、個人的な栄華による驕り高ぶりを打ち消すぐらいの勢いでな。
与れていることを以ての、思い上がりに駆られるのには変わりないのだろうが。
おまえらが思い上がりを盤石化させる根拠はそもそも、そこにしかない。
そのために積み重ねて来た努力なんかも、別に人並み以上なわけでもないし、
ただ人並み以上にヒスによってでも結託したがるような、悪趣味志向が強いと
いうだけの理由で成功者たり得て来たのが実情なのだから、むしろそうであることは
今のジャニタレなどと同じように、心底恥に思わねばならないぐらいなのである。
それによって、個人的な栄華による驕り高ぶりを打ち消すぐらいの勢いでな。
畢竟、金カネによる栄華だけが取り柄なのだが、
そこにすべてが還元された場合の自分たちの醜悪さもまた
それなりに察しているために、あらゆる手を使ってそれを粉飾しようとする。
非常に典型的なのが、宝物への愛好などは避けておくという部類の心がけ。
余り金カネは貯め込むか、もしくは車や旅行のように対価相応の消費価値が
明らかに見込めるような商品に対してのみ費やすことを旨とする。
「存在価値と利用価値は相反する」という主題のスレで述べたように、
人にしろ物にしろ、歴史的名画などのほうがケツ拭く紙にもならない一方、
トイレットペーパーこそは糞尿まみれになって下水に流されて行くに値するような、
価値の相反性が存在するもので、虚栄好みな見栄っ張りはもちろん後者系の物品ばかりを好む。
そこにすべてが還元された場合の自分たちの醜悪さもまた
それなりに察しているために、あらゆる手を使ってそれを粉飾しようとする。
非常に典型的なのが、宝物への愛好などは避けておくという部類の心がけ。
余り金カネは貯め込むか、もしくは車や旅行のように対価相応の消費価値が
明らかに見込めるような商品に対してのみ費やすことを旨とする。
「存在価値と利用価値は相反する」という主題のスレで述べたように、
人にしろ物にしろ、歴史的名画などのほうがケツ拭く紙にもならない一方、
トイレットペーパーこそは糞尿まみれになって下水に流されて行くに値するような、
価値の相反性が存在するもので、虚栄好みな見栄っ張りはもちろん後者系の物品ばかりを好む。
それが、自分たちが金カネばかりに囚われない清貧の実践者である根拠だなどと
思い込むことで、金銭的な栄華以外に何の取り柄もない己が空しさを誤魔化そうとするのだが。
本物の清貧は決してそんなものではなく、そもそも無闇やたらな金儲けなどに
走ることから避けるものである。それとは逆に、金カネ自体は稼げる限りに稼いでおいて、
虚栄の空しさから目を背けるために宝物好みぐらいは避けておくなんていうのは、
宝物の子々孫々への継承のような堅実な資産運用に取り組む場合以上に下劣な、
最底辺の成金趣味以外の何者でもないといえるのである。
虚栄好みの見栄っ張りは逆に、宝物好みのほうを成金趣味だなどと思い込みがちだが、
むしろ儲けながらそれだけは避けようとしているおまえこそが、それ未満の外道だと知るべきなのである。
思い込むことで、金銭的な栄華以外に何の取り柄もない己が空しさを誤魔化そうとするのだが。
本物の清貧は決してそんなものではなく、そもそも無闇やたらな金儲けなどに
走ることから避けるものである。それとは逆に、金カネ自体は稼げる限りに稼いでおいて、
虚栄の空しさから目を背けるために宝物好みぐらいは避けておくなんていうのは、
宝物の子々孫々への継承のような堅実な資産運用に取り組む場合以上に下劣な、
最底辺の成金趣味以外の何者でもないといえるのである。
虚栄好みの見栄っ張りは逆に、宝物好みのほうを成金趣味だなどと思い込みがちだが、
むしろ儲けながらそれだけは避けようとしているおまえこそが、それ未満の外道だと知るべきなのである。
金カネがすべてな連中、金カネがすべてと化してしまった濁世について
語っているからこそ、金カネについての話が多くに上ってしまうというのに、
それが自分たちのせいであることも棚に上げての、俺個人への俗物呼ばわりに
明け暮れたりするのもまた、狂乱の徒ならではの所業だといえる。
「自分も今の世の中に順応してジャブジャブと稼ぎまわってますが、
宝物好みぐらいは避けてるので清廉です。成金でも守銭奴でもありましぇん」
などという、文字に起こしてみればふざけ切った論理破綻を頼りに自己正当化を
決め込んでいるだけの、オナニーメンタルたけなわな人種であるのが明白なだけ。
むしろ宝物骨董のような、金銭的価値の権化ともいえるような物品から目を背けることで、
自分たちが乞い求め続けているものの本質から目を背けているところまで含めて、
ステレオタイプな成金像をもはるかに凌駕する、最低最悪な守銭奴の姿なのである。
明白な自己破綻を心中の拠り所にしているような大欠点の持ち主であることからも、
そうであることが自明ではあるのだけれども、オナメンとしての不真面目の限りを尽くし、
ヒスによる結託で同志集団に埋没するほど迷妄の盤石化措置を講じている中では、
そうであることを完全に見失っての、本当は無根拠な思い上がりを募らせるのである。
語っているからこそ、金カネについての話が多くに上ってしまうというのに、
それが自分たちのせいであることも棚に上げての、俺個人への俗物呼ばわりに
明け暮れたりするのもまた、狂乱の徒ならではの所業だといえる。
「自分も今の世の中に順応してジャブジャブと稼ぎまわってますが、
宝物好みぐらいは避けてるので清廉です。成金でも守銭奴でもありましぇん」
などという、文字に起こしてみればふざけ切った論理破綻を頼りに自己正当化を
決め込んでいるだけの、オナニーメンタルたけなわな人種であるのが明白なだけ。
むしろ宝物骨董のような、金銭的価値の権化ともいえるような物品から目を背けることで、
自分たちが乞い求め続けているものの本質から目を背けているところまで含めて、
ステレオタイプな成金像をもはるかに凌駕する、最低最悪な守銭奴の姿なのである。
明白な自己破綻を心中の拠り所にしているような大欠点の持ち主であることからも、
そうであることが自明ではあるのだけれども、オナメンとしての不真面目の限りを尽くし、
ヒスによる結託で同志集団に埋没するほど迷妄の盤石化措置を講じている中では、
そうであることを完全に見失っての、本当は無根拠な思い上がりを募らせるのである。
刀剣登録証の名義変更って、
3500円の手数料だけで済むのもひょっとして知らない?
3500円の手数料だけで済むのもひょっとして知らない?
「金カネは好きなのに宝物嫌い」
そういう連中がいざ、配偶者や子供を得てみたところで、
やはりそこに金カネそのもの以上の価値は見いだせず、
同居や扶養してやってるだけの対価に相応の幸福も感じられないことからの
不和や離婚、児童虐待その他からの家庭崩壊に陥ったりもするのである。
人も物も、実物がある点では同じだから、
実物以上に額面上の数値のほうをより好き好んでしまうような人間であれば、
宝物などをさして好めないのと同じように、実物のヒトもまたそう懇ろな愛好対象にはできない。
それでも世間体のための見栄っ張りによって、妻子を愛しているような風で
いようとしたりはするが、所詮は演技どまりでしかなく、内面にはさっさと
何もかも放り出してしまいたい思いからのストレスばかりを募らせてしまう。
そこからまたストレスの発散を実社会でのヒスな振る舞いなどに振り向けて行き、
不毛な派閥争いなどを激化させての、俗社会全体の腐敗にも加担して行くこととなる。
極度の金カネ好きは宝物嫌いのみならず、人間全般への愛着をも大いに損ねての、
社会全体の殺伐化にも与するのが常であり、それこそが心神喪失級の病理をも伴う、
人間精神の戦闘状態以上に悲惨な荒廃の極みともなるのである。
そういう連中がいざ、配偶者や子供を得てみたところで、
やはりそこに金カネそのもの以上の価値は見いだせず、
同居や扶養してやってるだけの対価に相応の幸福も感じられないことからの
不和や離婚、児童虐待その他からの家庭崩壊に陥ったりもするのである。
人も物も、実物がある点では同じだから、
実物以上に額面上の数値のほうをより好き好んでしまうような人間であれば、
宝物などをさして好めないのと同じように、実物のヒトもまたそう懇ろな愛好対象にはできない。
それでも世間体のための見栄っ張りによって、妻子を愛しているような風で
いようとしたりはするが、所詮は演技どまりでしかなく、内面にはさっさと
何もかも放り出してしまいたい思いからのストレスばかりを募らせてしまう。
そこからまたストレスの発散を実社会でのヒスな振る舞いなどに振り向けて行き、
不毛な派閥争いなどを激化させての、俗社会全体の腐敗にも加担して行くこととなる。
極度の金カネ好きは宝物嫌いのみならず、人間全般への愛着をも大いに損ねての、
社会全体の殺伐化にも与するのが常であり、それこそが心神喪失級の病理をも伴う、
人間精神の戦闘状態以上に悲惨な荒廃の極みともなるのである。
登録証だけ晒したって、名義変更が済んでる証拠にはならんだろ。
個人情報を晒さないことには成立しないような証明を求めていることにまだ気づかんのか?
そんな自己注意力のなさだから、嫁にもとっちめられるんだろうなあ。
それもまた、金カネの魔性に溺れたヒスにとっての宿命か。
個人情報を晒さないことには成立しないような証明を求めていることにまだ気づかんのか?
そんな自己注意力のなさだから、嫁にもとっちめられるんだろうなあ。
それもまた、金カネの魔性に溺れたヒスにとっての宿命か。
変更届出書は送付済みなんだから、手元にあるわけがないじゃん。
新しく買った刀のうちの一振りなんかは、
届出がすべて電子手続きで済ませられる所だったから、書類なんか始めから一つもないぞ。
申込完了通知メールにも「内容を他人に知られないように大切に保管してください」とある。
おまえらのほうがむしろ、個人情報保護法違反容疑の恐喝を試みているようだな。
新しく買った刀のうちの一振りなんかは、
届出がすべて電子手続きで済ませられる所だったから、書類なんか始めから一つもないぞ。
申込完了通知メールにも「内容を他人に知られないように大切に保管してください」とある。
おまえらのほうがむしろ、個人情報保護法違反容疑の恐喝を試みているようだな。
恐喝という言葉の意味も知らんのか
これだからゴミニートは
これだからゴミニートは
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スレッドタイトル:文弱の、ヒスとコミュ力による派閥争い