別に、清帝国ほどもの惰弱化ばかりを目指すべきだなんてことはなく、
スポーツみたいにお遊戯の仮面を被って人々の好戦性を増長させて行く運動ではなく、
純粋に人殺しの手段であることに特化した武芸のような運動に取り組むことで、
逆に争いの殺伐さを心の底から受け止めて行くことに特化すればいいのである。
古来の武芸は、非常に原始的な刀槍弓馬の修練に特化しているために、
現代戦でそのまま全ての技法が応用できるなんてこともないが、むしろより
血みどろで残酷極まる近接戦の殺し合いにかけての技法であるために、
それよりかはだいぶ遠巻きさばかりが進行している現代戦以上に、人の命を
奪ったりする行為の重大さについて、深く考えさせられるものとなっている。
生半可なら、そこから心神喪失と共なるウォーモンガー化なんてことにもなりかねないが、
より修練を重ねれば重ねるほど、戦争級に殺し合いがお祭り化することへの忌避感のほうが
立ち萎えになり、そこでの集団ヒステリーに乗せられるようなこともなくなるであろう。
スポーツなどとは真逆の心理的効果を帯びた運動であるために、どちらかを立てる
一方はもう一方が立たなくなるもので、今はスポーツを立てているために武芸が
立たなくなっている時代である。これから戦争が活性化しかねない時代とあらば、
なおのことその立場を逆転させて行くのでなければ、核による得点争いまでもが夢ではなくなろう。
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