
自らの心がオナニーメンタルなみにヘタレきっている状態だと、 
 人間っていうのは心技体、あらゆる面において半分程度の能力しか発揮できない。   
 「これ以上やったら健康を害する」という限界域の半分程度。 
 その限界をさらに超えた無理を繰り返すのも、半分程度に止まるのも、 
 どちらも人間にとっての健全な有様ではなく、能力その他の頽廃を招く点では同じ。   
 人間が生きて行くためには、どんな形であってもその限界程度まで能力を発揮する 
 ような活動が必要になるもので、かつての農作業などはまさにその典型例だったし、 
 機械化などでそこまでの労力を必要としなくなったりしようとも、結局のところは 
 機械文明の保全などにかけて多大な労苦を重ねねばならない点では同じこととなっている。   
 AIによる機械任せで人類も労苦から解放されるなどと期待されはいるものの、 
 結局、人間の側がちゃんと能力を保っての保守に勤めて行くのでなければ、 
 AIもまた一緒に馬鹿になっての共倒れを招きかねないと示唆する事例もまた多発している。   
 結局、人間という生き物は限界いっぱいまで能力を発揮してこそ健全たるというのが 
 自明な法則であり続けるのには変わりなく、ただその手段が仕事オンリーとなると、 
 馬車馬も同然の人生であるが故の頽廃を招いてしまうのもまた、戦後旧世代の日本人の 
 やさぐれ加減などから知れたこと。仕事以外、仕事以上の所にまで全力発揮の 
 機会があることで初めて、人間にも十二分に健全たれる保証が具わるのである。
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