https://kotobank.jp/word/%E5%A5%B3%E3%81%AF%E4%B8%... 「女、三界に家なし」は、「女は娘としては親に、嫁としては旦那に、
母としては子供に仕える身だから、家に身の置き場がない」と解釈されることが多いが、
そんな徹底した作為的な差別を敷くまでもなく、女たちにはその本性から、
家という社会的単位に安住の場を見出す能力がない、というのが真相であった。
むしろ古来の男尊女卑的な価値観に基づく社会(特に日本のそれ)のほうは、
心技体あらゆる能力で男に大きく劣る女たちを、専業主婦なみの処遇によってでも、
家という枠組みの中で保護下に置いてやろうとして来たのだけれども、それでも、
女たち自身の側が、心の底から家という枠組み全体に安住の場を見出せるようなことは、
犬魂(けんたま)の持ち主であるが故に不能であり続ける、というのがその真意であった。
飼い犬だって、それぞれの人家での保護下に置かれるものだが、だからといって犬が
人家全体を己が住処として把握しているわけではなく、ただ飼い主と認めた相手に
帰服意識を抱いているのみ。それと同じように、家内における女たちもまた、
娘としては親に、嫁としては旦那に、母としては子供に帰服意識を抱くことまでしかできない、
だから「女、三界に家なし」ということでもある。「男尊女卑」という言葉を
動詞ではなくただの形容詞として提示した列子の教えにも通ずる普遍性のみが
そこにあるのだし、それを否定できるような反例が現代に至るまであり得たこともない。
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