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>>101の続き)
個人主義者は犬魂(けんたま)の持ち主であるが故に、上記のような理由で純正な
人道倫理がまったく理解できず、それらを生理的な嫌悪の対象とまで見なすのが常となる。
多くの国家社会を徳治によって数百年単位の平和や繁栄へと導いて来た実績を持つ
儒学の権力道徳なども、犬魂(けんたま)の持ち主からすれば少なからず全体主義的で
あるように思われるが故に目の敵となる。西洋の共産主義や国家社会主義に基づく
全体主義が個人性を否定してかかるのとは違って、儒学の権力道徳は格物致知誠意正心、
仁義礼智信のような個人の徳目をまず重視したうえで、修身斉家治国平天下、
君臣父子夫婦の親しみのような社会的関係性の充実を図る段階性を帯びている。
故に個人性というものを決して軽んじてはならないのだけれども、個人から社会への
懇ろな繋がりを重んじている時点で全体主義扱いとなり、自分たちの敵扱いとなる。
儒学道徳は、個人の修養とそれに基づく社会への連携の在り方をよく体系化していればこそ、
個人としての成熟をも最大級とならしめる一方、犬魂(けんたま)の持ち主はそれを
忌み嫌うが故に、個人としても大変に軽薄な人間となり、オナメン顔貌のような醜貌ともなる。
社会がどうこう以前に、自分自身の個人としての上達や福徳のためにも、人道倫理を
貴べる精神性であるべきなのに、その機会を逸して来た犬魂(けんたま)の持ち主たるや、
個人として哀れな存在であるという点を、個人主義者が相手なればこそ特に思いやるべきである。
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