たとえ自分がキリシタンではなく、薬物乱用などに否定的であるのだろうとも、
まだ不真面目さによるウレシ、感情のオナニーに耽る危険を排し去ったとは限らない。
お笑い芸なども、今や不真面目であることがその基本ぐらいに思われている節があるが、
本来、古典落語などの域であれば、たとえ大真面目だろうとも心から笑えるような
小噺ネタばかりを厳選して披露していたものなのだが、それが古典から近代へ、
さらには近代の漫才から近ごろのそれなどへと時代が進むに連れて、
大して面白くもないものを見る側の嬉しがりで笑わせようなどとするような、
安易なものばかりが多くを占めるようになってしまったのである。
そういった、見る側のウレシ頼みな低劣なお笑いばかりを好んでいたりすれば、
それによっても感情のオナニーによる壊乱の危害を免れられないこととなるのである。
故・歌丸師匠なども言ってたように、単なる裸芸などの宴会芸止まりなお笑いまで
一人前の芸とは認めずに、ちゃんと話の根本からの面白さで笑わせるような芸はまた別物だと
わきまえるぐらいのことはあるべきである。「もうお笑いなんてそれだけでもいいじゃん」
なんていう開き直りに及ぼうものなら、それはキリスト信仰や麻薬中毒並みの
弊害をも招きかねないものであるのだと警戒するのでなければならない。
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