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不真面目は感情のオナニーである 偉大なる生存の報告 Part309
▼ページ最下部
俺が子供の頃には、小学校などでいつもヘラヘラとして、
しょうもないことにいちいち嬉しがっているような同級生を
「ウレシ」などとバカにして戒める風潮があったものだが。
大人になってからは、むしろ一定以上にウレシであることが、
世知辛い時代に生きる社会人としての、感情面からのエチケットとして
必須扱いにされ、その手の不真面目さを完全に排するほうが堅物として忌み嫌われ、
ひどい場合にはアスペだなんだと病人のレッテルまで貼られるようになったのを実感している。
子供の頃にウレシが総出でバカにされてたのは、いちいち嬉しがらなくても
いられるぐらいに誰しもが人生楽しかったのもあるだろうし、際限なく嬉しがっている
者の不埒さがオナニーじみてることに恥じらいも感じてたのだろうと思われる。
むしろ、大人のほうがそのような恥じらいから遠ざかり、
「いつも喜んでいなさい(一テサロニケ5:16)」の実践こそが、
倫理的に良好な姿とまで思い込んでいる場合が多い。
いやそれは、やっぱりオナニーだろう、と。
無闇な嬉しがりによるアドレナリン放出に酔い痴れるのは、
股間をまさぐるまでもなく脳だけで試みている感情のオナニーにすぎず、
そのせいで悲嘆の原因となるような現実問題への着実な解決を怠り、
より陰惨な事態を招き入れることともなってしまう。
子供よりは大人、しかも男よりは女のほうが陥りがちなドツボ。
股間のオナニーを痴態として卑しむぐらいなら、それもまた忌むべきなのである。
しょうもないことにいちいち嬉しがっているような同級生を
「ウレシ」などとバカにして戒める風潮があったものだが。
大人になってからは、むしろ一定以上にウレシであることが、
世知辛い時代に生きる社会人としての、感情面からのエチケットとして
必須扱いにされ、その手の不真面目さを完全に排するほうが堅物として忌み嫌われ、
ひどい場合にはアスペだなんだと病人のレッテルまで貼られるようになったのを実感している。
子供の頃にウレシが総出でバカにされてたのは、いちいち嬉しがらなくても
いられるぐらいに誰しもが人生楽しかったのもあるだろうし、際限なく嬉しがっている
者の不埒さがオナニーじみてることに恥じらいも感じてたのだろうと思われる。
むしろ、大人のほうがそのような恥じらいから遠ざかり、
「いつも喜んでいなさい(一テサロニケ5:16)」の実践こそが、
倫理的に良好な姿とまで思い込んでいる場合が多い。
いやそれは、やっぱりオナニーだろう、と。
無闇な嬉しがりによるアドレナリン放出に酔い痴れるのは、
股間をまさぐるまでもなく脳だけで試みている感情のオナニーにすぎず、
そのせいで悲嘆の原因となるような現実問題への着実な解決を怠り、
より陰惨な事態を招き入れることともなってしまう。
子供よりは大人、しかも男よりは女のほうが陥りがちなドツボ。
股間のオナニーを痴態として卑しむぐらいなら、それもまた忌むべきなのである。
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(>>415の続き)
厳密な数値にはもしかしたらまだ異同があるかもしれないが、
50オナメン(50%オナニーメンタル)以上に心が真面目であり得るか否かが、
当人が子供を産み育てるに値する人物であるか否かの境界線になるのではないかとも思われる。
50オナメン以上に不真面目な人間が無理に子を持った所で、発達止まりにしか育てられず、
故にこそ、始めから子供なんか産み育てたくもない思いにも駆られる。
その程度でしかいられないような、己が人としての出来の悪さは、そのまま政治能力の低さ
などにも落とし込まれて、仮に一国の長なみの立場になろうものならば、国を破滅へと導く
大元凶となり、たとえ死んでも責任が取り切れないような事態にも陥ってしまうであろう。
「修身斉家治国平天下」とは、まさにその逆を行く修己治人の取り組みなのであり、
その肝要もまた、自らのオナメン堕ちを抑えて行くところにこそあるに違いないのである。
厳密な数値にはもしかしたらまだ異同があるかもしれないが、
50オナメン(50%オナニーメンタル)以上に心が真面目であり得るか否かが、
当人が子供を産み育てるに値する人物であるか否かの境界線になるのではないかとも思われる。
50オナメン以上に不真面目な人間が無理に子を持った所で、発達止まりにしか育てられず、
故にこそ、始めから子供なんか産み育てたくもない思いにも駆られる。
その程度でしかいられないような、己が人としての出来の悪さは、そのまま政治能力の低さ
などにも落とし込まれて、仮に一国の長なみの立場になろうものならば、国を破滅へと導く
大元凶となり、たとえ死んでも責任が取り切れないような事態にも陥ってしまうであろう。
「修身斉家治国平天下」とは、まさにその逆を行く修己治人の取り組みなのであり、
その肝要もまた、自らのオナメン堕ちを抑えて行くところにこそあるに違いないのである。
古くは、1970年前後のヒッピー気取りな団塊の映像などにも見られる、
常に口元目元がゆるんでヘラヘラとした、不埒でチャラ男然とした表情。
あれもまた、50~100オナメンばかりに見られる独特の人相だといえる。
まだ団塊が若者だった50年前であれば、
従軍経験もあるような戦前世代のお父さんなどが、一目見ただけでも
「おまえなんかには絶対に娘をやらん!」と断言していた人相だけれども。
その団塊が最長老となった今ともなると、
むしろこの表情こそは勝ち組、陽キャならではの勲章扱いとなり、
慶応あたりを出て電通にでも入って、この表情で美男美女の異性を侍らせた瞬間こそは、
人生の最高潮、この世で最も幸せな人としての大成功例とされるようになったのだった。
昔からそういう人間は一定数いたために、論語でも「君子と小人」のうちの「小人」として、
そのあり方が反面教師的に分析されているのだが、君子と小人を分かつのもまた、
やはり50オナメン以下いられるか、それ以上でしかいられないかであると言えるし、
その関門を乗り越えて50オナメン以下の大真面目さに慣れ親しめるようになるので
なければ、上記のような小さい所に止まる人間でしかいられなくなるわけである。
常に口元目元がゆるんでヘラヘラとした、不埒でチャラ男然とした表情。
あれもまた、50~100オナメンばかりに見られる独特の人相だといえる。
まだ団塊が若者だった50年前であれば、
従軍経験もあるような戦前世代のお父さんなどが、一目見ただけでも
「おまえなんかには絶対に娘をやらん!」と断言していた人相だけれども。
その団塊が最長老となった今ともなると、
むしろこの表情こそは勝ち組、陽キャならではの勲章扱いとなり、
慶応あたりを出て電通にでも入って、この表情で美男美女の異性を侍らせた瞬間こそは、
人生の最高潮、この世で最も幸せな人としての大成功例とされるようになったのだった。
昔からそういう人間は一定数いたために、論語でも「君子と小人」のうちの「小人」として、
そのあり方が反面教師的に分析されているのだが、君子と小人を分かつのもまた、
やはり50オナメン以下いられるか、それ以上でしかいられないかであると言えるし、
その関門を乗り越えて50オナメン以下の大真面目さに慣れ親しめるようになるので
なければ、上記のような小さい所に止まる人間でしかいられなくなるわけである。
別に、あまりにも気分が沈み切っているせいで表情筋も萎え切って、
常に死んだ目でいるチー牛弱男のようになれというのでもない。
喜怒哀楽、全てにかけて自由自在であり、
さらにそれ以前の無念無想の域にもまた容易に至れるのは、
それこそ50オナメン以下の大真面目とも親しんで行ける達者の特権である。
ヒスに囚われた神経症の患者などが、常に般若面のように険しい表情でしか
いられなくなったりするのと同じように、50オナメン以上の不真面目さに
囚われた人間もまた、緩み切ってふざけた表情でしかいられなくなる。
それもまた一種の心の不具であるのには違いなく、
本人がどんなに困っていなかった所で、無責任で他者にばかり苦労や不利益を
押し付けて行く非道な畜生働きなどによって、世間に大迷惑をかけたりすること
までは免れ得ず。そんな連中の横暴ばかりを大々的に許容し続けすぎたがあまりに
無理を来しての破綻に見舞われているのが、敗戦期末としての現代日本なのでもある。
常に死んだ目でいるチー牛弱男のようになれというのでもない。
喜怒哀楽、全てにかけて自由自在であり、
さらにそれ以前の無念無想の域にもまた容易に至れるのは、
それこそ50オナメン以下の大真面目とも親しんで行ける達者の特権である。
ヒスに囚われた神経症の患者などが、常に般若面のように険しい表情でしか
いられなくなったりするのと同じように、50オナメン以上の不真面目さに
囚われた人間もまた、緩み切ってふざけた表情でしかいられなくなる。
それもまた一種の心の不具であるのには違いなく、
本人がどんなに困っていなかった所で、無責任で他者にばかり苦労や不利益を
押し付けて行く非道な畜生働きなどによって、世間に大迷惑をかけたりすること
までは免れ得ず。そんな連中の横暴ばかりを大々的に許容し続けすぎたがあまりに
無理を来しての破綻に見舞われているのが、敗戦期末としての現代日本なのでもある。
さっき見た、なかなか興味深い夢。
催事場のような所でイベントが開かれていて、その中に、1分程度の
制限時間内に、用意された木材から矢を削りだして的に当てるというのがあった。
当て方は手投げでも何でも可で、簡素な弓と吹き矢用の筒も用意されている。
切出の小刀などの工具も用意されていて、材木には色々な形状のがある。
如何せん制限時間が短いために、誰もろくに矢を成型しきることができず、
スチロール製らしい柔らかい的に至近距離から弓で射ても刺さらない。
主催者側も「非常に難しいのでめげないで」とアナウンスする。
聞く所によると、93歳のおばあさんの成功者が一人だけいるらしい。
弓道競技者に女が多いせいか、特におばさんが試みては失敗している中、
俺も挑戦することになった。弓道経験はないが、見た目が器用そうということで、
「この人なら成功できるかも」とささやく観衆が多くいる中、競技開始。
俺は徐に長めの角材を選び取って、切出でガシガシと削り始める。
実際にもまあまあ慣れてる作業で、ものの見事に削れて行くんだが、
なんとこの木材、材料カットの際に端材としてたまに出る、長辺に対して
木目が垂直に入っている角材で、いくら削っても先端が鋭利には尖らない。
「こりゃダメだ」と見取って材料を選び直そうとするも、もはや時間がない。
仕方ないので、うまく尖らせられなかった角材を的に投げ付けて、案の定
刺さらずに失敗して終了。期待されてたのにこの体たらくで大恥、という夢。
催事場のような所でイベントが開かれていて、その中に、1分程度の
制限時間内に、用意された木材から矢を削りだして的に当てるというのがあった。
当て方は手投げでも何でも可で、簡素な弓と吹き矢用の筒も用意されている。
切出の小刀などの工具も用意されていて、材木には色々な形状のがある。
如何せん制限時間が短いために、誰もろくに矢を成型しきることができず、
スチロール製らしい柔らかい的に至近距離から弓で射ても刺さらない。
主催者側も「非常に難しいのでめげないで」とアナウンスする。
聞く所によると、93歳のおばあさんの成功者が一人だけいるらしい。
弓道競技者に女が多いせいか、特におばさんが試みては失敗している中、
俺も挑戦することになった。弓道経験はないが、見た目が器用そうということで、
「この人なら成功できるかも」とささやく観衆が多くいる中、競技開始。
俺は徐に長めの角材を選び取って、切出でガシガシと削り始める。
実際にもまあまあ慣れてる作業で、ものの見事に削れて行くんだが、
なんとこの木材、材料カットの際に端材としてたまに出る、長辺に対して
木目が垂直に入っている角材で、いくら削っても先端が鋭利には尖らない。
「こりゃダメだ」と見取って材料を選び直そうとするも、もはや時間がない。
仕方ないので、うまく尖らせられなかった角材を的に投げ付けて、案の定
刺さらずに失敗して終了。期待されてたのにこの体たらくで大恥、という夢。
切出をうまく使いこなす技術も、手投げで矢を的に撃ち付けられるぐらいの
体力もありながら、適当な材木を注意して選び取る知恵には欠けていた。
心技体でいえば心の修練が不十分だったが故の失敗。
実際の俺がどうかはともかくとして、夢の中の俺は少なくともそうだった。
弓や吹矢筒も用意されていたことだし、その辺の修練まで十分なら、
非力で手先も弱っている93歳のおばあさんだろうとも成功させられそうなのもわかる。
たとえば野球の大谷でも、矢を削り出す技能不足や木材選びの失敗のせいでできないかも知れないし、
将棋の藤井でも、同様な理由か、矢を的に撃ち付ける技量や力不足のせいでできないかもしれない。
心技体全方向への修練が不十分なら、何かの素養で日本一、世界一級に秀でる者だろうとも、
全ての能力が平均以下であるような人間にすら、ある種の成果で劣るようなことになる。
全てにかけて最善を尽くしておこうとしないオナメンなら、だれでも陥る落とし穴なのである。
体力もありながら、適当な材木を注意して選び取る知恵には欠けていた。
心技体でいえば心の修練が不十分だったが故の失敗。
実際の俺がどうかはともかくとして、夢の中の俺は少なくともそうだった。
弓や吹矢筒も用意されていたことだし、その辺の修練まで十分なら、
非力で手先も弱っている93歳のおばあさんだろうとも成功させられそうなのもわかる。
たとえば野球の大谷でも、矢を削り出す技能不足や木材選びの失敗のせいでできないかも知れないし、
将棋の藤井でも、同様な理由か、矢を的に撃ち付ける技量や力不足のせいでできないかもしれない。
心技体全方向への修練が不十分なら、何かの素養で日本一、世界一級に秀でる者だろうとも、
全ての能力が平均以下であるような人間にすら、ある種の成果で劣るようなことになる。
全てにかけて最善を尽くしておこうとしないオナメンなら、だれでも陥る落とし穴なのである。
セブン&アイHD、そごう・西武を8500万円でファンドに売却
https://mainichi.jp/articles/20230901/k00/00m/020/...
あの、池袋を東西に分かつ巨大な壁が8500万ポッキリかよと思いきや、
負債額が2200億円もあった上での、タダ同然での買い叩きだとな。
ヨドバシHD、西武池袋店などの土地取得 3000億円弱で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC3188E0R30C23A8...
しかもそこからまたヨドバシに渡る。ただし土地だけが。
従業員や建物はいらないが、自分たちで処分すると印象が悪くなるから、
アメリカのファンドに済ませてもらった上で買い取る。800億円もかけて。
建物の処分費用もそれなりにかかるにしても、不景気時代の小売の覇者となった
ヨドバシが、数百億円かけてでも厄介払いしたかったのが、バブル時代の奢侈の
ノリに味を占めたままでいる、昔ながらの百貨店の従業員どもなのだとさ。
人材難の時代でもあるのに、それでもいないほうがマシ扱いされるほどの老害人種。
うちの近くの百貨店の従業員なんかも、若手の新入りをいびって辞めさせるような
真似に及んでるというし、もはや世を挙げての「はよ死ね」扱いの太鼓判を捺されている。
今までの仕事のスキルが活かせないどころか、むしろ心機一転を妨げる足枷になる。
これも、ごく一部の分野にだけ秀でて、他を全くの蔑ろにしているような
オナメンばかりを人間の標準として厚遇して来た弊害なのである。
https://mainichi.jp/articles/20230901/k00/00m/020/...
あの、池袋を東西に分かつ巨大な壁が8500万ポッキリかよと思いきや、
負債額が2200億円もあった上での、タダ同然での買い叩きだとな。
ヨドバシHD、西武池袋店などの土地取得 3000億円弱で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC3188E0R30C23A8...
しかもそこからまたヨドバシに渡る。ただし土地だけが。
従業員や建物はいらないが、自分たちで処分すると印象が悪くなるから、
アメリカのファンドに済ませてもらった上で買い取る。800億円もかけて。
建物の処分費用もそれなりにかかるにしても、不景気時代の小売の覇者となった
ヨドバシが、数百億円かけてでも厄介払いしたかったのが、バブル時代の奢侈の
ノリに味を占めたままでいる、昔ながらの百貨店の従業員どもなのだとさ。
人材難の時代でもあるのに、それでもいないほうがマシ扱いされるほどの老害人種。
うちの近くの百貨店の従業員なんかも、若手の新入りをいびって辞めさせるような
真似に及んでるというし、もはや世を挙げての「はよ死ね」扱いの太鼓判を捺されている。
今までの仕事のスキルが活かせないどころか、むしろ心機一転を妨げる足枷になる。
これも、ごく一部の分野にだけ秀でて、他を全くの蔑ろにしているような
オナメンばかりを人間の標準として厚遇して来た弊害なのである。
その壁が、際限なく負債を膨れ上がらせる害悪の元凶とならないためには、
今度は都心の超一等地などではなく、田舎の僻地にでも壁を作るのでなければならない。
俺が昔行きつけてたオーディオ専門店なども、元は中心街の一等地で長年経営してたのが、
今さら誰も据え置きオーディオなんかに凝らないことによる経営不振で、
災害の危険のために地価が駄々下がりな遠方の僻地へと引っ越して行ったもの。
栄枯盛衰は必ずしも衰退側の即死を招くものではないが、時勢を無視してまでの、
無理な虚栄の延命を試みた者ほど、平氏のごとき末路の悲惨さに見舞われることともなる。
「滅びの美学」は元来、隠遁出家のような穏健な転身を補強する理念だったものが、
戦前末期の特効玉砕などによって、速やかな狂死の正当化材料だなどと思いこまれることが
頻繁化し、戦後世代の敬遠による老害化を開き直る口実にまでされて来たきらいがあるが。
そうではなくむしろ、惨死の類いを避けるためのリスクコントロールの一環として、
滅びの美学を取り入れ直すことが、これからの日本人にもあって然るべきだろう。
今度は都心の超一等地などではなく、田舎の僻地にでも壁を作るのでなければならない。
俺が昔行きつけてたオーディオ専門店なども、元は中心街の一等地で長年経営してたのが、
今さら誰も据え置きオーディオなんかに凝らないことによる経営不振で、
災害の危険のために地価が駄々下がりな遠方の僻地へと引っ越して行ったもの。
栄枯盛衰は必ずしも衰退側の即死を招くものではないが、時勢を無視してまでの、
無理な虚栄の延命を試みた者ほど、平氏のごとき末路の悲惨さに見舞われることともなる。
「滅びの美学」は元来、隠遁出家のような穏健な転身を補強する理念だったものが、
戦前末期の特効玉砕などによって、速やかな狂死の正当化材料だなどと思いこまれることが
頻繁化し、戦後世代の敬遠による老害化を開き直る口実にまでされて来たきらいがあるが。
そうではなくむしろ、惨死の類いを避けるためのリスクコントロールの一環として、
滅びの美学を取り入れ直すことが、これからの日本人にもあって然るべきだろう。
相変わらず連日での、大メディアによる大谷藤井のゴリ押しなども、世の中が
戦争や元首相暗殺や、権力中枢でのカルト支配や世界史上最悪規模の性加害の発覚
のような、地獄の釜の蓋が開いた状態にもかかわらずの不謹慎さであることから、
いよいよ「大谷ハラスメント」なんて言葉までもが流行語になりつつあるわけだが。
どんな状況でもふざけてしかいられないようなパーフェクトオナニーメンタルが、これ以上
都心の権力中枢などに巣食っていられる余地はないとして、仮にその事後処理に臨むとする。
野球も全面禁止までは行かずとも、最高でもBSや有料放送での放映に止めるようにさせて、
今までのような富豪経営が立ち行かなくなった球団なども、スタジアムも売り払って、
今の二軍のキャンプ地あたりが一軍に至るまでの本拠地となるように至らしめる。
古流武術なんかは、今でもそれ並み以下の扱いを受け続けているわけで、
ただの球遊びへの待遇としてはまだ厚遇に過ぎるといっても過言ではないのだが、
それでも今までのふざけた寵偶加減に味を占めて来た野球関係者などの中には、
相対的な冷遇に不満を抱いて文句を言うような者が現れるかもしれない。
戦争や元首相暗殺や、権力中枢でのカルト支配や世界史上最悪規模の性加害の発覚
のような、地獄の釜の蓋が開いた状態にもかかわらずの不謹慎さであることから、
いよいよ「大谷ハラスメント」なんて言葉までもが流行語になりつつあるわけだが。
どんな状況でもふざけてしかいられないようなパーフェクトオナニーメンタルが、これ以上
都心の権力中枢などに巣食っていられる余地はないとして、仮にその事後処理に臨むとする。
野球も全面禁止までは行かずとも、最高でもBSや有料放送での放映に止めるようにさせて、
今までのような富豪経営が立ち行かなくなった球団なども、スタジアムも売り払って、
今の二軍のキャンプ地あたりが一軍に至るまでの本拠地となるように至らしめる。
古流武術なんかは、今でもそれ並み以下の扱いを受け続けているわけで、
ただの球遊びへの待遇としてはまだ厚遇に過ぎるといっても過言ではないのだが、
それでも今までのふざけた寵偶加減に味を占めて来た野球関係者などの中には、
相対的な冷遇に不満を抱いて文句を言うような者が現れるかもしれない。
マスコミ本体ともなればより深刻で、虚栄心を満たす余地を絶たれた鬱憤から、
各種の非合法活動にまで手を染め始めかねず、一度は権力中枢で天下を握った
経験を活かしての、半グレや暴力団も顔負けな大反社会勢力にまでなりかねない。
頭がパーフェクトオナメンと化してしまった後遺症たるや、麻薬中毒などと比べても
全く遜色がない域の深刻さだからこそ、遠い将来に至るまでの禍根ともなりかねない。
そこに十全なケアを施して行くのもまた、革命後の徳治者の責務ではあるにしても、
あまりにも度し難い連中の、大坂の陣のような動乱による討伐までもが時には必要と
なりかねない覚悟までもがあって然るべきであるからには、一度でもその域の腐敗を
来してしまった世の中の統治が、全く武威に依らずに済むこともないとわきまえるべきなのである。
各種の非合法活動にまで手を染め始めかねず、一度は権力中枢で天下を握った
経験を活かしての、半グレや暴力団も顔負けな大反社会勢力にまでなりかねない。
頭がパーフェクトオナメンと化してしまった後遺症たるや、麻薬中毒などと比べても
全く遜色がない域の深刻さだからこそ、遠い将来に至るまでの禍根ともなりかねない。
そこに十全なケアを施して行くのもまた、革命後の徳治者の責務ではあるにしても、
あまりにも度し難い連中の、大坂の陣のような動乱による討伐までもが時には必要と
なりかねない覚悟までもがあって然るべきであるからには、一度でもその域の腐敗を
来してしまった世の中の統治が、全く武威に依らずに済むこともないとわきまえるべきなのである。
いやだって、親に甘やかされて育てられて来たせいで云々と、
親が子を愛することこそは罪悪みたいに散々言い連ねて来たのがおまえらだろ?
親が子を愛することこそは罪悪みたいに散々言い連ねて来たのがおまえらだろ?
親族にろくに愛されることもなく、
さっさと家を出て世知辛い世の中にも順応して行った
独立者ほど偉大扱いされる時代の落ちこぼれですはい。^^
誰もかれもが独り立ちにこだわるあまり、
日本中が単世帯住宅で溢れかえって、
中心街どころか住宅街までヒートアイランド化まっしぐらな、
そんな時代のこどおじ落ちこぼれですはい。^^
さっさと家を出て世知辛い世の中にも順応して行った
独立者ほど偉大扱いされる時代の落ちこぼれですはい。^^
誰もかれもが独り立ちにこだわるあまり、
日本中が単世帯住宅で溢れかえって、
中心街どころか住宅街までヒートアイランド化まっしぐらな、
そんな時代のこどおじ落ちこぼれですはい。^^
[YouTubeで再生]
まじめに生きちゃ 馬鹿を見る
ほんじゃまか ほんじゃまか
真面目になんかやってられるか、バカヤロー解散
という所から始まり、今もそれが主流である時代。
40代以下の次世代が総員でまともにやっていけないほどの貧窮に
追い込まれようとも「お粗末様!」の一言で済ませられるぐらいの素地が元からある。
いつの時代にも真面目もあれば不真面目もあろうとて、
どちらがより優勢かぐらいの偏りは特殊なものとしてあり、
今や大正期のように不真面目ばかりを優遇し過ぎている時代や、
戦前末期のようにそこからの反発で下手糞な糞真面目の一辺倒と化した時代は
そう長く続くこともなく、なんらかの形での大破綻を来すのが常となっている。
織豊のような奢侈は総員で禁じながらも、宴会でのドジョウ掬い踊りを面白がるような
余裕もあったという徳川が君臨した時代こそは、持続可能な社会の模範をも築いたように、
真面目も不真面目もどちらもあれど、総体としては真面目のほうが若干以上に優る
といった程度の均衡を守れる者こそは、最大級の安定を確立するものであるが。
それは、今みたいなふざけ切った時代の人間にとっては、戦前の軍国時代のような
糞真面目一辺倒へと振りきれるよりも大いなる難儀となるのに違いなく、
全くの自力ではまず不可能であるのに違いない。特に権力中枢は総入れ替え
ぐらい敢行するのでなければ、不埒な時流にわずかな修正をかけるめども立たない。
まじめに生きちゃ 馬鹿を見る
ほんじゃまか ほんじゃまか
真面目になんかやってられるか、バカヤロー解散
という所から始まり、今もそれが主流である時代。
40代以下の次世代が総員でまともにやっていけないほどの貧窮に
追い込まれようとも「お粗末様!」の一言で済ませられるぐらいの素地が元からある。
いつの時代にも真面目もあれば不真面目もあろうとて、
どちらがより優勢かぐらいの偏りは特殊なものとしてあり、
今や大正期のように不真面目ばかりを優遇し過ぎている時代や、
戦前末期のようにそこからの反発で下手糞な糞真面目の一辺倒と化した時代は
そう長く続くこともなく、なんらかの形での大破綻を来すのが常となっている。
織豊のような奢侈は総員で禁じながらも、宴会でのドジョウ掬い踊りを面白がるような
余裕もあったという徳川が君臨した時代こそは、持続可能な社会の模範をも築いたように、
真面目も不真面目もどちらもあれど、総体としては真面目のほうが若干以上に優る
といった程度の均衡を守れる者こそは、最大級の安定を確立するものであるが。
それは、今みたいなふざけ切った時代の人間にとっては、戦前の軍国時代のような
糞真面目一辺倒へと振りきれるよりも大いなる難儀となるのに違いなく、
全くの自力ではまず不可能であるのに違いない。特に権力中枢は総入れ替え
ぐらい敢行するのでなければ、不埒な時流にわずかな修正をかけるめども立たない。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1693742371/1...
>数百年前どころか、数十年前までその辺で頻繁に銃撃戦が起きては死人が出てたわけだが。
>しかもそれが徹底的に取り締まられた途端に、政府のカルト支配が確立されたんだぜ。
>日本史も世界史も、少なくともここ800年は武断なくして国も成り立たない情勢が続いてる。
>麻呂眉で和歌詠んでたら国が治まってた時代よりは、武家時代のほうが今とも似通ってるんだよ。
なぜ武断なくして国も成り立たないのかというと、
それだけ根底の所に度し難い不真面目さがくすぶり続けている時勢だからでもある。
統一の韓鶴は、家庭崩壊や家族の自殺まで来しながら信者が捧げた献金を元手に
ラスベガスで豪遊していたという。いざ武断を権力機構から完全排除した途端に、
(暴力団の政権との癒着なども、最低劣の部類ではあるにしろその条件を満たしてた)
それほどにもふざけきったゴミクズの専横が始まるのがデフォなのが現状であるが故にこそ、
いざとなれば討入切腹も辞さないぐらいの姿勢が、今のような時代にまで不可欠なのである。
>数百年前どころか、数十年前までその辺で頻繁に銃撃戦が起きては死人が出てたわけだが。
>しかもそれが徹底的に取り締まられた途端に、政府のカルト支配が確立されたんだぜ。
>日本史も世界史も、少なくともここ800年は武断なくして国も成り立たない情勢が続いてる。
>麻呂眉で和歌詠んでたら国が治まってた時代よりは、武家時代のほうが今とも似通ってるんだよ。
なぜ武断なくして国も成り立たないのかというと、
それだけ根底の所に度し難い不真面目さがくすぶり続けている時勢だからでもある。
統一の韓鶴は、家庭崩壊や家族の自殺まで来しながら信者が捧げた献金を元手に
ラスベガスで豪遊していたという。いざ武断を権力機構から完全排除した途端に、
(暴力団の政権との癒着なども、最低劣の部類ではあるにしろその条件を満たしてた)
それほどにもふざけきったゴミクズの専横が始まるのがデフォなのが現状であるが故にこそ、
いざとなれば討入切腹も辞さないぐらいの姿勢が、今のような時代にまで不可欠なのである。
暴力団は戦後、不逞鮮人から邦人の権益を守るための防波堤として強大化したが、
日本が経済大国として復興するに連れてその役割も形骸化し、朝魚羊人の組員なども
増加したことで、かえって国益を害するならず者集団へと成り代わってしまったがめに、
もはや存在を黙認しておいてやる必要もなくなったというのが、暴対法が強化されて、
893が完膚なきまでに無力化され始めて以降に囁かれて来た通用的な俗説であった。
しかし残念、世の中は国内外を問わず、武断なくして国一つ成り立たない濁流のただ中に
あり続けているがために、表向きは暴力団の抗争はおろか、暴力事件全般が最少限にまで
抑え込まれているここ数十年の日本においても、スパイ工作による日本社会への侵害などが
より激化し、暴力はびこる昭和期以上に亡国の危機を直近へと寄せ付ける狂態となったのだった。
暴力団自体は、政府がパンパンを募るほどの屈辱に見舞われた暗黒の時代ならではの
急場しのぎな抵抗者に過ぎなかったわけで、決してそのような日陰暮らしの人員などに国の
命運を任せるような時代に立ち戻るべきだなどということはない。最低でも軍人、なるべくなら
武士なみに文武両道の最善を尽くした公正な職務の担当者こそが、この世における武断を
司って行くことで初めて、真面目が不真面目を総量で上回ることによる安定も確保される。
前言の通り、軍国化による武断一辺倒などもやり過ぎになるので避けるべきではあるのだが。
日本が経済大国として復興するに連れてその役割も形骸化し、朝魚羊人の組員なども
増加したことで、かえって国益を害するならず者集団へと成り代わってしまったがめに、
もはや存在を黙認しておいてやる必要もなくなったというのが、暴対法が強化されて、
893が完膚なきまでに無力化され始めて以降に囁かれて来た通用的な俗説であった。
しかし残念、世の中は国内外を問わず、武断なくして国一つ成り立たない濁流のただ中に
あり続けているがために、表向きは暴力団の抗争はおろか、暴力事件全般が最少限にまで
抑え込まれているここ数十年の日本においても、スパイ工作による日本社会への侵害などが
より激化し、暴力はびこる昭和期以上に亡国の危機を直近へと寄せ付ける狂態となったのだった。
暴力団自体は、政府がパンパンを募るほどの屈辱に見舞われた暗黒の時代ならではの
急場しのぎな抵抗者に過ぎなかったわけで、決してそのような日陰暮らしの人員などに国の
命運を任せるような時代に立ち戻るべきだなどということはない。最低でも軍人、なるべくなら
武士なみに文武両道の最善を尽くした公正な職務の担当者こそが、この世における武断を
司って行くことで初めて、真面目が不真面目を総量で上回ることによる安定も確保される。
前言の通り、軍国化による武断一辺倒などもやり過ぎになるので避けるべきではあるのだが。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_202309042049...
一昨日やってた「映像の世紀」で、100年前に起きた関東大震災の経験で得た防災対策を、
当時の政府は空襲対策にも応用しようとして、数多の死傷者を出したという話をやってたが。
天災への対策が人災、戦災にもそのまま活かせるわけがないだろうと、
シラフのツッコミを入れた新聞記者も辞職に追い込まれて、記事を掲載した新聞も謝罪したと。
狂乱を帯びた同調圧力で、船頭多くして船山に上る悪癖がこんな所にもあったのだなと知れる。
そこからわかるのは、戦前の日本人もやはり、本質的にふざけきっていたということ。
軍国化による糞真面目への一本化などもそこからの一つ覚えな反動でしかないために、
兵站や情報戦まで重んじるような知恵を欠く猪武者加減からの敗亡に見舞われたのである。
一昨日やってた「映像の世紀」で、100年前に起きた関東大震災の経験で得た防災対策を、
当時の政府は空襲対策にも応用しようとして、数多の死傷者を出したという話をやってたが。
天災への対策が人災、戦災にもそのまま活かせるわけがないだろうと、
シラフのツッコミを入れた新聞記者も辞職に追い込まれて、記事を掲載した新聞も謝罪したと。
狂乱を帯びた同調圧力で、船頭多くして船山に上る悪癖がこんな所にもあったのだなと知れる。
そこからわかるのは、戦前の日本人もやはり、本質的にふざけきっていたということ。
軍国化による糞真面目への一本化などもそこからの一つ覚えな反動でしかないために、
兵站や情報戦まで重んじるような知恵を欠く猪武者加減からの敗亡に見舞われたのである。
[YouTubeで再生]
「天のなせる災いはなお避くべし。自らのなせる災いは逃るべからず」(書経・太甲中)
のごとき穏健な分別こそが、さような過ちを繰り返さないための根幹ともなるだろうが。
現代人でこの句を含む四書五経の文言を読み解いて、退屈がらずに済む者もそうはおるまい。
各種のエンタメ作品はおろか、洋学の学術書ほどにも概念論的な華々しさを持ち合わせては
いないその真面目一徹な記述に嫌気がさして、多くの場合は勉強を放り投げてしまうだろう。
だからこそ、知識の蓄積以前にまず、精神面からの大真面目さの修養が必要ともなる。
それなくして表面だけ真面目ぶるのが外骨格の虫だとすれば、内面からの大真面目さを得るのは
内骨格の脊椎動物たるようなもので、それこそが脊椎動物の自然界における雄大化と同じように、
人としての雄大さの糧ともなるもので、そこへの憧れこそを勉励の気概ともすべきだといえる。
「天のなせる災いはなお避くべし。自らのなせる災いは逃るべからず」(書経・太甲中)
のごとき穏健な分別こそが、さような過ちを繰り返さないための根幹ともなるだろうが。
現代人でこの句を含む四書五経の文言を読み解いて、退屈がらずに済む者もそうはおるまい。
各種のエンタメ作品はおろか、洋学の学術書ほどにも概念論的な華々しさを持ち合わせては
いないその真面目一徹な記述に嫌気がさして、多くの場合は勉強を放り投げてしまうだろう。
だからこそ、知識の蓄積以前にまず、精神面からの大真面目さの修養が必要ともなる。
それなくして表面だけ真面目ぶるのが外骨格の虫だとすれば、内面からの大真面目さを得るのは
内骨格の脊椎動物たるようなもので、それこそが脊椎動物の自然界における雄大化と同じように、
人としての雄大さの糧ともなるもので、そこへの憧れこそを勉励の気概ともすべきだといえる。
渋沢栄一は、関東大震災を「天罰」と呼んで人々への反省を促したというが、
これは当たらずと雖も遠からずといった指摘だったらしい。
震災の直前まで、日本は第一次大戦の軍需によるバブル景気となり、
多くの成金が酒池肉林の奢侈にふけるような真似に及んでいたという。
それが東京全体の防災意識の低下をも招いていたらしいのは、
この風刺画が火の用心を怠っている最たる事例となっていることからも
察せられるもので、実際に関東大震災は地震そのものではなく、
その後に発生した火災による犠牲者が大半を占めることとなったのだった。
幕末に起きた安政の大地震による江戸の死者が多く数えても1万人程度なのに対し、
関東大震災では10万人もの死者をたたき出したのは、明暦の大火以降、
火の用心への心がけを続けていた江戸期の人々以上に、大正期の日本人が
その手の注意を怠る不真面目状態でいたからでこそあるのではないか。
関東大震災の極端な犠牲者の多さ自体、純粋な天災のみによるものではなく、
人々のオナメン化による自業自得の人災という側面もまた大いにあった。
その両方を総合して「天罰」というのも、全くの誤りとまでは言い難いわけである。
これは当たらずと雖も遠からずといった指摘だったらしい。
震災の直前まで、日本は第一次大戦の軍需によるバブル景気となり、
多くの成金が酒池肉林の奢侈にふけるような真似に及んでいたという。
それが東京全体の防災意識の低下をも招いていたらしいのは、
この風刺画が火の用心を怠っている最たる事例となっていることからも
察せられるもので、実際に関東大震災は地震そのものではなく、
その後に発生した火災による犠牲者が大半を占めることとなったのだった。
幕末に起きた安政の大地震による江戸の死者が多く数えても1万人程度なのに対し、
関東大震災では10万人もの死者をたたき出したのは、明暦の大火以降、
火の用心への心がけを続けていた江戸期の人々以上に、大正期の日本人が
その手の注意を怠る不真面目状態でいたからでこそあるのではないか。
関東大震災の極端な犠牲者の多さ自体、純粋な天災のみによるものではなく、
人々のオナメン化による自業自得の人災という側面もまた大いにあった。
その両方を総合して「天罰」というのも、全くの誤りとまでは言い難いわけである。
しかし、天災でも人災でもあったという多重性を無視して、
渋沢の言葉などを頼りに、何もかもが人力でどうにかなるなどと思い込み、
バケツリレー一つで東京大空襲の業火まで消し止めようとして、
また多大なる犠牲者をはじき出したのが戦前日本の有様でもあった。
第一次大戦後の好景気による奢侈だけでなく、関東大震災後の糞真面目さもまた、
天災と人災と戦災の分別も付かないほどの不真面目さを帯びていたがために、
うまくやれば抑えられるような被害まで招くような過ちを繰り返したのだった。
体裁が軟派だろうが硬派だろうが、眉間ユルユルで垂れ眉だろうが釣り眉だろうが、
物事の分別もまともに付かないオナメンのままでは、似たような過ちを繰り返すのみとなる。
渋沢栄一や、バケツリレーによる焼夷弾消火に疑義を呈していた新聞記者の苦言もまた、
人々を正しい方向に導くどころか、誤解や反発による過ちの助長にまで与した。
正気の大真面目に近い心境の持ち主が少数いて、言葉で注意した程度ではどうにもならない、
集団ヒステリーの妄動もまたあるからには、実力行使での統制すら時になくては済まぬ。
それがまた226事件のような過ちの極めつけともなりかねないのが濁世の常だし、
撥乱反正の時節は人事と天命、どちらの最善を欠こうとも招かれ得ぬ所があるのである。
渋沢の言葉などを頼りに、何もかもが人力でどうにかなるなどと思い込み、
バケツリレー一つで東京大空襲の業火まで消し止めようとして、
また多大なる犠牲者をはじき出したのが戦前日本の有様でもあった。
第一次大戦後の好景気による奢侈だけでなく、関東大震災後の糞真面目さもまた、
天災と人災と戦災の分別も付かないほどの不真面目さを帯びていたがために、
うまくやれば抑えられるような被害まで招くような過ちを繰り返したのだった。
体裁が軟派だろうが硬派だろうが、眉間ユルユルで垂れ眉だろうが釣り眉だろうが、
物事の分別もまともに付かないオナメンのままでは、似たような過ちを繰り返すのみとなる。
渋沢栄一や、バケツリレーによる焼夷弾消火に疑義を呈していた新聞記者の苦言もまた、
人々を正しい方向に導くどころか、誤解や反発による過ちの助長にまで与した。
正気の大真面目に近い心境の持ち主が少数いて、言葉で注意した程度ではどうにもならない、
集団ヒステリーの妄動もまたあるからには、実力行使での統制すら時になくては済まぬ。
それがまた226事件のような過ちの極めつけともなりかねないのが濁世の常だし、
撥乱反正の時節は人事と天命、どちらの最善を欠こうとも招かれ得ぬ所があるのである。
オナメンがオナメンのまま真面目ぶって、
近ごろのデーブスペクターみたいな眉間ユルユルの釣り眉になってみた所で、
過ちの上塗りのペースからは免れ得ないままに終わる、現代の実例を挙げてみればーー
近ごろの、子や孫のいる年寄りが、終活などに際してよく口にしてるのが、
「我が子に迷惑をかけない」というテーゼだけれども。
そのためにやってるのが何かといえば、
赤の他人に下の世話を頼むための介護契約の充実だったり、
要介護にならないための病院通いだったり、健康食品の買い込みだったり。
それは、我が子に下の世話を頼むようなある種の屈辱を回避するための手段には
なっているが、自身にとっても国にとっても多額の費用がかさむ手段でも
あるがために、老人側がいつまでも国富の大半を占有し続けて若手に権益を回さず、
経済的な圧迫で貧窮に追い込み続ける大迷惑行為の一環ともなっているのである。
近ごろのデーブスペクターみたいな眉間ユルユルの釣り眉になってみた所で、
過ちの上塗りのペースからは免れ得ないままに終わる、現代の実例を挙げてみればーー
近ごろの、子や孫のいる年寄りが、終活などに際してよく口にしてるのが、
「我が子に迷惑をかけない」というテーゼだけれども。
そのためにやってるのが何かといえば、
赤の他人に下の世話を頼むための介護契約の充実だったり、
要介護にならないための病院通いだったり、健康食品の買い込みだったり。
それは、我が子に下の世話を頼むようなある種の屈辱を回避するための手段には
なっているが、自身にとっても国にとっても多額の費用がかさむ手段でも
あるがために、老人側がいつまでも国富の大半を占有し続けて若手に権益を回さず、
経済的な圧迫で貧窮に追い込み続ける大迷惑行為の一環ともなっているのである。
本当に我が子に迷惑をかけたくないのだったら、そんな手段の元手となるような
貯金なども放棄するか我が子に相続させて、それでもできるような細々とした
暮らしにだけ勤しみ、重病や要介護になろうものなら速やかにこの世を去るべきである。
それができなくて、我が子に介護を頼むようなことになったとしても、
上記のような手段での延命を試みたりするよりは、まだ迷惑ではないことになる。
大真面目にすべての因果関係まで考え抜けば自明に知れることだけれども、
眉間ユルユルのオナニーメンタルのままで長年やって来た年寄りなどが、
急に眉尻を吊り上げて真面目ぶってみても、そんな所まで洞察が及ぶことはなく、
せいぜい「子供に下の世話をさせる」程度が典型的な迷惑だとみて取って、
それだけは避けようとするような上っ面だけの対策に走ろうとするのである。
それは結局、「見栄を張る」という行為へとすべての試みが集約されてもいるわけで、
考えが浅くて本性から不真面目な人間ほど見栄っ張りとなる実証例にもなっているといえる。
つまり、見栄っ張りが多い世の中ほど、その手の人種が多い状態だとも知れるのである。
貯金なども放棄するか我が子に相続させて、それでもできるような細々とした
暮らしにだけ勤しみ、重病や要介護になろうものなら速やかにこの世を去るべきである。
それができなくて、我が子に介護を頼むようなことになったとしても、
上記のような手段での延命を試みたりするよりは、まだ迷惑ではないことになる。
大真面目にすべての因果関係まで考え抜けば自明に知れることだけれども、
眉間ユルユルのオナニーメンタルのままで長年やって来た年寄りなどが、
急に眉尻を吊り上げて真面目ぶってみても、そんな所まで洞察が及ぶことはなく、
せいぜい「子供に下の世話をさせる」程度が典型的な迷惑だとみて取って、
それだけは避けようとするような上っ面だけの対策に走ろうとするのである。
それは結局、「見栄を張る」という行為へとすべての試みが集約されてもいるわけで、
考えが浅くて本性から不真面目な人間ほど見栄っ張りとなる実証例にもなっているといえる。
つまり、見栄っ張りが多い世の中ほど、その手の人種が多い状態だとも知れるのである。
画像を貼り間違えたが、
>>462で書いた「この風刺画」ってのは、これのことな。
関東大震災の大火の火元になった浅草界隈は、今は下町扱いだけど、
大正期までは東京一の中心地だったことが、近ごろだと「鬼滅の刃」などでも描かれてた通り。
当時あの辺に住んでた富裕層は軒並み、山手などに引っ越したせいで下町化した。
保身意識だけは人一倍高めだし、どうせ同じような過ちが繰り返されるのを
本能的には察知してたんだろうな。そして空襲バケツリレーの割を食わされた庶民たち。
この世の人災の一番の元凶こそは、人脈としての純度を高めながら生き延びて、
最後の最後に世の中からつまみ出されることで、それが撥乱反正の時ともなるのだ。
>>462で書いた「この風刺画」ってのは、これのことな。
関東大震災の大火の火元になった浅草界隈は、今は下町扱いだけど、
大正期までは東京一の中心地だったことが、近ごろだと「鬼滅の刃」などでも描かれてた通り。
当時あの辺に住んでた富裕層は軒並み、山手などに引っ越したせいで下町化した。
保身意識だけは人一倍高めだし、どうせ同じような過ちが繰り返されるのを
本能的には察知してたんだろうな。そして空襲バケツリレーの割を食わされた庶民たち。
この世の人災の一番の元凶こそは、人脈としての純度を高めながら生き延びて、
最後の最後に世の中からつまみ出されることで、それが撥乱反正の時ともなるのだ。
またさっき、嫌な夢を見よってん。
>>450で書いた中心街のオーディオ専門店の跡地に、
こんな感じのゲイクラブが建ってて、近寄っただけでも
ゲイらしき連中に襲われかねない危険地帯と化してるという夢。
実際には、本物の跡地には中古車屋ができてる。
ビッグモーターじゃないが、内実はあれとも似たようなもんかもしれん。
秋葉原なんかも、昔はオーディオ専門店が林立してたのが、
今は指折り数える程度の店舗数しかなくなって、
代わりに風俗まがいや風俗そのものなメイドクラブなどが増えている。
インターネッツも学術振興の場だったのは遠い昔、
すでにゲイビデオ男優を持て囃すホモガキなんてものが跋扈し始めても久しい。
不景気の時代、世の中はラインのオンオフを問わず、
下劣な欲望を満たすための、低俗の限りを尽くしたコンテンツばかりへと
何もかもが集約されぬ。ジャニーズやBMだけを断罪したところで、
さような濁流全体に修正を利かすこともまだ能わぬであろう。
>>450で書いた中心街のオーディオ専門店の跡地に、
こんな感じのゲイクラブが建ってて、近寄っただけでも
ゲイらしき連中に襲われかねない危険地帯と化してるという夢。
実際には、本物の跡地には中古車屋ができてる。
ビッグモーターじゃないが、内実はあれとも似たようなもんかもしれん。
秋葉原なんかも、昔はオーディオ専門店が林立してたのが、
今は指折り数える程度の店舗数しかなくなって、
代わりに風俗まがいや風俗そのものなメイドクラブなどが増えている。
インターネッツも学術振興の場だったのは遠い昔、
すでにゲイビデオ男優を持て囃すホモガキなんてものが跋扈し始めても久しい。
不景気の時代、世の中はラインのオンオフを問わず、
下劣な欲望を満たすための、低俗の限りを尽くしたコンテンツばかりへと
何もかもが集約されぬ。ジャニーズやBMだけを断罪したところで、
さような濁流全体に修正を利かすこともまだ能わぬであろう。
(>>466の続き)
「老後、子供に迷惑をかけない」というテーゼ+オナメンの見栄っ張り
こそが、世代間格差を特級に盤石化させて、当該の子供を含む
若手の貧窮をより深刻ならしめる大迷惑の上塗りになっているように、
オナメンの見栄っ張りこそは過ちの積み重ね、火に注ぐ油ともなるのである。
この見栄っ張りに限ってみれば、別にチャラ男が女にモテたいがために
着飾るようなあからさまな不真面目さではなく、本人たち自身としては
大真面目に切実な問題について考え抜いたつもりの所で生じているものである。
それでもやはり見栄っ張りであるのには違いない上に、
迷惑度ではチャラ男の着飾りなんかよりもはるかに上だったりもする。
つまり、不真面目が不真面目を自覚した範囲内での見栄っ張りよりも、
本性オナメンが無理に真面目ぶった所で結果的に呈しているような見栄っ張りのほうが、
より深刻で、世間への迷惑度も格段に上となる場合がある、という法則があるのである。
似た所だと、経団連が我田引水本位な政商風情のクセして、
眉尻を吊り上げながら政府に堂々と文句を言ったりしているのが、
自分たちの卑賎な領分をわきまえての、姑息な商人としての振舞いに徹していた
江戸期の商家などよりも、はるかに社会的な迷惑度が高い、というのなどにも通ずる。
その手の、本性オナメンの見栄っ張りによる大危害は今の時代、枚挙に暇がないのである。
「老後、子供に迷惑をかけない」というテーゼ+オナメンの見栄っ張り
こそが、世代間格差を特級に盤石化させて、当該の子供を含む
若手の貧窮をより深刻ならしめる大迷惑の上塗りになっているように、
オナメンの見栄っ張りこそは過ちの積み重ね、火に注ぐ油ともなるのである。
この見栄っ張りに限ってみれば、別にチャラ男が女にモテたいがために
着飾るようなあからさまな不真面目さではなく、本人たち自身としては
大真面目に切実な問題について考え抜いたつもりの所で生じているものである。
それでもやはり見栄っ張りであるのには違いない上に、
迷惑度ではチャラ男の着飾りなんかよりもはるかに上だったりもする。
つまり、不真面目が不真面目を自覚した範囲内での見栄っ張りよりも、
本性オナメンが無理に真面目ぶった所で結果的に呈しているような見栄っ張りのほうが、
より深刻で、世間への迷惑度も格段に上となる場合がある、という法則があるのである。
似た所だと、経団連が我田引水本位な政商風情のクセして、
眉尻を吊り上げながら政府に堂々と文句を言ったりしているのが、
自分たちの卑賎な領分をわきまえての、姑息な商人としての振舞いに徹していた
江戸期の商家などよりも、はるかに社会的な迷惑度が高い、というのなどにも通ずる。
その手の、本性オナメンの見栄っ張りによる大危害は今の時代、枚挙に暇がないのである。
オナメンが真面目ぶっての見栄っ張りといえば、何と言っても
「一人前の社会人気取り」こそが基本中の基本ともされている。
ちゃんと世の中の一翼を担う責務を果たした上でのそれならともかく、
オナメンの「楽して儲けていい思いがしたい」という欲望が際限なくその形骸化を促し、
まともに社会的責務を負わないのみならず、不当なピンハネのごとき迷惑行為によって
世の中に損害をもたらしながら、一人前の社会人ぶるような真似までもが横行することとなる。
それは、世の中全体でみれば、低生産性の蔓延という形でその影を落とし、
ひどい場合には国家規模のマイナス成長の元凶とまで成り果てた。
たとえば、戦前世代が総員オナメンの団塊世代などを十分な統制下に置いていた
高度成長期の頃までは、その名の通り真面目な勤労が功を奏しての大成長に与れていたが、
団塊が管理職の立場になり始めたバブル崩壊以降は一気にその情勢も逆転して、
真面目な勤労ほど不真面目な経営の食い物にされる非道な搾取関係の蔓延からの、
総体での低成長状態が盤石化してしまったのである。
「一人前の社会人気取り」こそが基本中の基本ともされている。
ちゃんと世の中の一翼を担う責務を果たした上でのそれならともかく、
オナメンの「楽して儲けていい思いがしたい」という欲望が際限なくその形骸化を促し、
まともに社会的責務を負わないのみならず、不当なピンハネのごとき迷惑行為によって
世の中に損害をもたらしながら、一人前の社会人ぶるような真似までもが横行することとなる。
それは、世の中全体でみれば、低生産性の蔓延という形でその影を落とし、
ひどい場合には国家規模のマイナス成長の元凶とまで成り果てた。
たとえば、戦前世代が総員オナメンの団塊世代などを十分な統制下に置いていた
高度成長期の頃までは、その名の通り真面目な勤労が功を奏しての大成長に与れていたが、
団塊が管理職の立場になり始めたバブル崩壊以降は一気にその情勢も逆転して、
真面目な勤労ほど不真面目な経営の食い物にされる非道な搾取関係の蔓延からの、
総体での低成長状態が盤石化してしまったのである。
経験者からすれば、あり得ないことが丸分かりな仮定ではあるにしろ、
もしも団塊世代の人間が、自分たちの無教養さなどを十分に恥じて、
自分よりも年下でいながら教育に恵まれていた世代の人間などもちゃんと立てて、
場合によっては自分たちよりも上の立場に置いてやるなどできたならば、
少なくとも理系の分野まで日本が世界に後れを取るような事態も防げて、
シリコンバレーや深圳に人材から奪われることもなくて済んだろうけれども。
団塊ほど見栄っ張りで、自分こそは一人前以上の社会人気取りで偉ぶりたがって来た
人種も他になく、その性分を懲らすこともなく、上の世代からの統制すらなくなった日には、
もはややりたい放題の限りを尽くす以外に何らの選択肢もなくなったのだった。
その団塊以下の戦後世代もまた、気性の激しさや無教養さが団塊よりは多少マシというだけで、
相変わらず一人前の社会人気取りにだけは躍起であろうとする見栄っ張りばかりであるために、
団塊が徹底破壊した日本社会を今以上に悪くすることはできても、良くできる見込みなどはない。
もしも団塊世代の人間が、自分たちの無教養さなどを十分に恥じて、
自分よりも年下でいながら教育に恵まれていた世代の人間などもちゃんと立てて、
場合によっては自分たちよりも上の立場に置いてやるなどできたならば、
少なくとも理系の分野まで日本が世界に後れを取るような事態も防げて、
シリコンバレーや深圳に人材から奪われることもなくて済んだろうけれども。
団塊ほど見栄っ張りで、自分こそは一人前以上の社会人気取りで偉ぶりたがって来た
人種も他になく、その性分を懲らすこともなく、上の世代からの統制すらなくなった日には、
もはややりたい放題の限りを尽くす以外に何らの選択肢もなくなったのだった。
その団塊以下の戦後世代もまた、気性の激しさや無教養さが団塊よりは多少マシというだけで、
相変わらず一人前の社会人気取りにだけは躍起であろうとする見栄っ張りばかりであるために、
団塊が徹底破壊した日本社会を今以上に悪くすることはできても、良くできる見込みなどはない。
まずは、自制も不能なレベルのオナメンであること、そこからの演技止まりな真面目ぶりで、
一人前の社会人気取りなんかに見栄を追及したりすることを解消して行くのでなければならない。
それは確かに団塊あたりが特にひどく見えた傾向ではあるが、下の世代も全く同等で、
気性の穏やかさや座学の知識の豊富さなどでそれが抑えられたなんてことも全くなく、
ただそのせいであからさまに醜く見えてしまう事態をなるべく避けるようになっただけである。
なればこそ、団塊がすでにほとんど社会の一線から退いた現代においても、
匿名ネットなどでは無職ニートや低年収などをこき下ろすような発言が多々見られる。
表向きそういう発言をひけらかすのは団塊的な粗暴さにつながるので避けてるにしろ、
内面では同様な見栄っ張り意識をくすぶらせているから、そうなってしまうのである。
一人前の社会人気取りなんかに見栄を追及したりすることを解消して行くのでなければならない。
それは確かに団塊あたりが特にひどく見えた傾向ではあるが、下の世代も全く同等で、
気性の穏やかさや座学の知識の豊富さなどでそれが抑えられたなんてことも全くなく、
ただそのせいであからさまに醜く見えてしまう事態をなるべく避けるようになっただけである。
なればこそ、団塊がすでにほとんど社会の一線から退いた現代においても、
匿名ネットなどでは無職ニートや低年収などをこき下ろすような発言が多々見られる。
表向きそういう発言をひけらかすのは団塊的な粗暴さにつながるので避けてるにしろ、
内面では同様な見栄っ張り意識をくすぶらせているから、そうなってしまうのである。
オナメンは日本刀だけでなく、軍事全般にもアレルギー的な拒絶感を催して、
所かまわず左翼老人のように卒倒し始めるというのも、
遠吠えスレでのやり取りで判明しているが。
実際、オナメンなみの不真面目さで軍事などに携わろうものなら、
兵士としてはあっという間に命を落とし、将校としては虫けらのように兵士たちを
惨死に追いやるような真似しかできないのだから、嫌悪を催すのも仕方のない所があろう。
なおかつ、今のウクライナ戦争や、少し前のイラク戦争のように、
ブッシュjr.やプーチンのごとき暴君が引き起こす不義の戦争ばかりを目の当たりに
して来ている昨今において、軍事全般を忌み事とすることにさほどの問題性も感じなく
なるのも仕方のない所ではあるのだが、だからといって他国からの侵略の危険にまで
気を配ることなく、全くの無防備でいようとすることがいかにお花畑じみてて
有害であるのかもまた、左翼老人の横暴などから知れていることのはずである。
不義の戦争などには当然手を出すことなく、防衛などの義戦に限っての注意を
怠らないという道義的な誓いもまたあった上で、そこで切実な業務に専念できるだけの
真面目さを養っておくのでなければ、むしろ不義の侵略戦争を間接的に助長する
戦犯にすらなりかねないことをわきまえて、左翼老人のようにならないのはもちろんのこと、
連中並みに軍事全般へのアレルギーを催してしまうようなオナメンであることも避けねばならぬ。
所かまわず左翼老人のように卒倒し始めるというのも、
遠吠えスレでのやり取りで判明しているが。
実際、オナメンなみの不真面目さで軍事などに携わろうものなら、
兵士としてはあっという間に命を落とし、将校としては虫けらのように兵士たちを
惨死に追いやるような真似しかできないのだから、嫌悪を催すのも仕方のない所があろう。
なおかつ、今のウクライナ戦争や、少し前のイラク戦争のように、
ブッシュjr.やプーチンのごとき暴君が引き起こす不義の戦争ばかりを目の当たりに
して来ている昨今において、軍事全般を忌み事とすることにさほどの問題性も感じなく
なるのも仕方のない所ではあるのだが、だからといって他国からの侵略の危険にまで
気を配ることなく、全くの無防備でいようとすることがいかにお花畑じみてて
有害であるのかもまた、左翼老人の横暴などから知れていることのはずである。
不義の戦争などには当然手を出すことなく、防衛などの義戦に限っての注意を
怠らないという道義的な誓いもまたあった上で、そこで切実な業務に専念できるだけの
真面目さを養っておくのでなければ、むしろ不義の侵略戦争を間接的に助長する
戦犯にすらなりかねないことをわきまえて、左翼老人のようにならないのはもちろんのこと、
連中並みに軍事全般へのアレルギーを催してしまうようなオナメンであることも避けねばならぬ。
思想が右か左かなどに関わらず、軍事を真面目に考えることもできないほど
オナニーメンタルが深刻な人間ばかりで国が占められると、
戦闘行為に派生するまでもなく、軍事レベルのスパイ工作などに
国が蝕まれて持続不能な窮地に追い込まれるというのも、
すでに今の日本が最大級の体現によって証明しているところである。
まず以て、オナメンは何もかもの考えが浅い。
物事を深く考え抜くという行為自体が、面目でなければ務まらないために、
オナメンであればあるほどその能力が殺がれて、ボケ老人一歩手前ぐらいの所に
なんとか踏みとどまることで、社会人としての見栄を保つのが関の山となる。
そのような人間には、諜報級の情報処理というものもまた、
自力(ヒューミント)か機械頼み(シギント)かなどを問わず不可能となってしまい、
その手の能力を国ぐるみで体系的に養っているような相手には、
完全に手玉に取られてのカモネギと化してしまうのが実情なのである。
オナニーメンタルが深刻な人間ばかりで国が占められると、
戦闘行為に派生するまでもなく、軍事レベルのスパイ工作などに
国が蝕まれて持続不能な窮地に追い込まれるというのも、
すでに今の日本が最大級の体現によって証明しているところである。
まず以て、オナメンは何もかもの考えが浅い。
物事を深く考え抜くという行為自体が、面目でなければ務まらないために、
オナメンであればあるほどその能力が殺がれて、ボケ老人一歩手前ぐらいの所に
なんとか踏みとどまることで、社会人としての見栄を保つのが関の山となる。
そのような人間には、諜報級の情報処理というものもまた、
自力(ヒューミント)か機械頼み(シギント)かなどを問わず不可能となってしまい、
その手の能力を国ぐるみで体系的に養っているような相手には、
完全に手玉に取られてのカモネギと化してしまうのが実情なのである。
では、諜報に携わる人間が全員、オナメンではないのかというとそうではなく、
カモとして利用される側としてなら、末端の諜報員となるような連中もまた多い。
文鮮や喜多川のような、敵性国への直接的な破壊工作を担う実行犯などは、
そのような捨て駒要員である場合が多いために、探りを入れた所で首謀者にまでは
たどり着けない(その証拠が何も残されてはいない)などということにもなる。
そのような「無知要員の防壁」を二重、三重に折り重ねておくのが近年の
諜報活動の定石であるために、オナメンにもかかわらずではなくだからこそ、
そのための道具として利用される人員もまた多数に上り、時に首謀者の員数をも上回る。
そのような企てが、諜報活動に多くの弊害を派生させてしまうせいで、
戦後にCIAが日本に対して講じた無力化・隷従化工作なども、
日本社会を持続不能に追い込むほどの危害性を同時に帯びてしまったのである。
オナメンは、諜報活動に対して十分な対抗能力を持ち合わせ得ないのが問題である一方、
利用されるカモとして諜報に携わった場合にも、致命的な弊害を招くという問題がある。
故に、都合のいい利用対象にしたりするのも、なるべく控えるべきだといえる。
利用してみて多少うまくいったからといって、放任したりするのも禁物なわけである。
カモとして利用される側としてなら、末端の諜報員となるような連中もまた多い。
文鮮や喜多川のような、敵性国への直接的な破壊工作を担う実行犯などは、
そのような捨て駒要員である場合が多いために、探りを入れた所で首謀者にまでは
たどり着けない(その証拠が何も残されてはいない)などということにもなる。
そのような「無知要員の防壁」を二重、三重に折り重ねておくのが近年の
諜報活動の定石であるために、オナメンにもかかわらずではなくだからこそ、
そのための道具として利用される人員もまた多数に上り、時に首謀者の員数をも上回る。
そのような企てが、諜報活動に多くの弊害を派生させてしまうせいで、
戦後にCIAが日本に対して講じた無力化・隷従化工作なども、
日本社会を持続不能に追い込むほどの危害性を同時に帯びてしまったのである。
オナメンは、諜報活動に対して十分な対抗能力を持ち合わせ得ないのが問題である一方、
利用されるカモとして諜報に携わった場合にも、致命的な弊害を招くという問題がある。
故に、都合のいい利用対象にしたりするのも、なるべく控えるべきだといえる。
利用してみて多少うまくいったからといって、放任したりするのも禁物なわけである。
昔、宇和島水産高校実習船のえひめ丸が米原子力潜水艦と衝突して沈没、
多くの死傷者を出した事件で、犯人となった原潜の艦長が、
公判中にガムを噛んでて大顰蹙を買っていたのを記憶している。
別に特段事件を舐めてたわけではなくて、アメリカでは
どんな場所でもガムを噛むぐらい非礼扱いもされないといった
弁解がなされていたけれども、それ自体が、アメリカという国の、
大元の所からのオナメン加減をよく示している常識だともいえる。
MLBのダグアウトなどもポイ捨てのゴミだらけで、大谷が足でゴミを
かき分けているのが話題になってたりもしたが、それも連中にとっては常識。
「文化が違う」というのももちろんだが、日本よりも不真面目な文化というのも確か。
そんな連中が戦後に日本や韓国で講じた諜報工作などもまた、
自分達ともレベルが近い相手としてのオナメン寄りな人員を
好き好んで起用して来たところがあるために、極東における諜報活動は所詮、
すでに支配下に置いている日韓などに限られて、中国や北魚羊にまで十全な
諜報網を広げることができずに、強大化を許してしまったところがあるのである。
多くの死傷者を出した事件で、犯人となった原潜の艦長が、
公判中にガムを噛んでて大顰蹙を買っていたのを記憶している。
別に特段事件を舐めてたわけではなくて、アメリカでは
どんな場所でもガムを噛むぐらい非礼扱いもされないといった
弁解がなされていたけれども、それ自体が、アメリカという国の、
大元の所からのオナメン加減をよく示している常識だともいえる。
MLBのダグアウトなどもポイ捨てのゴミだらけで、大谷が足でゴミを
かき分けているのが話題になってたりもしたが、それも連中にとっては常識。
「文化が違う」というのももちろんだが、日本よりも不真面目な文化というのも確か。
そんな連中が戦後に日本や韓国で講じた諜報工作などもまた、
自分達ともレベルが近い相手としてのオナメン寄りな人員を
好き好んで起用して来たところがあるために、極東における諜報活動は所詮、
すでに支配下に置いている日韓などに限られて、中国や北魚羊にまで十全な
諜報網を広げることができずに、強大化を許してしまったところがあるのである。
中国や北もまた、本格の仏道に傾倒している域の日本人などと比べれば、
まだオナメン寄りの人種の集まりではあるが、それでもアメリカ人などよりは
まだ真面目傾向が強いために、朝魚羊戦争やベトナム戦争でも
アメリカを撃退するほどの戦果を挙げて来たのである。
戦前の日本はすでに、権力中枢などの資本主義によるオナメン化が進行していたために、
対外戦争における戦略などもあまりにもお粗末になり過ぎての敗走を来したわけで、
そこに中華や北はおろか、アメリカを上回るほどの総体的な真面目さすら見出せないのだが。
当時といえども、大陸に侵攻していた関東軍などの勢力が優勢であり続けていたりと、
古来の大真面目さの継承によって、米中露をすべて上回るほどの戦略的能力を
持ち合わせていた人材もまた、多少程度には残存していたのが確かなのである。
ただ、そのような人々はもはや日本国内における主力的な立場にはなく、
石原莞爾や永田鉄山も陸軍大将や元帥にまでは昇格できなかったように、
自分たちの部署での派閥争いにすら敗れての低迷を強いられていたのである。
当時、大陸で戦局を優勢に持ち込んでいたような域の人材が、無能な上からの抑圧などにも
囚われることなく手腕を発揮できるのであれば、今の中ロや北相手にも優勢たり得ようが、
それはもう真面目度でアメリカ人が付いて行けない域の人材ともなるだろうから、
自分たちが首輪をつけて飼い馴らすなんてことも諦めねばならないのである。
まだオナメン寄りの人種の集まりではあるが、それでもアメリカ人などよりは
まだ真面目傾向が強いために、朝魚羊戦争やベトナム戦争でも
アメリカを撃退するほどの戦果を挙げて来たのである。
戦前の日本はすでに、権力中枢などの資本主義によるオナメン化が進行していたために、
対外戦争における戦略などもあまりにもお粗末になり過ぎての敗走を来したわけで、
そこに中華や北はおろか、アメリカを上回るほどの総体的な真面目さすら見出せないのだが。
当時といえども、大陸に侵攻していた関東軍などの勢力が優勢であり続けていたりと、
古来の大真面目さの継承によって、米中露をすべて上回るほどの戦略的能力を
持ち合わせていた人材もまた、多少程度には残存していたのが確かなのである。
ただ、そのような人々はもはや日本国内における主力的な立場にはなく、
石原莞爾や永田鉄山も陸軍大将や元帥にまでは昇格できなかったように、
自分たちの部署での派閥争いにすら敗れての低迷を強いられていたのである。
当時、大陸で戦局を優勢に持ち込んでいたような域の人材が、無能な上からの抑圧などにも
囚われることなく手腕を発揮できるのであれば、今の中ロや北相手にも優勢たり得ようが、
それはもう真面目度でアメリカ人が付いて行けない域の人材ともなるだろうから、
自分たちが首輪をつけて飼い馴らすなんてことも諦めねばならないのである。
もうこのスレもじきに終わりだが。
総レス数480超えは新記録かな?
レス削除したような連中との会話は遠吠えスレへの出張で続いてるが、
結局、ここでの話し合いからは逃亡した所からも分かる通り、
オナメンはどうあっても脆弱で、戦えば敗走する側でしかあり得ないのである。
精神力でも、論理的思考能力でも、軍事的戦闘能力でも、
何でも人並み以下だからこそオナメンだし、オナメンだから以下でしかあり得ない。
にもかかわらず、そんな連中こそが社会的に強勢化して、
有能や有徳の地位を脅かすようなことがある理由については、次スレなどで述べるつもりだが。
宮本武蔵が関ヶ原では西軍について敗れながらも(所説あり)、
個人としては百戦無敗であったが如く、個人レベルであればやはり、
真面目>不真面目という格差が遍在することがここまでで実証されてきたわけだ。
無論、俺が武蔵並みに強いという意味ではなく、ちょっと自分たちよりも真面目に
ものを考えられるだけの相手にすら、オナメンたちは全く敵わないというだけの話なのだがな。
総レス数480超えは新記録かな?
レス削除したような連中との会話は遠吠えスレへの出張で続いてるが、
結局、ここでの話し合いからは逃亡した所からも分かる通り、
オナメンはどうあっても脆弱で、戦えば敗走する側でしかあり得ないのである。
精神力でも、論理的思考能力でも、軍事的戦闘能力でも、
何でも人並み以下だからこそオナメンだし、オナメンだから以下でしかあり得ない。
にもかかわらず、そんな連中こそが社会的に強勢化して、
有能や有徳の地位を脅かすようなことがある理由については、次スレなどで述べるつもりだが。
宮本武蔵が関ヶ原では西軍について敗れながらも(所説あり)、
個人としては百戦無敗であったが如く、個人レベルであればやはり、
真面目>不真面目という格差が遍在することがここまでで実証されてきたわけだ。
無論、俺が武蔵並みに強いという意味ではなく、ちょっと自分たちよりも真面目に
ものを考えられるだけの相手にすら、オナメンたちは全く敵わないというだけの話なのだがな。
重ねて注意しておくが、「オナメン」とは、
生粋の不真面目=オナニーメンタル=オナメン
というだけの意味で、特にそれ以外のカルト的な寓意などはない。
「暴走族」という呼称が格好いいせいで、憧れてなろうとする者が現れる、
そのため「珍走団」などと言いかえる試みが為されて来たのと同じように、
オナメンに相当するような精神状態こそを開き直って偉ぶったり、格好つけたり
するのを牽制する目的で、あえてオナメンと呼んでみているのである。
このスレ以降も、一度はオナニーメンタルと正称したりしながらの、
オナメン呼称をなるべく使って行こうとは思う。
あえてそれであろうとするような者が、この世にいる限りはな。^^
生粋の不真面目=オナニーメンタル=オナメン
というだけの意味で、特にそれ以外のカルト的な寓意などはない。
「暴走族」という呼称が格好いいせいで、憧れてなろうとする者が現れる、
そのため「珍走団」などと言いかえる試みが為されて来たのと同じように、
オナメンに相当するような精神状態こそを開き直って偉ぶったり、格好つけたり
するのを牽制する目的で、あえてオナメンと呼んでみているのである。
このスレ以降も、一度はオナニーメンタルと正称したりしながらの、
オナメン呼称をなるべく使って行こうとは思う。
あえてそれであろうとするような者が、この世にいる限りはな。^^
オナメンであることを開き直り、偉ぶり、格好付けることを
人類史上最大級に助成して来た文化体系こそは、これでもある。
人間、自我があって喜怒哀楽があるのにもかかわらず、いつかは死ぬ。
その現実を目の当たりにしても大真面目でい続けられるほど強い人間ばかりではないし、
特に精神力を養う文化が紀元前から全く存在していなかった西洋社会においては、
諸行無常への苦悩を嘘偽りによってでも紛らわしてくれるオナメン正当化信仰が
大々的に取り入れられて、軒並みの国が国教とするまでに至ったのである。
しかし、そのキリスト教圏こそはここ2000年、自給自足での平和状態を100年と保てた
試しがなく、真面目に国政に取り組み続けることもできないほどのオナメンさ加減が
仇となっての内戦や侵略戦争ばかりに明け暮れることともなってしまったのだった。
そしてもはや。時代は核の危機の真っただ中にあり、これ以上に
キリスト教徒並みのオナメン状態を人類が保ち続けて行くことも能わない。
人間、必ずしもオナメンから完全に脱却しきらねばならないわけではないし、
本格の仏僧としての精進修行にでも明け暮れるのでなければそれも無理なのだが、
せめてでもオナメンであることを恥じて、なるべく控えたり、自分よりもオナメンから
遠ざかれる相手への敬意を抱いたりするのでなければならない。念仏信仰のように、
それこそを助けて来た信仰もあるし、別に全く新しい試みばかりに頼る必要もないのである。
人類史上最大級に助成して来た文化体系こそは、これでもある。
人間、自我があって喜怒哀楽があるのにもかかわらず、いつかは死ぬ。
その現実を目の当たりにしても大真面目でい続けられるほど強い人間ばかりではないし、
特に精神力を養う文化が紀元前から全く存在していなかった西洋社会においては、
諸行無常への苦悩を嘘偽りによってでも紛らわしてくれるオナメン正当化信仰が
大々的に取り入れられて、軒並みの国が国教とするまでに至ったのである。
しかし、そのキリスト教圏こそはここ2000年、自給自足での平和状態を100年と保てた
試しがなく、真面目に国政に取り組み続けることもできないほどのオナメンさ加減が
仇となっての内戦や侵略戦争ばかりに明け暮れることともなってしまったのだった。
そしてもはや。時代は核の危機の真っただ中にあり、これ以上に
キリスト教徒並みのオナメン状態を人類が保ち続けて行くことも能わない。
人間、必ずしもオナメンから完全に脱却しきらねばならないわけではないし、
本格の仏僧としての精進修行にでも明け暮れるのでなければそれも無理なのだが、
せめてでもオナメンであることを恥じて、なるべく控えたり、自分よりもオナメンから
遠ざかれる相手への敬意を抱いたりするのでなければならない。念仏信仰のように、
それこそを助けて来た信仰もあるし、別に全く新しい試みばかりに頼る必要もないのである。
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スレッドタイトル:不真面目は感情のオナニーである