>>215 その、政治家に商人並みの打算が求められるような現実と理想の折衝なる必要性を、
まず世を挙げての政商活動の全面的な禁制によって排除して行くのでなければならない。
政商を排除した世の中にも、それはそれである種の現実があり、
田沼意次なみの濁りと松平定信なみの清さの釣り合いを取って行くような
融通がまた必要ともなるものだが。
政商を許容している状態は、それとも別次元の、超田沼級の大汚染が世間全体を
覆い尽くして、全くの浄化不能ならしめている段階であるが故に、
儒学上の理想などというものが少しだって応用できる所もないままに終わる。
政商呂不韋の実子として中原全土を統一支配下に置いた秦始皇や、
近江堺の政商を頼みに天下の覇者となった信長秀吉もまた、この世から戦乱を
なくすことについては王手をかけていたが、そのために政商なぞを頼りにしていたことが
仇となって極度の貧窮を招き、「これならまだ戦国時代のほうがマシだった」とまで
囁かれるほどの無理を来したがために、政商に頼らない天下への統治に取り組む
漢帝国や徳川へと最終勝利者としての座を譲らざるを得なかった。
まさに、それと同じような変革がなければ済まない事態に陥っているのが、
現代の日本などでもあるし、政商がこの世の春を謳歌しているような状態こそは、
それこそをありのままに受け入れ続けなければならない現実ではなく、
いつまでも許されるわけではないことを受け入れねばならない現実なのである。
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