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不真面目は感情のオナニーである 偉大なる生存の報告 Part309
▼ページ最下部
俺が子供の頃には、小学校などでいつもヘラヘラとして、
しょうもないことにいちいち嬉しがっているような同級生を
「ウレシ」などとバカにして戒める風潮があったものだが。
大人になってからは、むしろ一定以上にウレシであることが、
世知辛い時代に生きる社会人としての、感情面からのエチケットとして
必須扱いにされ、その手の不真面目さを完全に排するほうが堅物として忌み嫌われ、
ひどい場合にはアスペだなんだと病人のレッテルまで貼られるようになったのを実感している。
子供の頃にウレシが総出でバカにされてたのは、いちいち嬉しがらなくても
いられるぐらいに誰しもが人生楽しかったのもあるだろうし、際限なく嬉しがっている
者の不埒さがオナニーじみてることに恥じらいも感じてたのだろうと思われる。
むしろ、大人のほうがそのような恥じらいから遠ざかり、
「いつも喜んでいなさい(一テサロニケ5:16)」の実践こそが、
倫理的に良好な姿とまで思い込んでいる場合が多い。
いやそれは、やっぱりオナニーだろう、と。
無闇な嬉しがりによるアドレナリン放出に酔い痴れるのは、
股間をまさぐるまでもなく脳だけで試みている感情のオナニーにすぎず、
そのせいで悲嘆の原因となるような現実問題への着実な解決を怠り、
より陰惨な事態を招き入れることともなってしまう。
子供よりは大人、しかも男よりは女のほうが陥りがちなドツボ。
股間のオナニーを痴態として卑しむぐらいなら、それもまた忌むべきなのである。
しょうもないことにいちいち嬉しがっているような同級生を
「ウレシ」などとバカにして戒める風潮があったものだが。
大人になってからは、むしろ一定以上にウレシであることが、
世知辛い時代に生きる社会人としての、感情面からのエチケットとして
必須扱いにされ、その手の不真面目さを完全に排するほうが堅物として忌み嫌われ、
ひどい場合にはアスペだなんだと病人のレッテルまで貼られるようになったのを実感している。
子供の頃にウレシが総出でバカにされてたのは、いちいち嬉しがらなくても
いられるぐらいに誰しもが人生楽しかったのもあるだろうし、際限なく嬉しがっている
者の不埒さがオナニーじみてることに恥じらいも感じてたのだろうと思われる。
むしろ、大人のほうがそのような恥じらいから遠ざかり、
「いつも喜んでいなさい(一テサロニケ5:16)」の実践こそが、
倫理的に良好な姿とまで思い込んでいる場合が多い。
いやそれは、やっぱりオナニーだろう、と。
無闇な嬉しがりによるアドレナリン放出に酔い痴れるのは、
股間をまさぐるまでもなく脳だけで試みている感情のオナニーにすぎず、
そのせいで悲嘆の原因となるような現実問題への着実な解決を怠り、
より陰惨な事態を招き入れることともなってしまう。
子供よりは大人、しかも男よりは女のほうが陥りがちなドツボ。
股間のオナニーを痴態として卑しむぐらいなら、それもまた忌むべきなのである。
消したのか消されたのか知らんが、書き込もうとしてたスレが消えたんでここに。
>>2
相手の言うことを全否定して、逆の意見を一方的に押し付けるなんていう
バッデストコミュニケーションで何かが伝わり、分かり合える可能性なんてのはな、
機械式時計の部品一式をバラバラのまま箱の中に入れて、ガラガラと箱を振りくったら、
部品同士が勝手に組み合わさって時計が出来上がる確率にも等しいんだよ。
原理的に絶対あり得ないとまではいかずとも、現実的にまずあり得ないこと。
それが10年や20年のうちにあり得るなんて思い込んでるのなら典型的な願望妄想だし、
明らかな誤りを一ヵ月以上信じ込んでいれば妄想性障害とも診断されるらしいから、
もう20年も信じ込んでるというのなら、紛れもなくそれと言えるんではなかろうかな?
(俺は医者ではないから、不正医療行為を避けるために断定まではしないが)
妄想性障害の人間が、自分の望みが叶わなくてヒステリーの苦しみに駆られるのは、
健常者がASD患者との付き合いでカサンドラ症候群を患ったりするのとは別個の現象だわな。
>>2
相手の言うことを全否定して、逆の意見を一方的に押し付けるなんていう
バッデストコミュニケーションで何かが伝わり、分かり合える可能性なんてのはな、
機械式時計の部品一式をバラバラのまま箱の中に入れて、ガラガラと箱を振りくったら、
部品同士が勝手に組み合わさって時計が出来上がる確率にも等しいんだよ。
原理的に絶対あり得ないとまではいかずとも、現実的にまずあり得ないこと。
それが10年や20年のうちにあり得るなんて思い込んでるのなら典型的な願望妄想だし、
明らかな誤りを一ヵ月以上信じ込んでいれば妄想性障害とも診断されるらしいから、
もう20年も信じ込んでるというのなら、紛れもなくそれと言えるんではなかろうかな?
(俺は医者ではないから、不正医療行為を避けるために断定まではしないが)
妄想性障害の人間が、自分の望みが叶わなくてヒステリーの苦しみに駆られるのは、
健常者がASD患者との付き合いでカサンドラ症候群を患ったりするのとは別個の現象だわな。
ガイジ老害vsガイジヒキニート
無益な諍いハジマタwww
無益な諍いハジマタwww
映画の「サイレンス」などでも克明に描かれていた、
江戸初期のキリシタンへの水磔という拷問手段。
これは一応確定的な処刑ではなく、常に役人が監視していて、
「自分はキリシタンを辞める」と宣言すれば即座な解放が約束されていた。
しかし、信仰を捨てまいとする者たちはあくまで
そのままで居通し、満潮の増水と共に溺死して行った。
そこで彼らがどのような精神状態にあったのかといえば、
やはりそれも、妄想性障害を加味した感情のオナニー状態である。
自分たちは現世でこんなにひどい目に遭っている、
にもかかわらずではなくだからこそ神に救われるという、100%顛倒夢想への惑溺。
上記のALS患者などと違って、棄教を宣言さえすれば現世での救いもあったのに、
それでも惨死の道を選び取るほど、そのオナニーによる陶酔は重篤なものであった。
もう一切ほかに救いがないというのならそこに耽るしかないとしても、
救いもあるのにそれを破棄して、救いのないほうへと突き進む負の原動力へと、
顛倒夢想による感情のオナニーが成り果ててしまうことがあるわけである。
江戸初期のキリシタンへの水磔という拷問手段。
これは一応確定的な処刑ではなく、常に役人が監視していて、
「自分はキリシタンを辞める」と宣言すれば即座な解放が約束されていた。
しかし、信仰を捨てまいとする者たちはあくまで
そのままで居通し、満潮の増水と共に溺死して行った。
そこで彼らがどのような精神状態にあったのかといえば、
やはりそれも、妄想性障害を加味した感情のオナニー状態である。
自分たちは現世でこんなにひどい目に遭っている、
にもかかわらずではなくだからこそ神に救われるという、100%顛倒夢想への惑溺。
上記のALS患者などと違って、棄教を宣言さえすれば現世での救いもあったのに、
それでも惨死の道を選び取るほど、そのオナニーによる陶酔は重篤なものであった。
もう一切ほかに救いがないというのならそこに耽るしかないとしても、
救いもあるのにそれを破棄して、救いのないほうへと突き進む負の原動力へと、
顛倒夢想による感情のオナニーが成り果ててしまうことがあるわけである。
[YouTubeで再生]
もうだいぶ前からフィラデルフィアなどで問題化していて、近ごろでは
全米にまで広がっているらしい、ホームレスのヤク中の街頭でのゾンビ化現象。
彼らが服用しているのは、ヘロインよりもさらに効果と中毒性が高い、
純度100%の薬液は臭いを嗅いだだけでも即死する、フェンタニルという医療用麻薬なそうだが。
この麻薬が実は、末期ガン患者の緩和ケア科での服用などが日本でも認められていて、
服用すれば痛みから解放される代わりに意識が飛んで自我が崩壊し、そのままお陀仏となる。
他に救いが何もないとなれば、現代日本ですら認められている手段ではあるが、
そこまで行かないのなら、もちろん乱用など厳禁である。
人間が不真面目さによって自ずからアドレナリンやドーパミンの分泌量を増やしたりするのも、
程度の差こそあれどこれと似た趣味で、それは他に一切救いがない並みに窮地に追い込まれた
状態などで、最後の手段として使用するぐらいでやっと適切化するものなのである。
もうだいぶ前からフィラデルフィアなどで問題化していて、近ごろでは
全米にまで広がっているらしい、ホームレスのヤク中の街頭でのゾンビ化現象。
彼らが服用しているのは、ヘロインよりもさらに効果と中毒性が高い、
純度100%の薬液は臭いを嗅いだだけでも即死する、フェンタニルという医療用麻薬なそうだが。
この麻薬が実は、末期ガン患者の緩和ケア科での服用などが日本でも認められていて、
服用すれば痛みから解放される代わりに意識が飛んで自我が崩壊し、そのままお陀仏となる。
他に救いが何もないとなれば、現代日本ですら認められている手段ではあるが、
そこまで行かないのなら、もちろん乱用など厳禁である。
人間が不真面目さによって自ずからアドレナリンやドーパミンの分泌量を増やしたりするのも、
程度の差こそあれどこれと似た趣味で、それは他に一切救いがない並みに窮地に追い込まれた
状態などで、最後の手段として使用するぐらいでやっと適切化するものなのである。
たとえ自分がキリシタンではなく、薬物乱用などに否定的であるのだろうとも、
まだ不真面目さによるウレシ、感情のオナニーに耽る危険を排し去ったとは限らない。
お笑い芸なども、今や不真面目であることがその基本ぐらいに思われている節があるが、
本来、古典落語などの域であれば、たとえ大真面目だろうとも心から笑えるような
小噺ネタばかりを厳選して披露していたものなのだが、それが古典から近代へ、
さらには近代の漫才から近ごろのそれなどへと時代が進むに連れて、
大して面白くもないものを見る側の嬉しがりで笑わせようなどとするような、
安易なものばかりが多くを占めるようになってしまったのである。
そういった、見る側のウレシ頼みな低劣なお笑いばかりを好んでいたりすれば、
それによっても感情のオナニーによる壊乱の危害を免れられないこととなるのである。
故・歌丸師匠なども言ってたように、単なる裸芸などの宴会芸止まりなお笑いまで
一人前の芸とは認めずに、ちゃんと話の根本からの面白さで笑わせるような芸はまた別物だと
わきまえるぐらいのことはあるべきである。「もうお笑いなんてそれだけでもいいじゃん」
なんていう開き直りに及ぼうものなら、それはキリスト信仰や麻薬中毒並みの
弊害をも招きかねないものであるのだと警戒するのでなければならない。
まだ不真面目さによるウレシ、感情のオナニーに耽る危険を排し去ったとは限らない。
お笑い芸なども、今や不真面目であることがその基本ぐらいに思われている節があるが、
本来、古典落語などの域であれば、たとえ大真面目だろうとも心から笑えるような
小噺ネタばかりを厳選して披露していたものなのだが、それが古典から近代へ、
さらには近代の漫才から近ごろのそれなどへと時代が進むに連れて、
大して面白くもないものを見る側の嬉しがりで笑わせようなどとするような、
安易なものばかりが多くを占めるようになってしまったのである。
そういった、見る側のウレシ頼みな低劣なお笑いばかりを好んでいたりすれば、
それによっても感情のオナニーによる壊乱の危害を免れられないこととなるのである。
故・歌丸師匠なども言ってたように、単なる裸芸などの宴会芸止まりなお笑いまで
一人前の芸とは認めずに、ちゃんと話の根本からの面白さで笑わせるような芸はまた別物だと
わきまえるぐらいのことはあるべきである。「もうお笑いなんてそれだけでもいいじゃん」
なんていう開き直りに及ぼうものなら、それはキリスト信仰や麻薬中毒並みの
弊害をも招きかねないものであるのだと警戒するのでなければならない。
歌丸師匠もお前みたいなゴミを見たら唾を吐きたくもなるだろうて
自分が好きな相手を嫌いな奴が肯定したら、大体そうやって言うんだよな。
万人に共通の普遍的な何かを追い求めていた人にとっては、有難迷惑なことだろう。
万人に共通の普遍的な何かを追い求めていた人にとっては、有難迷惑なことだろう。
昨日はまた、孟子の言葉の引用だけでも済むぐらいに、
典型的な乱世の世迷者が絡んできてたものだがな。
少しは自分の言葉でも付言しておけばーー
>>5で書いた譬えに即して、
本当に機械式時計の部品一式を箱に入れてガラガラ振ったりしようものなら、
ただ永遠に時計が組み上がらないだけでなく、部品同士がぶつかり合うことで損耗や破損し、
正しい手段であれば組み上がるものも組み上がらなくなってしまうだろう。
それと全く同じように、ただひたすら高圧的な態度で、
相手の言うことを全否定し、自分の言うことばかりに従わせようなどとする者が
眼前に現れようものなら、ただ誰もそんな相手と分かり合おうとは思わないだけでなく、
未だ話し合ったことも接近したこともないような遠方の赤の他人一般以上に、
「こいつとは絶対に付き合ってはいけないな」という警戒心ばかりを増長させることになるだけだ。
おまえがやって来たのは、ただそればかりのことだし、
10年20年どころではなく、永遠に遠ざかり合わんとする試みしか為されたことがない。
もちろん、昨日書いた通り、まともな儒説によっても覆るようなことは決してなく、
逆にその普遍性が確証されるようなことになるばかり。
別に、俺との付き合いなどを無理に試みようとしなくてもいいから、
自分の試みが、己が目的の達成からはかえってかけ離れるような手段ばかりを
頼りとして来たことぐらいは自覚して、有害無益すぎるあがきにケリを付けることだな。
典型的な乱世の世迷者が絡んできてたものだがな。
少しは自分の言葉でも付言しておけばーー
>>5で書いた譬えに即して、
本当に機械式時計の部品一式を箱に入れてガラガラ振ったりしようものなら、
ただ永遠に時計が組み上がらないだけでなく、部品同士がぶつかり合うことで損耗や破損し、
正しい手段であれば組み上がるものも組み上がらなくなってしまうだろう。
それと全く同じように、ただひたすら高圧的な態度で、
相手の言うことを全否定し、自分の言うことばかりに従わせようなどとする者が
眼前に現れようものなら、ただ誰もそんな相手と分かり合おうとは思わないだけでなく、
未だ話し合ったことも接近したこともないような遠方の赤の他人一般以上に、
「こいつとは絶対に付き合ってはいけないな」という警戒心ばかりを増長させることになるだけだ。
おまえがやって来たのは、ただそればかりのことだし、
10年20年どころではなく、永遠に遠ざかり合わんとする試みしか為されたことがない。
もちろん、昨日書いた通り、まともな儒説によっても覆るようなことは決してなく、
逆にその普遍性が確証されるようなことになるばかり。
別に、俺との付き合いなどを無理に試みようとしなくてもいいから、
自分の試みが、己が目的の達成からはかえってかけ離れるような手段ばかりを
頼りとして来たことぐらいは自覚して、有害無益すぎるあがきにケリを付けることだな。
>>16
もう俺の言うことの半分ほども理解できなくなって来てるようだな。
「万人に共通の普遍的な何かを追い求めていた人」というのは、ここでは歌丸師匠のことだ。
箸が転んだだけでも楽しい生娘のように、嬉しがりで心がのぼせ上がっているような
特殊な相手に限らず、天下国家の行く末に至るまで配慮を利かせられるほど大真面目な
大雄が相手だろうとも、着実に笑いを取れるような、普遍的な落語こそを追求していた。
落語は別に聖道とまでは行かないけれども、
「聖人はまず我が心の同じく然りとする所を得たるのみ」(孟子・告子上)
のごとき、万人に普遍的に共通する笑いの法則こそを追い求めていたのに違いない。
そのような相手に関して、「おまえ如きにあの人の価値が分かってたまるか」
系の暴言を振りかざすようなら、それは俺のようなまた別の相手をけなし倒すことを
目的とした言葉であるのだろうとも、共にその人の価値までをも見くびる失礼となるのである。
もう俺の言うことの半分ほども理解できなくなって来てるようだな。
「万人に共通の普遍的な何かを追い求めていた人」というのは、ここでは歌丸師匠のことだ。
箸が転んだだけでも楽しい生娘のように、嬉しがりで心がのぼせ上がっているような
特殊な相手に限らず、天下国家の行く末に至るまで配慮を利かせられるほど大真面目な
大雄が相手だろうとも、着実に笑いを取れるような、普遍的な落語こそを追求していた。
落語は別に聖道とまでは行かないけれども、
「聖人はまず我が心の同じく然りとする所を得たるのみ」(孟子・告子上)
のごとき、万人に普遍的に共通する笑いの法則こそを追い求めていたのに違いない。
そのような相手に関して、「おまえ如きにあの人の価値が分かってたまるか」
系の暴言を振りかざすようなら、それは俺のようなまた別の相手をけなし倒すことを
目的とした言葉であるのだろうとも、共にその人の価値までをも見くびる失礼となるのである。
また馬鹿な物言いを繰り返してんな。
おまえが、歌丸師匠が「万人に共通の普遍的な何か」を
追い求めていたことを否定しようとしているが故に失礼である。
それは、俺がそうであるか否かなどとはなんの関係もないことだ。
俺がどんな人間だろうとも、万人の内であることには変わりないのだから。
俺が最低劣に普遍性を欠いた人間なら、それも笑わせられる。
共に普遍性を追い求めているような部類の人間なら、それも笑わせられる。
それを否定するようなら、それはおまえこそが
歌丸師匠を見くびっているが故に失礼なのだ。
おまえが、歌丸師匠が「万人に共通の普遍的な何か」を
追い求めていたことを否定しようとしているが故に失礼である。
それは、俺がそうであるか否かなどとはなんの関係もないことだ。
俺がどんな人間だろうとも、万人の内であることには変わりないのだから。
俺が最低劣に普遍性を欠いた人間なら、それも笑わせられる。
共に普遍性を追い求めているような部類の人間なら、それも笑わせられる。
それを否定するようなら、それはおまえこそが
歌丸師匠を見くびっているが故に失礼なのだ。
>「万人に共通の普遍的な何かを追い求めていた人」というのは、ここでは歌丸師匠のことだ。
最初から分かるように書けよ文盲
何度もお前の文章の拙さは指摘されてるだろうに
その都度話逸らして逃げ回って改めようとしないからそうなるんだボケニート
最初から分かるように書けよ文盲
何度もお前の文章の拙さは指摘されてるだろうに
その都度話逸らして逃げ回って改めようとしないからそうなるんだボケニート
聖賢の言葉の引用は、それが今の時代のおまえらなどが相手でも、
いくらでも通用しているという普遍性の確認のために挙げてるだけだ。
「儒学道徳なんて権力者の都合で適当に決めただけのもので、何の普遍性もない」
「普遍性なんて別にないんだから、昔の聖人とおまえなんかに何の共通点もあるわけがない」
この手の物言いこそが心の盲者の世迷言であることを確認し続けている。
なんならおまえらみたいな、儒学道徳への非難者もまた何千年も前からいたればこそ、
孟子や顔淵も「聖人も人、我も人、別物扱いなんてしてはいけない」的なことを
口を酸っぱくして散々述べていたわけでな。そのような別物扱いを好む矮小さこそが
ありのままに、人間社会にとってしごくありがちな普遍的存在だということは言えるぞ。^^
いくらでも通用しているという普遍性の確認のために挙げてるだけだ。
「儒学道徳なんて権力者の都合で適当に決めただけのもので、何の普遍性もない」
「普遍性なんて別にないんだから、昔の聖人とおまえなんかに何の共通点もあるわけがない」
この手の物言いこそが心の盲者の世迷言であることを確認し続けている。
なんならおまえらみたいな、儒学道徳への非難者もまた何千年も前からいたればこそ、
孟子や顔淵も「聖人も人、我も人、別物扱いなんてしてはいけない」的なことを
口を酸っぱくして散々述べていたわけでな。そのような別物扱いを好む矮小さこそが
ありのままに、人間社会にとってしごくありがちな普遍的存在だということは言えるぞ。^^
結局、言ってる内容が何もかも相手への全否定にしかなってないようなレスなんか、
無意味すぎてスレ汚しにしかならないから、消してくれたほうがいいということはあるね。
自分たちが鬼婆級の悪念の亡者と化してしまっているが故の堪え難い苦しみに
苛まれているという、その思いだけはちゃんと汲んどいてやるからな。^^
無意味すぎてスレ汚しにしかならないから、消してくれたほうがいいということはあるね。
自分たちが鬼婆級の悪念の亡者と化してしまっているが故の堪え難い苦しみに
苛まれているという、その思いだけはちゃんと汲んどいてやるからな。^^
うぉっ
気持ち悪っ
気持ち悪っ
「ありあわせのものでやりくり」というところに偉く執心のようだが、
この日本こそは、一番大事なものの、全世界における本家本元の現在地だし、
ほんの近ごろにも中村天風師のような達者がその再興を試みてくれた、
これ以上なんて国外のどこにも追い求めようがない総本山であるのにも違いないわけでな。
あまり旅行好きでもなく、愛刀のある自室が一番の聖地だなどとも言ったが、
それもこの日本で、世界最高峰の工芸品に恵まれているからというのもあるだろうから。
ありあわせのものだけで満足なんていう清廉さからは程遠い欲張りさなものさ。
お城なみの豪邸に住んだり、国宝重文級の名刀を新たに入手したりのような、
今以上に相当する境遇ももちろんあるけれども、とても自分から望むべきような
ものではあるまい。それはもうそれなりの立場に付随するものでしかあるまいからなあ。
この日本こそは、一番大事なものの、全世界における本家本元の現在地だし、
ほんの近ごろにも中村天風師のような達者がその再興を試みてくれた、
これ以上なんて国外のどこにも追い求めようがない総本山であるのにも違いないわけでな。
あまり旅行好きでもなく、愛刀のある自室が一番の聖地だなどとも言ったが、
それもこの日本で、世界最高峰の工芸品に恵まれているからというのもあるだろうから。
ありあわせのものだけで満足なんていう清廉さからは程遠い欲張りさなものさ。
お城なみの豪邸に住んだり、国宝重文級の名刀を新たに入手したりのような、
今以上に相当する境遇ももちろんあるけれども、とても自分から望むべきような
ものではあるまい。それはもうそれなりの立場に付随するものでしかあるまいからなあ。
人間という生き物を伸ばし、高める根源となるのは、
愛する者でもなければ、最大級に有能な師でもなく、己れ自身の丹田からの中心力である。
それを引き出す助けになってくれる人間もいれば、逆に障害になるような邪魔者もいるものだから、
一概に人との付き合いを絶つべきだなどとも、とりあえず人付き合いはしとけなどとも言えない。
俺が今、刀に大変な愛着を抱いているのは、別に骨董好きだからでもなく、
人間の中心力を引き出すために最も有用な鍛錬用具であると知ったからである。
(もっとも、実際の鍛錬では木刀や模造刀、無刀などに依る場合が多いが)
最低でも、刀並み以上に己が中心力を引き出す助けとなってくれる相手との付き合いこそを望む。
そこまで行かずとも、その邪魔をしない相手までなら付き合いを受け入れる。
邪魔になる相手ともなれば、さすがにシャットアウト。その分別にかけての
最善を尽くしているという自覚が今でもあるから、不満の抱きようもないのだ。
愛する者でもなければ、最大級に有能な師でもなく、己れ自身の丹田からの中心力である。
それを引き出す助けになってくれる人間もいれば、逆に障害になるような邪魔者もいるものだから、
一概に人との付き合いを絶つべきだなどとも、とりあえず人付き合いはしとけなどとも言えない。
俺が今、刀に大変な愛着を抱いているのは、別に骨董好きだからでもなく、
人間の中心力を引き出すために最も有用な鍛錬用具であると知ったからである。
(もっとも、実際の鍛錬では木刀や模造刀、無刀などに依る場合が多いが)
最低でも、刀並み以上に己が中心力を引き出す助けとなってくれる相手との付き合いこそを望む。
そこまで行かずとも、その邪魔をしない相手までなら付き合いを受け入れる。
邪魔になる相手ともなれば、さすがにシャットアウト。その分別にかけての
最善を尽くしているという自覚が今でもあるから、不満の抱きようもないのだ。
>>74
肥前忠吉は江戸期の実用刀の最高峰。
今となっては宝物級で、試斬稽古などにも使うべきではない。
実用目的なら現代刀をなるべく特注して買えとよく言われる。
軍刀を勧める者もいるが、あれはド素人が腕力だけでも叩き斬れる
村正的な作り込みになっているものが多いので、己が中心力を引き出す
上質な稽古のためには不向きだし、使いすぎると腕を壊すようなことにもなる。メッチャハヤクチ
>>75
忌憚なく申せば、やるべきことは全部やっている。
ただやるべきでない、やっても余計に事態を悪くするようなことをやってないだけ。
ただただ人事を尽くして天命を待つばかりで、それで命に与れぬのならそれもまた運命。
孔子や孟子も存命中に治世を実現できず、そこで辣腕を発揮することもできなかったのを思えば、
自分ばかりに特別な不遇だなどと嘆く資格もないというのも、散々述べてきたことだ。
肥前忠吉は江戸期の実用刀の最高峰。
今となっては宝物級で、試斬稽古などにも使うべきではない。
実用目的なら現代刀をなるべく特注して買えとよく言われる。
軍刀を勧める者もいるが、あれはド素人が腕力だけでも叩き斬れる
村正的な作り込みになっているものが多いので、己が中心力を引き出す
上質な稽古のためには不向きだし、使いすぎると腕を壊すようなことにもなる。メッチャハヤクチ
>>75
忌憚なく申せば、やるべきことは全部やっている。
ただやるべきでない、やっても余計に事態を悪くするようなことをやってないだけ。
ただただ人事を尽くして天命を待つばかりで、それで命に与れぬのならそれもまた運命。
孔子や孟子も存命中に治世を実現できず、そこで辣腕を発揮することもできなかったのを思えば、
自分ばかりに特別な不遇だなどと嘆く資格もないというのも、散々述べてきたことだ。
鍛錬用の安物の大小も別に用意している。
自慢するほどのものでもないからいちいち画像も上げないがな。
https://www.nipponto.co.jp/swords8/NT332290.ht...
肥前忠吉でもこういう、江戸中期以降の後代のものならまだ実用性もあるがな。
すでにスポーツ化が進んでいた当時の剣道(撃剣)に合わせた作り込みに
なり始めてたりもするし、これまた難点がないわけではない。
鍛錬のためにこそ、長大だったり反りが高かったりする太刀様の刀を
あえて使う古流なんてのも結構あるから。実は優美さをそんなに敬遠する必要もない。
古刀の復活を目指した現代刀なんてのも選択肢のうちに入れてもいいぐらいだ。
自慢するほどのものでもないからいちいち画像も上げないがな。
https://www.nipponto.co.jp/swords8/NT332290.ht...
肥前忠吉でもこういう、江戸中期以降の後代のものならまだ実用性もあるがな。
すでにスポーツ化が進んでいた当時の剣道(撃剣)に合わせた作り込みに
なり始めてたりもするし、これまた難点がないわけではない。
鍛錬のためにこそ、長大だったり反りが高かったりする太刀様の刀を
あえて使う古流なんてのも結構あるから。実は優美さをそんなに敬遠する必要もない。
古刀の復活を目指した現代刀なんてのも選択肢のうちに入れてもいいぐらいだ。
大竹利典さんも釜用の砥石で荒砥して草切って遊んでたというし、
今じゃネットで数万円からでも買えるようなものを、なに神格化し続けてんだ?
もちろんそんなのはクズ刀ばかりだが、別に偽物の日本刀というわけでもない。
(一時、中華業者が偽物を売るような真似を試みていたが、すでに規制されてる)
偽名だからその刀工の作としては偽物ということはあっても、普通に刀としては本物。
坂本龍馬を暗殺した偽名の越後守包貞みたいに、実用目的で偽名が好まれることもあった。
基本的に、刀剣商という人種にろくでもない連中が多くて、自分自身がいい刀を
手に入れたいからこそ、不必要に刀一般の価値を低く見積もるような真似をしている。
その口車に乗せられて、本物の名刀以外は剣術稽古目的でも手を出してはいけない
ような気にさせられていたりするとすれば、一種の詐欺被害だともいえようぞ。
今じゃネットで数万円からでも買えるようなものを、なに神格化し続けてんだ?
もちろんそんなのはクズ刀ばかりだが、別に偽物の日本刀というわけでもない。
(一時、中華業者が偽物を売るような真似を試みていたが、すでに規制されてる)
偽名だからその刀工の作としては偽物ということはあっても、普通に刀としては本物。
坂本龍馬を暗殺した偽名の越後守包貞みたいに、実用目的で偽名が好まれることもあった。
基本的に、刀剣商という人種にろくでもない連中が多くて、自分自身がいい刀を
手に入れたいからこそ、不必要に刀一般の価値を低く見積もるような真似をしている。
その口車に乗せられて、本物の名刀以外は剣術稽古目的でも手を出してはいけない
ような気にさせられていたりするとすれば、一種の詐欺被害だともいえようぞ。
[YouTubeで再生]
(書き貯め放出>>13の続き)
古典落語の「目黒のさんま」なども、誰が聞いてもそれなりに楽しめるような
物語構造の手堅さで笑わせようとする小噺の最たるものではあるが。
裸踊り級に安易で低劣なお笑いに慣れきっているほどウレシがひどい人間が聞けば、
面白いのはわかるが刺激が弱すぎて退屈なようにも、相対的に感じられかねないもの。
そのような原因によって、普遍的な共通性を追求したものこそが、
ウレシありきの普遍性を欠いた芸なし芸などより低く評価されてしまうこともある。
世の中がウレシに囚われた人間で占められるほど、その傾向も強くなるが。
若いころには箸が転んだだけでも笑えていたような女こそが、
ろくな人生を歩んで来られないまま老女と化した場合にこそ、
箸が転んだだけでも腹が立つほどのヒス加減と化してしまうように、
ウレシ自体が心の弱さを原因として増幅させられるものであるが故に、
そんなもの頼みでいる世の中に蔓延する不幸もまたひとしおとなるわけである。
(書き貯め放出>>13の続き)
古典落語の「目黒のさんま」なども、誰が聞いてもそれなりに楽しめるような
物語構造の手堅さで笑わせようとする小噺の最たるものではあるが。
裸踊り級に安易で低劣なお笑いに慣れきっているほどウレシがひどい人間が聞けば、
面白いのはわかるが刺激が弱すぎて退屈なようにも、相対的に感じられかねないもの。
そのような原因によって、普遍的な共通性を追求したものこそが、
ウレシありきの普遍性を欠いた芸なし芸などより低く評価されてしまうこともある。
世の中がウレシに囚われた人間で占められるほど、その傾向も強くなるが。
若いころには箸が転んだだけでも笑えていたような女こそが、
ろくな人生を歩んで来られないまま老女と化した場合にこそ、
箸が転んだだけでも腹が立つほどのヒス加減と化してしまうように、
ウレシ自体が心の弱さを原因として増幅させられるものであるが故に、
そんなもの頼みでいる世の中に蔓延する不幸もまたひとしおとなるわけである。
他人様のスレでイキがっててウザいんですけど?www
逃げまくる地蔵w
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(>>105の続き)
裸踊り級に安易なお笑いでも十分面白がれるほどのウレシ加減は、
日本よりもむしろ海外のほうが本場だし、日本以外のどこかに
より大真面目な笑いの在り方などを乞い求めても仕方のないところがある。
昔なら邦画や小説、近年なら漫画やアニメなどで注目されている、
日本人が創作する物語の海外作品を軽く凌駕する面白さなども、
根柢のところに、最大級に大真面目な相手でも楽しませようとするだけの
真摯さが備わっているからこそ、量産し続けられているものでもある。
今のハリウッド作品などにはそれがないものだから、子供向けとなれば
露骨に子供だましな作風と化したりする上に、大人向けの作品ならではの
真面目さを追求しようとしたら、それがポリコレ偏重のような狂乱を招くことともなった。
(>>105の続き)
裸踊り級に安易なお笑いでも十分面白がれるほどのウレシ加減は、
日本よりもむしろ海外のほうが本場だし、日本以外のどこかに
より大真面目な笑いの在り方などを乞い求めても仕方のないところがある。
昔なら邦画や小説、近年なら漫画やアニメなどで注目されている、
日本人が創作する物語の海外作品を軽く凌駕する面白さなども、
根柢のところに、最大級に大真面目な相手でも楽しませようとするだけの
真摯さが備わっているからこそ、量産し続けられているものでもある。
今のハリウッド作品などにはそれがないものだから、子供向けとなれば
露骨に子供だましな作風と化したりする上に、大人向けの作品ならではの
真面目さを追求しようとしたら、それがポリコレ偏重のような狂乱を招くことともなった。
ギリシャ劇やシェイクスピアのような西洋由来の古典ともなると、
これは殊更に理不尽な悲劇性を露骨に描き出すような悪趣味さこそを
文学的な高尚さとして持て囃しているようなものばかりであるために、
そういうものをつまらないとするアメリカンな価値観によっても退けられる上、
喜怒哀楽全方向への緩急自在さを日本の作品の享受などによって知って
しまった上では単調に過ぎて楽しみづらいという問題をも来すのである。
たとえば能楽などは、喜怒哀楽よりもさらに以前にある心の中庸の静謐さこそを
描こうとしているものだけれども、それはジャンクな大衆芸能などはおろか、
情緒の豊かさばかりを殊更にもてはやす西洋の古典文学やクラシックなどと比べても、
動きが少なすぎて容易には楽しみがたいものとなっている場合が多い。
しかし、そのような真面目の上にも真面目を積み重ねるような取り組みがあった上で、
歌舞伎や文楽や落語のような大衆芸能なども派生させていったことが、日本の娯楽文化が
今のアメコミやディズニー作品のごとき一本調子化を徹底的に避け抜いた、
多種多様さに満ち溢れる基礎ともなり得たのである。
これは殊更に理不尽な悲劇性を露骨に描き出すような悪趣味さこそを
文学的な高尚さとして持て囃しているようなものばかりであるために、
そういうものをつまらないとするアメリカンな価値観によっても退けられる上、
喜怒哀楽全方向への緩急自在さを日本の作品の享受などによって知って
しまった上では単調に過ぎて楽しみづらいという問題をも来すのである。
たとえば能楽などは、喜怒哀楽よりもさらに以前にある心の中庸の静謐さこそを
描こうとしているものだけれども、それはジャンクな大衆芸能などはおろか、
情緒の豊かさばかりを殊更にもてはやす西洋の古典文学やクラシックなどと比べても、
動きが少なすぎて容易には楽しみがたいものとなっている場合が多い。
しかし、そのような真面目の上にも真面目を積み重ねるような取り組みがあった上で、
歌舞伎や文楽や落語のような大衆芸能なども派生させていったことが、日本の娯楽文化が
今のアメコミやディズニー作品のごとき一本調子化を徹底的に避け抜いた、
多種多様さに満ち溢れる基礎ともなり得たのである。
常に満腹常態よりかは腹八分目、
時には空腹のかつえにも触れるぐらいであればこそ、
本当に美味い食物を心から味わって楽しめるがごとく、
芸能表現の楽しみなどもまた、喜怒哀楽以前の中正さにまで遡りながら
それを追い求めるほどの大真面目さこそが、最大限にそれを実現できる所がある。
無論、その代表格といえる能などは、そうそうに誰でも楽しめるほど
安易なもではなく、100才過ぎの小野小町やヒスBBAのごとき、
現代劇ではまず主役どころか、主たる脇役にもならなさそうな役柄ばかりが
大立ち回りを演ずるその様態もまた、容易には理解しがたいものではあるが。
能楽が勃興した武家時代中期の日本などは、
英雄も、そこに随順する貞淑な婦女も、現実社会においてこそ最大級の活躍が
期待されていた時代であったがために、いちいち演劇の中などで持て囃したり
することがそう期待されてはいなかった。そのような演劇以前の現実からの
大真面目さこそが、大真面目きわまる演劇の土壌となった所もあるのである。
時には空腹のかつえにも触れるぐらいであればこそ、
本当に美味い食物を心から味わって楽しめるがごとく、
芸能表現の楽しみなどもまた、喜怒哀楽以前の中正さにまで遡りながら
それを追い求めるほどの大真面目さこそが、最大限にそれを実現できる所がある。
無論、その代表格といえる能などは、そうそうに誰でも楽しめるほど
安易なもではなく、100才過ぎの小野小町やヒスBBAのごとき、
現代劇ではまず主役どころか、主たる脇役にもならなさそうな役柄ばかりが
大立ち回りを演ずるその様態もまた、容易には理解しがたいものではあるが。
能楽が勃興した武家時代中期の日本などは、
英雄も、そこに随順する貞淑な婦女も、現実社会においてこそ最大級の活躍が
期待されていた時代であったがために、いちいち演劇の中などで持て囃したり
することがそう期待されてはいなかった。そのような演劇以前の現実からの
大真面目さこそが、大真面目きわまる演劇の土壌となった所もあるのである。
ただ創作劇の中だけで真面目さを追い求めたりするのではまだ不足で、
それを享受する現実社会の側もまた、命を懸けて仁政を実現して行くなみの
大真面目さの追求があって初めて、両者が十分たり得る所があるのである。
それは決して、ただただ真面目一辺倒な堅物であることの追求などではないからこそ、
歌舞伎や文楽のような後世の娯楽の派生を待つまでもなく、能楽自体にも狂言という、
もっぱらおふざけを専科とした作劇が不随し続けて来たのでもある。
能による大真面目縛りの制約があったればこそ、その直近でのおふざけを追求した
狂言こそは、古典落語などをも上回るほどに、本当に誰が見ても面白いと
見なせるような普遍的な笑いだけを追求したものとなっている。
ただ大真面目の縛りが大前提としてあるからだけでなく、あまりにも古典すぎて
現代人には容易に受け入れられ難いような側面もまたあるには違いないのだが、
これからあらたな作劇表現を試みる者たちもまた、ウレシしか楽しめないような
ふざけきりに終始することなく、能と狂言の関係のように、真面目と不真面目を自由に
行き来できるだけの志操を以てそれに取り組むことで、文化の隆盛に貢献していくべきなのである。
それを享受する現実社会の側もまた、命を懸けて仁政を実現して行くなみの
大真面目さの追求があって初めて、両者が十分たり得る所があるのである。
それは決して、ただただ真面目一辺倒な堅物であることの追求などではないからこそ、
歌舞伎や文楽のような後世の娯楽の派生を待つまでもなく、能楽自体にも狂言という、
もっぱらおふざけを専科とした作劇が不随し続けて来たのでもある。
能による大真面目縛りの制約があったればこそ、その直近でのおふざけを追求した
狂言こそは、古典落語などをも上回るほどに、本当に誰が見ても面白いと
見なせるような普遍的な笑いだけを追求したものとなっている。
ただ大真面目の縛りが大前提としてあるからだけでなく、あまりにも古典すぎて
現代人には容易に受け入れられ難いような側面もまたあるには違いないのだが、
これからあらたな作劇表現を試みる者たちもまた、ウレシしか楽しめないような
ふざけきりに終始することなく、能と狂言の関係のように、真面目と不真面目を自由に
行き来できるだけの志操を以てそれに取り組むことで、文化の隆盛に貢献していくべきなのである。
その二人がオタクなのは知ってるが、
大金持ちだからか西洋人だからか知らないが、
日本のオタクとは根本的に異なっている所があるがな。
オタクを、非リア充の成れ果てではなく、
ほぼ単なるマニアと同等のものと捉えている。
だからそのままリア充となることもアリだろうと考えている。
この映画のメッセージ性もそういうもんだったろうし、
イーロンも「もうちょっとリアルもちゃんとしろ」という意味合いを込めて、
日本のオタクが大量流入しているTwitterの大改悪による人払いにも臨んでるのだろう。
残念ながら、日本のオタクの大多数は、非リアであるが故にオタクである。
オタクが市民権を獲得したように言われている現代もまた、
非リアが共に増えすぎたが故のなし崩し的な事態なのであり、
大多数はリア充であり得るのならオタクなんかやめたいぐらいに思っている。
そもそもが日本では、リア充のマニアは所ジョージみたいに、始めからオタク扱いもされないのである。
国富の2割以下しか占有していない、40代以下の次世代にとってはそれこそ、
マニアではないリア充を目指したりする以上に高すぎるハードルなのである。
大金持ちだからか西洋人だからか知らないが、
日本のオタクとは根本的に異なっている所があるがな。
オタクを、非リア充の成れ果てではなく、
ほぼ単なるマニアと同等のものと捉えている。
だからそのままリア充となることもアリだろうと考えている。
この映画のメッセージ性もそういうもんだったろうし、
イーロンも「もうちょっとリアルもちゃんとしろ」という意味合いを込めて、
日本のオタクが大量流入しているTwitterの大改悪による人払いにも臨んでるのだろう。
残念ながら、日本のオタクの大多数は、非リアであるが故にオタクである。
オタクが市民権を獲得したように言われている現代もまた、
非リアが共に増えすぎたが故のなし崩し的な事態なのであり、
大多数はリア充であり得るのならオタクなんかやめたいぐらいに思っている。
そもそもが日本では、リア充のマニアは所ジョージみたいに、始めからオタク扱いもされないのである。
国富の2割以下しか占有していない、40代以下の次世代にとってはそれこそ、
マニアではないリア充を目指したりする以上に高すぎるハードルなのである。
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オタクとマニアの境界例:マック堺
この人は、ガンマニアともミリオタとも言えるような立場で、
膨大なトイガン関係のレビュー動画を上げて来たYouTuberとして一般には有名だが。
趣味が高じて海外での実弾射撃大会に出場し、入賞までしてるような始末。
本業は建築家で、妻子もいて、所ジョージとも交流があるらしいが。
この人はマニアか、オタクか?
リア充が過半数な旧世代から見ればオタク、
非リアが過半数な次世代から見ればマニア、ってとこだろうな。
日本でも、旧世代の年寄りがオタクにもリア充の余地があるように考えてしまうことが
あるのは確かだろう。自分たちの大多数が、イーロンやスピルバーグ並みとまで行かずとも、
最低限以上の甲斐性に与れる国富占有率であり続けて来たのだから。
オタクとマニアの境界例:マック堺
この人は、ガンマニアともミリオタとも言えるような立場で、
膨大なトイガン関係のレビュー動画を上げて来たYouTuberとして一般には有名だが。
趣味が高じて海外での実弾射撃大会に出場し、入賞までしてるような始末。
本業は建築家で、妻子もいて、所ジョージとも交流があるらしいが。
この人はマニアか、オタクか?
リア充が過半数な旧世代から見ればオタク、
非リアが過半数な次世代から見ればマニア、ってとこだろうな。
日本でも、旧世代の年寄りがオタクにもリア充の余地があるように考えてしまうことが
あるのは確かだろう。自分たちの大多数が、イーロンやスピルバーグ並みとまで行かずとも、
最低限以上の甲斐性に与れる国富占有率であり続けて来たのだから。
知能指数は、殊更に高いことよりも、
不埒に低くなったりしないことのほうが、よっぽど重要だからね。
東大卒で、ある種の分野の権威となるほどの知能の持ち主だろうとも、
プライベートでは人知れずチンパン未満にまで知能を低下させての
不注意状態でいるようなことが、いくらでもあるものだから。
それよりかはむしろ、IQ100程度の知能を恒常的に保てるだけの
正気の持ち主のほうが、よっぽど賢い人間だといえる。
これもスレタイの、不真面目によるウレシ状態に深く連関している事象で、
麻薬や酒などに依らずとも、人はウレシによって知能を下降させる能力を
良くも悪しくも持ち合わせている。それを、心の休息のために、問題のない時間に、
適切な分量だけ試みるのであればまだ害がなくとも、車の運転中のような、
人の命にもかかわるようなTPOにまで思わずやらかしてしまうようでは、大いなる害となりかねない。
そういう間違いを犯さないための修練は、何も勉強ばかりによって務まるわけではない。
特に試験勉強などは、決められた時間にこれと決まった問題を解くための知能の上昇
ばかりを強いるものであるために、その必要がない場合においては好き放題に知能を
低下させてしまう悪癖をも同時に植え付けさせかねないものだから。これこそは、
並みの人間以上に総合的には愚かそうな、高学歴のボンクラ等が生じてしまう原因でもある。
不埒に低くなったりしないことのほうが、よっぽど重要だからね。
東大卒で、ある種の分野の権威となるほどの知能の持ち主だろうとも、
プライベートでは人知れずチンパン未満にまで知能を低下させての
不注意状態でいるようなことが、いくらでもあるものだから。
それよりかはむしろ、IQ100程度の知能を恒常的に保てるだけの
正気の持ち主のほうが、よっぽど賢い人間だといえる。
これもスレタイの、不真面目によるウレシ状態に深く連関している事象で、
麻薬や酒などに依らずとも、人はウレシによって知能を下降させる能力を
良くも悪しくも持ち合わせている。それを、心の休息のために、問題のない時間に、
適切な分量だけ試みるのであればまだ害がなくとも、車の運転中のような、
人の命にもかかわるようなTPOにまで思わずやらかしてしまうようでは、大いなる害となりかねない。
そういう間違いを犯さないための修練は、何も勉強ばかりによって務まるわけではない。
特に試験勉強などは、決められた時間にこれと決まった問題を解くための知能の上昇
ばかりを強いるものであるために、その必要がない場合においては好き放題に知能を
低下させてしまう悪癖をも同時に植え付けさせかねないものだから。これこそは、
並みの人間以上に総合的には愚かそうな、高学歴のボンクラ等が生じてしまう原因でもある。
知能の乱高下を抑えるために、最も格好とされているのが、
一般的に「求道」などと呼ばれる部類の活動である。
仏道修行はその極みだし、それ以外の求道行為もまたそれに近似する程度に、
人々の知能の乱高下こそを抑止する効果を持ち合わせているものである。
求道とまで行かずとも、儒学や玄学のような正学の修養目的での勉強だとか、
悪人正機説の了解に基づく念仏とかもそれに近い効果を持ち合わせるもの。
知能の乱高下を完全に抑えるわけではないが、適切な時節に安全な範囲での
知能低下級のおふざけを享受することで「キチゲの発散」的な効果をもたらし、
知能を低下させてはならない時節にはさせないようにするという手段もあって、
古来の伝統に即した祭りだとか芸能だとかにはその手の役割を帯びたものが多いし、
近年の大衆文化などであっても、良質なものはそういった効果を持ち合わせているものである。
一般的に「求道」などと呼ばれる部類の活動である。
仏道修行はその極みだし、それ以外の求道行為もまたそれに近似する程度に、
人々の知能の乱高下こそを抑止する効果を持ち合わせているものである。
求道とまで行かずとも、儒学や玄学のような正学の修養目的での勉強だとか、
悪人正機説の了解に基づく念仏とかもそれに近い効果を持ち合わせるもの。
知能の乱高下を完全に抑えるわけではないが、適切な時節に安全な範囲での
知能低下級のおふざけを享受することで「キチゲの発散」的な効果をもたらし、
知能を低下させてはならない時節にはさせないようにするという手段もあって、
古来の伝統に即した祭りだとか芸能だとかにはその手の役割を帯びたものが多いし、
近年の大衆文化などであっても、良質なものはそういった効果を持ち合わせているものである。
(>>118の続き)
戦後日本人には、「真面目であるということは、
ただとにかく矢鱈目鱈に厳しいことである」などと誤解させることで、
真面目さへの精神的なアレルギーを抱かせる洗脳操作が加えられて来た所もある。
猪木を海の真ん中でボートから突き落として泳いで帰らせた力道山か、
高校野球の練習で生徒たちを死ぬほど苦しめて来た監督あたりが、
「真面目である」ということの最大級の体現者だなどと思い込まれたままでいる。
それは、そこまで極端な厳しさがパワハラなどとして敬遠、規制されるようになった
直近の現代においても全く変わりがなく、あくまで真面目さの本質はそういう所にある
としているせいで、厳しさから遠ざかるが故に不真面目と化す者だらけともなっている。
そうではない、どちらも本当は不真面目でしかない。
力道山や高校野球の監督も、ただ徒弟に対して厳しかっただけで、
自分自身はクラブで高級酒でのんべんだらりだったりもしたのである。
そういった自分自身への甘さがあった上での、他者への厳しさなんてのは、
潜在的な不真面目さを介しているが故に、相手の素養や成長をかえって損なうような
不合理さをも大いに伴う。戦後日本人が恐怖を抱いて来た本質もまたそこにこそあるからには、
むしろ真面目の仮面を被った不真面目さこそを恐れてきたと知るべきなのである。
戦後日本人には、「真面目であるということは、
ただとにかく矢鱈目鱈に厳しいことである」などと誤解させることで、
真面目さへの精神的なアレルギーを抱かせる洗脳操作が加えられて来た所もある。
猪木を海の真ん中でボートから突き落として泳いで帰らせた力道山か、
高校野球の練習で生徒たちを死ぬほど苦しめて来た監督あたりが、
「真面目である」ということの最大級の体現者だなどと思い込まれたままでいる。
それは、そこまで極端な厳しさがパワハラなどとして敬遠、規制されるようになった
直近の現代においても全く変わりがなく、あくまで真面目さの本質はそういう所にある
としているせいで、厳しさから遠ざかるが故に不真面目と化す者だらけともなっている。
そうではない、どちらも本当は不真面目でしかない。
力道山や高校野球の監督も、ただ徒弟に対して厳しかっただけで、
自分自身はクラブで高級酒でのんべんだらりだったりもしたのである。
そういった自分自身への甘さがあった上での、他者への厳しさなんてのは、
潜在的な不真面目さを介しているが故に、相手の素養や成長をかえって損なうような
不合理さをも大いに伴う。戦後日本人が恐怖を抱いて来た本質もまたそこにこそあるからには、
むしろ真面目の仮面を被った不真面目さこそを恐れてきたと知るべきなのである。
まだ地獄の底を掘り下げるかえ?
あつまれふしぎ研究部は全部じゃないけど読んでるよ。
この総評(右)で有名になったイカ娘の作者が、漫画の描き方まで上手くなって、
これまたアニメ化がそうそうには上手くいかなそうな域になってんよね。
カイジも一部読んだことあるけど、あんまり話のディープさばかりが頼みで、
作画を蔑ろにし過ぎてるような作品を好むようなこともないな。
近ごろは値上がりのし過ぎで俺もあんまりネカフェ行かないな。
基本的に製本の漫画は買わない主義なんで、昔はよく行ってたもんだが。
近ごろはこういうweb漫画家でも、舐められたもんじゃないのが多いしな。
https://twitter.com/natsumemor...
https://twitter.com/cacomistle_tai...
この総評(右)で有名になったイカ娘の作者が、漫画の描き方まで上手くなって、
これまたアニメ化がそうそうには上手くいかなそうな域になってんよね。
カイジも一部読んだことあるけど、あんまり話のディープさばかりが頼みで、
作画を蔑ろにし過ぎてるような作品を好むようなこともないな。
近ごろは値上がりのし過ぎで俺もあんまりネカフェ行かないな。
基本的に製本の漫画は買わない主義なんで、昔はよく行ってたもんだが。
近ごろはこういうweb漫画家でも、舐められたもんじゃないのが多いしな。
https://twitter.com/natsumemor...
https://twitter.com/cacomistle_tai...
>>143
とはいっても、発散目的といえどもこういう、
真面目とおふざけの間を綱渡りしてるぐらいの作品を好むがなあ。
https://omocoro.jp/kiji/320390...
日々、高校野球やプロレスの練習なみに、不合理で多大な労苦を強いられていれば
それどころでは済まず、ただひたすらふざけきった作品のほうをより好むかもしれない。
バブル時代の作品とかにそういうのが多いが、実際当時の若手が団塊あたりに、
猪木に対する力道山みたいなしごきを受けたりもしてたのだろうな、と。
そのあたりの世代までは、それ相応の見返りにも与れていたわけだが。
とはいっても、発散目的といえどもこういう、
真面目とおふざけの間を綱渡りしてるぐらいの作品を好むがなあ。
https://omocoro.jp/kiji/320390...
日々、高校野球やプロレスの練習なみに、不合理で多大な労苦を強いられていれば
それどころでは済まず、ただひたすらふざけきった作品のほうをより好むかもしれない。
バブル時代の作品とかにそういうのが多いが、実際当時の若手が団塊あたりに、
猪木に対する力道山みたいなしごきを受けたりもしてたのだろうな、と。
そのあたりの世代までは、それ相応の見返りにも与れていたわけだが。
日陰の気温は42度を超えない法則
https://bbs15.meiwasuisan.com/science/1692608999...
科学板に新スレを立ててみたんで、紹介しとくわ。
地獄の底連中の自分掘りレスも別に禁止まではせん。
https://bbs15.meiwasuisan.com/science/1692608999...
科学板に新スレを立ててみたんで、紹介しとくわ。
地獄の底連中の自分掘りレスも別に禁止まではせん。
(>>135の続き)
ちょっと前に、「読売や産経よりはまだ報道姿勢が真面目」と評したことがある
朝日系列のメディアも、高校野球あたりを真面目なメインカルチャーの極みとして
こよなく愛して来た団塊左翼の巣窟で、手塚治虫文化賞みたいな大口の漫画賞まで
自分たちで開催しておきながら、漫画アニメみたいな軽薄なサブカルに携わる輩は、
不真面目きわまる下っ端のクズども扱いするような連中ばかりだったそうな。
俺に言わせりゃ、野球もプロレスも漫画もアニメも、軽薄な娯楽文化であるのには変わらん。
そんなもの一切かかわるなとまでは言わないが、それはあくまでおふざけの領分で、
真面目を追い求めるのなら、それは仏道なり武芸なり能楽なりに期待すべきものである。
所詮は何もかも不真面目止まりな連中が、自分達こそは真面目を好む良識者だなどと思い込み、
不真面目の自認があるような分野の連中を見下してかかって来たような世相においてこそ、
若者の将来を奪うような、不合理で虐待そのものな使役や訓練までもがまかり通って来た。
ちょっと前に、「読売や産経よりはまだ報道姿勢が真面目」と評したことがある
朝日系列のメディアも、高校野球あたりを真面目なメインカルチャーの極みとして
こよなく愛して来た団塊左翼の巣窟で、手塚治虫文化賞みたいな大口の漫画賞まで
自分たちで開催しておきながら、漫画アニメみたいな軽薄なサブカルに携わる輩は、
不真面目きわまる下っ端のクズども扱いするような連中ばかりだったそうな。
俺に言わせりゃ、野球もプロレスも漫画もアニメも、軽薄な娯楽文化であるのには変わらん。
そんなもの一切かかわるなとまでは言わないが、それはあくまでおふざけの領分で、
真面目を追い求めるのなら、それは仏道なり武芸なり能楽なりに期待すべきものである。
所詮は何もかも不真面目止まりな連中が、自分達こそは真面目を好む良識者だなどと思い込み、
不真面目の自認があるような分野の連中を見下してかかって来たような世相においてこそ、
若者の将来を奪うような、不合理で虐待そのものな使役や訓練までもがまかり通って来た。
本質的に不真面目な枠組みの中で真面目ぶろうなどとするものだから、苛烈さばかりが独り歩きする。
確かに、仏道級に本質からまじめな分野もまた、多大なる厳しさを介するものではあるが、
それはあくまで合理性を尽くした上での取り組みであるがために、無益な虐待などではあり得ないもの。
たとえば、禅門での厳しい座禅修行などにどんなに取り組んだ所で、それがろくに頭を使わない
体育会系のうすのろさの助長などに与することはなく、20世紀後半における戦後日本の
権力腐敗をあの手この手を使って抑制する機微に富んだ活動の原動力などともなっていたのだった。
そんな文武両道、心技体全方向への才覚などが、体育会系を開き直るスポーツ一般の享受はおろか、
スポーツ化が深刻化した現代の剣道や柔道によっても育まれることはないために、それらを
必修化している今の警察なども、自分たち自身の体制腐敗にまで陥ることとなってしまっている。
そのような、自分たちの本質的な愚鈍さ、不甲斐なさを誤魔化す目的でこそ、
力道山や高校野球の監督級の、度を越した厳しさまでもが蔓延るようになるのであって、
それは内に文武分断級の不真面目を抱えた上っ面の真面目こそが来たしてしまう病理に他ならないのである。
確かに、仏道級に本質からまじめな分野もまた、多大なる厳しさを介するものではあるが、
それはあくまで合理性を尽くした上での取り組みであるがために、無益な虐待などではあり得ないもの。
たとえば、禅門での厳しい座禅修行などにどんなに取り組んだ所で、それがろくに頭を使わない
体育会系のうすのろさの助長などに与することはなく、20世紀後半における戦後日本の
権力腐敗をあの手この手を使って抑制する機微に富んだ活動の原動力などともなっていたのだった。
そんな文武両道、心技体全方向への才覚などが、体育会系を開き直るスポーツ一般の享受はおろか、
スポーツ化が深刻化した現代の剣道や柔道によっても育まれることはないために、それらを
必修化している今の警察なども、自分たち自身の体制腐敗にまで陥ることとなってしまっている。
そのような、自分たちの本質的な愚鈍さ、不甲斐なさを誤魔化す目的でこそ、
力道山や高校野球の監督級の、度を越した厳しさまでもが蔓延るようになるのであって、
それは内に文武分断級の不真面目を抱えた上っ面の真面目こそが来たしてしまう病理に他ならないのである。
どのレスね?
デスバレーの日陰でも測れ云々?
デスバレーの日陰でも測れ云々?
俺が昔通ってた柔術道場の家主も講道館六段で、
元々は柔道教室をやってたけど、近年はスポーツ化のせいで
ただの袖つかみプロレスになり果ててしまったものだから、
専ら古流や合気道の稽古に貸すようになったと言ってたもんだな。
足/脚は急所の塊。
関節技なんかに頼るまでもなく、足先を踏まれただけでも動きを封じられ、
安全靴的な防護がなければ骨折からの歩行不全にも見舞われる。
あまり厳重に防護をしても機動性が損なわれるので、一番の急所である
腿内などもおおむね無防備なままで置くしかなく、そのため現代の米軍などでも、
脚は撃たれて大出血することを前提とした上での止血帯装備が重視されている。
たとえ生き延びたとしても戦闘不能化が免れ得ないために、
まず足を相手の攻撃下にさらさないための身構えなり動きなりが
古流などでは重んじられて来ているが、現代の剣道や柔道ではそれも皆無。
脚への攻撃も有効打突にならず、足先を踏んだりするのもルール違反な
現代剣道では、体の前面に大きく脚を伸ばすような飛び込み打ちや、
簡単に足先を踏み潰せるほど極端に近接した鍔迫り合いも常習化している。
ネタバレになるから詳述しないが、鬼滅でもその辺の問題への描写があったもの。
漫画でも察知されているようなことが疎かにされてるぐらいなんだから、
その不真面目さたるや漫画以上であるとも言えるわけだなあ。
元々は柔道教室をやってたけど、近年はスポーツ化のせいで
ただの袖つかみプロレスになり果ててしまったものだから、
専ら古流や合気道の稽古に貸すようになったと言ってたもんだな。
足/脚は急所の塊。
関節技なんかに頼るまでもなく、足先を踏まれただけでも動きを封じられ、
安全靴的な防護がなければ骨折からの歩行不全にも見舞われる。
あまり厳重に防護をしても機動性が損なわれるので、一番の急所である
腿内などもおおむね無防備なままで置くしかなく、そのため現代の米軍などでも、
脚は撃たれて大出血することを前提とした上での止血帯装備が重視されている。
たとえ生き延びたとしても戦闘不能化が免れ得ないために、
まず足を相手の攻撃下にさらさないための身構えなり動きなりが
古流などでは重んじられて来ているが、現代の剣道や柔道ではそれも皆無。
脚への攻撃も有効打突にならず、足先を踏んだりするのもルール違反な
現代剣道では、体の前面に大きく脚を伸ばすような飛び込み打ちや、
簡単に足先を踏み潰せるほど極端に近接した鍔迫り合いも常習化している。
ネタバレになるから詳述しないが、鬼滅でもその辺の問題への描写があったもの。
漫画でも察知されているようなことが疎かにされてるぐらいなんだから、
その不真面目さたるや漫画以上であるとも言えるわけだなあ。
この前までやってたアニメのガンダムを野球の落合博満が見てて、
オタクなら誰でも考えが及ぶ程度の考察を披露しただけでも褒めちぎられていたもの。
まるでボケ老人に対する介護者か、幼稚園児に対する先生のような
周囲の反応が、よく考えてみれば舐め腐った真似だとも言えなくはないんだが、
どうせ相手は頭パァなのがデフォな体育会系の元トップだからとて、
それが別に失礼扱いされることもなく、ごく普通にまかり通っていたもの。
特に落合ぐらいの年代なら、力道山のような残虐を恣にする高校野球の監督などに、
猪木なみの仕打ちを受けるのが当たり前だったろうから、そんな経験をして
来たような相手を並みの人間のように扱ってはならないと、周囲もまるで
大災害の遺族か何かが相手のように、遠巻きで腫れ物に触るような態度で接して行く。
将来、そういう扱いを受けさせてやるためにこそ、昔の体育会系などは特に、
理不尽なしごきを仲間内でも好き好んで繰り返していたわけで、
今でも剣道の昇段審査などに、同様な風習が残存しているものである。
文武両道、心技体への全追求を疎かにした、片手落ちで不真面目な生涯を送ろうとも、
誰にも文句を言わせないための免罪符へと、有害無益な虐待級のしごきもなって来たわけだ。
オタクなら誰でも考えが及ぶ程度の考察を披露しただけでも褒めちぎられていたもの。
まるでボケ老人に対する介護者か、幼稚園児に対する先生のような
周囲の反応が、よく考えてみれば舐め腐った真似だとも言えなくはないんだが、
どうせ相手は頭パァなのがデフォな体育会系の元トップだからとて、
それが別に失礼扱いされることもなく、ごく普通にまかり通っていたもの。
特に落合ぐらいの年代なら、力道山のような残虐を恣にする高校野球の監督などに、
猪木なみの仕打ちを受けるのが当たり前だったろうから、そんな経験をして
来たような相手を並みの人間のように扱ってはならないと、周囲もまるで
大災害の遺族か何かが相手のように、遠巻きで腫れ物に触るような態度で接して行く。
将来、そういう扱いを受けさせてやるためにこそ、昔の体育会系などは特に、
理不尽なしごきを仲間内でも好き好んで繰り返していたわけで、
今でも剣道の昇段審査などに、同様な風習が残存しているものである。
文武両道、心技体への全追求を疎かにした、片手落ちで不真面目な生涯を送ろうとも、
誰にも文句を言わせないための免罪符へと、有害無益な虐待級のしごきもなって来たわけだ。
あの写真貼ってたのは俺じゃない。
落合のことはよく知らないが、別に当人自身が老害的な体育会系の典型
だなどと思って書いたことではないし、それはガンダムなんかにまで
傾倒してる本人の姿勢からも自明に知れたことなんだがな。
イチローやダルビッシュだって、旧来の体育会系のあまりにもの不合理さに
異を唱えながら野球で好成績を挙げて来たわけだし、そもそも野球の範疇で
上位に立つためにも、不合理を良しとする全体のペースに距離を置く必要があるのだが。
大多数がプロの二軍に入れることもなく終わって行く野球界の主流はあくまで、
合理的な訓練によって最大級の成績を上げることではなく、不合理でもいいから
厳しい練習をこなして来たという既成事実を得られることのほうであり続けるわけ。
野球と関係ない普通の職場に就いたのだろうとも、それで年寄りの上司などから
優遇が受けられて来たから。大多数の競技者が野球という媒体に期待するものは
やはり、これからもそのような負の勲章のほうであり続けるに違いないのだ。
落合のことはよく知らないが、別に当人自身が老害的な体育会系の典型
だなどと思って書いたことではないし、それはガンダムなんかにまで
傾倒してる本人の姿勢からも自明に知れたことなんだがな。
イチローやダルビッシュだって、旧来の体育会系のあまりにもの不合理さに
異を唱えながら野球で好成績を挙げて来たわけだし、そもそも野球の範疇で
上位に立つためにも、不合理を良しとする全体のペースに距離を置く必要があるのだが。
大多数がプロの二軍に入れることもなく終わって行く野球界の主流はあくまで、
合理的な訓練によって最大級の成績を上げることではなく、不合理でもいいから
厳しい練習をこなして来たという既成事実を得られることのほうであり続けるわけ。
野球と関係ない普通の職場に就いたのだろうとも、それで年寄りの上司などから
優遇が受けられて来たから。大多数の競技者が野球という媒体に期待するものは
やはり、これからもそのような負の勲章のほうであり続けるに違いないのだ。
俺も、ヨガや武芸の修練などでそれなりに厳しいことをやって来たと思うが、
それにより着実な健康増進や能力開発に与れて来たという確信があるからこそ、
「苦労した」なんて部分を前面に押し出そうなどとは全く思わないし、だからこそ、
どんなに舐めた口を利かれようとも、ここで具体的な苦労話なんかはしないでいる。
それによって得られたものなんか何もない、ただひたすらいたずらに苛め抜かれた
だけなんてほうが、苦労したこと自体を評価されたがるだろうし、そういう感覚が
総員で定着しているような界隈では、それが暗黙の了解となって、成果の有無など
とは無関係に、苦労経験そのものが社会的な優遇資格などとして機能することとなる。
文武両道や心技体の全追求は、着実な成果が見込まれるからこそお呼びではなく、
体だけでも頭だけでも手先だけでも、何かを疎かにするほど偏った取り組みによってのみ
それが講じられ、成果は二の次、とにかく苦労をしたことが一大事な領域を広めて行く。
その低生産性たるや、全てがそこに還元された団塊支配後の日本社会を見ての通り。
人に使われる下っ端がその程度の域にとどまるのならともかく、世の中の何もかもが
それを持て囃そうものなら、そのせいで世の中の進歩も何一つ見込まれなくなるのである。
それにより着実な健康増進や能力開発に与れて来たという確信があるからこそ、
「苦労した」なんて部分を前面に押し出そうなどとは全く思わないし、だからこそ、
どんなに舐めた口を利かれようとも、ここで具体的な苦労話なんかはしないでいる。
それによって得られたものなんか何もない、ただひたすらいたずらに苛め抜かれた
だけなんてほうが、苦労したこと自体を評価されたがるだろうし、そういう感覚が
総員で定着しているような界隈では、それが暗黙の了解となって、成果の有無など
とは無関係に、苦労経験そのものが社会的な優遇資格などとして機能することとなる。
文武両道や心技体の全追求は、着実な成果が見込まれるからこそお呼びではなく、
体だけでも頭だけでも手先だけでも、何かを疎かにするほど偏った取り組みによってのみ
それが講じられ、成果は二の次、とにかく苦労をしたことが一大事な領域を広めて行く。
その低生産性たるや、全てがそこに還元された団塊支配後の日本社会を見ての通り。
人に使われる下っ端がその程度の域にとどまるのならともかく、世の中の何もかもが
それを持て囃そうものなら、そのせいで世の中の進歩も何一つ見込まれなくなるのである。
いっぺん、まともな古流やヨガの技法に正しく則りながら、
高校野球やスポーツ柔道級に厳しい鍛錬に取り組んでみろよ、と。
鬼滅の刃も全くの夢物語でまではないと思えるぐらいの、超人的な能力が手に入るから。
だからこそ、今までに積み重ねて来た努力や苦労なんかどうでもよくなるし、もちろん
他者に対しても、苦労そのものを嬉しがって享受するようなマゾオナニーをけしかけることもなくなる。
そのようなオナニーが公然とひけらかされているような界隈が、いかに非生産的で不毛な
戯れ事だけに終始しているのかをも察して、嫌悪する以前に近づくこともなくなるだろう。
真面目ぶっていながらも、本質の所に大不真面目を孕んでいることをも察して、
それ故の脆弱さを自分までもが帯びてしまわないようにする誓いばかりを確たるものとするだろう。
高校野球やスポーツ柔道級に厳しい鍛錬に取り組んでみろよ、と。
鬼滅の刃も全くの夢物語でまではないと思えるぐらいの、超人的な能力が手に入るから。
だからこそ、今までに積み重ねて来た努力や苦労なんかどうでもよくなるし、もちろん
他者に対しても、苦労そのものを嬉しがって享受するようなマゾオナニーをけしかけることもなくなる。
そのようなオナニーが公然とひけらかされているような界隈が、いかに非生産的で不毛な
戯れ事だけに終始しているのかをも察して、嫌悪する以前に近づくこともなくなるだろう。
真面目ぶっていながらも、本質の所に大不真面目を孕んでいることをも察して、
それ故の脆弱さを自分までもが帯びてしまわないようにする誓いばかりを確たるものとするだろう。
糞スレをageるな
人様の迷惑考えろキチガイ
人様の迷惑考えろキチガイ
古流は古流で、昔の武芸者や武士も取り組んでいたような身体作りまで疎かにしての、
技術頼み一辺倒な老人クラブ化してたりするのが、これまたいただけない所。
体力に自信のある若者は有用な技法を身に付けることを怠り、
いい技法を知っている年寄りは、それを旺盛な体力や精神力と相乗させることを怠るスノッブぶりでいる。
まさに、宝の持ち腐れを絵に描いたような事態に見舞われているのが、ほぼ全ての東洋体術の現状である。
現代ヨガも、軍事教練の参考として世間に公開された最初期の頃には、
修練に際して重傷を負うことも辞さないほどの荒行なのが基本だったというが、
特に西洋にまで広められて行く過程でそのような側面は陰をひそめ、
今では苦しいことなんか何もしたくない中高年女性あたりが一番の顧客という大逆転状態でいる。
技法がそれだけでも独立して高い価値を持ち合わせているからこそ、
体力や精神力まではそこまで要求しないみたいな片手落ちもまた、現代ならではのもので、
決して古来の武芸者や仏者がよしとしていた所ではない。心技体、全てを最大級に動員しての
己が超人、真人への昇華が目的であったが故にこそ、武芸やヨガも聖道扱いにまでされていたことが
あるのであり、その取り組みを疎かにするようでは不真面目オナニーの一種にすらなりかねないのである。
技術頼み一辺倒な老人クラブ化してたりするのが、これまたいただけない所。
体力に自信のある若者は有用な技法を身に付けることを怠り、
いい技法を知っている年寄りは、それを旺盛な体力や精神力と相乗させることを怠るスノッブぶりでいる。
まさに、宝の持ち腐れを絵に描いたような事態に見舞われているのが、ほぼ全ての東洋体術の現状である。
現代ヨガも、軍事教練の参考として世間に公開された最初期の頃には、
修練に際して重傷を負うことも辞さないほどの荒行なのが基本だったというが、
特に西洋にまで広められて行く過程でそのような側面は陰をひそめ、
今では苦しいことなんか何もしたくない中高年女性あたりが一番の顧客という大逆転状態でいる。
技法がそれだけでも独立して高い価値を持ち合わせているからこそ、
体力や精神力まではそこまで要求しないみたいな片手落ちもまた、現代ならではのもので、
決して古来の武芸者や仏者がよしとしていた所ではない。心技体、全てを最大級に動員しての
己が超人、真人への昇華が目的であったが故にこそ、武芸やヨガも聖道扱いにまでされていたことが
あるのであり、その取り組みを疎かにするようでは不真面目オナニーの一種にすらなりかねないのである。
岡田斗司夫といえば、2017年の一期けもフレを、
当初はただの駄作としてこき下ろしてたのに、
社会現象級のブームになり始めた途端に日和って評価、
政策陣の内紛のせいでとん挫したらまた変節して、
「2017年の最高傑作アニメはメイドインアビス!」
とか言ってた小物ムーブが個人的には印象に残ってて、
あんまり歯牙にかける気も起きないんだが。
オタクにとっての自他ともに認める神様である富野由悠季からして、
「私らの作品ばっか見てたってろくな大人になれませんよ」
って昔から釘を刺してんの。岡田がどんなに消費型オタクの最高権威で
あったところで、それだけじゃあ富野の言い分の掌中でしかあり得ない。
タモリがよくブラタモリの寺社散策時に提示してた「聖と俗」の内では、
やっぱり漫画アニメも俗のうちに入るものだから、どんなに面白くたって、
そこを権威化までしたりするのは違う。その点では、老後の余興として
ガンダムを面白がってる落合あたりのほうが順当な姿勢だともいえる。
本人の本業だった野球が聖か俗かは置いといて。
当初はただの駄作としてこき下ろしてたのに、
社会現象級のブームになり始めた途端に日和って評価、
政策陣の内紛のせいでとん挫したらまた変節して、
「2017年の最高傑作アニメはメイドインアビス!」
とか言ってた小物ムーブが個人的には印象に残ってて、
あんまり歯牙にかける気も起きないんだが。
オタクにとっての自他ともに認める神様である富野由悠季からして、
「私らの作品ばっか見てたってろくな大人になれませんよ」
って昔から釘を刺してんの。岡田がどんなに消費型オタクの最高権威で
あったところで、それだけじゃあ富野の言い分の掌中でしかあり得ない。
タモリがよくブラタモリの寺社散策時に提示してた「聖と俗」の内では、
やっぱり漫画アニメも俗のうちに入るものだから、どんなに面白くたって、
そこを権威化までしたりするのは違う。その点では、老後の余興として
ガンダムを面白がってる落合あたりのほうが順当な姿勢だともいえる。
本人の本業だった野球が聖か俗かは置いといて。
全く無関係な話で悪いが、いま検索してみて気づいたんだが、
天皇ご一家や上皇ご夫妻のご静養のニュースが連日テレビで流れてるわりに、
5chではただの一つも関連記事のスレが立ってない。
https://twitter.com/STomchang/status/1694232796783...
こういう、「国民は汗水たらして働いてるのにいいご身分ですな」的な
批判が出るのが見え透いてるし、実質、皇室のネガキャンにしかなってない報道。
前から、なんであんな無益な報道ばかりに躍起でいるのかと疑問には思っていたが、案の定、
あれは街宣右翼など同じく、皇室の権威を貶めて支持を下げるための印象工作らしい。
だからこそ、すぐに裏を勘繰られるネット上での広告は極力避けている。
忌まわしいことではあるが、未だに大メディアが外患勢力の配下であることと、
連中にとって皇室が都合の悪い存在のままであり続けていることの証拠にもなっている。
完全に懐柔され尽くしているのなら、あんな扱いを受け続けてるはずもないから、
そこはほんの少しだけ安心材料にもなるところではある。
天皇ご一家や上皇ご夫妻のご静養のニュースが連日テレビで流れてるわりに、
5chではただの一つも関連記事のスレが立ってない。
https://twitter.com/STomchang/status/1694232796783...
こういう、「国民は汗水たらして働いてるのにいいご身分ですな」的な
批判が出るのが見え透いてるし、実質、皇室のネガキャンにしかなってない報道。
前から、なんであんな無益な報道ばかりに躍起でいるのかと疑問には思っていたが、案の定、
あれは街宣右翼など同じく、皇室の権威を貶めて支持を下げるための印象工作らしい。
だからこそ、すぐに裏を勘繰られるネット上での広告は極力避けている。
忌まわしいことではあるが、未だに大メディアが外患勢力の配下であることと、
連中にとって皇室が都合の悪い存在のままであり続けていることの証拠にもなっている。
完全に懐柔され尽くしているのなら、あんな扱いを受け続けてるはずもないから、
そこはほんの少しだけ安心材料にもなるところではある。
昔の、お伊勢参りや善光寺参りに代表されるような大衆観光も、
決してただの"聖"地巡りなだけだったのではない。
門前町での風"俗"遊びなりご当地グルメなりの、
現代でもそれなりの活況を呈しているような部類の
遊興もあった上での、聖俗織り交ぜた観光事業だったのである。
そんな、聖と俗のバランスをうまく釣り合わせていた時代と比べれば、
今はただひたすら俗悪一辺倒の世。最上級に高尚な崇拝対象と云えども
野球や将棋止まりで、それ以上にあたるものは皇室よろしく、ただ伝統だから
まだ引き継いでいるだけの忌まわしい過去の遺物扱いに押し込めようとしている。
それこそを、マッカーサーやCIA職員、統一教会員らは「自由化」と呼んで来たのだが、
実際は聖と俗どちらもありだった時代から、俗一本へと誰しもを幽閉する不自由化でしかなかった。
特に誰しもが深く記憶に残っている、その最大級の弊害こそは、
野球好きの団塊などに代表される、俗悪止まりのクセして大真面目の聖人ぶってる
連中の横暴による、日本社会全体の閉塞、停滞、凋落である。
そういった連中に、「野球も将棋も漫画アニメも俗の側に過ぎん」
という釘を刺すのみならず、真に大真面目な聖賢の領域を司る分野の再興によって、
自分たちの側の本質的な不真面目さを心から思い知らせて、恥じ入らせることまでもが必要となる。
決してただの"聖"地巡りなだけだったのではない。
門前町での風"俗"遊びなりご当地グルメなりの、
現代でもそれなりの活況を呈しているような部類の
遊興もあった上での、聖俗織り交ぜた観光事業だったのである。
そんな、聖と俗のバランスをうまく釣り合わせていた時代と比べれば、
今はただひたすら俗悪一辺倒の世。最上級に高尚な崇拝対象と云えども
野球や将棋止まりで、それ以上にあたるものは皇室よろしく、ただ伝統だから
まだ引き継いでいるだけの忌まわしい過去の遺物扱いに押し込めようとしている。
それこそを、マッカーサーやCIA職員、統一教会員らは「自由化」と呼んで来たのだが、
実際は聖と俗どちらもありだった時代から、俗一本へと誰しもを幽閉する不自由化でしかなかった。
特に誰しもが深く記憶に残っている、その最大級の弊害こそは、
野球好きの団塊などに代表される、俗悪止まりのクセして大真面目の聖人ぶってる
連中の横暴による、日本社会全体の閉塞、停滞、凋落である。
そういった連中に、「野球も将棋も漫画アニメも俗の側に過ぎん」
という釘を刺すのみならず、真に大真面目な聖賢の領域を司る分野の再興によって、
自分たちの側の本質的な不真面目さを心から思い知らせて、恥じ入らせることまでもが必要となる。
俺も、スポーツ剣道の竹刀振りのせいで損傷した肩の関節包が今でもそのままだが。
(画像左の矢印部分)
人間の体の中でも、肩、肘、膝、股関節あたりは、
不正な運動によって容易に自壊する上に、治療を受けないともう二度と元には戻らなくなる。
ただ、古流の剣振りのような、人体力学的な無理のない、正しい運動によっては、
外れ癖が付いた肩関節などもまた引き締まって行って、関節包の損傷を
手術で修復したりするまでもなく、完全な運動機能が取り戻されることとなる。
ただ、それは不正な運動と同等以上の分量の、正しい運動をこなすことで
初めて実現されることでもあるし、スポーツの竹刀振りや投球みたいな、
不正な運動をやり込みながらでも務まるようなことではないのも確か。
不正な運動のほうが稼げて、合理的な運動では稼げないなんていう時代には、
自動的に治せるものも治せないままで終わるような人間が続出することともなる。
これもまた、世を挙げて心技体への最善を尽くさない不真面目さを開き直る弊害の最たるものなのである。
(画像左の矢印部分)
人間の体の中でも、肩、肘、膝、股関節あたりは、
不正な運動によって容易に自壊する上に、治療を受けないともう二度と元には戻らなくなる。
ただ、古流の剣振りのような、人体力学的な無理のない、正しい運動によっては、
外れ癖が付いた肩関節などもまた引き締まって行って、関節包の損傷を
手術で修復したりするまでもなく、完全な運動機能が取り戻されることとなる。
ただ、それは不正な運動と同等以上の分量の、正しい運動をこなすことで
初めて実現されることでもあるし、スポーツの竹刀振りや投球みたいな、
不正な運動をやり込みながらでも務まるようなことではないのも確か。
不正な運動のほうが稼げて、合理的な運動では稼げないなんていう時代には、
自動的に治せるものも治せないままで終わるような人間が続出することともなる。
これもまた、世を挙げて心技体への最善を尽くさない不真面目さを開き直る弊害の最たるものなのである。
文武両道や心技体全方向への修養は、人間である以上は誰でもできるはずな一方、
ある程度以上に不真面目に囚われた人間には、急激にできなくなるという法則がある。
文科系一辺倒や体育会系一辺倒といった所でこそ最大級の陶酔に酔い痴れて、
そこに自らのアイデンティティまでをも見出してしまうような部類の人間。
筆記試験での高得点やスポーツ大会での入賞のように、それこそが世を挙げて評価される
基準までもが整えられようものなら、逆にそれが人間性の王道とまで考えられるようになる。
人間がそのような、人としての最善を尽くさない不真面目さに陥ってしまいがちなのにも、
大昔からの人の世の営みに基づく原因がある。たとえば百姓仕事(特に小百姓)などは、
頭も使わずにただひたすら田畑を耕して作物を植えて狩るような体育会系的働きが多い一方、
商人としての金儲けなどはもっぱら、ソロバンを弾いての頭脳労働に特化することが多かった。
(もちろんこれらにも庄屋や行商などの例外はある)
ある程度以上に不真面目に囚われた人間には、急激にできなくなるという法則がある。
文科系一辺倒や体育会系一辺倒といった所でこそ最大級の陶酔に酔い痴れて、
そこに自らのアイデンティティまでをも見出してしまうような部類の人間。
筆記試験での高得点やスポーツ大会での入賞のように、それこそが世を挙げて評価される
基準までもが整えられようものなら、逆にそれが人間性の王道とまで考えられるようになる。
人間がそのような、人としての最善を尽くさない不真面目さに陥ってしまいがちなのにも、
大昔からの人の世の営みに基づく原因がある。たとえば百姓仕事(特に小百姓)などは、
頭も使わずにただひたすら田畑を耕して作物を植えて狩るような体育会系的働きが多い一方、
商人としての金儲けなどはもっぱら、ソロバンを弾いての頭脳労働に特化することが多かった。
(もちろんこれらにも庄屋や行商などの例外はある)
人間社会に頭ばかり使ったり、体ばかり使ったりするような仕事が相当数存在して来たからこそ、
先祖代々の血筋に即してそれを好むような人種までもが、世界中で増産されたのである。
ただ、それは世の中を統治支配するような立場にある人間の領分ではなかったし、
統治者までもが同様な文武分裂の志向性に陥ってしまおうものなら、近世の中朝のような
文弱化による腐敗であるとか、戦前の日本のような軍国化を来たしての衰亡に見舞われて来た。
これからの世においても、農工商、民間の職分が今までと似たり寄ったりなまま存続していく
のであれば、体か手先だけ動かしてたい、頭だけ使ってたいなんていう人間が一定数生じ続ける
だろうけれども、それは決して人間という生き物にとっての最善が尽くされたあり方ではないが故に、
国家統治級の大業にまで落とし込まれようものなら、大いなる危難を招きかねない差し障りが
あることをよくわきまえての、その過度な強勢化に歯止めをかけて行くのでなければならない。
先祖代々の血筋に即してそれを好むような人種までもが、世界中で増産されたのである。
ただ、それは世の中を統治支配するような立場にある人間の領分ではなかったし、
統治者までもが同様な文武分裂の志向性に陥ってしまおうものなら、近世の中朝のような
文弱化による腐敗であるとか、戦前の日本のような軍国化を来たしての衰亡に見舞われて来た。
これからの世においても、農工商、民間の職分が今までと似たり寄ったりなまま存続していく
のであれば、体か手先だけ動かしてたい、頭だけ使ってたいなんていう人間が一定数生じ続ける
だろうけれども、それは決して人間という生き物にとっての最善が尽くされたあり方ではないが故に、
国家統治級の大業にまで落とし込まれようものなら、大いなる危難を招きかねない差し障りが
あることをよくわきまえての、その過度な強勢化に歯止めをかけて行くのでなければならない。
害人が立てたスレなんかageるな
sageろ
sageろ
>>201
というような理由があって、民間の一般人の求道的な儒学の修養にはやはり限界があり、
たとえ修めるとしても、心技体文武全てへの体系的な追求にまでは至れない
身の程をわきまえた上での、使われる側としての修養に止まるのである。
田畑を耕したり、小槌を振るったり、ソロバンをはじいたりすることも、
専門的でなければ仕事たり得ない、それ故にどうしたって己が志向性も偏ってしまう。
あえてそれ止まりな人種としての、三方よしのような仁慈の取り組みもまたあるにしても、
より直接的に世の中を司ってかかるような大業のためのそれと比べれば、
本物の車と模型の車ぐらいの圧倒的な格差があるものであり、それを
わきまえた上での従順さを尽くす助けなどには儒学の修養もなるものだが。
それが今の、洋学の学位や利権の世襲なぞを元手に君臨している、残虐非道な支配層にとっての
いいカモになり果てる原因になってしまっているのは悲哀の至りであり、まるで喜多川や慶応生に
手籠めにされて泣き寝入りする性被害者のような惨めさに苛まれるぐらいなら、自分たちも
儒学的な素養に基づく従順さなど棄ててしまって、ひろゆきあたりを教祖扱いにしての好き勝手、
自分本位主義者になったほうがマシだと考える連中が増えるのも、仕方がない所があるのである。
というような理由があって、民間の一般人の求道的な儒学の修養にはやはり限界があり、
たとえ修めるとしても、心技体文武全てへの体系的な追求にまでは至れない
身の程をわきまえた上での、使われる側としての修養に止まるのである。
田畑を耕したり、小槌を振るったり、ソロバンをはじいたりすることも、
専門的でなければ仕事たり得ない、それ故にどうしたって己が志向性も偏ってしまう。
あえてそれ止まりな人種としての、三方よしのような仁慈の取り組みもまたあるにしても、
より直接的に世の中を司ってかかるような大業のためのそれと比べれば、
本物の車と模型の車ぐらいの圧倒的な格差があるものであり、それを
わきまえた上での従順さを尽くす助けなどには儒学の修養もなるものだが。
それが今の、洋学の学位や利権の世襲なぞを元手に君臨している、残虐非道な支配層にとっての
いいカモになり果てる原因になってしまっているのは悲哀の至りであり、まるで喜多川や慶応生に
手籠めにされて泣き寝入りする性被害者のような惨めさに苛まれるぐらいなら、自分たちも
儒学的な素養に基づく従順さなど棄ててしまって、ひろゆきあたりを教祖扱いにしての好き勝手、
自分本位主義者になったほうがマシだと考える連中が増えるのも、仕方がない所があるのである。
>>114で書いた「小説」については、
普通に谷崎とか三島とか春樹とか、
邦画原作として売れたものとかを念頭に置いて書いたんだけどな。
山岡荘八の「徳川家康」とか、読破したからこそ言うけど、
文学作品としての出来はさほどで、俺のここでの物書き並みに
雑で適当な表現とかもかなり含んでいるとは思うんだが。
それでも、元特攻隊員従軍記者としての、
満腔の思いを生涯をかけて託そうとしたあまりに、
体形的なストーリーものとしては世界最長級の小説となったことには、
単なる文芸の域を超えた、超人的な執念を感じないではいられないがな。
まあ、俺自身がもうそれを上回るほどの文筆を垂れ流しているわけだが。
普通に谷崎とか三島とか春樹とか、
邦画原作として売れたものとかを念頭に置いて書いたんだけどな。
山岡荘八の「徳川家康」とか、読破したからこそ言うけど、
文学作品としての出来はさほどで、俺のここでの物書き並みに
雑で適当な表現とかもかなり含んでいるとは思うんだが。
それでも、元特攻隊員従軍記者としての、
満腔の思いを生涯をかけて託そうとしたあまりに、
体形的なストーリーものとしては世界最長級の小説となったことには、
単なる文芸の域を超えた、超人的な執念を感じないではいられないがな。
まあ、俺自身がもうそれを上回るほどの文筆を垂れ流しているわけだが。
>>215
その、政治家に商人並みの打算が求められるような現実と理想の折衝なる必要性を、
まず世を挙げての政商活動の全面的な禁制によって排除して行くのでなければならない。
政商を排除した世の中にも、それはそれである種の現実があり、
田沼意次なみの濁りと松平定信なみの清さの釣り合いを取って行くような
融通がまた必要ともなるものだが。
政商を許容している状態は、それとも別次元の、超田沼級の大汚染が世間全体を
覆い尽くして、全くの浄化不能ならしめている段階であるが故に、
儒学上の理想などというものが少しだって応用できる所もないままに終わる。
政商呂不韋の実子として中原全土を統一支配下に置いた秦始皇や、
近江堺の政商を頼みに天下の覇者となった信長秀吉もまた、この世から戦乱を
なくすことについては王手をかけていたが、そのために政商なぞを頼りにしていたことが
仇となって極度の貧窮を招き、「これならまだ戦国時代のほうがマシだった」とまで
囁かれるほどの無理を来したがために、政商に頼らない天下への統治に取り組む
漢帝国や徳川へと最終勝利者としての座を譲らざるを得なかった。
まさに、それと同じような変革がなければ済まない事態に陥っているのが、
現代の日本などでもあるし、政商がこの世の春を謳歌しているような状態こそは、
それこそをありのままに受け入れ続けなければならない現実ではなく、
いつまでも許されるわけではないことを受け入れねばならない現実なのである。
その、政治家に商人並みの打算が求められるような現実と理想の折衝なる必要性を、
まず世を挙げての政商活動の全面的な禁制によって排除して行くのでなければならない。
政商を排除した世の中にも、それはそれである種の現実があり、
田沼意次なみの濁りと松平定信なみの清さの釣り合いを取って行くような
融通がまた必要ともなるものだが。
政商を許容している状態は、それとも別次元の、超田沼級の大汚染が世間全体を
覆い尽くして、全くの浄化不能ならしめている段階であるが故に、
儒学上の理想などというものが少しだって応用できる所もないままに終わる。
政商呂不韋の実子として中原全土を統一支配下に置いた秦始皇や、
近江堺の政商を頼みに天下の覇者となった信長秀吉もまた、この世から戦乱を
なくすことについては王手をかけていたが、そのために政商なぞを頼りにしていたことが
仇となって極度の貧窮を招き、「これならまだ戦国時代のほうがマシだった」とまで
囁かれるほどの無理を来したがために、政商に頼らない天下への統治に取り組む
漢帝国や徳川へと最終勝利者としての座を譲らざるを得なかった。
まさに、それと同じような変革がなければ済まない事態に陥っているのが、
現代の日本などでもあるし、政商がこの世の春を謳歌しているような状態こそは、
それこそをありのままに受け入れ続けなければならない現実ではなく、
いつまでも許されるわけではないことを受け入れねばならない現実なのである。
儒学は人間性の修練ばかりを目指したものではなく、
それを世の中への現実的な統治の能力に落とし込むための、
修己治人の智慧の体系である。
ただ、それは政商やカルト信仰の世間での跋扈ぐらいは十全に防がれた上でなければ、
まったく実践に移しようがない部類の智慧であるがために、儒学の創始者である
孔子や孟子からして、そうでない時代に生まれたが故の鳴かず飛ばずに苛まれたのである。
しかし、それは決して儒学の智慧が全くどんな場合においても活用が不能な
絵に描いた餅であることを意味したりするのではなく、政商やカルト信仰のような
要所要所の致命的な害悪をピンポイントにこの世から排除しさえすれば、
きわめて有効かつ現実的にこの世を穏健な統治下に置くことが可能となるものであり、
それにより勢力圏が数百年規模で戦乱を絶やし尽くすことまでもが実現されるのを、
近世までにおける数多の東洋諸国の徳治政権が証明して来たのである。
(ただし仏道や神道や道教などの非カルトな信仰による補強もあった場合が多い)
確かに、政商を禁じていたが故に、幕府時代までの日本は文明発展の面などで
欧米に遅れを取ったが、そういう取り組みもやればできるのは明治以降に
これでもかと証明し尽くして来た上に、それはやはり安定的な社会統治という点では、
政商を排し儒学を興す場合ほどの成果が決して見込まれないことまでもが示されたのである。
それを世の中への現実的な統治の能力に落とし込むための、
修己治人の智慧の体系である。
ただ、それは政商やカルト信仰の世間での跋扈ぐらいは十全に防がれた上でなければ、
まったく実践に移しようがない部類の智慧であるがために、儒学の創始者である
孔子や孟子からして、そうでない時代に生まれたが故の鳴かず飛ばずに苛まれたのである。
しかし、それは決して儒学の智慧が全くどんな場合においても活用が不能な
絵に描いた餅であることを意味したりするのではなく、政商やカルト信仰のような
要所要所の致命的な害悪をピンポイントにこの世から排除しさえすれば、
きわめて有効かつ現実的にこの世を穏健な統治下に置くことが可能となるものであり、
それにより勢力圏が数百年規模で戦乱を絶やし尽くすことまでもが実現されるのを、
近世までにおける数多の東洋諸国の徳治政権が証明して来たのである。
(ただし仏道や神道や道教などの非カルトな信仰による補強もあった場合が多い)
確かに、政商を禁じていたが故に、幕府時代までの日本は文明発展の面などで
欧米に遅れを取ったが、そういう取り組みもやればできるのは明治以降に
これでもかと証明し尽くして来た上に、それはやはり安定的な社会統治という点では、
政商を排し儒学を興す場合ほどの成果が決して見込まれないことまでもが示されたのである。
俺が死んだからどうだというのだ?
孔孟の存命中に儒学による治世は実現されなかったが、
彼らの死後数百年の後に、その教えを頼りに数百年単位の泰平や繁栄を
実現して行く国や大帝国が無数といってもいいほど続出するようになった。
むしろ、あまりにも遠大で個の枠組みを超えるような教えであるがために、
その効能が創唱者たちの死後、時限爆弾のように炸裂するということもあるわけで、
そうである確信があればあるほど、自らの存命中の成功などを急いだりするのには
何の意味もない宿命をより思い知らされるもの。
俺も現状、生身の人間だから、死後よりは自分の生きてる内に、
自説の正当性が証明される大事績に与りたいとも思わないではないが、
そんなのはただの私情に過ぎず、「人と煙草の良し悪しは、煙になりて後の世に出る」
という、真の聖賢ほど免れ得ない法則に少しだって異を唱えるものではない。
孔孟の存命中に儒学による治世は実現されなかったが、
彼らの死後数百年の後に、その教えを頼りに数百年単位の泰平や繁栄を
実現して行く国や大帝国が無数といってもいいほど続出するようになった。
むしろ、あまりにも遠大で個の枠組みを超えるような教えであるがために、
その効能が創唱者たちの死後、時限爆弾のように炸裂するということもあるわけで、
そうである確信があればあるほど、自らの存命中の成功などを急いだりするのには
何の意味もない宿命をより思い知らされるもの。
俺も現状、生身の人間だから、死後よりは自分の生きてる内に、
自説の正当性が証明される大事績に与りたいとも思わないではないが、
そんなのはただの私情に過ぎず、「人と煙草の良し悪しは、煙になりて後の世に出る」
という、真の聖賢ほど免れ得ない法則に少しだって異を唱えるものではない。
>>222
その「おまえら」が統一教会のために何をしているか、>>180の話などからも知れたこと。
とにかく連中の邪魔をせず、好き勝手やり放題でいるのを見逃して、隅っこで縮こまっていること。
しかも、俺みたいな無位無職ではなく、それなりの社会的立場もあったりしながら、
決して連中に盾突くことなく、連中の横暴への協賛的な姿勢でのみあり続けている。
たとえ天皇家が街宣右翼やご静養報道によるネガキャンで五衰の一途を辿らされるのだろうとも、
そこに少しだって効果的な対処を差し挟めることもなく、ただ指をくわえて見守っているだけ。
それなりの立場でいながらそのようでいるのだから、その罪深さもまた確実に俺以上。
まず、俺を含むすべての一般国民に対して偉そうな口一つ叩いてはいけない身の程をわきまえねばな。
その「おまえら」が統一教会のために何をしているか、>>180の話などからも知れたこと。
とにかく連中の邪魔をせず、好き勝手やり放題でいるのを見逃して、隅っこで縮こまっていること。
しかも、俺みたいな無位無職ではなく、それなりの社会的立場もあったりしながら、
決して連中に盾突くことなく、連中の横暴への協賛的な姿勢でのみあり続けている。
たとえ天皇家が街宣右翼やご静養報道によるネガキャンで五衰の一途を辿らされるのだろうとも、
そこに少しだって効果的な対処を差し挟めることもなく、ただ指をくわえて見守っているだけ。
それなりの立場でいながらそのようでいるのだから、その罪深さもまた確実に俺以上。
まず、俺を含むすべての一般国民に対して偉そうな口一つ叩いてはいけない身の程をわきまえねばな。
聖賢でもなんでもないただのボケナスだというのなら、
そんな分際で出世してやろうとするだけ迷惑だからやめるべき、でもあろうに。
それこそ、おまえらみたいな統一翼賛会の一味に加えられるだけにもなりかねないしなあ。
そんな分際で出世してやろうとするだけ迷惑だからやめるべき、でもあろうに。
それこそ、おまえらみたいな統一翼賛会の一味に加えられるだけにもなりかねないしなあ。
>>228
漢の高祖劉邦が、孔孟の意思を継いで儒学統治に取り組んだわけでもない。
本人はむしろ儒者嫌いだったが、すでに平定されて戦乱が絶やされた後の世では、
政商や軍師よりも儒者のほうが有用だから、その便宜によって利用しただけだ。
空回り状態の意思だ情熱だではなく、天下全土に行き渡るほどにも冷徹な
功利主義こそがそれを選択せざるを得ない時こそが、真の大変革の時。
おまえらみたいな、菓子売り場で泣きわめいている子供なみの連中が
眼前にいるうちは、まだその時でもないのだろうなとも察せられる。
「おまえら」が何なのかも分かってないくせに、
「おまえら」についての具体的な話をしようとするとか、
そもそも自分は何が分かってて、何が分かってないのかも分からない部類の馬鹿か。
そういうのは論語でも、「上知と下愚は移らず」の下愚扱いにされていたな。
漢の高祖劉邦が、孔孟の意思を継いで儒学統治に取り組んだわけでもない。
本人はむしろ儒者嫌いだったが、すでに平定されて戦乱が絶やされた後の世では、
政商や軍師よりも儒者のほうが有用だから、その便宜によって利用しただけだ。
空回り状態の意思だ情熱だではなく、天下全土に行き渡るほどにも冷徹な
功利主義こそがそれを選択せざるを得ない時こそが、真の大変革の時。
おまえらみたいな、菓子売り場で泣きわめいている子供なみの連中が
眼前にいるうちは、まだその時でもないのだろうなとも察せられる。
「おまえら」が何なのかも分かってないくせに、
「おまえら」についての具体的な話をしようとするとか、
そもそも自分は何が分かってて、何が分かってないのかも分からない部類の馬鹿か。
そういうのは論語でも、「上知と下愚は移らず」の下愚扱いにされていたな。
>>231
もう十分に日本中ガキだらけ。
最長老格の団塊からして、世の中を責任を持って営んでいく能力もないとっちゃん坊や止まり。
そのせいで日本社会も凋落の一途を辿り、あとは亡国あるのみとなっている。
ゆえにこれ以上のガキ化なんてものを危ぶむ必要もない。
仮に自分が生きているうちに革命が果たせるのなら、
それは俺自身が太公望や酈食其なみに白髪でしわくちゃの老人になったころである可能性も
無きにしも非ずだから、早死によりは長生きを望む。それでも革命に立ち会えない可能性もまた
もちろんある。何も矛盾している所などはない、順序だてられた物言いの範疇である。
俺は知ってることと知らないこと、分かってることと分からないことの分別を付けてるが、
話し相手の側にそれがないようなら、理解を示し合おうとするだけ無駄でしかないということだ。
統一の韓鶴からして、自分たちが日本破滅の元凶になって来たにもかかわらず、逆に自分たち
こそは日本の救世者ぐらいに思いこんでいる下愚加減のようだし、俺のいう「おまえら」のうちに
おまえが入るようならやはりその条件を満たすだろうから、健全な話し合いへの希望も見出さない所だ。
もう十分に日本中ガキだらけ。
最長老格の団塊からして、世の中を責任を持って営んでいく能力もないとっちゃん坊や止まり。
そのせいで日本社会も凋落の一途を辿り、あとは亡国あるのみとなっている。
ゆえにこれ以上のガキ化なんてものを危ぶむ必要もない。
仮に自分が生きているうちに革命が果たせるのなら、
それは俺自身が太公望や酈食其なみに白髪でしわくちゃの老人になったころである可能性も
無きにしも非ずだから、早死によりは長生きを望む。それでも革命に立ち会えない可能性もまた
もちろんある。何も矛盾している所などはない、順序だてられた物言いの範疇である。
俺は知ってることと知らないこと、分かってることと分からないことの分別を付けてるが、
話し相手の側にそれがないようなら、理解を示し合おうとするだけ無駄でしかないということだ。
統一の韓鶴からして、自分たちが日本破滅の元凶になって来たにもかかわらず、逆に自分たち
こそは日本の救世者ぐらいに思いこんでいる下愚加減のようだし、俺のいう「おまえら」のうちに
おまえが入るようならやはりその条件を満たすだろうから、健全な話し合いへの希望も見出さない所だ。
>>234
俺が「何かをするに値する時節」と言ってる時節がまだ来てないから、まだ何もしない。
そしておまえも、今すぐ何かをしたからといってどうにかなる可能性なんか知らない。
どうしてそれで、今すぐ何かをすることを催促なんかするんだ?
まだ何もすべきでないタイミングであることを了解しておきながら、今すぐ何かをすることを要求している。
前から俺がよく言っている、精神障害級に言動が一致しない現代日本の被洗脳民の典型例だな。
今はまだ何もすべきでない時節だから何もしていないぐらいなら、
何かをすべき時にも何もできないなんていう言い分もまた、当然通らない。
むしろすべきことはし、すべきでないことはしないという、孟子も人間の本来あるべき姿と
断じていた姿勢に徹しているのが殊勝であるが故に、より期待が持てるぐらいのものだろう。
俺が「何かをするに値する時節」と言ってる時節がまだ来てないから、まだ何もしない。
そしておまえも、今すぐ何かをしたからといってどうにかなる可能性なんか知らない。
どうしてそれで、今すぐ何かをすることを催促なんかするんだ?
まだ何もすべきでないタイミングであることを了解しておきながら、今すぐ何かをすることを要求している。
前から俺がよく言っている、精神障害級に言動が一致しない現代日本の被洗脳民の典型例だな。
今はまだ何もすべきでない時節だから何もしていないぐらいなら、
何かをすべき時にも何もできないなんていう言い分もまた、当然通らない。
むしろすべきことはし、すべきでないことはしないという、孟子も人間の本来あるべき姿と
断じていた姿勢に徹しているのが殊勝であるが故に、より期待が持てるぐらいのものだろう。
>>238
M坊か誰か知らないが、おまえは俺自身の望みや目的を根本的に曲解したうえでの
明後日の方向への野次というストローマン論法を好んでるな。
返答にも値しない愚問であることを自覚してるからこそのレス削除をがんばれ。
>>239
>政治ってのは政商を排除すれば浄化されるものではないから。
おまえのこの、ろくな根拠も示さない一方的な自己意見の押し付けと、
政商の廃絶によって格段の政情浄化に与れたことで、数百年規模の無戦争状態を
実現して来た歴史上の数多の徳治政権の事績の、どちらのほうがより信じられると思う?
名言はしてないが、このレスは結局、政商の根絶に反対している論調のように見える。
政商が残存している以上は世の中への参加すら避け、世の中に参加していくようなら
政商の廃絶やその維持に務める。それが少なくとも、儒学の実践によって世の泰平や
繁栄を実現して来た人々に皆、共通して見られた修身の条件だ。
渋沢栄一もその条件を守らなかったあまりに、大日本帝国の破滅を食い止められなかった。
政商こそは国を治めて行く上での「その道」を踏み外す決定打になる一例とのみなったのだ。
M坊か誰か知らないが、おまえは俺自身の望みや目的を根本的に曲解したうえでの
明後日の方向への野次というストローマン論法を好んでるな。
返答にも値しない愚問であることを自覚してるからこそのレス削除をがんばれ。
>>239
>政治ってのは政商を排除すれば浄化されるものではないから。
おまえのこの、ろくな根拠も示さない一方的な自己意見の押し付けと、
政商の廃絶によって格段の政情浄化に与れたことで、数百年規模の無戦争状態を
実現して来た歴史上の数多の徳治政権の事績の、どちらのほうがより信じられると思う?
名言はしてないが、このレスは結局、政商の根絶に反対している論調のように見える。
政商が残存している以上は世の中への参加すら避け、世の中に参加していくようなら
政商の廃絶やその維持に務める。それが少なくとも、儒学の実践によって世の泰平や
繁栄を実現して来た人々に皆、共通して見られた修身の条件だ。
渋沢栄一もその条件を守らなかったあまりに、大日本帝国の破滅を食い止められなかった。
政商こそは国を治めて行く上での「その道」を踏み外す決定打になる一例とのみなったのだ。
おまえ、「政商」の意味わかってるか?
5VJ4SQXwCUは「政商」を、
「孔子や孟子よりも政治のなんたるかを知っているその道の専門家」
という意味で使ってるようだが。
とんでもない、本来、
絶対に天下国家の公益を司る政治行為に干渉してはいけない、
禁忌破りの我田引水が本業な非道の専門家こそは政商なのに。
そんな連中が自在に干渉して来るような状態の政治行為は、
完全に廃絶した状態のそれとはまったく様変わりしてしまうものだから、
そこへの孔孟級の儒者による参画なども能わなくなる、というのはあるがな。
本業の政治家どころか、アドバイザーとしてもろくな仕事はできなくなる。
「孔子や孟子よりも政治のなんたるかを知っているその道の専門家」
という意味で使ってるようだが。
とんでもない、本来、
絶対に天下国家の公益を司る政治行為に干渉してはいけない、
禁忌破りの我田引水が本業な非道の専門家こそは政商なのに。
そんな連中が自在に干渉して来るような状態の政治行為は、
完全に廃絶した状態のそれとはまったく様変わりしてしまうものだから、
そこへの孔孟級の儒者による参画なども能わなくなる、というのはあるがな。
本業の政治家どころか、アドバイザーとしてもろくな仕事はできなくなる。
儒者には、政商の干渉を許容するような体制の政治家となるのはもちろんのこと、
そのような政治家へのアドバイザーとしての能力を発揮することもできない。
高祖劉邦に対する陸賈や叔孫通、家康公に対する林羅山のように、
政商を根絶してかかる徳治社会の為政者に対して、有益なアドバイスや補助を
講ずることはできるし、自分たち自身もまた有能な為政者として振舞うことすらできる。
(どちらかといえば為政者のほうが儒者も同然な域に達するという場合のほうが多いが)
個人的には、徳治の率先者となるのでも、儒者としてその助役になるのでもいい。
ただ、政商が残存している世における政治家はおろか、政治へのアドバイザーにも
なる気はないし、なろうたってなれない。んなこと試みたところで徒労にしかならんからな。
そのような政治家へのアドバイザーとしての能力を発揮することもできない。
高祖劉邦に対する陸賈や叔孫通、家康公に対する林羅山のように、
政商を根絶してかかる徳治社会の為政者に対して、有益なアドバイスや補助を
講ずることはできるし、自分たち自身もまた有能な為政者として振舞うことすらできる。
(どちらかといえば為政者のほうが儒者も同然な域に達するという場合のほうが多いが)
個人的には、徳治の率先者となるのでも、儒者としてその助役になるのでもいい。
ただ、政商が残存している世における政治家はおろか、政治へのアドバイザーにも
なる気はないし、なろうたってなれない。んなこと試みたところで徒労にしかならんからな。
政商や、政商頼みで来た政権はみな、歴史的に、自滅の末路を辿っている。
秦帝国も信長も大日本帝国も、一応、敵がいた上での敗亡ではあるが、
まず体制内が壊乱を極めることでの腐朽を尽くし、陳勝や光秀や、
北鮮にも北ベトナムにもアフガニスタンにも負け通しのアメリカみたいな、
さほど強くもない相手からの揺さぶり一つでの大崩壊に至ってしまった。
政商を擁する状態の政権は実際、一時的には世界最強級となる。
そのせいで誰も盾突くことができないような覇権すらもが一時的には
招かれるが、国家統治上の禁忌中の禁忌に手を出したがための、
自業自得での破滅もまた免れ得ない。
その自壊こそが、時代の変革の本体ともなるのであり、そこで
むやみに項羽みたいなヒーローぶっての活躍を志したりしたところで、
死なせる必要もないような相手まで多く死なせる、深刻な邪魔にしかならないのである。
秦帝国も信長も大日本帝国も、一応、敵がいた上での敗亡ではあるが、
まず体制内が壊乱を極めることでの腐朽を尽くし、陳勝や光秀や、
北鮮にも北ベトナムにもアフガニスタンにも負け通しのアメリカみたいな、
さほど強くもない相手からの揺さぶり一つでの大崩壊に至ってしまった。
政商を擁する状態の政権は実際、一時的には世界最強級となる。
そのせいで誰も盾突くことができないような覇権すらもが一時的には
招かれるが、国家統治上の禁忌中の禁忌に手を出したがための、
自業自得での破滅もまた免れ得ない。
その自壊こそが、時代の変革の本体ともなるのであり、そこで
むやみに項羽みたいなヒーローぶっての活躍を志したりしたところで、
死なせる必要もないような相手まで多く死なせる、深刻な邪魔にしかならないのである。
つまり、陳勝呉広や明智光秀は信用して、高祖劉邦や家康公は信用しないわけだ。
それが、匹夫小人の常かもしれない。
自分たちの理解なんかはるかに超えたところで時代も動き、
聖賢の大業もまた果たされていく。故にこそ小人である、とも。
それが、匹夫小人の常かもしれない。
自分たちの理解なんかはるかに超えたところで時代も動き、
聖賢の大業もまた果たされていく。故にこそ小人である、とも。
人生をなめて屁理屈を捏ね回すだけの愚か者はそろそろ黙れ!!!
政商の崩壊に直接的な先鞭をつける連中は、みんな非業の末路を辿らされるでな。
メキシコの麻薬カルテルに対抗しようとした政治家が斬首されたりしてるのと同じ。
そこには麻薬中毒級の狂気が帯びているがために、信長も浅井長政らの髑髏を盃にしての
酒宴を開いたり、秀吉も実弟の一族郎党皆殺しのような真似にまで及んでいた。
そんな連中に無暗に手出しをしたところで、まずまず犬死ににしかならない。
明智光秀や陳勝呉広ですら「捨て駒中の最終成功者」だっただけで、
それ以前にも似たような真似に及んでは惨死に見舞われていた人々が無数にいたもの。
近ごろの分かりやすい例でいえば、福島原発の処理に日本中のホームレスや
それに準ずるような負け組が9割以上給料中抜きでこき使われて来たのなどにも似る。
地獄の底から世の中全体が這い上がるためには、それ相応の犠牲もまた免れ得ないのだ。
メキシコの麻薬カルテルに対抗しようとした政治家が斬首されたりしてるのと同じ。
そこには麻薬中毒級の狂気が帯びているがために、信長も浅井長政らの髑髏を盃にしての
酒宴を開いたり、秀吉も実弟の一族郎党皆殺しのような真似にまで及んでいた。
そんな連中に無暗に手出しをしたところで、まずまず犬死ににしかならない。
明智光秀や陳勝呉広ですら「捨て駒中の最終成功者」だっただけで、
それ以前にも似たような真似に及んでは惨死に見舞われていた人々が無数にいたもの。
近ごろの分かりやすい例でいえば、福島原発の処理に日本中のホームレスや
それに準ずるような負け組が9割以上給料中抜きでこき使われて来たのなどにも似る。
地獄の底から世の中全体が這い上がるためには、それ相応の犠牲もまた免れ得ないのだ。
汚いことというか、手出ししたら取り返しが付かなくなることだな。
歴史上に捨て駒扱いでしか名を残せなくなる域の。
歴史上に捨て駒扱いでしか名を残せなくなる域の。
自分から何かをやった人間だけを評価する一方、
追従止まりの中にも最善を尽くしていたような人々の苦労は、
どんなに多大だったところで存在しないも同然の扱いとする。
今のおまえの論調は、そういうものだろう?
だったら、家康公の功績なども正しく評価できるはずがないのと
まったく同じように、これからの世の中において、真の偉人、聖賢としての
大業を果たすような人々への正当な評価もまた、務まるはずがないだろうな。
別にその中に俺が含まれるとも言わんが。
追従止まりの中にも最善を尽くしていたような人々の苦労は、
どんなに多大だったところで存在しないも同然の扱いとする。
今のおまえの論調は、そういうものだろう?
だったら、家康公の功績なども正しく評価できるはずがないのと
まったく同じように、これからの世の中において、真の偉人、聖賢としての
大業を果たすような人々への正当な評価もまた、務まるはずがないだろうな。
別にその中に俺が含まれるとも言わんが。
それで何か、自分たちの側の落ち度だけは
決して認めまいとした上での打開策は見つかったかい?
決して認めまいとした上での打開策は見つかったかい?
また地獄の亡者の阿鼻叫喚が始まってるんで、話をスレの主題に戻すが。
「農工商、一般の民間職には心技体文武、全方向への人としての最善を尽くさないものが多い」
というのは、残念ながら、昔は仁術とまで言われていた医者にも当てはまる法則のようである。
もちろん、医者としての職務までをも疎かにするようなヤブ医者は論外であるとしても、
名医扱いで、なおかつ脱税などにも手を出すことなく清廉な職務に徹しているような医者といえども、
自分たちの仕事が無闇やたらと、高度医療頼みなクセして長寿な不健康老人などを増産し、医療費や年金負担の
山積による国の財政への圧迫で、日本社会をもはや持続不能な窮地に陥らせていることにまでは頭が回っていない。
旺盛な闇雲働きによって、世の中を破滅の危機に陥らせているその害悪度たるや、
無職ニートをもはるかに勝るような体たらくであるにも拘らず、ただ目の前にいる患者を
治療するという自分たちの職務の見てくれの仁術っぽさに囚われるあまりに、総合的な実態を見失い、
平安末の平氏か何かのような社会的上位者気取りに浮かれ果てているような者までもが多い始末。
「農工商、一般の民間職には心技体文武、全方向への人としての最善を尽くさないものが多い」
というのは、残念ながら、昔は仁術とまで言われていた医者にも当てはまる法則のようである。
もちろん、医者としての職務までをも疎かにするようなヤブ医者は論外であるとしても、
名医扱いで、なおかつ脱税などにも手を出すことなく清廉な職務に徹しているような医者といえども、
自分たちの仕事が無闇やたらと、高度医療頼みなクセして長寿な不健康老人などを増産し、医療費や年金負担の
山積による国の財政への圧迫で、日本社会をもはや持続不能な窮地に陥らせていることにまでは頭が回っていない。
旺盛な闇雲働きによって、世の中を破滅の危機に陥らせているその害悪度たるや、
無職ニートをもはるかに勝るような体たらくであるにも拘らず、ただ目の前にいる患者を
治療するという自分たちの職務の見てくれの仁術っぽさに囚われるあまりに、総合的な実態を見失い、
平安末の平氏か何かのような社会的上位者気取りに浮かれ果てているような者までもが多い始末。
その原因の一つには、矢鱈めったらと暗記量が多いせいでそうそうには合格することができない、
医師試験の通過者であることによる思い上がりの増大なども加担しているのに違いないのだが。
その医師士試験の内容も、実際に医者になった時に担当する診療科にまつわる問題はごくわずかで、
大部分は一生再利用することもないような専門科外の問題ばかりというふざけっぷりでもある。
そのような、多大なる不真面目を介しながら成り立っているのが現代医療であるがために、
その長である医者もまた、自分たちの現状の行いの不仁さなどにも当然のように目を背けたままでいる。
昔の医療は実際、仁術に近かったかもしれないが、今やそんなことは微塵もなくて、
仁者としての度合は無職ニート未満であるし、これまた商人が政商となったりするのを
厳禁するのと同様に、政治行為にまで口出しするような僭越は許されない事態となっているのである。
医師試験の通過者であることによる思い上がりの増大なども加担しているのに違いないのだが。
その医師士試験の内容も、実際に医者になった時に担当する診療科にまつわる問題はごくわずかで、
大部分は一生再利用することもないような専門科外の問題ばかりというふざけっぷりでもある。
そのような、多大なる不真面目を介しながら成り立っているのが現代医療であるがために、
その長である医者もまた、自分たちの現状の行いの不仁さなどにも当然のように目を背けたままでいる。
昔の医療は実際、仁術に近かったかもしれないが、今やそんなことは微塵もなくて、
仁者としての度合は無職ニート未満であるし、これまた商人が政商となったりするのを
厳禁するのと同様に、政治行為にまで口出しするような僭越は許されない事態となっているのである。
いや、ちゃんと反省しなさい。
自分の言動に誤りがあった場合にはちゃんと改めて、
そうでないことを確認した場合にだけ自信を持ちなさい。
そういう自信=浩然の気の塊のような人間こそは仁者、真人でもあり得よう。
自分の言動に誤りがあった場合にはちゃんと改めて、
そうでないことを確認した場合にだけ自信を持ちなさい。
そういう自信=浩然の気の塊のような人間こそは仁者、真人でもあり得よう。
商売人は、自分たちの業態が原理的に我田引水なのだから、
天下全土の公益保全が本業である政治に干渉などしようものなら、
必ずや政か商、どちらかが本末転倒の事態に陥ってしまう。
なればこそ、政商は原理的に禁忌とすべき社会活動であるとも言えるのだが。
現代医療もまた、不健康老人の延命などによって、
国の負債を返済不能級に膨れ上がらせながら肥え太っている、
我田引水が本分というべき事態に陥っているが故に、
政商などとも同様、政治への干渉が許されない事態となっている。
政治に限らず、仁慈から最も程遠い域にある自分たちの身の程をわきまえて、
天下国家の公益の増進、維持に貢献している部類の業務に対しては
軒並み負い目を抱いての、低姿勢で迷惑を控えた態度でいなければならない。
なんなら無職ニートですら、自分たちほどには天下の公益を損ねるような
真似には及んでいない堅気カタギの部類であるとわきまえて、
さらにそれ以下と言ってもいい身の程を恥じるのでなければならない。
世の中は、磁石にS極とN極があるように、公益寄与と我田引水、
正負両面があることで成り立っているものではあるが、だからといって
負の側が無職ニート未満な身の程をわきまえずに思い上がって、
世の中全体への不相応な干渉に及んだりするようなら、そのせいで破綻崩壊にすら
陥りかねないものであるが故に、そのわきまえもまたなくてはならないのである。
天下全土の公益保全が本業である政治に干渉などしようものなら、
必ずや政か商、どちらかが本末転倒の事態に陥ってしまう。
なればこそ、政商は原理的に禁忌とすべき社会活動であるとも言えるのだが。
現代医療もまた、不健康老人の延命などによって、
国の負債を返済不能級に膨れ上がらせながら肥え太っている、
我田引水が本分というべき事態に陥っているが故に、
政商などとも同様、政治への干渉が許されない事態となっている。
政治に限らず、仁慈から最も程遠い域にある自分たちの身の程をわきまえて、
天下国家の公益の増進、維持に貢献している部類の業務に対しては
軒並み負い目を抱いての、低姿勢で迷惑を控えた態度でいなければならない。
なんなら無職ニートですら、自分たちほどには天下の公益を損ねるような
真似には及んでいない堅気カタギの部類であるとわきまえて、
さらにそれ以下と言ってもいい身の程を恥じるのでなければならない。
世の中は、磁石にS極とN極があるように、公益寄与と我田引水、
正負両面があることで成り立っているものではあるが、だからといって
負の側が無職ニート未満な身の程をわきまえずに思い上がって、
世の中全体への不相応な干渉に及んだりするようなら、そのせいで破綻崩壊にすら
陥りかねないものであるが故に、そのわきまえもまたなくてはならないのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%95%8...
>平成時代になると、ブレーン・顧問・参与・諮問委員などの立場で政府・自治体・政治家に接近し、
>自分たちの利益になる方向へ政策提言や規制緩和を働きかけるコンサルティング型の政商
>とも言うべき政治コンサルタント、ロビイスト、レントシーカーも現れるようになった。
別に間違ってもいないんだよなあ。
広義の意味からすれば若干、特殊な意味合いで用いているのは確かだが。
明治のころから、財閥級の大政商が影(料亭など)でこういう真似に及び続けて来たのも確かでな。
フリーメイソンやイルミナティ的な秘匿性すら疎かにして、あからさまな政治干渉を始めた
平成以降の経団連その他が、害悪むき出しのヘッタクソな政商だということもいえるが。
>平成時代になると、ブレーン・顧問・参与・諮問委員などの立場で政府・自治体・政治家に接近し、
>自分たちの利益になる方向へ政策提言や規制緩和を働きかけるコンサルティング型の政商
>とも言うべき政治コンサルタント、ロビイスト、レントシーカーも現れるようになった。
別に間違ってもいないんだよなあ。
広義の意味からすれば若干、特殊な意味合いで用いているのは確かだが。
明治のころから、財閥級の大政商が影(料亭など)でこういう真似に及び続けて来たのも確かでな。
フリーメイソンやイルミナティ的な秘匿性すら疎かにして、あからさまな政治干渉を始めた
平成以降の経団連その他が、害悪むき出しのヘッタクソな政商だということもいえるが。
政商は、なぜ国家社会規模の特権を手に入れられるのか?
政治家を始めとする公職者との友好を図り、時には血縁関係まで構えているから。
その時点ですでに政治にも干渉しているのであって、コンサルタントなどとして
直接的な口出しを試みたりするまでもなく「政商=商人の政治への干渉」なのである。
家康公が囲っていた茶屋四郎次郎のような御用商人も、
広義では政商のうちに入れられたりもするが、今でいえば国有企業も同然の存在で、
利益は全て公儀が総取りで、誰も私腹を肥やす余地などはなかった。
JRも郵便も民営化されたように、現代日本はその域の御用商売はむしろ廃絶して、
私益をむさぼる政商との癒着こそをより優先するようにも試みて来たもの。
NHKほどの公営メディアもなく、大学ももっぱら私学のほうが優位なアメリカなどは
さらにその傾向が強く、現代日本もそのようなあり方こそを追従している。
ただ、そのアメリカやイギリスはフリーメイソンなどに代表されるように、
政商の政治への干渉を糾弾回避目的で秘匿化する慣習がある一方、
日本にはそれがなく、今の経団連級にそのあからさまな害悪さを開き直っての
政治干渉に及んでいる者までもがいる。そこで政商の正体がより明らかになった
ということは言えるが、政商たるもの大昔からそういうものであり続けて来たのでもある。
政治家を始めとする公職者との友好を図り、時には血縁関係まで構えているから。
その時点ですでに政治にも干渉しているのであって、コンサルタントなどとして
直接的な口出しを試みたりするまでもなく「政商=商人の政治への干渉」なのである。
家康公が囲っていた茶屋四郎次郎のような御用商人も、
広義では政商のうちに入れられたりもするが、今でいえば国有企業も同然の存在で、
利益は全て公儀が総取りで、誰も私腹を肥やす余地などはなかった。
JRも郵便も民営化されたように、現代日本はその域の御用商売はむしろ廃絶して、
私益をむさぼる政商との癒着こそをより優先するようにも試みて来たもの。
NHKほどの公営メディアもなく、大学ももっぱら私学のほうが優位なアメリカなどは
さらにその傾向が強く、現代日本もそのようなあり方こそを追従している。
ただ、そのアメリカやイギリスはフリーメイソンなどに代表されるように、
政商の政治への干渉を糾弾回避目的で秘匿化する慣習がある一方、
日本にはそれがなく、今の経団連級にそのあからさまな害悪さを開き直っての
政治干渉に及んでいる者までもがいる。そこで政商の正体がより明らかになった
ということは言えるが、政商たるもの大昔からそういうものであり続けて来たのでもある。
今でもドイツなどで禁書扱いを受けている「わが闘争」は、
ただ大虐殺者であるヒトラーの著書であるというだけでなく、
西洋で初めて政商の政治干渉による危害を大々的に暴露した書物であるのが
不都合きわまるために、批判的な研究対象にされることすら
許されない絶対禁忌の書扱いとされているところがある。
当時のドイツで政商活動に従事していたのが主にユダヤ教徒だったものだから、
ヒトラーもユダヤ系ばかりを特筆した非難対象にしていて、
そこがこの書の記述の普遍性の低さを助長する原因ともなっている。
実際には、政商行為はユダヤ系に限らず、世界中の商人たちが隙あらば
試みて来たもので、その害悪度も時にユダヤ系並みであったりして来たもの。
この書が禁忌扱いされることを通じて、政商一般の害悪性までもが隠蔽され、
その正体を見誤ったままでいるような人間が無数に上っている所もあるし、
一度、ユダヤ系がどうだといった固有名詞を抜きにした上での、
純粋な一般論としての政商の致命的な問題点に着目し直す必要があるだろう。
ただ大虐殺者であるヒトラーの著書であるというだけでなく、
西洋で初めて政商の政治干渉による危害を大々的に暴露した書物であるのが
不都合きわまるために、批判的な研究対象にされることすら
許されない絶対禁忌の書扱いとされているところがある。
当時のドイツで政商活動に従事していたのが主にユダヤ教徒だったものだから、
ヒトラーもユダヤ系ばかりを特筆した非難対象にしていて、
そこがこの書の記述の普遍性の低さを助長する原因ともなっている。
実際には、政商行為はユダヤ系に限らず、世界中の商人たちが隙あらば
試みて来たもので、その害悪度も時にユダヤ系並みであったりして来たもの。
この書が禁忌扱いされることを通じて、政商一般の害悪性までもが隠蔽され、
その正体を見誤ったままでいるような人間が無数に上っている所もあるし、
一度、ユダヤ系がどうだといった固有名詞を抜きにした上での、
純粋な一般論としての政商の致命的な問題点に着目し直す必要があるだろう。
「資本論」のほうは、著者のマルクス自身がユダヤ系なせいか、
世の中を国家崩壊級の危難に陥れる最たる大元凶である政商ではなく、
商行為の成功者としての資本家一般をこの世のガンのごとく見なして
全糾弾の対象としたがために、その論理に基づき商行為全般の廃絶を試みた
ソ連や中共のような共産主義国もまた、社会構造の無理な改変を来たし過ぎた
せいでの崩壊や、部分的な資本主義の取入れのような変節を余儀なくされたのである。
>>303に書いた通り、人間社会は我田引水を本分とする商行為のような
必要悪的負の側面もまたあることで初めて成り立っているものであるが故に、
その根こそぎの浄化なぞを試みた所でうまくいわけがないのだが。
それとは全く別の話として、政商級の本末転倒までもがこの世に蔓延しようものなら、
それがもう即座に亡国や大戦級の危難を招く不必要悪となってしまうものだから、
そこだけは悪性の癌細胞級に要警戒・排除の対象として行くべきものである。
それは、確かに「わが闘争」や「資本論」にあるような極論、レッテル貼りの部類を
排した中正的心がけであるために、地味で分かりづらく、大衆からの熱狂的な支持なども
得がたいのに違いないのだが。親の心子知らず、君子の心小人知らずという法則への了解の元、
陰徳を積んで行く心がけで、為政者たちもその実現や堅持に取り組まねばならないのである。
世の中を国家崩壊級の危難に陥れる最たる大元凶である政商ではなく、
商行為の成功者としての資本家一般をこの世のガンのごとく見なして
全糾弾の対象としたがために、その論理に基づき商行為全般の廃絶を試みた
ソ連や中共のような共産主義国もまた、社会構造の無理な改変を来たし過ぎた
せいでの崩壊や、部分的な資本主義の取入れのような変節を余儀なくされたのである。
>>303に書いた通り、人間社会は我田引水を本分とする商行為のような
必要悪的負の側面もまたあることで初めて成り立っているものであるが故に、
その根こそぎの浄化なぞを試みた所でうまくいわけがないのだが。
それとは全く別の話として、政商級の本末転倒までもがこの世に蔓延しようものなら、
それがもう即座に亡国や大戦級の危難を招く不必要悪となってしまうものだから、
そこだけは悪性の癌細胞級に要警戒・排除の対象として行くべきものである。
それは、確かに「わが闘争」や「資本論」にあるような極論、レッテル貼りの部類を
排した中正的心がけであるために、地味で分かりづらく、大衆からの熱狂的な支持なども
得がたいのに違いないのだが。親の心子知らず、君子の心小人知らずという法則への了解の元、
陰徳を積んで行く心がけで、為政者たちもその実現や堅持に取り組まねばならないのである。
というかもう、締め切りだな。
とっくに絶対服従の召使として有用か否か、ぐらいの域にあるんだし。
とっくに絶対服従の召使として有用か否か、ぐらいの域にあるんだし。
頭の中が常に野球プロレスゴルフ、漫画アニメゲームでいっぱいというほどにも
不真面目を極めているのが、旧世代か次世代か等に関わらぬ戦後世代の常なれば、
そこからの改心なども、死ぬ気でかかるぐらいでなければ務まるはずもなし。
すでに年老いた旧世代なら本当に死にかねないし、まだ若い次世代だろうとも、
改悛に失敗しての鬱だヒスだといった惨状に陥りかねないもの。
その関門を無理に乗り越えてまで、こちら側に来ることを誰かに誘いもしないし、
あくまで有志であるのだろうとも、自己責任を徹底してもらいたいものだが。
さらにそれ以前の話として、そんな関門なんか無視して付き合おうなどとしたところで、
これまた子供が大人と対等に付き合おうとするほどの無理のせいで
破綻するという法則からも逃れられることはない。
いずれにしたって、苦しむのはそちら側。人生をより棒に振ってかかるのも
そちら側だけなのだし、もう二度と覚悟もなく近寄ってくるような真似をすべきではない。
不真面目を極めているのが、旧世代か次世代か等に関わらぬ戦後世代の常なれば、
そこからの改心なども、死ぬ気でかかるぐらいでなければ務まるはずもなし。
すでに年老いた旧世代なら本当に死にかねないし、まだ若い次世代だろうとも、
改悛に失敗しての鬱だヒスだといった惨状に陥りかねないもの。
その関門を無理に乗り越えてまで、こちら側に来ることを誰かに誘いもしないし、
あくまで有志であるのだろうとも、自己責任を徹底してもらいたいものだが。
さらにそれ以前の話として、そんな関門なんか無視して付き合おうなどとしたところで、
これまた子供が大人と対等に付き合おうとするほどの無理のせいで
破綻するという法則からも逃れられることはない。
いずれにしたって、苦しむのはそちら側。人生をより棒に振ってかかるのも
そちら側だけなのだし、もう二度と覚悟もなく近寄ってくるような真似をすべきではない。
俺も漫画アニメとか見ないわけじゃないが、決してそれが全てなわけじゃない。
自分の中で決して4割以上を占めたりすることがないように心がけていて、
己が本分としている所は必ずまた別のところにあるようにしている。
ただ、それこそ10割完全に糞真面目であるよりも、難しいことかも知れぬ。
不真面目なコンテンツよりも、真面目な求道を分量面からより多く
享受しておくことで初めて務まることでもあるし、10年スポーツやって
体壊したんなら、15年以上は真っ当な武芸やヨガに打ち込まねば治らないが如く、
軽く倍以上の経験を積まなければならないことになってしまうのだから。
娯楽もネットも厳禁な寺での出家修行にでも勤めたほうがまだ、
俗世で清濁併せのみながらよりも、清浄の優勢を確保するのは容易だろう。
その場合にも、自分がもういい年なら二度と帰って来られなくなる可能性はあるが。
自分の中で決して4割以上を占めたりすることがないように心がけていて、
己が本分としている所は必ずまた別のところにあるようにしている。
ただ、それこそ10割完全に糞真面目であるよりも、難しいことかも知れぬ。
不真面目なコンテンツよりも、真面目な求道を分量面からより多く
享受しておくことで初めて務まることでもあるし、10年スポーツやって
体壊したんなら、15年以上は真っ当な武芸やヨガに打ち込まねば治らないが如く、
軽く倍以上の経験を積まなければならないことになってしまうのだから。
娯楽もネットも厳禁な寺での出家修行にでも勤めたほうがまだ、
俗世で清濁併せのみながらよりも、清浄の優勢を確保するのは容易だろう。
その場合にも、自分がもういい年なら二度と帰って来られなくなる可能性はあるが。
自分が10割不真面目でしかいられないオナニー星人であるとして、
それを4割以下に止められる相手とまともに付き合うには、
①「10割糞真面目をやり直してからにする」
②「さらにその上で不真面目4割以下の免疫も確保してからにする」
③「そもそも相手にとっての4割以下の付き合いに止めるようにする」
のいずれかでなければならない。
お寺入りもそれ並みの修練も嫌だというのなら、③の選択肢しかない。
それは対等な付き合いではなく、一歩引いた所での付き合いに徹するということ。
たとえこちらがそうでないような対等な付き合いを許容しようとも、
そちらのほうが精神的に耐えられないのだから、やむないだろう。
それを4割以下に止められる相手とまともに付き合うには、
①「10割糞真面目をやり直してからにする」
②「さらにその上で不真面目4割以下の免疫も確保してからにする」
③「そもそも相手にとっての4割以下の付き合いに止めるようにする」
のいずれかでなければならない。
お寺入りもそれ並みの修練も嫌だというのなら、③の選択肢しかない。
それは対等な付き合いではなく、一歩引いた所での付き合いに徹するということ。
たとえこちらがそうでないような対等な付き合いを許容しようとも、
そちらのほうが精神的に耐えられないのだから、やむないだろう。
精魂込めてるか知らんが、こちらの論及への具体的な反証例を示した
論理的な反駁だけは意地でもやらんのよな。できんのか知らんが。
こういうこと言うとまた、「反論の価値もない域の妄言!」とか精魂込めてわめくんだろうけど。
論理的な反駁だけは意地でもやらんのよな。できんのか知らんが。
こういうこと言うとまた、「反論の価値もない域の妄言!」とか精魂込めてわめくんだろうけど。
[YouTubeで再生]
「ネッシー50年ぶりの大捜索」
すでにこの話は大元の噂からしてガセだったことが判明しているのに、
さもないものをあるかのように思わせる風聞による興収を見込む、
悪質な詐欺といってもいいような試み。
物理的な実在ではないが、空想や寓喩の産物であることを
誰しもが了解して持て囃している幽霊や妖怪の風説などとは違って、
物理的に存在しないものが存在するという、100%完全なる顛倒夢想こそを
売り物にしようとしているのが大変悪質で、UKらしいといえばらしいとも言えよう。
「ネッシー50年ぶりの大捜索」
すでにこの話は大元の噂からしてガセだったことが判明しているのに、
さもないものをあるかのように思わせる風聞による興収を見込む、
悪質な詐欺といってもいいような試み。
物理的な実在ではないが、空想や寓喩の産物であることを
誰しもが了解して持て囃している幽霊や妖怪の風説などとは違って、
物理的に存在しないものが存在するという、100%完全なる顛倒夢想こそを
売り物にしようとしているのが大変悪質で、UKらしいといえばらしいとも言えよう。
>>340
弥勒菩薩に該当する仏性が遠い未来まで遍在し続けているというのは事実だからな。
「56億7千万年後に再来」とかいうのは衆生に分かりやすくそれを説くための方便。
存在するけどそれをなかなか信じがたいものを信じさせるための手管。
存在しないものをするとして人々の迷信好みを煽って儲けたりするのとは真逆。
>>341
反証も示さずに頭ごなしに否定してくるだけの狂犬なんかに、自論を曲げさせられたりする筋合いもない。
曲げさせたかったらおまえのほうが反証せよというだけのことで、それもなしに俺がそのままでいた所で、
何から逃げたわけでもなく、ただ曲げる必要もないものを曲げないでいるだけのことに過ぎない。
そもそも「逃げる」なんていう行為自体がどこにも成立していないという他ない。
弥勒菩薩に該当する仏性が遠い未来まで遍在し続けているというのは事実だからな。
「56億7千万年後に再来」とかいうのは衆生に分かりやすくそれを説くための方便。
存在するけどそれをなかなか信じがたいものを信じさせるための手管。
存在しないものをするとして人々の迷信好みを煽って儲けたりするのとは真逆。
>>341
反証も示さずに頭ごなしに否定してくるだけの狂犬なんかに、自論を曲げさせられたりする筋合いもない。
曲げさせたかったらおまえのほうが反証せよというだけのことで、それもなしに俺がそのままでいた所で、
何から逃げたわけでもなく、ただ曲げる必要もないものを曲げないでいるだけのことに過ぎない。
そもそも「逃げる」なんていう行為自体がどこにも成立していないという他ない。
話し方や自論を曲げないことには会話も成立しない。
にもかかわらず話し合いを試みていたということは、
相手にくじけることを要求していたということだ。
話が進むたびにひっかかって、えっ、いや、それは違うでしょ!
と思わされて、障壁だらけからの袋小路に追い込まれる。
だから話が通じない、というのは十分、相手に変節を期待していたのとも同義である。
仮におまえが統一自民の一味だったとすれば、
中国か北鮮あたりにでも行けば、そんな相手はいくらでもいることだろう。
香川県民が福岡でうどんについて話そうとしただけでも、そうなるだろう。
別にまったく珍しいことでもない、世の中ではごくありきたりなことなのに、
今までそんな経験をしたこともないというのなら、とんだ箱入り娘か何かかな?
にもかかわらず話し合いを試みていたということは、
相手にくじけることを要求していたということだ。
話が進むたびにひっかかって、えっ、いや、それは違うでしょ!
と思わされて、障壁だらけからの袋小路に追い込まれる。
だから話が通じない、というのは十分、相手に変節を期待していたのとも同義である。
仮におまえが統一自民の一味だったとすれば、
中国か北鮮あたりにでも行けば、そんな相手はいくらでもいることだろう。
香川県民が福岡でうどんについて話そうとしただけでも、そうなるだろう。
別にまったく珍しいことでもない、世の中ではごくありきたりなことなのに、
今までそんな経験をしたこともないというのなら、とんだ箱入り娘か何かかな?
おまえらひょっとして、自分たちがやって来たことが畢竟、
恫喝止まりであることにも気づいていなかったりするのか? gkbr((((;゚Д゚))))
恫喝止まりであることにも気づいていなかったりするのか? gkbr((((;゚Д゚))))
スレ上げましょうか?
冷蔵庫の中にチョコボールあったから食って来ました。
冷蔵庫の中にチョコボールあったから食って来ました。
相手の言うことを一方的に無根拠に否定しての変節を迫る、これも恫喝。
自分とは毛色が合わないからといって、相手ばかりに妥協を強いる、これも恫喝。
事実無根の誹謗中傷を並べ立ててでも、相手の自信や尊厳を損ねようとする、これも恫喝。
むしろ、恫喝じゃないレスを探すほうが難しいじゃないか。おまえらの場合。
その度し難さを自覚していればこそ、ほとんどのレスを削除してるのでもあるんだろうが。
自分とは毛色が合わないからといって、相手ばかりに妥協を強いる、これも恫喝。
事実無根の誹謗中傷を並べ立ててでも、相手の自信や尊厳を損ねようとする、これも恫喝。
むしろ、恫喝じゃないレスを探すほうが難しいじゃないか。おまえらの場合。
その度し難さを自覚していればこそ、ほとんどのレスを削除してるのでもあるんだろうが。
常に頭の中が不真面目さで満たされていなければ気分が悪くなる、
100%オナニーメンタル、略して100オナメンの連中からすれば、
仕事でも勉強でもないような場で大真面目な話なんかを聞かせられるのが、
ただそれだけでも気に障って、怒り狂うしかないほどの忌まわしさなのだろうが。
だったらなぜ、自分はもうそういうのいいんで、漫画アニメか野球ゴルフあたりの
話だけにしといてください、おながいします(-人-)の一言がいえないのか?
ただそれだけで、こちらもそういう相手がいる前では大真面目な話は避けて、
100オナメンでも不快にならずにいられるような浮ついた話だけにしといてやるのに。
あくまで対等かそれ以上の立場として、相手に接してやろうとするマウント願望までもが
捨てきれないでいるものだから、多少へりくだってお願いする程度のことすらできない。
100オナメンであることか、マウント願望の持ち主のままでいることか、
どちらかを辞めないことには、一定以上の真面目さの堅持によって、天下国家を
平定できる域の大丈夫、益荒男などとはまともに対面もできないままであるだろう。
100%オナニーメンタル、略して100オナメンの連中からすれば、
仕事でも勉強でもないような場で大真面目な話なんかを聞かせられるのが、
ただそれだけでも気に障って、怒り狂うしかないほどの忌まわしさなのだろうが。
だったらなぜ、自分はもうそういうのいいんで、漫画アニメか野球ゴルフあたりの
話だけにしといてください、おながいします(-人-)の一言がいえないのか?
ただそれだけで、こちらもそういう相手がいる前では大真面目な話は避けて、
100オナメンでも不快にならずにいられるような浮ついた話だけにしといてやるのに。
あくまで対等かそれ以上の立場として、相手に接してやろうとするマウント願望までもが
捨てきれないでいるものだから、多少へりくだってお願いする程度のことすらできない。
100オナメンであることか、マウント願望の持ち主のままでいることか、
どちらかを辞めないことには、一定以上の真面目さの堅持によって、天下国家を
平定できる域の大丈夫、益荒男などとはまともに対面もできないままであるだろう。
100オナメンでも仕事はしてたり、勉強もしたことがあったりするだろうが、
それは真面目さと向き合わされる機会であるために、まず苦痛でもあるだろう。
だからこそ、仕事や勉強の最中にはなるべく、何も考えないようにする。
剣禅の無念無想の境地みたいな上等なものではなく、ただ極力考えを浅からしめた
放心状態となることで、真面目な事象と向き合わされている間の苦痛を紛らわそうとする。
それが、仕事の雑さ、生産性の低さにも直結して、世の中を低迷に陥れる元凶ともなる。
天下国家を平定するなみの大業はもちろんのこと、そこまでいかないような
民間職などであろうとも、いい仕事しっかり真面目、ダメな仕事は不真面目が
絡んでいるというのが常だから、真面目な人間ほどよりよくできるものである。
そして、最大級に真面目な人間は、仕事中や勉強中だけでなく、
プライベートに至るまで生涯の大半を大真面目さと共にあろうとするものでもある。
特に、戦前世代が絶えた近年の日本社会では、そのような人間もまた絶滅種となって
しまったがために、政権をカルトに明け渡すことすら黙認しての亡国一直線などという
窮状にまで陥ってしまったのだった。そこを打開できるのも、マウント願望持ちの
100オナメンなどが付き合おうものなら、身の毛がよだつほどの嫌悪感に苛まれる
ぐらいに大真面目を好んでいられる大雄に限られるに違いないのである。ああ
それは真面目さと向き合わされる機会であるために、まず苦痛でもあるだろう。
だからこそ、仕事や勉強の最中にはなるべく、何も考えないようにする。
剣禅の無念無想の境地みたいな上等なものではなく、ただ極力考えを浅からしめた
放心状態となることで、真面目な事象と向き合わされている間の苦痛を紛らわそうとする。
それが、仕事の雑さ、生産性の低さにも直結して、世の中を低迷に陥れる元凶ともなる。
天下国家を平定するなみの大業はもちろんのこと、そこまでいかないような
民間職などであろうとも、いい仕事しっかり真面目、ダメな仕事は不真面目が
絡んでいるというのが常だから、真面目な人間ほどよりよくできるものである。
そして、最大級に真面目な人間は、仕事中や勉強中だけでなく、
プライベートに至るまで生涯の大半を大真面目さと共にあろうとするものでもある。
特に、戦前世代が絶えた近年の日本社会では、そのような人間もまた絶滅種となって
しまったがために、政権をカルトに明け渡すことすら黙認しての亡国一直線などという
窮状にまで陥ってしまったのだった。そこを打開できるのも、マウント願望持ちの
100オナメンなどが付き合おうものなら、身の毛がよだつほどの嫌悪感に苛まれる
ぐらいに大真面目を好んでいられる大雄に限られるに違いないのである。ああ
おまえが今言ってるのは、厳密には「仕事」じゃなくて「仕事をしてるフリ」だろう。
それでも給料もらえるような人間が増え過ぎたのが、世の中の低迷の真因でな。
やってる感連中こそは、団結による保身のためのコミュ力がより必要なんてこともあろうがな。
それでも給料もらえるような人間が増え過ぎたのが、世の中の低迷の真因でな。
やってる感連中こそは、団結による保身のためのコミュ力がより必要なんてこともあろうがな。
おまえは論破なんかしてないし、俺もしてない。
ただお互いに承服し難い意見を言い放って、平行線をたどっただけだ。
香川県民「うどんはコシがあるほうがいい!」
福岡県民「いや、コシなんかないほうがいい!」
香川県民「そんなことない、コシがあったほうがいい!」
ってのとまったく同じだ。
それでなぜか、意見が通らなくて打ちひしがれてるのがいる。
自分の意見に盾突く相手を一切認められない独裁系人種がいるとしても、
それはそんなことでいちいち打ちのめされている側のほうなんじゃないかね?
ただお互いに承服し難い意見を言い放って、平行線をたどっただけだ。
香川県民「うどんはコシがあるほうがいい!」
福岡県民「いや、コシなんかないほうがいい!」
香川県民「そんなことない、コシがあったほうがいい!」
ってのとまったく同じだ。
それでなぜか、意見が通らなくて打ちひしがれてるのがいる。
自分の意見に盾突く相手を一切認められない独裁系人種がいるとしても、
それはそんなことでいちいち打ちのめされている側のほうなんじゃないかね?
別に体系的な論破を試みるわけでもなく、
一方的に逆の意見を言い放って来ただけの相手に対して、
自己意見を放棄して屈従するのが良心、誠実さってのも、ひどい話だな。
それこそ、まさに完全完璧にふざけきっている、100オナメンだからこそ、
その破綻性にも気づかないでいられる部類の世迷言であるわけだ。
どこの誰だかしらないけれど、100オナメンの気狂いなのだけは丸分かり。
100オナメンこそが、暴君なみの独裁性の根源であることまでをも体現してくれている。
わが論弁の正当性を言葉ではなく、その行いによって実証してくれている見事な
背理例でもあるわけだが、なればこそこの世で最も遠ざけておくべき相手だともいえよう。
一方的に逆の意見を言い放って来ただけの相手に対して、
自己意見を放棄して屈従するのが良心、誠実さってのも、ひどい話だな。
それこそ、まさに完全完璧にふざけきっている、100オナメンだからこそ、
その破綻性にも気づかないでいられる部類の世迷言であるわけだ。
どこの誰だかしらないけれど、100オナメンの気狂いなのだけは丸分かり。
100オナメンこそが、暴君なみの独裁性の根源であることまでをも体現してくれている。
わが論弁の正当性を言葉ではなく、その行いによって実証してくれている見事な
背理例でもあるわけだが、なればこそこの世で最も遠ざけておくべき相手だともいえよう。
(>>384の続き)
100オナメンなのにイヤイヤ仕事や勉強をして来たような連中こそは、
これからAIあたりにその領分を奪われて行く、いやむしろ奪われるべき人種でもある。
「真面目である」ということは、「万物の実相に対して厳格である」ということで、
それは精神を持たないAIだろうとも、論理的にだけなら可能であるところ。
たとえば、「手」という部位は人間にとってもAIにとっても、その構造を把握してうまく
描画することが難しい部位であることで知られていて、ほんの近ごろまで人力絵とAI絵の
判別も「手を見ればわかる」なんて言われてたぐらいに正確なAI生成が難しかったのだが、
近ごろではそのような問題も解消されて、ほとんどそれだけでは区別が付かなくなってきている。
ど素人どころか、そこそこ絵を描くのが好きな人間でも、AI並みにもうまく手を
描けないことになりつつあるように、真面目に物事に取り組むことが苦手な人間ほど、
次々とAIに能力面で抜かれて行って、自分ですべきことなんか何もなくなってしまう。
どんなにAIが発達しようとも、現状では全く肩代わりできる見込みも立たないでいるのは、
物事の実相への把握と、直観的な操作をもかけ合わせられる部類の人知、人力なのだが、
それこそ、仕事や勉強の間だけ真面目ぶるなんていう片手落ちさでは決して務まらない
域の神業であり、100オナメンどころか50オナメンあたりでもまだ不能に違いないものである。
100オナメンなのにイヤイヤ仕事や勉強をして来たような連中こそは、
これからAIあたりにその領分を奪われて行く、いやむしろ奪われるべき人種でもある。
「真面目である」ということは、「万物の実相に対して厳格である」ということで、
それは精神を持たないAIだろうとも、論理的にだけなら可能であるところ。
たとえば、「手」という部位は人間にとってもAIにとっても、その構造を把握してうまく
描画することが難しい部位であることで知られていて、ほんの近ごろまで人力絵とAI絵の
判別も「手を見ればわかる」なんて言われてたぐらいに正確なAI生成が難しかったのだが、
近ごろではそのような問題も解消されて、ほとんどそれだけでは区別が付かなくなってきている。
ど素人どころか、そこそこ絵を描くのが好きな人間でも、AI並みにもうまく手を
描けないことになりつつあるように、真面目に物事に取り組むことが苦手な人間ほど、
次々とAIに能力面で抜かれて行って、自分ですべきことなんか何もなくなってしまう。
どんなにAIが発達しようとも、現状では全く肩代わりできる見込みも立たないでいるのは、
物事の実相への把握と、直観的な操作をもかけ合わせられる部類の人知、人力なのだが、
それこそ、仕事や勉強の間だけ真面目ぶるなんていう片手落ちさでは決して務まらない
域の神業であり、100オナメンどころか50オナメンあたりでもまだ不能に違いないものである。
前にも似たようなことを言ってたんだが、
人間が50オナメン以上に真面目本位か不真面目本位であるかは、
日本刀への感傷である程度は判別できる所がある。
手足を両断するのも容易なほど鋭利な刀剣を眼前にした時に、
過度の恐怖に怯えるか、秋葉加藤のような凶刃漢としての血が騒ぐのなら、
それはどちらも自分自身が50オナメン以上に不真面目な人間だからである。
美術品としての価値はもちろんのこと、日本の工業力や日本人の器用さの
一大源流ともなって来た、工芸品としての精巧さなどにまで配慮が行き届いて、
シラフの感心を抱けるようなら、それは50オナメン以上の真面目さの持ち主だといえる。
戦闘で実用することを想定するとしても、犯罪行為や不義の戦ではなく、
義戦でその刀の価値がより上がるような用い方を模索するのであれば、
その場合に限ってだけは大真面目であることを堅持、助成できるようになっている。
それが務まらない人間が昔から一定数いるものだから、そのような人間こそが
刀剣商となって悪徳取引に走るような真似もまた繰り返されて来たもの。
日本刀の作成法ほど、AIが肩代わりするのが不可能に等しい人の業も稀だし、
実際そこにこそ、AIに仕事を奪われかねないオナメンと、まだまだそうはいかない
大丈夫とを大別する普遍的な標準性が備わっているようにも思われる。
人間が50オナメン以上に真面目本位か不真面目本位であるかは、
日本刀への感傷である程度は判別できる所がある。
手足を両断するのも容易なほど鋭利な刀剣を眼前にした時に、
過度の恐怖に怯えるか、秋葉加藤のような凶刃漢としての血が騒ぐのなら、
それはどちらも自分自身が50オナメン以上に不真面目な人間だからである。
美術品としての価値はもちろんのこと、日本の工業力や日本人の器用さの
一大源流ともなって来た、工芸品としての精巧さなどにまで配慮が行き届いて、
シラフの感心を抱けるようなら、それは50オナメン以上の真面目さの持ち主だといえる。
戦闘で実用することを想定するとしても、犯罪行為や不義の戦ではなく、
義戦でその刀の価値がより上がるような用い方を模索するのであれば、
その場合に限ってだけは大真面目であることを堅持、助成できるようになっている。
それが務まらない人間が昔から一定数いるものだから、そのような人間こそが
刀剣商となって悪徳取引に走るような真似もまた繰り返されて来たもの。
日本刀の作成法ほど、AIが肩代わりするのが不可能に等しい人の業も稀だし、
実際そこにこそ、AIに仕事を奪われかねないオナメンと、まだまだそうはいかない
大丈夫とを大別する普遍的な標準性が備わっているようにも思われる。
話は変わるが、ここ数日ジャニーズへの法的な摘発が進んでてよく話題になっている。
窪塚洋介が15年前に発言して、大メディアを追われる原因になった
「芸能界は洗脳界」という発言が遂に実効力を帯びつつあるのは、
決して悪いことではないはずなのだが。
非ネットネイティブ世代で、生粋のテレビっ子できた俺の親父などは、
何かある種の不安感を抱き、あまりこの話題に触れたがらないようでもある。
第一には、何十年も非道な権力犯罪を黙認して来た大メディアなどに、
自分たち自身もまた諸手を挙げて追従して来た身の程であるせいで、
いずれは自分たちにまで責任追及の咎が及ぶのではないかという恐れがあるのだと思われる。
第二には、ジャニーズ級に雲上扱いだった存在が瓦解を来たし始めているということへの不安。
詳細は何も知らないにしても、そこにはCIA級に剣呑な連中が多く関わっていることを
何となくぐらいには察していて、そこには自分たちの声なんか一切届かないだけでなく、
時には原爆投下や旅客機墜落工作なみの非道を仕掛けて来る場合までもがあることを察しているから。
窪塚洋介が15年前に発言して、大メディアを追われる原因になった
「芸能界は洗脳界」という発言が遂に実効力を帯びつつあるのは、
決して悪いことではないはずなのだが。
非ネットネイティブ世代で、生粋のテレビっ子できた俺の親父などは、
何かある種の不安感を抱き、あまりこの話題に触れたがらないようでもある。
第一には、何十年も非道な権力犯罪を黙認して来た大メディアなどに、
自分たち自身もまた諸手を挙げて追従して来た身の程であるせいで、
いずれは自分たちにまで責任追及の咎が及ぶのではないかという恐れがあるのだと思われる。
第二には、ジャニーズ級に雲上扱いだった存在が瓦解を来たし始めているということへの不安。
詳細は何も知らないにしても、そこにはCIA級に剣呑な連中が多く関わっていることを
何となくぐらいには察していて、そこには自分たちの声なんか一切届かないだけでなく、
時には原爆投下や旅客機墜落工作なみの非道を仕掛けて来る場合までもがあることを察しているから。
できる限りそんな連中に関わりたくない、変なアクションなども起こしてほしくないというのは、
別に無力な小市民としての哀しき性分にばかり基づく感覚というわけでもない。
俺が住んでいる地域でも、幕末から明治初期にかけて、体制変革に反対する多くの民衆が
一揆級の反乱を企ててはさらし首にされるという事件が相当数、発生していた。
幕府時代であれば、自分たちも梟首となるにしたって、喧嘩両成敗の原則に基づき、
領主側もまた改易級の責任を取らされていたのが、明治以降はそれも一切なくなり、
反乱を試みた所で犬死ににしかならないのが常識となったために、すっぱりやめてしまったのである。
下々の声に耳を傾けて労わってくれるような権力者もまた、時にはあり得ようとて、今はそうではない。
絶対に人の言葉などに耳を貸すことなく、一方的に危害だけは加えて来るような暴君ばかりで
権力機構が占められているのだと経験済みなものだから、無駄な抵抗を試みたりもしないだけ。
その権力者たちが窮地に追い込まれているとあっては、またろくでもない真似をやらかして、
一般社会に大迷惑をかけて来るのではないかと危ぶむのもまた、自然な流れに基づくのである。
別に無力な小市民としての哀しき性分にばかり基づく感覚というわけでもない。
俺が住んでいる地域でも、幕末から明治初期にかけて、体制変革に反対する多くの民衆が
一揆級の反乱を企ててはさらし首にされるという事件が相当数、発生していた。
幕府時代であれば、自分たちも梟首となるにしたって、喧嘩両成敗の原則に基づき、
領主側もまた改易級の責任を取らされていたのが、明治以降はそれも一切なくなり、
反乱を試みた所で犬死ににしかならないのが常識となったために、すっぱりやめてしまったのである。
下々の声に耳を傾けて労わってくれるような権力者もまた、時にはあり得ようとて、今はそうではない。
絶対に人の言葉などに耳を貸すことなく、一方的に危害だけは加えて来るような暴君ばかりで
権力機構が占められているのだと経験済みなものだから、無駄な抵抗を試みたりもしないだけ。
その権力者たちが窮地に追い込まれているとあっては、またろくでもない真似をやらかして、
一般社会に大迷惑をかけて来るのではないかと危ぶむのもまた、自然な流れに基づくのである。
やあ!皆さん!こんばんは!
相変わらずくだらないやり取りで盛り上がってますね!
どっか行けだの所有者だの難しいこと言わないの。
誰でも利用できる掲示板なんだからさ。
利用できない奴は管理人さんがアク禁にしてるんだろうし。
俺もレス増やしに協力してやるよ。
相変わらずくだらないやり取りで盛り上がってますね!
どっか行けだの所有者だの難しいこと言わないの。
誰でも利用できる掲示板なんだからさ。
利用できない奴は管理人さんがアク禁にしてるんだろうし。
俺もレス増やしに協力してやるよ。
やっぱイタいなこいつ…
(>>415の続き)
厳密な数値にはもしかしたらまだ異同があるかもしれないが、
50オナメン(50%オナニーメンタル)以上に心が真面目であり得るか否かが、
当人が子供を産み育てるに値する人物であるか否かの境界線になるのではないかとも思われる。
50オナメン以上に不真面目な人間が無理に子を持った所で、発達止まりにしか育てられず、
故にこそ、始めから子供なんか産み育てたくもない思いにも駆られる。
その程度でしかいられないような、己が人としての出来の悪さは、そのまま政治能力の低さ
などにも落とし込まれて、仮に一国の長なみの立場になろうものならば、国を破滅へと導く
大元凶となり、たとえ死んでも責任が取り切れないような事態にも陥ってしまうであろう。
「修身斉家治国平天下」とは、まさにその逆を行く修己治人の取り組みなのであり、
その肝要もまた、自らのオナメン堕ちを抑えて行くところにこそあるに違いないのである。
厳密な数値にはもしかしたらまだ異同があるかもしれないが、
50オナメン(50%オナニーメンタル)以上に心が真面目であり得るか否かが、
当人が子供を産み育てるに値する人物であるか否かの境界線になるのではないかとも思われる。
50オナメン以上に不真面目な人間が無理に子を持った所で、発達止まりにしか育てられず、
故にこそ、始めから子供なんか産み育てたくもない思いにも駆られる。
その程度でしかいられないような、己が人としての出来の悪さは、そのまま政治能力の低さ
などにも落とし込まれて、仮に一国の長なみの立場になろうものならば、国を破滅へと導く
大元凶となり、たとえ死んでも責任が取り切れないような事態にも陥ってしまうであろう。
「修身斉家治国平天下」とは、まさにその逆を行く修己治人の取り組みなのであり、
その肝要もまた、自らのオナメン堕ちを抑えて行くところにこそあるに違いないのである。
古くは、1970年前後のヒッピー気取りな団塊の映像などにも見られる、
常に口元目元がゆるんでヘラヘラとした、不埒でチャラ男然とした表情。
あれもまた、50~100オナメンばかりに見られる独特の人相だといえる。
まだ団塊が若者だった50年前であれば、
従軍経験もあるような戦前世代のお父さんなどが、一目見ただけでも
「おまえなんかには絶対に娘をやらん!」と断言していた人相だけれども。
その団塊が最長老となった今ともなると、
むしろこの表情こそは勝ち組、陽キャならではの勲章扱いとなり、
慶応あたりを出て電通にでも入って、この表情で美男美女の異性を侍らせた瞬間こそは、
人生の最高潮、この世で最も幸せな人としての大成功例とされるようになったのだった。
昔からそういう人間は一定数いたために、論語でも「君子と小人」のうちの「小人」として、
そのあり方が反面教師的に分析されているのだが、君子と小人を分かつのもまた、
やはり50オナメン以下いられるか、それ以上でしかいられないかであると言えるし、
その関門を乗り越えて50オナメン以下の大真面目さに慣れ親しめるようになるので
なければ、上記のような小さい所に止まる人間でしかいられなくなるわけである。
常に口元目元がゆるんでヘラヘラとした、不埒でチャラ男然とした表情。
あれもまた、50~100オナメンばかりに見られる独特の人相だといえる。
まだ団塊が若者だった50年前であれば、
従軍経験もあるような戦前世代のお父さんなどが、一目見ただけでも
「おまえなんかには絶対に娘をやらん!」と断言していた人相だけれども。
その団塊が最長老となった今ともなると、
むしろこの表情こそは勝ち組、陽キャならではの勲章扱いとなり、
慶応あたりを出て電通にでも入って、この表情で美男美女の異性を侍らせた瞬間こそは、
人生の最高潮、この世で最も幸せな人としての大成功例とされるようになったのだった。
昔からそういう人間は一定数いたために、論語でも「君子と小人」のうちの「小人」として、
そのあり方が反面教師的に分析されているのだが、君子と小人を分かつのもまた、
やはり50オナメン以下いられるか、それ以上でしかいられないかであると言えるし、
その関門を乗り越えて50オナメン以下の大真面目さに慣れ親しめるようになるので
なければ、上記のような小さい所に止まる人間でしかいられなくなるわけである。
別に、あまりにも気分が沈み切っているせいで表情筋も萎え切って、
常に死んだ目でいるチー牛弱男のようになれというのでもない。
喜怒哀楽、全てにかけて自由自在であり、
さらにそれ以前の無念無想の域にもまた容易に至れるのは、
それこそ50オナメン以下の大真面目とも親しんで行ける達者の特権である。
ヒスに囚われた神経症の患者などが、常に般若面のように険しい表情でしか
いられなくなったりするのと同じように、50オナメン以上の不真面目さに
囚われた人間もまた、緩み切ってふざけた表情でしかいられなくなる。
それもまた一種の心の不具であるのには違いなく、
本人がどんなに困っていなかった所で、無責任で他者にばかり苦労や不利益を
押し付けて行く非道な畜生働きなどによって、世間に大迷惑をかけたりすること
までは免れ得ず。そんな連中の横暴ばかりを大々的に許容し続けすぎたがあまりに
無理を来しての破綻に見舞われているのが、敗戦期末としての現代日本なのでもある。
常に死んだ目でいるチー牛弱男のようになれというのでもない。
喜怒哀楽、全てにかけて自由自在であり、
さらにそれ以前の無念無想の域にもまた容易に至れるのは、
それこそ50オナメン以下の大真面目とも親しんで行ける達者の特権である。
ヒスに囚われた神経症の患者などが、常に般若面のように険しい表情でしか
いられなくなったりするのと同じように、50オナメン以上の不真面目さに
囚われた人間もまた、緩み切ってふざけた表情でしかいられなくなる。
それもまた一種の心の不具であるのには違いなく、
本人がどんなに困っていなかった所で、無責任で他者にばかり苦労や不利益を
押し付けて行く非道な畜生働きなどによって、世間に大迷惑をかけたりすること
までは免れ得ず。そんな連中の横暴ばかりを大々的に許容し続けすぎたがあまりに
無理を来しての破綻に見舞われているのが、敗戦期末としての現代日本なのでもある。
さっき見た、なかなか興味深い夢。
催事場のような所でイベントが開かれていて、その中に、1分程度の
制限時間内に、用意された木材から矢を削りだして的に当てるというのがあった。
当て方は手投げでも何でも可で、簡素な弓と吹き矢用の筒も用意されている。
切出の小刀などの工具も用意されていて、材木には色々な形状のがある。
如何せん制限時間が短いために、誰もろくに矢を成型しきることができず、
スチロール製らしい柔らかい的に至近距離から弓で射ても刺さらない。
主催者側も「非常に難しいのでめげないで」とアナウンスする。
聞く所によると、93歳のおばあさんの成功者が一人だけいるらしい。
弓道競技者に女が多いせいか、特におばさんが試みては失敗している中、
俺も挑戦することになった。弓道経験はないが、見た目が器用そうということで、
「この人なら成功できるかも」とささやく観衆が多くいる中、競技開始。
俺は徐に長めの角材を選び取って、切出でガシガシと削り始める。
実際にもまあまあ慣れてる作業で、ものの見事に削れて行くんだが、
なんとこの木材、材料カットの際に端材としてたまに出る、長辺に対して
木目が垂直に入っている角材で、いくら削っても先端が鋭利には尖らない。
「こりゃダメだ」と見取って材料を選び直そうとするも、もはや時間がない。
仕方ないので、うまく尖らせられなかった角材を的に投げ付けて、案の定
刺さらずに失敗して終了。期待されてたのにこの体たらくで大恥、という夢。
催事場のような所でイベントが開かれていて、その中に、1分程度の
制限時間内に、用意された木材から矢を削りだして的に当てるというのがあった。
当て方は手投げでも何でも可で、簡素な弓と吹き矢用の筒も用意されている。
切出の小刀などの工具も用意されていて、材木には色々な形状のがある。
如何せん制限時間が短いために、誰もろくに矢を成型しきることができず、
スチロール製らしい柔らかい的に至近距離から弓で射ても刺さらない。
主催者側も「非常に難しいのでめげないで」とアナウンスする。
聞く所によると、93歳のおばあさんの成功者が一人だけいるらしい。
弓道競技者に女が多いせいか、特におばさんが試みては失敗している中、
俺も挑戦することになった。弓道経験はないが、見た目が器用そうということで、
「この人なら成功できるかも」とささやく観衆が多くいる中、競技開始。
俺は徐に長めの角材を選び取って、切出でガシガシと削り始める。
実際にもまあまあ慣れてる作業で、ものの見事に削れて行くんだが、
なんとこの木材、材料カットの際に端材としてたまに出る、長辺に対して
木目が垂直に入っている角材で、いくら削っても先端が鋭利には尖らない。
「こりゃダメだ」と見取って材料を選び直そうとするも、もはや時間がない。
仕方ないので、うまく尖らせられなかった角材を的に投げ付けて、案の定
刺さらずに失敗して終了。期待されてたのにこの体たらくで大恥、という夢。
切出をうまく使いこなす技術も、手投げで矢を的に撃ち付けられるぐらいの
体力もありながら、適当な材木を注意して選び取る知恵には欠けていた。
心技体でいえば心の修練が不十分だったが故の失敗。
実際の俺がどうかはともかくとして、夢の中の俺は少なくともそうだった。
弓や吹矢筒も用意されていたことだし、その辺の修練まで十分なら、
非力で手先も弱っている93歳のおばあさんだろうとも成功させられそうなのもわかる。
たとえば野球の大谷でも、矢を削り出す技能不足や木材選びの失敗のせいでできないかも知れないし、
将棋の藤井でも、同様な理由か、矢を的に撃ち付ける技量や力不足のせいでできないかもしれない。
心技体全方向への修練が不十分なら、何かの素養で日本一、世界一級に秀でる者だろうとも、
全ての能力が平均以下であるような人間にすら、ある種の成果で劣るようなことになる。
全てにかけて最善を尽くしておこうとしないオナメンなら、だれでも陥る落とし穴なのである。
体力もありながら、適当な材木を注意して選び取る知恵には欠けていた。
心技体でいえば心の修練が不十分だったが故の失敗。
実際の俺がどうかはともかくとして、夢の中の俺は少なくともそうだった。
弓や吹矢筒も用意されていたことだし、その辺の修練まで十分なら、
非力で手先も弱っている93歳のおばあさんだろうとも成功させられそうなのもわかる。
たとえば野球の大谷でも、矢を削り出す技能不足や木材選びの失敗のせいでできないかも知れないし、
将棋の藤井でも、同様な理由か、矢を的に撃ち付ける技量や力不足のせいでできないかもしれない。
心技体全方向への修練が不十分なら、何かの素養で日本一、世界一級に秀でる者だろうとも、
全ての能力が平均以下であるような人間にすら、ある種の成果で劣るようなことになる。
全てにかけて最善を尽くしておこうとしないオナメンなら、だれでも陥る落とし穴なのである。
セブン&アイHD、そごう・西武を8500万円でファンドに売却
https://mainichi.jp/articles/20230901/k00/00m/020/...
あの、池袋を東西に分かつ巨大な壁が8500万ポッキリかよと思いきや、
負債額が2200億円もあった上での、タダ同然での買い叩きだとな。
ヨドバシHD、西武池袋店などの土地取得 3000億円弱で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC3188E0R30C23A8...
しかもそこからまたヨドバシに渡る。ただし土地だけが。
従業員や建物はいらないが、自分たちで処分すると印象が悪くなるから、
アメリカのファンドに済ませてもらった上で買い取る。800億円もかけて。
建物の処分費用もそれなりにかかるにしても、不景気時代の小売の覇者となった
ヨドバシが、数百億円かけてでも厄介払いしたかったのが、バブル時代の奢侈の
ノリに味を占めたままでいる、昔ながらの百貨店の従業員どもなのだとさ。
人材難の時代でもあるのに、それでもいないほうがマシ扱いされるほどの老害人種。
うちの近くの百貨店の従業員なんかも、若手の新入りをいびって辞めさせるような
真似に及んでるというし、もはや世を挙げての「はよ死ね」扱いの太鼓判を捺されている。
今までの仕事のスキルが活かせないどころか、むしろ心機一転を妨げる足枷になる。
これも、ごく一部の分野にだけ秀でて、他を全くの蔑ろにしているような
オナメンばかりを人間の標準として厚遇して来た弊害なのである。
https://mainichi.jp/articles/20230901/k00/00m/020/...
あの、池袋を東西に分かつ巨大な壁が8500万ポッキリかよと思いきや、
負債額が2200億円もあった上での、タダ同然での買い叩きだとな。
ヨドバシHD、西武池袋店などの土地取得 3000億円弱で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC3188E0R30C23A8...
しかもそこからまたヨドバシに渡る。ただし土地だけが。
従業員や建物はいらないが、自分たちで処分すると印象が悪くなるから、
アメリカのファンドに済ませてもらった上で買い取る。800億円もかけて。
建物の処分費用もそれなりにかかるにしても、不景気時代の小売の覇者となった
ヨドバシが、数百億円かけてでも厄介払いしたかったのが、バブル時代の奢侈の
ノリに味を占めたままでいる、昔ながらの百貨店の従業員どもなのだとさ。
人材難の時代でもあるのに、それでもいないほうがマシ扱いされるほどの老害人種。
うちの近くの百貨店の従業員なんかも、若手の新入りをいびって辞めさせるような
真似に及んでるというし、もはや世を挙げての「はよ死ね」扱いの太鼓判を捺されている。
今までの仕事のスキルが活かせないどころか、むしろ心機一転を妨げる足枷になる。
これも、ごく一部の分野にだけ秀でて、他を全くの蔑ろにしているような
オナメンばかりを人間の標準として厚遇して来た弊害なのである。
その壁が、際限なく負債を膨れ上がらせる害悪の元凶とならないためには、
今度は都心の超一等地などではなく、田舎の僻地にでも壁を作るのでなければならない。
俺が昔行きつけてたオーディオ専門店なども、元は中心街の一等地で長年経営してたのが、
今さら誰も据え置きオーディオなんかに凝らないことによる経営不振で、
災害の危険のために地価が駄々下がりな遠方の僻地へと引っ越して行ったもの。
栄枯盛衰は必ずしも衰退側の即死を招くものではないが、時勢を無視してまでの、
無理な虚栄の延命を試みた者ほど、平氏のごとき末路の悲惨さに見舞われることともなる。
「滅びの美学」は元来、隠遁出家のような穏健な転身を補強する理念だったものが、
戦前末期の特効玉砕などによって、速やかな狂死の正当化材料だなどと思いこまれることが
頻繁化し、戦後世代の敬遠による老害化を開き直る口実にまでされて来たきらいがあるが。
そうではなくむしろ、惨死の類いを避けるためのリスクコントロールの一環として、
滅びの美学を取り入れ直すことが、これからの日本人にもあって然るべきだろう。
今度は都心の超一等地などではなく、田舎の僻地にでも壁を作るのでなければならない。
俺が昔行きつけてたオーディオ専門店なども、元は中心街の一等地で長年経営してたのが、
今さら誰も据え置きオーディオなんかに凝らないことによる経営不振で、
災害の危険のために地価が駄々下がりな遠方の僻地へと引っ越して行ったもの。
栄枯盛衰は必ずしも衰退側の即死を招くものではないが、時勢を無視してまでの、
無理な虚栄の延命を試みた者ほど、平氏のごとき末路の悲惨さに見舞われることともなる。
「滅びの美学」は元来、隠遁出家のような穏健な転身を補強する理念だったものが、
戦前末期の特効玉砕などによって、速やかな狂死の正当化材料だなどと思いこまれることが
頻繁化し、戦後世代の敬遠による老害化を開き直る口実にまでされて来たきらいがあるが。
そうではなくむしろ、惨死の類いを避けるためのリスクコントロールの一環として、
滅びの美学を取り入れ直すことが、これからの日本人にもあって然るべきだろう。
相変わらず連日での、大メディアによる大谷藤井のゴリ押しなども、世の中が
戦争や元首相暗殺や、権力中枢でのカルト支配や世界史上最悪規模の性加害の発覚
のような、地獄の釜の蓋が開いた状態にもかかわらずの不謹慎さであることから、
いよいよ「大谷ハラスメント」なんて言葉までもが流行語になりつつあるわけだが。
どんな状況でもふざけてしかいられないようなパーフェクトオナニーメンタルが、これ以上
都心の権力中枢などに巣食っていられる余地はないとして、仮にその事後処理に臨むとする。
野球も全面禁止までは行かずとも、最高でもBSや有料放送での放映に止めるようにさせて、
今までのような富豪経営が立ち行かなくなった球団なども、スタジアムも売り払って、
今の二軍のキャンプ地あたりが一軍に至るまでの本拠地となるように至らしめる。
古流武術なんかは、今でもそれ並み以下の扱いを受け続けているわけで、
ただの球遊びへの待遇としてはまだ厚遇に過ぎるといっても過言ではないのだが、
それでも今までのふざけた寵偶加減に味を占めて来た野球関係者などの中には、
相対的な冷遇に不満を抱いて文句を言うような者が現れるかもしれない。
戦争や元首相暗殺や、権力中枢でのカルト支配や世界史上最悪規模の性加害の発覚
のような、地獄の釜の蓋が開いた状態にもかかわらずの不謹慎さであることから、
いよいよ「大谷ハラスメント」なんて言葉までもが流行語になりつつあるわけだが。
どんな状況でもふざけてしかいられないようなパーフェクトオナニーメンタルが、これ以上
都心の権力中枢などに巣食っていられる余地はないとして、仮にその事後処理に臨むとする。
野球も全面禁止までは行かずとも、最高でもBSや有料放送での放映に止めるようにさせて、
今までのような富豪経営が立ち行かなくなった球団なども、スタジアムも売り払って、
今の二軍のキャンプ地あたりが一軍に至るまでの本拠地となるように至らしめる。
古流武術なんかは、今でもそれ並み以下の扱いを受け続けているわけで、
ただの球遊びへの待遇としてはまだ厚遇に過ぎるといっても過言ではないのだが、
それでも今までのふざけた寵偶加減に味を占めて来た野球関係者などの中には、
相対的な冷遇に不満を抱いて文句を言うような者が現れるかもしれない。
マスコミ本体ともなればより深刻で、虚栄心を満たす余地を絶たれた鬱憤から、
各種の非合法活動にまで手を染め始めかねず、一度は権力中枢で天下を握った
経験を活かしての、半グレや暴力団も顔負けな大反社会勢力にまでなりかねない。
頭がパーフェクトオナメンと化してしまった後遺症たるや、麻薬中毒などと比べても
全く遜色がない域の深刻さだからこそ、遠い将来に至るまでの禍根ともなりかねない。
そこに十全なケアを施して行くのもまた、革命後の徳治者の責務ではあるにしても、
あまりにも度し難い連中の、大坂の陣のような動乱による討伐までもが時には必要と
なりかねない覚悟までもがあって然るべきであるからには、一度でもその域の腐敗を
来してしまった世の中の統治が、全く武威に依らずに済むこともないとわきまえるべきなのである。
各種の非合法活動にまで手を染め始めかねず、一度は権力中枢で天下を握った
経験を活かしての、半グレや暴力団も顔負けな大反社会勢力にまでなりかねない。
頭がパーフェクトオナメンと化してしまった後遺症たるや、麻薬中毒などと比べても
全く遜色がない域の深刻さだからこそ、遠い将来に至るまでの禍根ともなりかねない。
そこに十全なケアを施して行くのもまた、革命後の徳治者の責務ではあるにしても、
あまりにも度し難い連中の、大坂の陣のような動乱による討伐までもが時には必要と
なりかねない覚悟までもがあって然るべきであるからには、一度でもその域の腐敗を
来してしまった世の中の統治が、全く武威に依らずに済むこともないとわきまえるべきなのである。
いやだって、親に甘やかされて育てられて来たせいで云々と、
親が子を愛することこそは罪悪みたいに散々言い連ねて来たのがおまえらだろ?
親が子を愛することこそは罪悪みたいに散々言い連ねて来たのがおまえらだろ?
親族にろくに愛されることもなく、
さっさと家を出て世知辛い世の中にも順応して行った
独立者ほど偉大扱いされる時代の落ちこぼれですはい。^^
誰もかれもが独り立ちにこだわるあまり、
日本中が単世帯住宅で溢れかえって、
中心街どころか住宅街までヒートアイランド化まっしぐらな、
そんな時代のこどおじ落ちこぼれですはい。^^
さっさと家を出て世知辛い世の中にも順応して行った
独立者ほど偉大扱いされる時代の落ちこぼれですはい。^^
誰もかれもが独り立ちにこだわるあまり、
日本中が単世帯住宅で溢れかえって、
中心街どころか住宅街までヒートアイランド化まっしぐらな、
そんな時代のこどおじ落ちこぼれですはい。^^
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まじめに生きちゃ 馬鹿を見る
ほんじゃまか ほんじゃまか
真面目になんかやってられるか、バカヤロー解散
という所から始まり、今もそれが主流である時代。
40代以下の次世代が総員でまともにやっていけないほどの貧窮に
追い込まれようとも「お粗末様!」の一言で済ませられるぐらいの素地が元からある。
いつの時代にも真面目もあれば不真面目もあろうとて、
どちらがより優勢かぐらいの偏りは特殊なものとしてあり、
今や大正期のように不真面目ばかりを優遇し過ぎている時代や、
戦前末期のようにそこからの反発で下手糞な糞真面目の一辺倒と化した時代は
そう長く続くこともなく、なんらかの形での大破綻を来すのが常となっている。
織豊のような奢侈は総員で禁じながらも、宴会でのドジョウ掬い踊りを面白がるような
余裕もあったという徳川が君臨した時代こそは、持続可能な社会の模範をも築いたように、
真面目も不真面目もどちらもあれど、総体としては真面目のほうが若干以上に優る
といった程度の均衡を守れる者こそは、最大級の安定を確立するものであるが。
それは、今みたいなふざけ切った時代の人間にとっては、戦前の軍国時代のような
糞真面目一辺倒へと振りきれるよりも大いなる難儀となるのに違いなく、
全くの自力ではまず不可能であるのに違いない。特に権力中枢は総入れ替え
ぐらい敢行するのでなければ、不埒な時流にわずかな修正をかけるめども立たない。
まじめに生きちゃ 馬鹿を見る
ほんじゃまか ほんじゃまか
真面目になんかやってられるか、バカヤロー解散
という所から始まり、今もそれが主流である時代。
40代以下の次世代が総員でまともにやっていけないほどの貧窮に
追い込まれようとも「お粗末様!」の一言で済ませられるぐらいの素地が元からある。
いつの時代にも真面目もあれば不真面目もあろうとて、
どちらがより優勢かぐらいの偏りは特殊なものとしてあり、
今や大正期のように不真面目ばかりを優遇し過ぎている時代や、
戦前末期のようにそこからの反発で下手糞な糞真面目の一辺倒と化した時代は
そう長く続くこともなく、なんらかの形での大破綻を来すのが常となっている。
織豊のような奢侈は総員で禁じながらも、宴会でのドジョウ掬い踊りを面白がるような
余裕もあったという徳川が君臨した時代こそは、持続可能な社会の模範をも築いたように、
真面目も不真面目もどちらもあれど、総体としては真面目のほうが若干以上に優る
といった程度の均衡を守れる者こそは、最大級の安定を確立するものであるが。
それは、今みたいなふざけ切った時代の人間にとっては、戦前の軍国時代のような
糞真面目一辺倒へと振りきれるよりも大いなる難儀となるのに違いなく、
全くの自力ではまず不可能であるのに違いない。特に権力中枢は総入れ替え
ぐらい敢行するのでなければ、不埒な時流にわずかな修正をかけるめども立たない。
https://bbs0.meiwasuisan.com/toriaezu/1693742371/1...
>数百年前どころか、数十年前までその辺で頻繁に銃撃戦が起きては死人が出てたわけだが。
>しかもそれが徹底的に取り締まられた途端に、政府のカルト支配が確立されたんだぜ。
>日本史も世界史も、少なくともここ800年は武断なくして国も成り立たない情勢が続いてる。
>麻呂眉で和歌詠んでたら国が治まってた時代よりは、武家時代のほうが今とも似通ってるんだよ。
なぜ武断なくして国も成り立たないのかというと、
それだけ根底の所に度し難い不真面目さがくすぶり続けている時勢だからでもある。
統一の韓鶴は、家庭崩壊や家族の自殺まで来しながら信者が捧げた献金を元手に
ラスベガスで豪遊していたという。いざ武断を権力機構から完全排除した途端に、
(暴力団の政権との癒着なども、最低劣の部類ではあるにしろその条件を満たしてた)
それほどにもふざけきったゴミクズの専横が始まるのがデフォなのが現状であるが故にこそ、
いざとなれば討入切腹も辞さないぐらいの姿勢が、今のような時代にまで不可欠なのである。
>数百年前どころか、数十年前までその辺で頻繁に銃撃戦が起きては死人が出てたわけだが。
>しかもそれが徹底的に取り締まられた途端に、政府のカルト支配が確立されたんだぜ。
>日本史も世界史も、少なくともここ800年は武断なくして国も成り立たない情勢が続いてる。
>麻呂眉で和歌詠んでたら国が治まってた時代よりは、武家時代のほうが今とも似通ってるんだよ。
なぜ武断なくして国も成り立たないのかというと、
それだけ根底の所に度し難い不真面目さがくすぶり続けている時勢だからでもある。
統一の韓鶴は、家庭崩壊や家族の自殺まで来しながら信者が捧げた献金を元手に
ラスベガスで豪遊していたという。いざ武断を権力機構から完全排除した途端に、
(暴力団の政権との癒着なども、最低劣の部類ではあるにしろその条件を満たしてた)
それほどにもふざけきったゴミクズの専横が始まるのがデフォなのが現状であるが故にこそ、
いざとなれば討入切腹も辞さないぐらいの姿勢が、今のような時代にまで不可欠なのである。
暴力団は戦後、不逞鮮人から邦人の権益を守るための防波堤として強大化したが、
日本が経済大国として復興するに連れてその役割も形骸化し、朝魚羊人の組員なども
増加したことで、かえって国益を害するならず者集団へと成り代わってしまったがめに、
もはや存在を黙認しておいてやる必要もなくなったというのが、暴対法が強化されて、
893が完膚なきまでに無力化され始めて以降に囁かれて来た通用的な俗説であった。
しかし残念、世の中は国内外を問わず、武断なくして国一つ成り立たない濁流のただ中に
あり続けているがために、表向きは暴力団の抗争はおろか、暴力事件全般が最少限にまで
抑え込まれているここ数十年の日本においても、スパイ工作による日本社会への侵害などが
より激化し、暴力はびこる昭和期以上に亡国の危機を直近へと寄せ付ける狂態となったのだった。
暴力団自体は、政府がパンパンを募るほどの屈辱に見舞われた暗黒の時代ならではの
急場しのぎな抵抗者に過ぎなかったわけで、決してそのような日陰暮らしの人員などに国の
命運を任せるような時代に立ち戻るべきだなどということはない。最低でも軍人、なるべくなら
武士なみに文武両道の最善を尽くした公正な職務の担当者こそが、この世における武断を
司って行くことで初めて、真面目が不真面目を総量で上回ることによる安定も確保される。
前言の通り、軍国化による武断一辺倒などもやり過ぎになるので避けるべきではあるのだが。
日本が経済大国として復興するに連れてその役割も形骸化し、朝魚羊人の組員なども
増加したことで、かえって国益を害するならず者集団へと成り代わってしまったがめに、
もはや存在を黙認しておいてやる必要もなくなったというのが、暴対法が強化されて、
893が完膚なきまでに無力化され始めて以降に囁かれて来た通用的な俗説であった。
しかし残念、世の中は国内外を問わず、武断なくして国一つ成り立たない濁流のただ中に
あり続けているがために、表向きは暴力団の抗争はおろか、暴力事件全般が最少限にまで
抑え込まれているここ数十年の日本においても、スパイ工作による日本社会への侵害などが
より激化し、暴力はびこる昭和期以上に亡国の危機を直近へと寄せ付ける狂態となったのだった。
暴力団自体は、政府がパンパンを募るほどの屈辱に見舞われた暗黒の時代ならではの
急場しのぎな抵抗者に過ぎなかったわけで、決してそのような日陰暮らしの人員などに国の
命運を任せるような時代に立ち戻るべきだなどということはない。最低でも軍人、なるべくなら
武士なみに文武両道の最善を尽くした公正な職務の担当者こそが、この世における武断を
司って行くことで初めて、真面目が不真面目を総量で上回ることによる安定も確保される。
前言の通り、軍国化による武断一辺倒などもやり過ぎになるので避けるべきではあるのだが。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_202309042049...
一昨日やってた「映像の世紀」で、100年前に起きた関東大震災の経験で得た防災対策を、
当時の政府は空襲対策にも応用しようとして、数多の死傷者を出したという話をやってたが。
天災への対策が人災、戦災にもそのまま活かせるわけがないだろうと、
シラフのツッコミを入れた新聞記者も辞職に追い込まれて、記事を掲載した新聞も謝罪したと。
狂乱を帯びた同調圧力で、船頭多くして船山に上る悪癖がこんな所にもあったのだなと知れる。
そこからわかるのは、戦前の日本人もやはり、本質的にふざけきっていたということ。
軍国化による糞真面目への一本化などもそこからの一つ覚えな反動でしかないために、
兵站や情報戦まで重んじるような知恵を欠く猪武者加減からの敗亡に見舞われたのである。
一昨日やってた「映像の世紀」で、100年前に起きた関東大震災の経験で得た防災対策を、
当時の政府は空襲対策にも応用しようとして、数多の死傷者を出したという話をやってたが。
天災への対策が人災、戦災にもそのまま活かせるわけがないだろうと、
シラフのツッコミを入れた新聞記者も辞職に追い込まれて、記事を掲載した新聞も謝罪したと。
狂乱を帯びた同調圧力で、船頭多くして船山に上る悪癖がこんな所にもあったのだなと知れる。
そこからわかるのは、戦前の日本人もやはり、本質的にふざけきっていたということ。
軍国化による糞真面目への一本化などもそこからの一つ覚えな反動でしかないために、
兵站や情報戦まで重んじるような知恵を欠く猪武者加減からの敗亡に見舞われたのである。
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「天のなせる災いはなお避くべし。自らのなせる災いは逃るべからず」(書経・太甲中)
のごとき穏健な分別こそが、さような過ちを繰り返さないための根幹ともなるだろうが。
現代人でこの句を含む四書五経の文言を読み解いて、退屈がらずに済む者もそうはおるまい。
各種のエンタメ作品はおろか、洋学の学術書ほどにも概念論的な華々しさを持ち合わせては
いないその真面目一徹な記述に嫌気がさして、多くの場合は勉強を放り投げてしまうだろう。
だからこそ、知識の蓄積以前にまず、精神面からの大真面目さの修養が必要ともなる。
それなくして表面だけ真面目ぶるのが外骨格の虫だとすれば、内面からの大真面目さを得るのは
内骨格の脊椎動物たるようなもので、それこそが脊椎動物の自然界における雄大化と同じように、
人としての雄大さの糧ともなるもので、そこへの憧れこそを勉励の気概ともすべきだといえる。
「天のなせる災いはなお避くべし。自らのなせる災いは逃るべからず」(書経・太甲中)
のごとき穏健な分別こそが、さような過ちを繰り返さないための根幹ともなるだろうが。
現代人でこの句を含む四書五経の文言を読み解いて、退屈がらずに済む者もそうはおるまい。
各種のエンタメ作品はおろか、洋学の学術書ほどにも概念論的な華々しさを持ち合わせては
いないその真面目一徹な記述に嫌気がさして、多くの場合は勉強を放り投げてしまうだろう。
だからこそ、知識の蓄積以前にまず、精神面からの大真面目さの修養が必要ともなる。
それなくして表面だけ真面目ぶるのが外骨格の虫だとすれば、内面からの大真面目さを得るのは
内骨格の脊椎動物たるようなもので、それこそが脊椎動物の自然界における雄大化と同じように、
人としての雄大さの糧ともなるもので、そこへの憧れこそを勉励の気概ともすべきだといえる。
渋沢栄一は、関東大震災を「天罰」と呼んで人々への反省を促したというが、
これは当たらずと雖も遠からずといった指摘だったらしい。
震災の直前まで、日本は第一次大戦の軍需によるバブル景気となり、
多くの成金が酒池肉林の奢侈にふけるような真似に及んでいたという。
それが東京全体の防災意識の低下をも招いていたらしいのは、
この風刺画が火の用心を怠っている最たる事例となっていることからも
察せられるもので、実際に関東大震災は地震そのものではなく、
その後に発生した火災による犠牲者が大半を占めることとなったのだった。
幕末に起きた安政の大地震による江戸の死者が多く数えても1万人程度なのに対し、
関東大震災では10万人もの死者をたたき出したのは、明暦の大火以降、
火の用心への心がけを続けていた江戸期の人々以上に、大正期の日本人が
その手の注意を怠る不真面目状態でいたからでこそあるのではないか。
関東大震災の極端な犠牲者の多さ自体、純粋な天災のみによるものではなく、
人々のオナメン化による自業自得の人災という側面もまた大いにあった。
その両方を総合して「天罰」というのも、全くの誤りとまでは言い難いわけである。
これは当たらずと雖も遠からずといった指摘だったらしい。
震災の直前まで、日本は第一次大戦の軍需によるバブル景気となり、
多くの成金が酒池肉林の奢侈にふけるような真似に及んでいたという。
それが東京全体の防災意識の低下をも招いていたらしいのは、
この風刺画が火の用心を怠っている最たる事例となっていることからも
察せられるもので、実際に関東大震災は地震そのものではなく、
その後に発生した火災による犠牲者が大半を占めることとなったのだった。
幕末に起きた安政の大地震による江戸の死者が多く数えても1万人程度なのに対し、
関東大震災では10万人もの死者をたたき出したのは、明暦の大火以降、
火の用心への心がけを続けていた江戸期の人々以上に、大正期の日本人が
その手の注意を怠る不真面目状態でいたからでこそあるのではないか。
関東大震災の極端な犠牲者の多さ自体、純粋な天災のみによるものではなく、
人々のオナメン化による自業自得の人災という側面もまた大いにあった。
その両方を総合して「天罰」というのも、全くの誤りとまでは言い難いわけである。
しかし、天災でも人災でもあったという多重性を無視して、
渋沢の言葉などを頼りに、何もかもが人力でどうにかなるなどと思い込み、
バケツリレー一つで東京大空襲の業火まで消し止めようとして、
また多大なる犠牲者をはじき出したのが戦前日本の有様でもあった。
第一次大戦後の好景気による奢侈だけでなく、関東大震災後の糞真面目さもまた、
天災と人災と戦災の分別も付かないほどの不真面目さを帯びていたがために、
うまくやれば抑えられるような被害まで招くような過ちを繰り返したのだった。
体裁が軟派だろうが硬派だろうが、眉間ユルユルで垂れ眉だろうが釣り眉だろうが、
物事の分別もまともに付かないオナメンのままでは、似たような過ちを繰り返すのみとなる。
渋沢栄一や、バケツリレーによる焼夷弾消火に疑義を呈していた新聞記者の苦言もまた、
人々を正しい方向に導くどころか、誤解や反発による過ちの助長にまで与した。
正気の大真面目に近い心境の持ち主が少数いて、言葉で注意した程度ではどうにもならない、
集団ヒステリーの妄動もまたあるからには、実力行使での統制すら時になくては済まぬ。
それがまた226事件のような過ちの極めつけともなりかねないのが濁世の常だし、
撥乱反正の時節は人事と天命、どちらの最善を欠こうとも招かれ得ぬ所があるのである。
渋沢の言葉などを頼りに、何もかもが人力でどうにかなるなどと思い込み、
バケツリレー一つで東京大空襲の業火まで消し止めようとして、
また多大なる犠牲者をはじき出したのが戦前日本の有様でもあった。
第一次大戦後の好景気による奢侈だけでなく、関東大震災後の糞真面目さもまた、
天災と人災と戦災の分別も付かないほどの不真面目さを帯びていたがために、
うまくやれば抑えられるような被害まで招くような過ちを繰り返したのだった。
体裁が軟派だろうが硬派だろうが、眉間ユルユルで垂れ眉だろうが釣り眉だろうが、
物事の分別もまともに付かないオナメンのままでは、似たような過ちを繰り返すのみとなる。
渋沢栄一や、バケツリレーによる焼夷弾消火に疑義を呈していた新聞記者の苦言もまた、
人々を正しい方向に導くどころか、誤解や反発による過ちの助長にまで与した。
正気の大真面目に近い心境の持ち主が少数いて、言葉で注意した程度ではどうにもならない、
集団ヒステリーの妄動もまたあるからには、実力行使での統制すら時になくては済まぬ。
それがまた226事件のような過ちの極めつけともなりかねないのが濁世の常だし、
撥乱反正の時節は人事と天命、どちらの最善を欠こうとも招かれ得ぬ所があるのである。
オナメンがオナメンのまま真面目ぶって、
近ごろのデーブスペクターみたいな眉間ユルユルの釣り眉になってみた所で、
過ちの上塗りのペースからは免れ得ないままに終わる、現代の実例を挙げてみればーー
近ごろの、子や孫のいる年寄りが、終活などに際してよく口にしてるのが、
「我が子に迷惑をかけない」というテーゼだけれども。
そのためにやってるのが何かといえば、
赤の他人に下の世話を頼むための介護契約の充実だったり、
要介護にならないための病院通いだったり、健康食品の買い込みだったり。
それは、我が子に下の世話を頼むようなある種の屈辱を回避するための手段には
なっているが、自身にとっても国にとっても多額の費用がかさむ手段でも
あるがために、老人側がいつまでも国富の大半を占有し続けて若手に権益を回さず、
経済的な圧迫で貧窮に追い込み続ける大迷惑行為の一環ともなっているのである。
近ごろのデーブスペクターみたいな眉間ユルユルの釣り眉になってみた所で、
過ちの上塗りのペースからは免れ得ないままに終わる、現代の実例を挙げてみればーー
近ごろの、子や孫のいる年寄りが、終活などに際してよく口にしてるのが、
「我が子に迷惑をかけない」というテーゼだけれども。
そのためにやってるのが何かといえば、
赤の他人に下の世話を頼むための介護契約の充実だったり、
要介護にならないための病院通いだったり、健康食品の買い込みだったり。
それは、我が子に下の世話を頼むようなある種の屈辱を回避するための手段には
なっているが、自身にとっても国にとっても多額の費用がかさむ手段でも
あるがために、老人側がいつまでも国富の大半を占有し続けて若手に権益を回さず、
経済的な圧迫で貧窮に追い込み続ける大迷惑行為の一環ともなっているのである。
本当に我が子に迷惑をかけたくないのだったら、そんな手段の元手となるような
貯金なども放棄するか我が子に相続させて、それでもできるような細々とした
暮らしにだけ勤しみ、重病や要介護になろうものなら速やかにこの世を去るべきである。
それができなくて、我が子に介護を頼むようなことになったとしても、
上記のような手段での延命を試みたりするよりは、まだ迷惑ではないことになる。
大真面目にすべての因果関係まで考え抜けば自明に知れることだけれども、
眉間ユルユルのオナニーメンタルのままで長年やって来た年寄りなどが、
急に眉尻を吊り上げて真面目ぶってみても、そんな所まで洞察が及ぶことはなく、
せいぜい「子供に下の世話をさせる」程度が典型的な迷惑だとみて取って、
それだけは避けようとするような上っ面だけの対策に走ろうとするのである。
それは結局、「見栄を張る」という行為へとすべての試みが集約されてもいるわけで、
考えが浅くて本性から不真面目な人間ほど見栄っ張りとなる実証例にもなっているといえる。
つまり、見栄っ張りが多い世の中ほど、その手の人種が多い状態だとも知れるのである。
貯金なども放棄するか我が子に相続させて、それでもできるような細々とした
暮らしにだけ勤しみ、重病や要介護になろうものなら速やかにこの世を去るべきである。
それができなくて、我が子に介護を頼むようなことになったとしても、
上記のような手段での延命を試みたりするよりは、まだ迷惑ではないことになる。
大真面目にすべての因果関係まで考え抜けば自明に知れることだけれども、
眉間ユルユルのオナニーメンタルのままで長年やって来た年寄りなどが、
急に眉尻を吊り上げて真面目ぶってみても、そんな所まで洞察が及ぶことはなく、
せいぜい「子供に下の世話をさせる」程度が典型的な迷惑だとみて取って、
それだけは避けようとするような上っ面だけの対策に走ろうとするのである。
それは結局、「見栄を張る」という行為へとすべての試みが集約されてもいるわけで、
考えが浅くて本性から不真面目な人間ほど見栄っ張りとなる実証例にもなっているといえる。
つまり、見栄っ張りが多い世の中ほど、その手の人種が多い状態だとも知れるのである。
画像を貼り間違えたが、
>>462で書いた「この風刺画」ってのは、これのことな。
関東大震災の大火の火元になった浅草界隈は、今は下町扱いだけど、
大正期までは東京一の中心地だったことが、近ごろだと「鬼滅の刃」などでも描かれてた通り。
当時あの辺に住んでた富裕層は軒並み、山手などに引っ越したせいで下町化した。
保身意識だけは人一倍高めだし、どうせ同じような過ちが繰り返されるのを
本能的には察知してたんだろうな。そして空襲バケツリレーの割を食わされた庶民たち。
この世の人災の一番の元凶こそは、人脈としての純度を高めながら生き延びて、
最後の最後に世の中からつまみ出されることで、それが撥乱反正の時ともなるのだ。
>>462で書いた「この風刺画」ってのは、これのことな。
関東大震災の大火の火元になった浅草界隈は、今は下町扱いだけど、
大正期までは東京一の中心地だったことが、近ごろだと「鬼滅の刃」などでも描かれてた通り。
当時あの辺に住んでた富裕層は軒並み、山手などに引っ越したせいで下町化した。
保身意識だけは人一倍高めだし、どうせ同じような過ちが繰り返されるのを
本能的には察知してたんだろうな。そして空襲バケツリレーの割を食わされた庶民たち。
この世の人災の一番の元凶こそは、人脈としての純度を高めながら生き延びて、
最後の最後に世の中からつまみ出されることで、それが撥乱反正の時ともなるのだ。
またさっき、嫌な夢を見よってん。
>>450で書いた中心街のオーディオ専門店の跡地に、
こんな感じのゲイクラブが建ってて、近寄っただけでも
ゲイらしき連中に襲われかねない危険地帯と化してるという夢。
実際には、本物の跡地には中古車屋ができてる。
ビッグモーターじゃないが、内実はあれとも似たようなもんかもしれん。
秋葉原なんかも、昔はオーディオ専門店が林立してたのが、
今は指折り数える程度の店舗数しかなくなって、
代わりに風俗まがいや風俗そのものなメイドクラブなどが増えている。
インターネッツも学術振興の場だったのは遠い昔、
すでにゲイビデオ男優を持て囃すホモガキなんてものが跋扈し始めても久しい。
不景気の時代、世の中はラインのオンオフを問わず、
下劣な欲望を満たすための、低俗の限りを尽くしたコンテンツばかりへと
何もかもが集約されぬ。ジャニーズやBMだけを断罪したところで、
さような濁流全体に修正を利かすこともまだ能わぬであろう。
>>450で書いた中心街のオーディオ専門店の跡地に、
こんな感じのゲイクラブが建ってて、近寄っただけでも
ゲイらしき連中に襲われかねない危険地帯と化してるという夢。
実際には、本物の跡地には中古車屋ができてる。
ビッグモーターじゃないが、内実はあれとも似たようなもんかもしれん。
秋葉原なんかも、昔はオーディオ専門店が林立してたのが、
今は指折り数える程度の店舗数しかなくなって、
代わりに風俗まがいや風俗そのものなメイドクラブなどが増えている。
インターネッツも学術振興の場だったのは遠い昔、
すでにゲイビデオ男優を持て囃すホモガキなんてものが跋扈し始めても久しい。
不景気の時代、世の中はラインのオンオフを問わず、
下劣な欲望を満たすための、低俗の限りを尽くしたコンテンツばかりへと
何もかもが集約されぬ。ジャニーズやBMだけを断罪したところで、
さような濁流全体に修正を利かすこともまだ能わぬであろう。
(>>466の続き)
「老後、子供に迷惑をかけない」というテーゼ+オナメンの見栄っ張り
こそが、世代間格差を特級に盤石化させて、当該の子供を含む
若手の貧窮をより深刻ならしめる大迷惑の上塗りになっているように、
オナメンの見栄っ張りこそは過ちの積み重ね、火に注ぐ油ともなるのである。
この見栄っ張りに限ってみれば、別にチャラ男が女にモテたいがために
着飾るようなあからさまな不真面目さではなく、本人たち自身としては
大真面目に切実な問題について考え抜いたつもりの所で生じているものである。
それでもやはり見栄っ張りであるのには違いない上に、
迷惑度ではチャラ男の着飾りなんかよりもはるかに上だったりもする。
つまり、不真面目が不真面目を自覚した範囲内での見栄っ張りよりも、
本性オナメンが無理に真面目ぶった所で結果的に呈しているような見栄っ張りのほうが、
より深刻で、世間への迷惑度も格段に上となる場合がある、という法則があるのである。
似た所だと、経団連が我田引水本位な政商風情のクセして、
眉尻を吊り上げながら政府に堂々と文句を言ったりしているのが、
自分たちの卑賎な領分をわきまえての、姑息な商人としての振舞いに徹していた
江戸期の商家などよりも、はるかに社会的な迷惑度が高い、というのなどにも通ずる。
その手の、本性オナメンの見栄っ張りによる大危害は今の時代、枚挙に暇がないのである。
「老後、子供に迷惑をかけない」というテーゼ+オナメンの見栄っ張り
こそが、世代間格差を特級に盤石化させて、当該の子供を含む
若手の貧窮をより深刻ならしめる大迷惑の上塗りになっているように、
オナメンの見栄っ張りこそは過ちの積み重ね、火に注ぐ油ともなるのである。
この見栄っ張りに限ってみれば、別にチャラ男が女にモテたいがために
着飾るようなあからさまな不真面目さではなく、本人たち自身としては
大真面目に切実な問題について考え抜いたつもりの所で生じているものである。
それでもやはり見栄っ張りであるのには違いない上に、
迷惑度ではチャラ男の着飾りなんかよりもはるかに上だったりもする。
つまり、不真面目が不真面目を自覚した範囲内での見栄っ張りよりも、
本性オナメンが無理に真面目ぶった所で結果的に呈しているような見栄っ張りのほうが、
より深刻で、世間への迷惑度も格段に上となる場合がある、という法則があるのである。
似た所だと、経団連が我田引水本位な政商風情のクセして、
眉尻を吊り上げながら政府に堂々と文句を言ったりしているのが、
自分たちの卑賎な領分をわきまえての、姑息な商人としての振舞いに徹していた
江戸期の商家などよりも、はるかに社会的な迷惑度が高い、というのなどにも通ずる。
その手の、本性オナメンの見栄っ張りによる大危害は今の時代、枚挙に暇がないのである。
オナメンが真面目ぶっての見栄っ張りといえば、何と言っても
「一人前の社会人気取り」こそが基本中の基本ともされている。
ちゃんと世の中の一翼を担う責務を果たした上でのそれならともかく、
オナメンの「楽して儲けていい思いがしたい」という欲望が際限なくその形骸化を促し、
まともに社会的責務を負わないのみならず、不当なピンハネのごとき迷惑行為によって
世の中に損害をもたらしながら、一人前の社会人ぶるような真似までもが横行することとなる。
それは、世の中全体でみれば、低生産性の蔓延という形でその影を落とし、
ひどい場合には国家規模のマイナス成長の元凶とまで成り果てた。
たとえば、戦前世代が総員オナメンの団塊世代などを十分な統制下に置いていた
高度成長期の頃までは、その名の通り真面目な勤労が功を奏しての大成長に与れていたが、
団塊が管理職の立場になり始めたバブル崩壊以降は一気にその情勢も逆転して、
真面目な勤労ほど不真面目な経営の食い物にされる非道な搾取関係の蔓延からの、
総体での低成長状態が盤石化してしまったのである。
「一人前の社会人気取り」こそが基本中の基本ともされている。
ちゃんと世の中の一翼を担う責務を果たした上でのそれならともかく、
オナメンの「楽して儲けていい思いがしたい」という欲望が際限なくその形骸化を促し、
まともに社会的責務を負わないのみならず、不当なピンハネのごとき迷惑行為によって
世の中に損害をもたらしながら、一人前の社会人ぶるような真似までもが横行することとなる。
それは、世の中全体でみれば、低生産性の蔓延という形でその影を落とし、
ひどい場合には国家規模のマイナス成長の元凶とまで成り果てた。
たとえば、戦前世代が総員オナメンの団塊世代などを十分な統制下に置いていた
高度成長期の頃までは、その名の通り真面目な勤労が功を奏しての大成長に与れていたが、
団塊が管理職の立場になり始めたバブル崩壊以降は一気にその情勢も逆転して、
真面目な勤労ほど不真面目な経営の食い物にされる非道な搾取関係の蔓延からの、
総体での低成長状態が盤石化してしまったのである。
経験者からすれば、あり得ないことが丸分かりな仮定ではあるにしろ、
もしも団塊世代の人間が、自分たちの無教養さなどを十分に恥じて、
自分よりも年下でいながら教育に恵まれていた世代の人間などもちゃんと立てて、
場合によっては自分たちよりも上の立場に置いてやるなどできたならば、
少なくとも理系の分野まで日本が世界に後れを取るような事態も防げて、
シリコンバレーや深圳に人材から奪われることもなくて済んだろうけれども。
団塊ほど見栄っ張りで、自分こそは一人前以上の社会人気取りで偉ぶりたがって来た
人種も他になく、その性分を懲らすこともなく、上の世代からの統制すらなくなった日には、
もはややりたい放題の限りを尽くす以外に何らの選択肢もなくなったのだった。
その団塊以下の戦後世代もまた、気性の激しさや無教養さが団塊よりは多少マシというだけで、
相変わらず一人前の社会人気取りにだけは躍起であろうとする見栄っ張りばかりであるために、
団塊が徹底破壊した日本社会を今以上に悪くすることはできても、良くできる見込みなどはない。
もしも団塊世代の人間が、自分たちの無教養さなどを十分に恥じて、
自分よりも年下でいながら教育に恵まれていた世代の人間などもちゃんと立てて、
場合によっては自分たちよりも上の立場に置いてやるなどできたならば、
少なくとも理系の分野まで日本が世界に後れを取るような事態も防げて、
シリコンバレーや深圳に人材から奪われることもなくて済んだろうけれども。
団塊ほど見栄っ張りで、自分こそは一人前以上の社会人気取りで偉ぶりたがって来た
人種も他になく、その性分を懲らすこともなく、上の世代からの統制すらなくなった日には、
もはややりたい放題の限りを尽くす以外に何らの選択肢もなくなったのだった。
その団塊以下の戦後世代もまた、気性の激しさや無教養さが団塊よりは多少マシというだけで、
相変わらず一人前の社会人気取りにだけは躍起であろうとする見栄っ張りばかりであるために、
団塊が徹底破壊した日本社会を今以上に悪くすることはできても、良くできる見込みなどはない。
まずは、自制も不能なレベルのオナメンであること、そこからの演技止まりな真面目ぶりで、
一人前の社会人気取りなんかに見栄を追及したりすることを解消して行くのでなければならない。
それは確かに団塊あたりが特にひどく見えた傾向ではあるが、下の世代も全く同等で、
気性の穏やかさや座学の知識の豊富さなどでそれが抑えられたなんてことも全くなく、
ただそのせいであからさまに醜く見えてしまう事態をなるべく避けるようになっただけである。
なればこそ、団塊がすでにほとんど社会の一線から退いた現代においても、
匿名ネットなどでは無職ニートや低年収などをこき下ろすような発言が多々見られる。
表向きそういう発言をひけらかすのは団塊的な粗暴さにつながるので避けてるにしろ、
内面では同様な見栄っ張り意識をくすぶらせているから、そうなってしまうのである。
一人前の社会人気取りなんかに見栄を追及したりすることを解消して行くのでなければならない。
それは確かに団塊あたりが特にひどく見えた傾向ではあるが、下の世代も全く同等で、
気性の穏やかさや座学の知識の豊富さなどでそれが抑えられたなんてことも全くなく、
ただそのせいであからさまに醜く見えてしまう事態をなるべく避けるようになっただけである。
なればこそ、団塊がすでにほとんど社会の一線から退いた現代においても、
匿名ネットなどでは無職ニートや低年収などをこき下ろすような発言が多々見られる。
表向きそういう発言をひけらかすのは団塊的な粗暴さにつながるので避けてるにしろ、
内面では同様な見栄っ張り意識をくすぶらせているから、そうなってしまうのである。
オナメンは日本刀だけでなく、軍事全般にもアレルギー的な拒絶感を催して、
所かまわず左翼老人のように卒倒し始めるというのも、
遠吠えスレでのやり取りで判明しているが。
実際、オナメンなみの不真面目さで軍事などに携わろうものなら、
兵士としてはあっという間に命を落とし、将校としては虫けらのように兵士たちを
惨死に追いやるような真似しかできないのだから、嫌悪を催すのも仕方のない所があろう。
なおかつ、今のウクライナ戦争や、少し前のイラク戦争のように、
ブッシュjr.やプーチンのごとき暴君が引き起こす不義の戦争ばかりを目の当たりに
して来ている昨今において、軍事全般を忌み事とすることにさほどの問題性も感じなく
なるのも仕方のない所ではあるのだが、だからといって他国からの侵略の危険にまで
気を配ることなく、全くの無防備でいようとすることがいかにお花畑じみてて
有害であるのかもまた、左翼老人の横暴などから知れていることのはずである。
不義の戦争などには当然手を出すことなく、防衛などの義戦に限っての注意を
怠らないという道義的な誓いもまたあった上で、そこで切実な業務に専念できるだけの
真面目さを養っておくのでなければ、むしろ不義の侵略戦争を間接的に助長する
戦犯にすらなりかねないことをわきまえて、左翼老人のようにならないのはもちろんのこと、
連中並みに軍事全般へのアレルギーを催してしまうようなオナメンであることも避けねばならぬ。
所かまわず左翼老人のように卒倒し始めるというのも、
遠吠えスレでのやり取りで判明しているが。
実際、オナメンなみの不真面目さで軍事などに携わろうものなら、
兵士としてはあっという間に命を落とし、将校としては虫けらのように兵士たちを
惨死に追いやるような真似しかできないのだから、嫌悪を催すのも仕方のない所があろう。
なおかつ、今のウクライナ戦争や、少し前のイラク戦争のように、
ブッシュjr.やプーチンのごとき暴君が引き起こす不義の戦争ばかりを目の当たりに
して来ている昨今において、軍事全般を忌み事とすることにさほどの問題性も感じなく
なるのも仕方のない所ではあるのだが、だからといって他国からの侵略の危険にまで
気を配ることなく、全くの無防備でいようとすることがいかにお花畑じみてて
有害であるのかもまた、左翼老人の横暴などから知れていることのはずである。
不義の戦争などには当然手を出すことなく、防衛などの義戦に限っての注意を
怠らないという道義的な誓いもまたあった上で、そこで切実な業務に専念できるだけの
真面目さを養っておくのでなければ、むしろ不義の侵略戦争を間接的に助長する
戦犯にすらなりかねないことをわきまえて、左翼老人のようにならないのはもちろんのこと、
連中並みに軍事全般へのアレルギーを催してしまうようなオナメンであることも避けねばならぬ。
思想が右か左かなどに関わらず、軍事を真面目に考えることもできないほど
オナニーメンタルが深刻な人間ばかりで国が占められると、
戦闘行為に派生するまでもなく、軍事レベルのスパイ工作などに
国が蝕まれて持続不能な窮地に追い込まれるというのも、
すでに今の日本が最大級の体現によって証明しているところである。
まず以て、オナメンは何もかもの考えが浅い。
物事を深く考え抜くという行為自体が、面目でなければ務まらないために、
オナメンであればあるほどその能力が殺がれて、ボケ老人一歩手前ぐらいの所に
なんとか踏みとどまることで、社会人としての見栄を保つのが関の山となる。
そのような人間には、諜報級の情報処理というものもまた、
自力(ヒューミント)か機械頼み(シギント)かなどを問わず不可能となってしまい、
その手の能力を国ぐるみで体系的に養っているような相手には、
完全に手玉に取られてのカモネギと化してしまうのが実情なのである。
オナニーメンタルが深刻な人間ばかりで国が占められると、
戦闘行為に派生するまでもなく、軍事レベルのスパイ工作などに
国が蝕まれて持続不能な窮地に追い込まれるというのも、
すでに今の日本が最大級の体現によって証明しているところである。
まず以て、オナメンは何もかもの考えが浅い。
物事を深く考え抜くという行為自体が、面目でなければ務まらないために、
オナメンであればあるほどその能力が殺がれて、ボケ老人一歩手前ぐらいの所に
なんとか踏みとどまることで、社会人としての見栄を保つのが関の山となる。
そのような人間には、諜報級の情報処理というものもまた、
自力(ヒューミント)か機械頼み(シギント)かなどを問わず不可能となってしまい、
その手の能力を国ぐるみで体系的に養っているような相手には、
完全に手玉に取られてのカモネギと化してしまうのが実情なのである。
では、諜報に携わる人間が全員、オナメンではないのかというとそうではなく、
カモとして利用される側としてなら、末端の諜報員となるような連中もまた多い。
文鮮や喜多川のような、敵性国への直接的な破壊工作を担う実行犯などは、
そのような捨て駒要員である場合が多いために、探りを入れた所で首謀者にまでは
たどり着けない(その証拠が何も残されてはいない)などということにもなる。
そのような「無知要員の防壁」を二重、三重に折り重ねておくのが近年の
諜報活動の定石であるために、オナメンにもかかわらずではなくだからこそ、
そのための道具として利用される人員もまた多数に上り、時に首謀者の員数をも上回る。
そのような企てが、諜報活動に多くの弊害を派生させてしまうせいで、
戦後にCIAが日本に対して講じた無力化・隷従化工作なども、
日本社会を持続不能に追い込むほどの危害性を同時に帯びてしまったのである。
オナメンは、諜報活動に対して十分な対抗能力を持ち合わせ得ないのが問題である一方、
利用されるカモとして諜報に携わった場合にも、致命的な弊害を招くという問題がある。
故に、都合のいい利用対象にしたりするのも、なるべく控えるべきだといえる。
利用してみて多少うまくいったからといって、放任したりするのも禁物なわけである。
カモとして利用される側としてなら、末端の諜報員となるような連中もまた多い。
文鮮や喜多川のような、敵性国への直接的な破壊工作を担う実行犯などは、
そのような捨て駒要員である場合が多いために、探りを入れた所で首謀者にまでは
たどり着けない(その証拠が何も残されてはいない)などということにもなる。
そのような「無知要員の防壁」を二重、三重に折り重ねておくのが近年の
諜報活動の定石であるために、オナメンにもかかわらずではなくだからこそ、
そのための道具として利用される人員もまた多数に上り、時に首謀者の員数をも上回る。
そのような企てが、諜報活動に多くの弊害を派生させてしまうせいで、
戦後にCIAが日本に対して講じた無力化・隷従化工作なども、
日本社会を持続不能に追い込むほどの危害性を同時に帯びてしまったのである。
オナメンは、諜報活動に対して十分な対抗能力を持ち合わせ得ないのが問題である一方、
利用されるカモとして諜報に携わった場合にも、致命的な弊害を招くという問題がある。
故に、都合のいい利用対象にしたりするのも、なるべく控えるべきだといえる。
利用してみて多少うまくいったからといって、放任したりするのも禁物なわけである。
昔、宇和島水産高校実習船のえひめ丸が米原子力潜水艦と衝突して沈没、
多くの死傷者を出した事件で、犯人となった原潜の艦長が、
公判中にガムを噛んでて大顰蹙を買っていたのを記憶している。
別に特段事件を舐めてたわけではなくて、アメリカでは
どんな場所でもガムを噛むぐらい非礼扱いもされないといった
弁解がなされていたけれども、それ自体が、アメリカという国の、
大元の所からのオナメン加減をよく示している常識だともいえる。
MLBのダグアウトなどもポイ捨てのゴミだらけで、大谷が足でゴミを
かき分けているのが話題になってたりもしたが、それも連中にとっては常識。
「文化が違う」というのももちろんだが、日本よりも不真面目な文化というのも確か。
そんな連中が戦後に日本や韓国で講じた諜報工作などもまた、
自分達ともレベルが近い相手としてのオナメン寄りな人員を
好き好んで起用して来たところがあるために、極東における諜報活動は所詮、
すでに支配下に置いている日韓などに限られて、中国や北魚羊にまで十全な
諜報網を広げることができずに、強大化を許してしまったところがあるのである。
多くの死傷者を出した事件で、犯人となった原潜の艦長が、
公判中にガムを噛んでて大顰蹙を買っていたのを記憶している。
別に特段事件を舐めてたわけではなくて、アメリカでは
どんな場所でもガムを噛むぐらい非礼扱いもされないといった
弁解がなされていたけれども、それ自体が、アメリカという国の、
大元の所からのオナメン加減をよく示している常識だともいえる。
MLBのダグアウトなどもポイ捨てのゴミだらけで、大谷が足でゴミを
かき分けているのが話題になってたりもしたが、それも連中にとっては常識。
「文化が違う」というのももちろんだが、日本よりも不真面目な文化というのも確か。
そんな連中が戦後に日本や韓国で講じた諜報工作などもまた、
自分達ともレベルが近い相手としてのオナメン寄りな人員を
好き好んで起用して来たところがあるために、極東における諜報活動は所詮、
すでに支配下に置いている日韓などに限られて、中国や北魚羊にまで十全な
諜報網を広げることができずに、強大化を許してしまったところがあるのである。
中国や北もまた、本格の仏道に傾倒している域の日本人などと比べれば、
まだオナメン寄りの人種の集まりではあるが、それでもアメリカ人などよりは
まだ真面目傾向が強いために、朝魚羊戦争やベトナム戦争でも
アメリカを撃退するほどの戦果を挙げて来たのである。
戦前の日本はすでに、権力中枢などの資本主義によるオナメン化が進行していたために、
対外戦争における戦略などもあまりにもお粗末になり過ぎての敗走を来したわけで、
そこに中華や北はおろか、アメリカを上回るほどの総体的な真面目さすら見出せないのだが。
当時といえども、大陸に侵攻していた関東軍などの勢力が優勢であり続けていたりと、
古来の大真面目さの継承によって、米中露をすべて上回るほどの戦略的能力を
持ち合わせていた人材もまた、多少程度には残存していたのが確かなのである。
ただ、そのような人々はもはや日本国内における主力的な立場にはなく、
石原莞爾や永田鉄山も陸軍大将や元帥にまでは昇格できなかったように、
自分たちの部署での派閥争いにすら敗れての低迷を強いられていたのである。
当時、大陸で戦局を優勢に持ち込んでいたような域の人材が、無能な上からの抑圧などにも
囚われることなく手腕を発揮できるのであれば、今の中ロや北相手にも優勢たり得ようが、
それはもう真面目度でアメリカ人が付いて行けない域の人材ともなるだろうから、
自分たちが首輪をつけて飼い馴らすなんてことも諦めねばならないのである。
まだオナメン寄りの人種の集まりではあるが、それでもアメリカ人などよりは
まだ真面目傾向が強いために、朝魚羊戦争やベトナム戦争でも
アメリカを撃退するほどの戦果を挙げて来たのである。
戦前の日本はすでに、権力中枢などの資本主義によるオナメン化が進行していたために、
対外戦争における戦略などもあまりにもお粗末になり過ぎての敗走を来したわけで、
そこに中華や北はおろか、アメリカを上回るほどの総体的な真面目さすら見出せないのだが。
当時といえども、大陸に侵攻していた関東軍などの勢力が優勢であり続けていたりと、
古来の大真面目さの継承によって、米中露をすべて上回るほどの戦略的能力を
持ち合わせていた人材もまた、多少程度には残存していたのが確かなのである。
ただ、そのような人々はもはや日本国内における主力的な立場にはなく、
石原莞爾や永田鉄山も陸軍大将や元帥にまでは昇格できなかったように、
自分たちの部署での派閥争いにすら敗れての低迷を強いられていたのである。
当時、大陸で戦局を優勢に持ち込んでいたような域の人材が、無能な上からの抑圧などにも
囚われることなく手腕を発揮できるのであれば、今の中ロや北相手にも優勢たり得ようが、
それはもう真面目度でアメリカ人が付いて行けない域の人材ともなるだろうから、
自分たちが首輪をつけて飼い馴らすなんてことも諦めねばならないのである。
もうこのスレもじきに終わりだが。
総レス数480超えは新記録かな?
レス削除したような連中との会話は遠吠えスレへの出張で続いてるが、
結局、ここでの話し合いからは逃亡した所からも分かる通り、
オナメンはどうあっても脆弱で、戦えば敗走する側でしかあり得ないのである。
精神力でも、論理的思考能力でも、軍事的戦闘能力でも、
何でも人並み以下だからこそオナメンだし、オナメンだから以下でしかあり得ない。
にもかかわらず、そんな連中こそが社会的に強勢化して、
有能や有徳の地位を脅かすようなことがある理由については、次スレなどで述べるつもりだが。
宮本武蔵が関ヶ原では西軍について敗れながらも(所説あり)、
個人としては百戦無敗であったが如く、個人レベルであればやはり、
真面目>不真面目という格差が遍在することがここまでで実証されてきたわけだ。
無論、俺が武蔵並みに強いという意味ではなく、ちょっと自分たちよりも真面目に
ものを考えられるだけの相手にすら、オナメンたちは全く敵わないというだけの話なのだがな。
総レス数480超えは新記録かな?
レス削除したような連中との会話は遠吠えスレへの出張で続いてるが、
結局、ここでの話し合いからは逃亡した所からも分かる通り、
オナメンはどうあっても脆弱で、戦えば敗走する側でしかあり得ないのである。
精神力でも、論理的思考能力でも、軍事的戦闘能力でも、
何でも人並み以下だからこそオナメンだし、オナメンだから以下でしかあり得ない。
にもかかわらず、そんな連中こそが社会的に強勢化して、
有能や有徳の地位を脅かすようなことがある理由については、次スレなどで述べるつもりだが。
宮本武蔵が関ヶ原では西軍について敗れながらも(所説あり)、
個人としては百戦無敗であったが如く、個人レベルであればやはり、
真面目>不真面目という格差が遍在することがここまでで実証されてきたわけだ。
無論、俺が武蔵並みに強いという意味ではなく、ちょっと自分たちよりも真面目に
ものを考えられるだけの相手にすら、オナメンたちは全く敵わないというだけの話なのだがな。
重ねて注意しておくが、「オナメン」とは、
生粋の不真面目=オナニーメンタル=オナメン
というだけの意味で、特にそれ以外のカルト的な寓意などはない。
「暴走族」という呼称が格好いいせいで、憧れてなろうとする者が現れる、
そのため「珍走団」などと言いかえる試みが為されて来たのと同じように、
オナメンに相当するような精神状態こそを開き直って偉ぶったり、格好つけたり
するのを牽制する目的で、あえてオナメンと呼んでみているのである。
このスレ以降も、一度はオナニーメンタルと正称したりしながらの、
オナメン呼称をなるべく使って行こうとは思う。
あえてそれであろうとするような者が、この世にいる限りはな。^^
生粋の不真面目=オナニーメンタル=オナメン
というだけの意味で、特にそれ以外のカルト的な寓意などはない。
「暴走族」という呼称が格好いいせいで、憧れてなろうとする者が現れる、
そのため「珍走団」などと言いかえる試みが為されて来たのと同じように、
オナメンに相当するような精神状態こそを開き直って偉ぶったり、格好つけたり
するのを牽制する目的で、あえてオナメンと呼んでみているのである。
このスレ以降も、一度はオナニーメンタルと正称したりしながらの、
オナメン呼称をなるべく使って行こうとは思う。
あえてそれであろうとするような者が、この世にいる限りはな。^^
オナメンであることを開き直り、偉ぶり、格好付けることを
人類史上最大級に助成して来た文化体系こそは、これでもある。
人間、自我があって喜怒哀楽があるのにもかかわらず、いつかは死ぬ。
その現実を目の当たりにしても大真面目でい続けられるほど強い人間ばかりではないし、
特に精神力を養う文化が紀元前から全く存在していなかった西洋社会においては、
諸行無常への苦悩を嘘偽りによってでも紛らわしてくれるオナメン正当化信仰が
大々的に取り入れられて、軒並みの国が国教とするまでに至ったのである。
しかし、そのキリスト教圏こそはここ2000年、自給自足での平和状態を100年と保てた
試しがなく、真面目に国政に取り組み続けることもできないほどのオナメンさ加減が
仇となっての内戦や侵略戦争ばかりに明け暮れることともなってしまったのだった。
そしてもはや。時代は核の危機の真っただ中にあり、これ以上に
キリスト教徒並みのオナメン状態を人類が保ち続けて行くことも能わない。
人間、必ずしもオナメンから完全に脱却しきらねばならないわけではないし、
本格の仏僧としての精進修行にでも明け暮れるのでなければそれも無理なのだが、
せめてでもオナメンであることを恥じて、なるべく控えたり、自分よりもオナメンから
遠ざかれる相手への敬意を抱いたりするのでなければならない。念仏信仰のように、
それこそを助けて来た信仰もあるし、別に全く新しい試みばかりに頼る必要もないのである。
人類史上最大級に助成して来た文化体系こそは、これでもある。
人間、自我があって喜怒哀楽があるのにもかかわらず、いつかは死ぬ。
その現実を目の当たりにしても大真面目でい続けられるほど強い人間ばかりではないし、
特に精神力を養う文化が紀元前から全く存在していなかった西洋社会においては、
諸行無常への苦悩を嘘偽りによってでも紛らわしてくれるオナメン正当化信仰が
大々的に取り入れられて、軒並みの国が国教とするまでに至ったのである。
しかし、そのキリスト教圏こそはここ2000年、自給自足での平和状態を100年と保てた
試しがなく、真面目に国政に取り組み続けることもできないほどのオナメンさ加減が
仇となっての内戦や侵略戦争ばかりに明け暮れることともなってしまったのだった。
そしてもはや。時代は核の危機の真っただ中にあり、これ以上に
キリスト教徒並みのオナメン状態を人類が保ち続けて行くことも能わない。
人間、必ずしもオナメンから完全に脱却しきらねばならないわけではないし、
本格の仏僧としての精進修行にでも明け暮れるのでなければそれも無理なのだが、
せめてでもオナメンであることを恥じて、なるべく控えたり、自分よりもオナメンから
遠ざかれる相手への敬意を抱いたりするのでなければならない。念仏信仰のように、
それこそを助けて来た信仰もあるし、別に全く新しい試みばかりに頼る必要もないのである。
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