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>>118の続き)
戦後日本人には、「真面目であるということは、
ただとにかく矢鱈目鱈に厳しいことである」などと誤解させることで、
真面目さへの精神的なアレルギーを抱かせる洗脳操作が加えられて来た所もある。
猪木を海の真ん中でボートから突き落として泳いで帰らせた力道山か、
高校野球の練習で生徒たちを死ぬほど苦しめて来た監督あたりが、
「真面目である」ということの最大級の体現者だなどと思い込まれたままでいる。
それは、そこまで極端な厳しさがパワハラなどとして敬遠、規制されるようになった
直近の現代においても全く変わりがなく、あくまで真面目さの本質はそういう所にある
としているせいで、厳しさから遠ざかるが故に不真面目と化す者だらけともなっている。
そうではない、どちらも本当は不真面目でしかない。
力道山や高校野球の監督も、ただ徒弟に対して厳しかっただけで、
自分自身はクラブで高級酒でのんべんだらりだったりもしたのである。
そういった自分自身への甘さがあった上での、他者への厳しさなんてのは、
潜在的な不真面目さを介しているが故に、相手の素養や成長をかえって損なうような
不合理さをも大いに伴う。戦後日本人が恐怖を抱いて来た本質もまたそこにこそあるからには、
むしろ真面目の仮面を被った不真面目さこそを恐れてきたと知るべきなのである。
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