レス数が 200 を超えています。残念ながら全部は表示しません。
不真面目は感情のオナニーである 偉大なる生存の報告 Part309
▼ページ最下部
俺が子供の頃には、小学校などでいつもヘラヘラとして、
しょうもないことにいちいち嬉しがっているような同級生を
「ウレシ」などとバカにして戒める風潮があったものだが。
大人になってからは、むしろ一定以上にウレシであることが、
世知辛い時代に生きる社会人としての、感情面からのエチケットとして
必須扱いにされ、その手の不真面目さを完全に排するほうが堅物として忌み嫌われ、
ひどい場合にはアスペだなんだと病人のレッテルまで貼られるようになったのを実感している。
子供の頃にウレシが総出でバカにされてたのは、いちいち嬉しがらなくても
いられるぐらいに誰しもが人生楽しかったのもあるだろうし、際限なく嬉しがっている
者の不埒さがオナニーじみてることに恥じらいも感じてたのだろうと思われる。
むしろ、大人のほうがそのような恥じらいから遠ざかり、
「いつも喜んでいなさい(一テサロニケ5:16)」の実践こそが、
倫理的に良好な姿とまで思い込んでいる場合が多い。
いやそれは、やっぱりオナニーだろう、と。
無闇な嬉しがりによるアドレナリン放出に酔い痴れるのは、
股間をまさぐるまでもなく脳だけで試みている感情のオナニーにすぎず、
そのせいで悲嘆の原因となるような現実問題への着実な解決を怠り、
より陰惨な事態を招き入れることともなってしまう。
子供よりは大人、しかも男よりは女のほうが陥りがちなドツボ。
股間のオナニーを痴態として卑しむぐらいなら、それもまた忌むべきなのである。
しょうもないことにいちいち嬉しがっているような同級生を
「ウレシ」などとバカにして戒める風潮があったものだが。
大人になってからは、むしろ一定以上にウレシであることが、
世知辛い時代に生きる社会人としての、感情面からのエチケットとして
必須扱いにされ、その手の不真面目さを完全に排するほうが堅物として忌み嫌われ、
ひどい場合にはアスペだなんだと病人のレッテルまで貼られるようになったのを実感している。
子供の頃にウレシが総出でバカにされてたのは、いちいち嬉しがらなくても
いられるぐらいに誰しもが人生楽しかったのもあるだろうし、際限なく嬉しがっている
者の不埒さがオナニーじみてることに恥じらいも感じてたのだろうと思われる。
むしろ、大人のほうがそのような恥じらいから遠ざかり、
「いつも喜んでいなさい(一テサロニケ5:16)」の実践こそが、
倫理的に良好な姿とまで思い込んでいる場合が多い。
いやそれは、やっぱりオナニーだろう、と。
無闇な嬉しがりによるアドレナリン放出に酔い痴れるのは、
股間をまさぐるまでもなく脳だけで試みている感情のオナニーにすぎず、
そのせいで悲嘆の原因となるような現実問題への着実な解決を怠り、
より陰惨な事態を招き入れることともなってしまう。
子供よりは大人、しかも男よりは女のほうが陥りがちなドツボ。
股間のオナニーを痴態として卑しむぐらいなら、それもまた忌むべきなのである。
※省略されてます すべて表示...
大竹利典さんも釜用の砥石で荒砥して草切って遊んでたというし、
今じゃネットで数万円からでも買えるようなものを、なに神格化し続けてんだ?
もちろんそんなのはクズ刀ばかりだが、別に偽物の日本刀というわけでもない。
(一時、中華業者が偽物を売るような真似を試みていたが、すでに規制されてる)
偽名だからその刀工の作としては偽物ということはあっても、普通に刀としては本物。
坂本龍馬を暗殺した偽名の越後守包貞みたいに、実用目的で偽名が好まれることもあった。
基本的に、刀剣商という人種にろくでもない連中が多くて、自分自身がいい刀を
手に入れたいからこそ、不必要に刀一般の価値を低く見積もるような真似をしている。
その口車に乗せられて、本物の名刀以外は剣術稽古目的でも手を出してはいけない
ような気にさせられていたりするとすれば、一種の詐欺被害だともいえようぞ。
今じゃネットで数万円からでも買えるようなものを、なに神格化し続けてんだ?
もちろんそんなのはクズ刀ばかりだが、別に偽物の日本刀というわけでもない。
(一時、中華業者が偽物を売るような真似を試みていたが、すでに規制されてる)
偽名だからその刀工の作としては偽物ということはあっても、普通に刀としては本物。
坂本龍馬を暗殺した偽名の越後守包貞みたいに、実用目的で偽名が好まれることもあった。
基本的に、刀剣商という人種にろくでもない連中が多くて、自分自身がいい刀を
手に入れたいからこそ、不必要に刀一般の価値を低く見積もるような真似をしている。
その口車に乗せられて、本物の名刀以外は剣術稽古目的でも手を出してはいけない
ような気にさせられていたりするとすれば、一種の詐欺被害だともいえようぞ。
[YouTubeで再生]
(書き貯め放出>>13の続き)
古典落語の「目黒のさんま」なども、誰が聞いてもそれなりに楽しめるような
物語構造の手堅さで笑わせようとする小噺の最たるものではあるが。
裸踊り級に安易で低劣なお笑いに慣れきっているほどウレシがひどい人間が聞けば、
面白いのはわかるが刺激が弱すぎて退屈なようにも、相対的に感じられかねないもの。
そのような原因によって、普遍的な共通性を追求したものこそが、
ウレシありきの普遍性を欠いた芸なし芸などより低く評価されてしまうこともある。
世の中がウレシに囚われた人間で占められるほど、その傾向も強くなるが。
若いころには箸が転んだだけでも笑えていたような女こそが、
ろくな人生を歩んで来られないまま老女と化した場合にこそ、
箸が転んだだけでも腹が立つほどのヒス加減と化してしまうように、
ウレシ自体が心の弱さを原因として増幅させられるものであるが故に、
そんなもの頼みでいる世の中に蔓延する不幸もまたひとしおとなるわけである。
(書き貯め放出>>13の続き)
古典落語の「目黒のさんま」なども、誰が聞いてもそれなりに楽しめるような
物語構造の手堅さで笑わせようとする小噺の最たるものではあるが。
裸踊り級に安易で低劣なお笑いに慣れきっているほどウレシがひどい人間が聞けば、
面白いのはわかるが刺激が弱すぎて退屈なようにも、相対的に感じられかねないもの。
そのような原因によって、普遍的な共通性を追求したものこそが、
ウレシありきの普遍性を欠いた芸なし芸などより低く評価されてしまうこともある。
世の中がウレシに囚われた人間で占められるほど、その傾向も強くなるが。
若いころには箸が転んだだけでも笑えていたような女こそが、
ろくな人生を歩んで来られないまま老女と化した場合にこそ、
箸が転んだだけでも腹が立つほどのヒス加減と化してしまうように、
ウレシ自体が心の弱さを原因として増幅させられるものであるが故に、
そんなもの頼みでいる世の中に蔓延する不幸もまたひとしおとなるわけである。
他人様のスレでイキがっててウザいんですけど?www
逃げまくる地蔵w
[YouTubeで再生]
(>>105の続き)
裸踊り級に安易なお笑いでも十分面白がれるほどのウレシ加減は、
日本よりもむしろ海外のほうが本場だし、日本以外のどこかに
より大真面目な笑いの在り方などを乞い求めても仕方のないところがある。
昔なら邦画や小説、近年なら漫画やアニメなどで注目されている、
日本人が創作する物語の海外作品を軽く凌駕する面白さなども、
根柢のところに、最大級に大真面目な相手でも楽しませようとするだけの
真摯さが備わっているからこそ、量産し続けられているものでもある。
今のハリウッド作品などにはそれがないものだから、子供向けとなれば
露骨に子供だましな作風と化したりする上に、大人向けの作品ならではの
真面目さを追求しようとしたら、それがポリコレ偏重のような狂乱を招くことともなった。
(>>105の続き)
裸踊り級に安易なお笑いでも十分面白がれるほどのウレシ加減は、
日本よりもむしろ海外のほうが本場だし、日本以外のどこかに
より大真面目な笑いの在り方などを乞い求めても仕方のないところがある。
昔なら邦画や小説、近年なら漫画やアニメなどで注目されている、
日本人が創作する物語の海外作品を軽く凌駕する面白さなども、
根柢のところに、最大級に大真面目な相手でも楽しませようとするだけの
真摯さが備わっているからこそ、量産し続けられているものでもある。
今のハリウッド作品などにはそれがないものだから、子供向けとなれば
露骨に子供だましな作風と化したりする上に、大人向けの作品ならではの
真面目さを追求しようとしたら、それがポリコレ偏重のような狂乱を招くことともなった。
ギリシャ劇やシェイクスピアのような西洋由来の古典ともなると、
これは殊更に理不尽な悲劇性を露骨に描き出すような悪趣味さこそを
文学的な高尚さとして持て囃しているようなものばかりであるために、
そういうものをつまらないとするアメリカンな価値観によっても退けられる上、
喜怒哀楽全方向への緩急自在さを日本の作品の享受などによって知って
しまった上では単調に過ぎて楽しみづらいという問題をも来すのである。
たとえば能楽などは、喜怒哀楽よりもさらに以前にある心の中庸の静謐さこそを
描こうとしているものだけれども、それはジャンクな大衆芸能などはおろか、
情緒の豊かさばかりを殊更にもてはやす西洋の古典文学やクラシックなどと比べても、
動きが少なすぎて容易には楽しみがたいものとなっている場合が多い。
しかし、そのような真面目の上にも真面目を積み重ねるような取り組みがあった上で、
歌舞伎や文楽や落語のような大衆芸能なども派生させていったことが、日本の娯楽文化が
今のアメコミやディズニー作品のごとき一本調子化を徹底的に避け抜いた、
多種多様さに満ち溢れる基礎ともなり得たのである。
これは殊更に理不尽な悲劇性を露骨に描き出すような悪趣味さこそを
文学的な高尚さとして持て囃しているようなものばかりであるために、
そういうものをつまらないとするアメリカンな価値観によっても退けられる上、
喜怒哀楽全方向への緩急自在さを日本の作品の享受などによって知って
しまった上では単調に過ぎて楽しみづらいという問題をも来すのである。
たとえば能楽などは、喜怒哀楽よりもさらに以前にある心の中庸の静謐さこそを
描こうとしているものだけれども、それはジャンクな大衆芸能などはおろか、
情緒の豊かさばかりを殊更にもてはやす西洋の古典文学やクラシックなどと比べても、
動きが少なすぎて容易には楽しみがたいものとなっている場合が多い。
しかし、そのような真面目の上にも真面目を積み重ねるような取り組みがあった上で、
歌舞伎や文楽や落語のような大衆芸能なども派生させていったことが、日本の娯楽文化が
今のアメコミやディズニー作品のごとき一本調子化を徹底的に避け抜いた、
多種多様さに満ち溢れる基礎ともなり得たのである。
常に満腹常態よりかは腹八分目、
時には空腹のかつえにも触れるぐらいであればこそ、
本当に美味い食物を心から味わって楽しめるがごとく、
芸能表現の楽しみなどもまた、喜怒哀楽以前の中正さにまで遡りながら
それを追い求めるほどの大真面目さこそが、最大限にそれを実現できる所がある。
無論、その代表格といえる能などは、そうそうに誰でも楽しめるほど
安易なもではなく、100才過ぎの小野小町やヒスBBAのごとき、
現代劇ではまず主役どころか、主たる脇役にもならなさそうな役柄ばかりが
大立ち回りを演ずるその様態もまた、容易には理解しがたいものではあるが。
能楽が勃興した武家時代中期の日本などは、
英雄も、そこに随順する貞淑な婦女も、現実社会においてこそ最大級の活躍が
期待されていた時代であったがために、いちいち演劇の中などで持て囃したり
することがそう期待されてはいなかった。そのような演劇以前の現実からの
大真面目さこそが、大真面目きわまる演劇の土壌となった所もあるのである。
時には空腹のかつえにも触れるぐらいであればこそ、
本当に美味い食物を心から味わって楽しめるがごとく、
芸能表現の楽しみなどもまた、喜怒哀楽以前の中正さにまで遡りながら
それを追い求めるほどの大真面目さこそが、最大限にそれを実現できる所がある。
無論、その代表格といえる能などは、そうそうに誰でも楽しめるほど
安易なもではなく、100才過ぎの小野小町やヒスBBAのごとき、
現代劇ではまず主役どころか、主たる脇役にもならなさそうな役柄ばかりが
大立ち回りを演ずるその様態もまた、容易には理解しがたいものではあるが。
能楽が勃興した武家時代中期の日本などは、
英雄も、そこに随順する貞淑な婦女も、現実社会においてこそ最大級の活躍が
期待されていた時代であったがために、いちいち演劇の中などで持て囃したり
することがそう期待されてはいなかった。そのような演劇以前の現実からの
大真面目さこそが、大真面目きわまる演劇の土壌となった所もあるのである。
ただ創作劇の中だけで真面目さを追い求めたりするのではまだ不足で、
それを享受する現実社会の側もまた、命を懸けて仁政を実現して行くなみの
大真面目さの追求があって初めて、両者が十分たり得る所があるのである。
それは決して、ただただ真面目一辺倒な堅物であることの追求などではないからこそ、
歌舞伎や文楽のような後世の娯楽の派生を待つまでもなく、能楽自体にも狂言という、
もっぱらおふざけを専科とした作劇が不随し続けて来たのでもある。
能による大真面目縛りの制約があったればこそ、その直近でのおふざけを追求した
狂言こそは、古典落語などをも上回るほどに、本当に誰が見ても面白いと
見なせるような普遍的な笑いだけを追求したものとなっている。
ただ大真面目の縛りが大前提としてあるからだけでなく、あまりにも古典すぎて
現代人には容易に受け入れられ難いような側面もまたあるには違いないのだが、
これからあらたな作劇表現を試みる者たちもまた、ウレシしか楽しめないような
ふざけきりに終始することなく、能と狂言の関係のように、真面目と不真面目を自由に
行き来できるだけの志操を以てそれに取り組むことで、文化の隆盛に貢献していくべきなのである。
それを享受する現実社会の側もまた、命を懸けて仁政を実現して行くなみの
大真面目さの追求があって初めて、両者が十分たり得る所があるのである。
それは決して、ただただ真面目一辺倒な堅物であることの追求などではないからこそ、
歌舞伎や文楽のような後世の娯楽の派生を待つまでもなく、能楽自体にも狂言という、
もっぱらおふざけを専科とした作劇が不随し続けて来たのでもある。
能による大真面目縛りの制約があったればこそ、その直近でのおふざけを追求した
狂言こそは、古典落語などをも上回るほどに、本当に誰が見ても面白いと
見なせるような普遍的な笑いだけを追求したものとなっている。
ただ大真面目の縛りが大前提としてあるからだけでなく、あまりにも古典すぎて
現代人には容易に受け入れられ難いような側面もまたあるには違いないのだが、
これからあらたな作劇表現を試みる者たちもまた、ウレシしか楽しめないような
ふざけきりに終始することなく、能と狂言の関係のように、真面目と不真面目を自由に
行き来できるだけの志操を以てそれに取り組むことで、文化の隆盛に貢献していくべきなのである。
その二人がオタクなのは知ってるが、
大金持ちだからか西洋人だからか知らないが、
日本のオタクとは根本的に異なっている所があるがな。
オタクを、非リア充の成れ果てではなく、
ほぼ単なるマニアと同等のものと捉えている。
だからそのままリア充となることもアリだろうと考えている。
この映画のメッセージ性もそういうもんだったろうし、
イーロンも「もうちょっとリアルもちゃんとしろ」という意味合いを込めて、
日本のオタクが大量流入しているTwitterの大改悪による人払いにも臨んでるのだろう。
残念ながら、日本のオタクの大多数は、非リアであるが故にオタクである。
オタクが市民権を獲得したように言われている現代もまた、
非リアが共に増えすぎたが故のなし崩し的な事態なのであり、
大多数はリア充であり得るのならオタクなんかやめたいぐらいに思っている。
そもそもが日本では、リア充のマニアは所ジョージみたいに、始めからオタク扱いもされないのである。
国富の2割以下しか占有していない、40代以下の次世代にとってはそれこそ、
マニアではないリア充を目指したりする以上に高すぎるハードルなのである。
大金持ちだからか西洋人だからか知らないが、
日本のオタクとは根本的に異なっている所があるがな。
オタクを、非リア充の成れ果てではなく、
ほぼ単なるマニアと同等のものと捉えている。
だからそのままリア充となることもアリだろうと考えている。
この映画のメッセージ性もそういうもんだったろうし、
イーロンも「もうちょっとリアルもちゃんとしろ」という意味合いを込めて、
日本のオタクが大量流入しているTwitterの大改悪による人払いにも臨んでるのだろう。
残念ながら、日本のオタクの大多数は、非リアであるが故にオタクである。
オタクが市民権を獲得したように言われている現代もまた、
非リアが共に増えすぎたが故のなし崩し的な事態なのであり、
大多数はリア充であり得るのならオタクなんかやめたいぐらいに思っている。
そもそもが日本では、リア充のマニアは所ジョージみたいに、始めからオタク扱いもされないのである。
国富の2割以下しか占有していない、40代以下の次世代にとってはそれこそ、
マニアではないリア充を目指したりする以上に高すぎるハードルなのである。
[YouTubeで再生]
オタクとマニアの境界例:マック堺
この人は、ガンマニアともミリオタとも言えるような立場で、
膨大なトイガン関係のレビュー動画を上げて来たYouTuberとして一般には有名だが。
趣味が高じて海外での実弾射撃大会に出場し、入賞までしてるような始末。
本業は建築家で、妻子もいて、所ジョージとも交流があるらしいが。
この人はマニアか、オタクか?
リア充が過半数な旧世代から見ればオタク、
非リアが過半数な次世代から見ればマニア、ってとこだろうな。
日本でも、旧世代の年寄りがオタクにもリア充の余地があるように考えてしまうことが
あるのは確かだろう。自分たちの大多数が、イーロンやスピルバーグ並みとまで行かずとも、
最低限以上の甲斐性に与れる国富占有率であり続けて来たのだから。
オタクとマニアの境界例:マック堺
この人は、ガンマニアともミリオタとも言えるような立場で、
膨大なトイガン関係のレビュー動画を上げて来たYouTuberとして一般には有名だが。
趣味が高じて海外での実弾射撃大会に出場し、入賞までしてるような始末。
本業は建築家で、妻子もいて、所ジョージとも交流があるらしいが。
この人はマニアか、オタクか?
リア充が過半数な旧世代から見ればオタク、
非リアが過半数な次世代から見ればマニア、ってとこだろうな。
日本でも、旧世代の年寄りがオタクにもリア充の余地があるように考えてしまうことが
あるのは確かだろう。自分たちの大多数が、イーロンやスピルバーグ並みとまで行かずとも、
最低限以上の甲斐性に与れる国富占有率であり続けて来たのだから。
知能指数は、殊更に高いことよりも、
不埒に低くなったりしないことのほうが、よっぽど重要だからね。
東大卒で、ある種の分野の権威となるほどの知能の持ち主だろうとも、
プライベートでは人知れずチンパン未満にまで知能を低下させての
不注意状態でいるようなことが、いくらでもあるものだから。
それよりかはむしろ、IQ100程度の知能を恒常的に保てるだけの
正気の持ち主のほうが、よっぽど賢い人間だといえる。
これもスレタイの、不真面目によるウレシ状態に深く連関している事象で、
麻薬や酒などに依らずとも、人はウレシによって知能を下降させる能力を
良くも悪しくも持ち合わせている。それを、心の休息のために、問題のない時間に、
適切な分量だけ試みるのであればまだ害がなくとも、車の運転中のような、
人の命にもかかわるようなTPOにまで思わずやらかしてしまうようでは、大いなる害となりかねない。
そういう間違いを犯さないための修練は、何も勉強ばかりによって務まるわけではない。
特に試験勉強などは、決められた時間にこれと決まった問題を解くための知能の上昇
ばかりを強いるものであるために、その必要がない場合においては好き放題に知能を
低下させてしまう悪癖をも同時に植え付けさせかねないものだから。これこそは、
並みの人間以上に総合的には愚かそうな、高学歴のボンクラ等が生じてしまう原因でもある。
不埒に低くなったりしないことのほうが、よっぽど重要だからね。
東大卒で、ある種の分野の権威となるほどの知能の持ち主だろうとも、
プライベートでは人知れずチンパン未満にまで知能を低下させての
不注意状態でいるようなことが、いくらでもあるものだから。
それよりかはむしろ、IQ100程度の知能を恒常的に保てるだけの
正気の持ち主のほうが、よっぽど賢い人間だといえる。
これもスレタイの、不真面目によるウレシ状態に深く連関している事象で、
麻薬や酒などに依らずとも、人はウレシによって知能を下降させる能力を
良くも悪しくも持ち合わせている。それを、心の休息のために、問題のない時間に、
適切な分量だけ試みるのであればまだ害がなくとも、車の運転中のような、
人の命にもかかわるようなTPOにまで思わずやらかしてしまうようでは、大いなる害となりかねない。
そういう間違いを犯さないための修練は、何も勉強ばかりによって務まるわけではない。
特に試験勉強などは、決められた時間にこれと決まった問題を解くための知能の上昇
ばかりを強いるものであるために、その必要がない場合においては好き放題に知能を
低下させてしまう悪癖をも同時に植え付けさせかねないものだから。これこそは、
並みの人間以上に総合的には愚かそうな、高学歴のボンクラ等が生じてしまう原因でもある。
知能の乱高下を抑えるために、最も格好とされているのが、
一般的に「求道」などと呼ばれる部類の活動である。
仏道修行はその極みだし、それ以外の求道行為もまたそれに近似する程度に、
人々の知能の乱高下こそを抑止する効果を持ち合わせているものである。
求道とまで行かずとも、儒学や玄学のような正学の修養目的での勉強だとか、
悪人正機説の了解に基づく念仏とかもそれに近い効果を持ち合わせるもの。
知能の乱高下を完全に抑えるわけではないが、適切な時節に安全な範囲での
知能低下級のおふざけを享受することで「キチゲの発散」的な効果をもたらし、
知能を低下させてはならない時節にはさせないようにするという手段もあって、
古来の伝統に即した祭りだとか芸能だとかにはその手の役割を帯びたものが多いし、
近年の大衆文化などであっても、良質なものはそういった効果を持ち合わせているものである。
一般的に「求道」などと呼ばれる部類の活動である。
仏道修行はその極みだし、それ以外の求道行為もまたそれに近似する程度に、
人々の知能の乱高下こそを抑止する効果を持ち合わせているものである。
求道とまで行かずとも、儒学や玄学のような正学の修養目的での勉強だとか、
悪人正機説の了解に基づく念仏とかもそれに近い効果を持ち合わせるもの。
知能の乱高下を完全に抑えるわけではないが、適切な時節に安全な範囲での
知能低下級のおふざけを享受することで「キチゲの発散」的な効果をもたらし、
知能を低下させてはならない時節にはさせないようにするという手段もあって、
古来の伝統に即した祭りだとか芸能だとかにはその手の役割を帯びたものが多いし、
近年の大衆文化などであっても、良質なものはそういった効果を持ち合わせているものである。
(>>118の続き)
戦後日本人には、「真面目であるということは、
ただとにかく矢鱈目鱈に厳しいことである」などと誤解させることで、
真面目さへの精神的なアレルギーを抱かせる洗脳操作が加えられて来た所もある。
猪木を海の真ん中でボートから突き落として泳いで帰らせた力道山か、
高校野球の練習で生徒たちを死ぬほど苦しめて来た監督あたりが、
「真面目である」ということの最大級の体現者だなどと思い込まれたままでいる。
それは、そこまで極端な厳しさがパワハラなどとして敬遠、規制されるようになった
直近の現代においても全く変わりがなく、あくまで真面目さの本質はそういう所にある
としているせいで、厳しさから遠ざかるが故に不真面目と化す者だらけともなっている。
そうではない、どちらも本当は不真面目でしかない。
力道山や高校野球の監督も、ただ徒弟に対して厳しかっただけで、
自分自身はクラブで高級酒でのんべんだらりだったりもしたのである。
そういった自分自身への甘さがあった上での、他者への厳しさなんてのは、
潜在的な不真面目さを介しているが故に、相手の素養や成長をかえって損なうような
不合理さをも大いに伴う。戦後日本人が恐怖を抱いて来た本質もまたそこにこそあるからには、
むしろ真面目の仮面を被った不真面目さこそを恐れてきたと知るべきなのである。
戦後日本人には、「真面目であるということは、
ただとにかく矢鱈目鱈に厳しいことである」などと誤解させることで、
真面目さへの精神的なアレルギーを抱かせる洗脳操作が加えられて来た所もある。
猪木を海の真ん中でボートから突き落として泳いで帰らせた力道山か、
高校野球の練習で生徒たちを死ぬほど苦しめて来た監督あたりが、
「真面目である」ということの最大級の体現者だなどと思い込まれたままでいる。
それは、そこまで極端な厳しさがパワハラなどとして敬遠、規制されるようになった
直近の現代においても全く変わりがなく、あくまで真面目さの本質はそういう所にある
としているせいで、厳しさから遠ざかるが故に不真面目と化す者だらけともなっている。
そうではない、どちらも本当は不真面目でしかない。
力道山や高校野球の監督も、ただ徒弟に対して厳しかっただけで、
自分自身はクラブで高級酒でのんべんだらりだったりもしたのである。
そういった自分自身への甘さがあった上での、他者への厳しさなんてのは、
潜在的な不真面目さを介しているが故に、相手の素養や成長をかえって損なうような
不合理さをも大いに伴う。戦後日本人が恐怖を抱いて来た本質もまたそこにこそあるからには、
むしろ真面目の仮面を被った不真面目さこそを恐れてきたと知るべきなのである。
まだ地獄の底を掘り下げるかえ?
あつまれふしぎ研究部は全部じゃないけど読んでるよ。
この総評(右)で有名になったイカ娘の作者が、漫画の描き方まで上手くなって、
これまたアニメ化がそうそうには上手くいかなそうな域になってんよね。
カイジも一部読んだことあるけど、あんまり話のディープさばかりが頼みで、
作画を蔑ろにし過ぎてるような作品を好むようなこともないな。
近ごろは値上がりのし過ぎで俺もあんまりネカフェ行かないな。
基本的に製本の漫画は買わない主義なんで、昔はよく行ってたもんだが。
近ごろはこういうweb漫画家でも、舐められたもんじゃないのが多いしな。
https://twitter.com/natsumemor...
https://twitter.com/cacomistle_tai...
この総評(右)で有名になったイカ娘の作者が、漫画の描き方まで上手くなって、
これまたアニメ化がそうそうには上手くいかなそうな域になってんよね。
カイジも一部読んだことあるけど、あんまり話のディープさばかりが頼みで、
作画を蔑ろにし過ぎてるような作品を好むようなこともないな。
近ごろは値上がりのし過ぎで俺もあんまりネカフェ行かないな。
基本的に製本の漫画は買わない主義なんで、昔はよく行ってたもんだが。
近ごろはこういうweb漫画家でも、舐められたもんじゃないのが多いしな。
https://twitter.com/natsumemor...
https://twitter.com/cacomistle_tai...
>>143
とはいっても、発散目的といえどもこういう、
真面目とおふざけの間を綱渡りしてるぐらいの作品を好むがなあ。
https://omocoro.jp/kiji/320390...
日々、高校野球やプロレスの練習なみに、不合理で多大な労苦を強いられていれば
それどころでは済まず、ただひたすらふざけきった作品のほうをより好むかもしれない。
バブル時代の作品とかにそういうのが多いが、実際当時の若手が団塊あたりに、
猪木に対する力道山みたいなしごきを受けたりもしてたのだろうな、と。
そのあたりの世代までは、それ相応の見返りにも与れていたわけだが。
とはいっても、発散目的といえどもこういう、
真面目とおふざけの間を綱渡りしてるぐらいの作品を好むがなあ。
https://omocoro.jp/kiji/320390...
日々、高校野球やプロレスの練習なみに、不合理で多大な労苦を強いられていれば
それどころでは済まず、ただひたすらふざけきった作品のほうをより好むかもしれない。
バブル時代の作品とかにそういうのが多いが、実際当時の若手が団塊あたりに、
猪木に対する力道山みたいなしごきを受けたりもしてたのだろうな、と。
そのあたりの世代までは、それ相応の見返りにも与れていたわけだが。
日陰の気温は42度を超えない法則
https://bbs15.meiwasuisan.com/science/1692608999...
科学板に新スレを立ててみたんで、紹介しとくわ。
地獄の底連中の自分掘りレスも別に禁止まではせん。
https://bbs15.meiwasuisan.com/science/1692608999...
科学板に新スレを立ててみたんで、紹介しとくわ。
地獄の底連中の自分掘りレスも別に禁止まではせん。
(>>135の続き)
ちょっと前に、「読売や産経よりはまだ報道姿勢が真面目」と評したことがある
朝日系列のメディアも、高校野球あたりを真面目なメインカルチャーの極みとして
こよなく愛して来た団塊左翼の巣窟で、手塚治虫文化賞みたいな大口の漫画賞まで
自分たちで開催しておきながら、漫画アニメみたいな軽薄なサブカルに携わる輩は、
不真面目きわまる下っ端のクズども扱いするような連中ばかりだったそうな。
俺に言わせりゃ、野球もプロレスも漫画もアニメも、軽薄な娯楽文化であるのには変わらん。
そんなもの一切かかわるなとまでは言わないが、それはあくまでおふざけの領分で、
真面目を追い求めるのなら、それは仏道なり武芸なり能楽なりに期待すべきものである。
所詮は何もかも不真面目止まりな連中が、自分達こそは真面目を好む良識者だなどと思い込み、
不真面目の自認があるような分野の連中を見下してかかって来たような世相においてこそ、
若者の将来を奪うような、不合理で虐待そのものな使役や訓練までもがまかり通って来た。
ちょっと前に、「読売や産経よりはまだ報道姿勢が真面目」と評したことがある
朝日系列のメディアも、高校野球あたりを真面目なメインカルチャーの極みとして
こよなく愛して来た団塊左翼の巣窟で、手塚治虫文化賞みたいな大口の漫画賞まで
自分たちで開催しておきながら、漫画アニメみたいな軽薄なサブカルに携わる輩は、
不真面目きわまる下っ端のクズども扱いするような連中ばかりだったそうな。
俺に言わせりゃ、野球もプロレスも漫画もアニメも、軽薄な娯楽文化であるのには変わらん。
そんなもの一切かかわるなとまでは言わないが、それはあくまでおふざけの領分で、
真面目を追い求めるのなら、それは仏道なり武芸なり能楽なりに期待すべきものである。
所詮は何もかも不真面目止まりな連中が、自分達こそは真面目を好む良識者だなどと思い込み、
不真面目の自認があるような分野の連中を見下してかかって来たような世相においてこそ、
若者の将来を奪うような、不合理で虐待そのものな使役や訓練までもがまかり通って来た。
本質的に不真面目な枠組みの中で真面目ぶろうなどとするものだから、苛烈さばかりが独り歩きする。
確かに、仏道級に本質からまじめな分野もまた、多大なる厳しさを介するものではあるが、
それはあくまで合理性を尽くした上での取り組みであるがために、無益な虐待などではあり得ないもの。
たとえば、禅門での厳しい座禅修行などにどんなに取り組んだ所で、それがろくに頭を使わない
体育会系のうすのろさの助長などに与することはなく、20世紀後半における戦後日本の
権力腐敗をあの手この手を使って抑制する機微に富んだ活動の原動力などともなっていたのだった。
そんな文武両道、心技体全方向への才覚などが、体育会系を開き直るスポーツ一般の享受はおろか、
スポーツ化が深刻化した現代の剣道や柔道によっても育まれることはないために、それらを
必修化している今の警察なども、自分たち自身の体制腐敗にまで陥ることとなってしまっている。
そのような、自分たちの本質的な愚鈍さ、不甲斐なさを誤魔化す目的でこそ、
力道山や高校野球の監督級の、度を越した厳しさまでもが蔓延るようになるのであって、
それは内に文武分断級の不真面目を抱えた上っ面の真面目こそが来たしてしまう病理に他ならないのである。
確かに、仏道級に本質からまじめな分野もまた、多大なる厳しさを介するものではあるが、
それはあくまで合理性を尽くした上での取り組みであるがために、無益な虐待などではあり得ないもの。
たとえば、禅門での厳しい座禅修行などにどんなに取り組んだ所で、それがろくに頭を使わない
体育会系のうすのろさの助長などに与することはなく、20世紀後半における戦後日本の
権力腐敗をあの手この手を使って抑制する機微に富んだ活動の原動力などともなっていたのだった。
そんな文武両道、心技体全方向への才覚などが、体育会系を開き直るスポーツ一般の享受はおろか、
スポーツ化が深刻化した現代の剣道や柔道によっても育まれることはないために、それらを
必修化している今の警察なども、自分たち自身の体制腐敗にまで陥ることとなってしまっている。
そのような、自分たちの本質的な愚鈍さ、不甲斐なさを誤魔化す目的でこそ、
力道山や高校野球の監督級の、度を越した厳しさまでもが蔓延るようになるのであって、
それは内に文武分断級の不真面目を抱えた上っ面の真面目こそが来たしてしまう病理に他ならないのである。
どのレスね?
デスバレーの日陰でも測れ云々?
デスバレーの日陰でも測れ云々?
俺が昔通ってた柔術道場の家主も講道館六段で、
元々は柔道教室をやってたけど、近年はスポーツ化のせいで
ただの袖つかみプロレスになり果ててしまったものだから、
専ら古流や合気道の稽古に貸すようになったと言ってたもんだな。
足/脚は急所の塊。
関節技なんかに頼るまでもなく、足先を踏まれただけでも動きを封じられ、
安全靴的な防護がなければ骨折からの歩行不全にも見舞われる。
あまり厳重に防護をしても機動性が損なわれるので、一番の急所である
腿内などもおおむね無防備なままで置くしかなく、そのため現代の米軍などでも、
脚は撃たれて大出血することを前提とした上での止血帯装備が重視されている。
たとえ生き延びたとしても戦闘不能化が免れ得ないために、
まず足を相手の攻撃下にさらさないための身構えなり動きなりが
古流などでは重んじられて来ているが、現代の剣道や柔道ではそれも皆無。
脚への攻撃も有効打突にならず、足先を踏んだりするのもルール違反な
現代剣道では、体の前面に大きく脚を伸ばすような飛び込み打ちや、
簡単に足先を踏み潰せるほど極端に近接した鍔迫り合いも常習化している。
ネタバレになるから詳述しないが、鬼滅でもその辺の問題への描写があったもの。
漫画でも察知されているようなことが疎かにされてるぐらいなんだから、
その不真面目さたるや漫画以上であるとも言えるわけだなあ。
元々は柔道教室をやってたけど、近年はスポーツ化のせいで
ただの袖つかみプロレスになり果ててしまったものだから、
専ら古流や合気道の稽古に貸すようになったと言ってたもんだな。
足/脚は急所の塊。
関節技なんかに頼るまでもなく、足先を踏まれただけでも動きを封じられ、
安全靴的な防護がなければ骨折からの歩行不全にも見舞われる。
あまり厳重に防護をしても機動性が損なわれるので、一番の急所である
腿内などもおおむね無防備なままで置くしかなく、そのため現代の米軍などでも、
脚は撃たれて大出血することを前提とした上での止血帯装備が重視されている。
たとえ生き延びたとしても戦闘不能化が免れ得ないために、
まず足を相手の攻撃下にさらさないための身構えなり動きなりが
古流などでは重んじられて来ているが、現代の剣道や柔道ではそれも皆無。
脚への攻撃も有効打突にならず、足先を踏んだりするのもルール違反な
現代剣道では、体の前面に大きく脚を伸ばすような飛び込み打ちや、
簡単に足先を踏み潰せるほど極端に近接した鍔迫り合いも常習化している。
ネタバレになるから詳述しないが、鬼滅でもその辺の問題への描写があったもの。
漫画でも察知されているようなことが疎かにされてるぐらいなんだから、
その不真面目さたるや漫画以上であるとも言えるわけだなあ。
この前までやってたアニメのガンダムを野球の落合博満が見てて、
オタクなら誰でも考えが及ぶ程度の考察を披露しただけでも褒めちぎられていたもの。
まるでボケ老人に対する介護者か、幼稚園児に対する先生のような
周囲の反応が、よく考えてみれば舐め腐った真似だとも言えなくはないんだが、
どうせ相手は頭パァなのがデフォな体育会系の元トップだからとて、
それが別に失礼扱いされることもなく、ごく普通にまかり通っていたもの。
特に落合ぐらいの年代なら、力道山のような残虐を恣にする高校野球の監督などに、
猪木なみの仕打ちを受けるのが当たり前だったろうから、そんな経験をして
来たような相手を並みの人間のように扱ってはならないと、周囲もまるで
大災害の遺族か何かが相手のように、遠巻きで腫れ物に触るような態度で接して行く。
将来、そういう扱いを受けさせてやるためにこそ、昔の体育会系などは特に、
理不尽なしごきを仲間内でも好き好んで繰り返していたわけで、
今でも剣道の昇段審査などに、同様な風習が残存しているものである。
文武両道、心技体への全追求を疎かにした、片手落ちで不真面目な生涯を送ろうとも、
誰にも文句を言わせないための免罪符へと、有害無益な虐待級のしごきもなって来たわけだ。
オタクなら誰でも考えが及ぶ程度の考察を披露しただけでも褒めちぎられていたもの。
まるでボケ老人に対する介護者か、幼稚園児に対する先生のような
周囲の反応が、よく考えてみれば舐め腐った真似だとも言えなくはないんだが、
どうせ相手は頭パァなのがデフォな体育会系の元トップだからとて、
それが別に失礼扱いされることもなく、ごく普通にまかり通っていたもの。
特に落合ぐらいの年代なら、力道山のような残虐を恣にする高校野球の監督などに、
猪木なみの仕打ちを受けるのが当たり前だったろうから、そんな経験をして
来たような相手を並みの人間のように扱ってはならないと、周囲もまるで
大災害の遺族か何かが相手のように、遠巻きで腫れ物に触るような態度で接して行く。
将来、そういう扱いを受けさせてやるためにこそ、昔の体育会系などは特に、
理不尽なしごきを仲間内でも好き好んで繰り返していたわけで、
今でも剣道の昇段審査などに、同様な風習が残存しているものである。
文武両道、心技体への全追求を疎かにした、片手落ちで不真面目な生涯を送ろうとも、
誰にも文句を言わせないための免罪符へと、有害無益な虐待級のしごきもなって来たわけだ。
あの写真貼ってたのは俺じゃない。
落合のことはよく知らないが、別に当人自身が老害的な体育会系の典型
だなどと思って書いたことではないし、それはガンダムなんかにまで
傾倒してる本人の姿勢からも自明に知れたことなんだがな。
イチローやダルビッシュだって、旧来の体育会系のあまりにもの不合理さに
異を唱えながら野球で好成績を挙げて来たわけだし、そもそも野球の範疇で
上位に立つためにも、不合理を良しとする全体のペースに距離を置く必要があるのだが。
大多数がプロの二軍に入れることもなく終わって行く野球界の主流はあくまで、
合理的な訓練によって最大級の成績を上げることではなく、不合理でもいいから
厳しい練習をこなして来たという既成事実を得られることのほうであり続けるわけ。
野球と関係ない普通の職場に就いたのだろうとも、それで年寄りの上司などから
優遇が受けられて来たから。大多数の競技者が野球という媒体に期待するものは
やはり、これからもそのような負の勲章のほうであり続けるに違いないのだ。
落合のことはよく知らないが、別に当人自身が老害的な体育会系の典型
だなどと思って書いたことではないし、それはガンダムなんかにまで
傾倒してる本人の姿勢からも自明に知れたことなんだがな。
イチローやダルビッシュだって、旧来の体育会系のあまりにもの不合理さに
異を唱えながら野球で好成績を挙げて来たわけだし、そもそも野球の範疇で
上位に立つためにも、不合理を良しとする全体のペースに距離を置く必要があるのだが。
大多数がプロの二軍に入れることもなく終わって行く野球界の主流はあくまで、
合理的な訓練によって最大級の成績を上げることではなく、不合理でもいいから
厳しい練習をこなして来たという既成事実を得られることのほうであり続けるわけ。
野球と関係ない普通の職場に就いたのだろうとも、それで年寄りの上司などから
優遇が受けられて来たから。大多数の競技者が野球という媒体に期待するものは
やはり、これからもそのような負の勲章のほうであり続けるに違いないのだ。
俺も、ヨガや武芸の修練などでそれなりに厳しいことをやって来たと思うが、
それにより着実な健康増進や能力開発に与れて来たという確信があるからこそ、
「苦労した」なんて部分を前面に押し出そうなどとは全く思わないし、だからこそ、
どんなに舐めた口を利かれようとも、ここで具体的な苦労話なんかはしないでいる。
それによって得られたものなんか何もない、ただひたすらいたずらに苛め抜かれた
だけなんてほうが、苦労したこと自体を評価されたがるだろうし、そういう感覚が
総員で定着しているような界隈では、それが暗黙の了解となって、成果の有無など
とは無関係に、苦労経験そのものが社会的な優遇資格などとして機能することとなる。
文武両道や心技体の全追求は、着実な成果が見込まれるからこそお呼びではなく、
体だけでも頭だけでも手先だけでも、何かを疎かにするほど偏った取り組みによってのみ
それが講じられ、成果は二の次、とにかく苦労をしたことが一大事な領域を広めて行く。
その低生産性たるや、全てがそこに還元された団塊支配後の日本社会を見ての通り。
人に使われる下っ端がその程度の域にとどまるのならともかく、世の中の何もかもが
それを持て囃そうものなら、そのせいで世の中の進歩も何一つ見込まれなくなるのである。
それにより着実な健康増進や能力開発に与れて来たという確信があるからこそ、
「苦労した」なんて部分を前面に押し出そうなどとは全く思わないし、だからこそ、
どんなに舐めた口を利かれようとも、ここで具体的な苦労話なんかはしないでいる。
それによって得られたものなんか何もない、ただひたすらいたずらに苛め抜かれた
だけなんてほうが、苦労したこと自体を評価されたがるだろうし、そういう感覚が
総員で定着しているような界隈では、それが暗黙の了解となって、成果の有無など
とは無関係に、苦労経験そのものが社会的な優遇資格などとして機能することとなる。
文武両道や心技体の全追求は、着実な成果が見込まれるからこそお呼びではなく、
体だけでも頭だけでも手先だけでも、何かを疎かにするほど偏った取り組みによってのみ
それが講じられ、成果は二の次、とにかく苦労をしたことが一大事な領域を広めて行く。
その低生産性たるや、全てがそこに還元された団塊支配後の日本社会を見ての通り。
人に使われる下っ端がその程度の域にとどまるのならともかく、世の中の何もかもが
それを持て囃そうものなら、そのせいで世の中の進歩も何一つ見込まれなくなるのである。
いっぺん、まともな古流やヨガの技法に正しく則りながら、
高校野球やスポーツ柔道級に厳しい鍛錬に取り組んでみろよ、と。
鬼滅の刃も全くの夢物語でまではないと思えるぐらいの、超人的な能力が手に入るから。
だからこそ、今までに積み重ねて来た努力や苦労なんかどうでもよくなるし、もちろん
他者に対しても、苦労そのものを嬉しがって享受するようなマゾオナニーをけしかけることもなくなる。
そのようなオナニーが公然とひけらかされているような界隈が、いかに非生産的で不毛な
戯れ事だけに終始しているのかをも察して、嫌悪する以前に近づくこともなくなるだろう。
真面目ぶっていながらも、本質の所に大不真面目を孕んでいることをも察して、
それ故の脆弱さを自分までもが帯びてしまわないようにする誓いばかりを確たるものとするだろう。
高校野球やスポーツ柔道級に厳しい鍛錬に取り組んでみろよ、と。
鬼滅の刃も全くの夢物語でまではないと思えるぐらいの、超人的な能力が手に入るから。
だからこそ、今までに積み重ねて来た努力や苦労なんかどうでもよくなるし、もちろん
他者に対しても、苦労そのものを嬉しがって享受するようなマゾオナニーをけしかけることもなくなる。
そのようなオナニーが公然とひけらかされているような界隈が、いかに非生産的で不毛な
戯れ事だけに終始しているのかをも察して、嫌悪する以前に近づくこともなくなるだろう。
真面目ぶっていながらも、本質の所に大不真面目を孕んでいることをも察して、
それ故の脆弱さを自分までもが帯びてしまわないようにする誓いばかりを確たるものとするだろう。
糞スレをageるな
人様の迷惑考えろキチガイ
人様の迷惑考えろキチガイ
古流は古流で、昔の武芸者や武士も取り組んでいたような身体作りまで疎かにしての、
技術頼み一辺倒な老人クラブ化してたりするのが、これまたいただけない所。
体力に自信のある若者は有用な技法を身に付けることを怠り、
いい技法を知っている年寄りは、それを旺盛な体力や精神力と相乗させることを怠るスノッブぶりでいる。
まさに、宝の持ち腐れを絵に描いたような事態に見舞われているのが、ほぼ全ての東洋体術の現状である。
現代ヨガも、軍事教練の参考として世間に公開された最初期の頃には、
修練に際して重傷を負うことも辞さないほどの荒行なのが基本だったというが、
特に西洋にまで広められて行く過程でそのような側面は陰をひそめ、
今では苦しいことなんか何もしたくない中高年女性あたりが一番の顧客という大逆転状態でいる。
技法がそれだけでも独立して高い価値を持ち合わせているからこそ、
体力や精神力まではそこまで要求しないみたいな片手落ちもまた、現代ならではのもので、
決して古来の武芸者や仏者がよしとしていた所ではない。心技体、全てを最大級に動員しての
己が超人、真人への昇華が目的であったが故にこそ、武芸やヨガも聖道扱いにまでされていたことが
あるのであり、その取り組みを疎かにするようでは不真面目オナニーの一種にすらなりかねないのである。
技術頼み一辺倒な老人クラブ化してたりするのが、これまたいただけない所。
体力に自信のある若者は有用な技法を身に付けることを怠り、
いい技法を知っている年寄りは、それを旺盛な体力や精神力と相乗させることを怠るスノッブぶりでいる。
まさに、宝の持ち腐れを絵に描いたような事態に見舞われているのが、ほぼ全ての東洋体術の現状である。
現代ヨガも、軍事教練の参考として世間に公開された最初期の頃には、
修練に際して重傷を負うことも辞さないほどの荒行なのが基本だったというが、
特に西洋にまで広められて行く過程でそのような側面は陰をひそめ、
今では苦しいことなんか何もしたくない中高年女性あたりが一番の顧客という大逆転状態でいる。
技法がそれだけでも独立して高い価値を持ち合わせているからこそ、
体力や精神力まではそこまで要求しないみたいな片手落ちもまた、現代ならではのもので、
決して古来の武芸者や仏者がよしとしていた所ではない。心技体、全てを最大級に動員しての
己が超人、真人への昇華が目的であったが故にこそ、武芸やヨガも聖道扱いにまでされていたことが
あるのであり、その取り組みを疎かにするようでは不真面目オナニーの一種にすらなりかねないのである。
岡田斗司夫といえば、2017年の一期けもフレを、
当初はただの駄作としてこき下ろしてたのに、
社会現象級のブームになり始めた途端に日和って評価、
政策陣の内紛のせいでとん挫したらまた変節して、
「2017年の最高傑作アニメはメイドインアビス!」
とか言ってた小物ムーブが個人的には印象に残ってて、
あんまり歯牙にかける気も起きないんだが。
オタクにとっての自他ともに認める神様である富野由悠季からして、
「私らの作品ばっか見てたってろくな大人になれませんよ」
って昔から釘を刺してんの。岡田がどんなに消費型オタクの最高権威で
あったところで、それだけじゃあ富野の言い分の掌中でしかあり得ない。
タモリがよくブラタモリの寺社散策時に提示してた「聖と俗」の内では、
やっぱり漫画アニメも俗のうちに入るものだから、どんなに面白くたって、
そこを権威化までしたりするのは違う。その点では、老後の余興として
ガンダムを面白がってる落合あたりのほうが順当な姿勢だともいえる。
本人の本業だった野球が聖か俗かは置いといて。
当初はただの駄作としてこき下ろしてたのに、
社会現象級のブームになり始めた途端に日和って評価、
政策陣の内紛のせいでとん挫したらまた変節して、
「2017年の最高傑作アニメはメイドインアビス!」
とか言ってた小物ムーブが個人的には印象に残ってて、
あんまり歯牙にかける気も起きないんだが。
オタクにとっての自他ともに認める神様である富野由悠季からして、
「私らの作品ばっか見てたってろくな大人になれませんよ」
って昔から釘を刺してんの。岡田がどんなに消費型オタクの最高権威で
あったところで、それだけじゃあ富野の言い分の掌中でしかあり得ない。
タモリがよくブラタモリの寺社散策時に提示してた「聖と俗」の内では、
やっぱり漫画アニメも俗のうちに入るものだから、どんなに面白くたって、
そこを権威化までしたりするのは違う。その点では、老後の余興として
ガンダムを面白がってる落合あたりのほうが順当な姿勢だともいえる。
本人の本業だった野球が聖か俗かは置いといて。
全く無関係な話で悪いが、いま検索してみて気づいたんだが、
天皇ご一家や上皇ご夫妻のご静養のニュースが連日テレビで流れてるわりに、
5chではただの一つも関連記事のスレが立ってない。
https://twitter.com/STomchang/status/1694232796783...
こういう、「国民は汗水たらして働いてるのにいいご身分ですな」的な
批判が出るのが見え透いてるし、実質、皇室のネガキャンにしかなってない報道。
前から、なんであんな無益な報道ばかりに躍起でいるのかと疑問には思っていたが、案の定、
あれは街宣右翼など同じく、皇室の権威を貶めて支持を下げるための印象工作らしい。
だからこそ、すぐに裏を勘繰られるネット上での広告は極力避けている。
忌まわしいことではあるが、未だに大メディアが外患勢力の配下であることと、
連中にとって皇室が都合の悪い存在のままであり続けていることの証拠にもなっている。
完全に懐柔され尽くしているのなら、あんな扱いを受け続けてるはずもないから、
そこはほんの少しだけ安心材料にもなるところではある。
天皇ご一家や上皇ご夫妻のご静養のニュースが連日テレビで流れてるわりに、
5chではただの一つも関連記事のスレが立ってない。
https://twitter.com/STomchang/status/1694232796783...
こういう、「国民は汗水たらして働いてるのにいいご身分ですな」的な
批判が出るのが見え透いてるし、実質、皇室のネガキャンにしかなってない報道。
前から、なんであんな無益な報道ばかりに躍起でいるのかと疑問には思っていたが、案の定、
あれは街宣右翼など同じく、皇室の権威を貶めて支持を下げるための印象工作らしい。
だからこそ、すぐに裏を勘繰られるネット上での広告は極力避けている。
忌まわしいことではあるが、未だに大メディアが外患勢力の配下であることと、
連中にとって皇室が都合の悪い存在のままであり続けていることの証拠にもなっている。
完全に懐柔され尽くしているのなら、あんな扱いを受け続けてるはずもないから、
そこはほんの少しだけ安心材料にもなるところではある。
昔の、お伊勢参りや善光寺参りに代表されるような大衆観光も、
決してただの"聖"地巡りなだけだったのではない。
門前町での風"俗"遊びなりご当地グルメなりの、
現代でもそれなりの活況を呈しているような部類の
遊興もあった上での、聖俗織り交ぜた観光事業だったのである。
そんな、聖と俗のバランスをうまく釣り合わせていた時代と比べれば、
今はただひたすら俗悪一辺倒の世。最上級に高尚な崇拝対象と云えども
野球や将棋止まりで、それ以上にあたるものは皇室よろしく、ただ伝統だから
まだ引き継いでいるだけの忌まわしい過去の遺物扱いに押し込めようとしている。
それこそを、マッカーサーやCIA職員、統一教会員らは「自由化」と呼んで来たのだが、
実際は聖と俗どちらもありだった時代から、俗一本へと誰しもを幽閉する不自由化でしかなかった。
特に誰しもが深く記憶に残っている、その最大級の弊害こそは、
野球好きの団塊などに代表される、俗悪止まりのクセして大真面目の聖人ぶってる
連中の横暴による、日本社会全体の閉塞、停滞、凋落である。
そういった連中に、「野球も将棋も漫画アニメも俗の側に過ぎん」
という釘を刺すのみならず、真に大真面目な聖賢の領域を司る分野の再興によって、
自分たちの側の本質的な不真面目さを心から思い知らせて、恥じ入らせることまでもが必要となる。
決してただの"聖"地巡りなだけだったのではない。
門前町での風"俗"遊びなりご当地グルメなりの、
現代でもそれなりの活況を呈しているような部類の
遊興もあった上での、聖俗織り交ぜた観光事業だったのである。
そんな、聖と俗のバランスをうまく釣り合わせていた時代と比べれば、
今はただひたすら俗悪一辺倒の世。最上級に高尚な崇拝対象と云えども
野球や将棋止まりで、それ以上にあたるものは皇室よろしく、ただ伝統だから
まだ引き継いでいるだけの忌まわしい過去の遺物扱いに押し込めようとしている。
それこそを、マッカーサーやCIA職員、統一教会員らは「自由化」と呼んで来たのだが、
実際は聖と俗どちらもありだった時代から、俗一本へと誰しもを幽閉する不自由化でしかなかった。
特に誰しもが深く記憶に残っている、その最大級の弊害こそは、
野球好きの団塊などに代表される、俗悪止まりのクセして大真面目の聖人ぶってる
連中の横暴による、日本社会全体の閉塞、停滞、凋落である。
そういった連中に、「野球も将棋も漫画アニメも俗の側に過ぎん」
という釘を刺すのみならず、真に大真面目な聖賢の領域を司る分野の再興によって、
自分たちの側の本質的な不真面目さを心から思い知らせて、恥じ入らせることまでもが必要となる。
俺も、スポーツ剣道の竹刀振りのせいで損傷した肩の関節包が今でもそのままだが。
(画像左の矢印部分)
人間の体の中でも、肩、肘、膝、股関節あたりは、
不正な運動によって容易に自壊する上に、治療を受けないともう二度と元には戻らなくなる。
ただ、古流の剣振りのような、人体力学的な無理のない、正しい運動によっては、
外れ癖が付いた肩関節などもまた引き締まって行って、関節包の損傷を
手術で修復したりするまでもなく、完全な運動機能が取り戻されることとなる。
ただ、それは不正な運動と同等以上の分量の、正しい運動をこなすことで
初めて実現されることでもあるし、スポーツの竹刀振りや投球みたいな、
不正な運動をやり込みながらでも務まるようなことではないのも確か。
不正な運動のほうが稼げて、合理的な運動では稼げないなんていう時代には、
自動的に治せるものも治せないままで終わるような人間が続出することともなる。
これもまた、世を挙げて心技体への最善を尽くさない不真面目さを開き直る弊害の最たるものなのである。
(画像左の矢印部分)
人間の体の中でも、肩、肘、膝、股関節あたりは、
不正な運動によって容易に自壊する上に、治療を受けないともう二度と元には戻らなくなる。
ただ、古流の剣振りのような、人体力学的な無理のない、正しい運動によっては、
外れ癖が付いた肩関節などもまた引き締まって行って、関節包の損傷を
手術で修復したりするまでもなく、完全な運動機能が取り戻されることとなる。
ただ、それは不正な運動と同等以上の分量の、正しい運動をこなすことで
初めて実現されることでもあるし、スポーツの竹刀振りや投球みたいな、
不正な運動をやり込みながらでも務まるようなことではないのも確か。
不正な運動のほうが稼げて、合理的な運動では稼げないなんていう時代には、
自動的に治せるものも治せないままで終わるような人間が続出することともなる。
これもまた、世を挙げて心技体への最善を尽くさない不真面目さを開き直る弊害の最たるものなのである。
▲ページ最上部
ログサイズ:346 KB 有効レス数:201 削除レス数:284
不適切な書き込みやモラルに反する投稿を見つけた時は、書き込み右の マークをクリックしてサイト運営者までご連絡をお願いします。確認しだい削除いたします。
とりあえず掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
スレッドタイトル:不真面目は感情のオナニーである