前にも似たようなことを言ってたんだが、
人間が50オナメン以上に真面目本位か不真面目本位であるかは、
日本刀への感傷である程度は判別できる所がある。
手足を両断するのも容易なほど鋭利な刀剣を眼前にした時に、
過度の恐怖に怯えるか、秋葉加藤のような凶刃漢としての血が騒ぐのなら、
それはどちらも自分自身が50オナメン以上に不真面目な人間だからである。
美術品としての価値はもちろんのこと、日本の工業力や日本人の器用さの
一大源流ともなって来た、工芸品としての精巧さなどにまで配慮が行き届いて、
シラフの感心を抱けるようなら、それは50オナメン以上の真面目さの持ち主だといえる。
戦闘で実用することを想定するとしても、犯罪行為や不義の戦ではなく、
義戦でその刀の価値がより上がるような用い方を模索するのであれば、
その場合に限ってだけは大真面目であることを堅持、助成できるようになっている。
それが務まらない人間が昔から一定数いるものだから、そのような人間こそが
刀剣商となって悪徳取引に走るような真似もまた繰り返されて来たもの。
日本刀の作成法ほど、AIが肩代わりするのが不可能に等しい人の業も稀だし、
実際そこにこそ、AIに仕事を奪われかねないオナメンと、まだまだそうはいかない
大丈夫とを大別する普遍的な標準性が備わっているようにも思われる。
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