俺が子供の頃には、小学校などでいつもヘラヘラとして、
しょうもないことにいちいち嬉しがっているような同級生を
「ウレシ」などとバカにして戒める風潮があったものだが。
大人になってからは、むしろ一定以上にウレシであることが、
世知辛い時代に生きる社会人としての、感情面からのエチケットとして
必須扱いにされ、その手の不真面目さを完全に排するほうが堅物として忌み嫌われ、
ひどい場合にはアスペだなんだと病人のレッテルまで貼られるようになったのを実感している。
子供の頃にウレシが総出でバカにされてたのは、いちいち嬉しがらなくても
いられるぐらいに誰しもが人生楽しかったのもあるだろうし、際限なく嬉しがっている
者の不埒さがオナニーじみてることに恥じらいも感じてたのだろうと思われる。
むしろ、大人のほうがそのような恥じらいから遠ざかり、
「いつも喜んでいなさい(一テサロニケ5:16)」の実践こそが、
倫理的に良好な姿とまで思い込んでいる場合が多い。
いやそれは、やっぱりオナニーだろう、と。
無闇な嬉しがりによるアドレナリン放出に酔い痴れるのは、
股間をまさぐるまでもなく脳だけで試みている感情のオナニーにすぎず、
そのせいで悲嘆の原因となるような現実問題への着実な解決を怠り、
より陰惨な事態を招き入れることともなってしまう。
子供よりは大人、しかも男よりは女のほうが陥りがちなドツボ。
股間のオナニーを痴態として卑しむぐらいなら、それもまた忌むべきなのである。
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