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>>249の続き)
利害相反の搾取、不倶戴天級の対立をこの世に持ち越し続けるのを
許容する不埒さを帯びた上での厳しさなどには、一旦絶えてもらえばこそ、
それを許さない健全な厳しさの復権もまた成し得るものである。
信長や秀吉らが、ヒステリーや老耄によって、敵はおろか配下にいたるまで
理不尽な厳しさをまき散らすような真似が、戦国の世と共に過ぎ去り、
終身にわたって全ての配下に敬語を使っていたという家康公の天下が招かれた。
だからといって、そこからあらゆるわがまま勝手放題を許容するような
甘ったれた時代へと移り変わったのではなく、むしろ誰しもが自らの振舞いに
最大級の責任を抱かんとする厳しさにかけてはこれまで以上の時世が招かれた。
武田信玄が未だ戦乱冷めやらぬうちから自国でだけは広めていた
喧嘩両成敗の取り決めなども全国全土にわたって通用させ、武家同士はもちろんのこと、
支配層としての武家と百姓の間での一揆級の争議などにかけても同様の処分が
義務付けられるようになった。それ故に、封建構造上の支配者と被支配者の間での、
利害相反級の搾取関係なども許されなくなったのであり、世の中からさような
凶事を除くために本当に必要なのは、民主化だの自由化だのではなく、
不俱戴天だっていくらでもあったって可などとする、オナニーメンタル級の
不埒さの蔓延を許さないだけの、芯からの厳しさの通用でこそあるのである。
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