「直せ」という命令も、「頑迷固陋」という指摘も、
俺の考えが間違っていることを大前提とした物言いだろうが。
俺は、自分の考えに誤りがあれば、その時には即座に反省して改めることを
本分として来たし、実際にここでもそのようにした実例がある。
(「劉邦も革命前は無職ニート同然」という主張など)
しかし、おまえらは何一つとして反証例を示すわけでもなく、
頭ごなしで無根拠な否定や中傷を繰り返すだけでいるのだから、
そもそも俺が考えを改めたりする何らの役割をも果たしているわけではない。
むしろ、反証例も示さずに感情的な反意ばかりを示すことによって、
こちらの考えが不都合ながらに反駁のしようもない真実であることを、
背理的に実証する役割ばかりを果たして来ているとすらいえる。
孔子に倣って、この世の万事万物を、最悪反面教師としてであっても、
学びの対象とすることを心がけて来た身としては、そういう人種が
いなくなることもまた、残念の内に考えられるものではあるが。
だからといって、おまえらこそが精練して来てくれた、真実の純塊ともいうべき
自らの意見を変節させたりする必要性はどこにもないし、逆にむしろ、
おまえらがいなくなろうとも考えを腐乱させたりすることがないように、
より一層の勉励を尽くして行かねばなるまいとの思いを新たにするばかりである。
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